フェリクスとリオンは長い付き合いだ。それこそタイラントとフェリクスよりずっと長い時間を共にしてきた。
 だがフェリクスはリオンに決して馴染もうとはしなかった。出会い方が悪かった、といえばそれまでなのだがそれにしてもフェリクスはずいぶん心理的な距離をとる、とリオンは思う。
 それはきっとフェリクスの恐怖心がさせるのだ、と今はリオンも知っていた。かつては自分に対して苛立たしい態度しか取らない彼に不快感を抱いたこともあったものの、現在ではそのようなことはない。
 彼を知ったことで、反ってからかい甲斐がある、とすら思うほどだった。もっとも、本当のところではどちらがからかわれているのだかわかったものではない、と思う程度にはリオンも大人だった。
 現にフェリクスは常にリオンを愚か者扱いする。それはおそらく彼が兄弟子だからなのだ、とリオンは思う。
 魔術師の常として彼らは長命だ。決して年を取らないわけではないが、姿形を自分好みの年齢でとどめておくことも可能だった。彼ら自身は意図的にそうしてはいない。力の強い魔術師の常として単に、止まってしまっている。
 だから年齢をどうこう言うのは無意味だ。それでもリオンは少しだけ、稀に思う。自分のほうが年上なのに、と。
 思って、そして笑うのだ。魔法を能くしない人間のうち、自分より年上の人間はそうはいない、と。無意味なことを思って拗ねる自分というものを、リオンは笑う。
 だから、今も彼は素直だった。兄弟子を立て、彼の言葉に従う、と態度に表す。それがフェリクスを苛立たせると知っていてするのだから、あながち素直、とは言いがたかったが。
「それで、フェリクス? 私も思うところはありますが、どうしましょうか」
 従順な態度にフェリクスは厳しい視線を向けた。案の定な物だから、リオンは意に介した風もない。
「あなた、いい性格してるね」
 呟きめいた言葉にリオンは顔をほころばせた。たしなめるよう、フェリクスの腕の中、竜が鳴く。それを無造作に肩に投げ上げたから、あるいはフェリクスは今、機嫌がいいのかもしれない。
「やだなぁ。褒められちゃいました」
「誰が。どういう耳してるの」
「だって、私の銀の星はいつもそうやって褒めてくれましたよ?」
 実に爽やかに言ってのけたリオンに、フェリクスは馬鹿馬鹿しいとばかり言葉を返さない。
「この期に及んで惚気ないで。カロルはもう死んじゃったじゃない」
 嫌味で言った言葉が、自分の心に突き刺さった。くぅ、と鳴いた竜が心配そうに顔を覗き込んでくる。それにフェリクスは自分がうつむいていたのを知った。リオンは黙って足を進めている。
「……それでも、惚気くらいいいか。そんな気分のときもあるよね」
 呟きは、フェリクスの謝罪。不器用な彼にリオンは答えを返さず黙って歩いた。それが彼の意に適う、と知っていた。
「さて、と。私としてはシャルマークを推奨しますが。どうです?」
 あっさりと話を元に戻し、リオンは提案をする。もとより多少、ずれた提案であることはわかっていた。やはり、フェリクスはきつい目をして睨んできた。
「あなた、本当にどうかしてるんじゃないの」
「おや、だめですか」
「だめって言うか。シャルマークより……。いや、あそこもシャルマークの内、かな」
 するりとフェリクスは竜の額を指先で撫でた。リオンはその仕種に胸の痛みを覚える。
 昔、タイラントが魔法で姿を変えられていたとき、リオンは竜のタイラントに会ったことがある。そのときも彼はフェリクスの肩にいて、そして今のように慈しまれていた。
「フェリクス」
 彼がそのことを明確に思い出すより先に、と声をかけたリオンにフェリクスは答えなかった。彼の心には、疾うにそのことが刻まれていたのだろう。
「……僕は、リィ・サイファの塔を考えていたよ」
 ぽつり、と言ったのは思い出したくないことを思い出すせいだろうか。横目で見たフェリクスは変わらず無表情。だが声には温度があった。氷よりなお低い、温度が。
「ははぁ。やっぱりねぇ。そうじゃないかと思ってました」
「なにを今更。聞かされてから言うのは卑怯って、カロルに言われてないの」
「私の銀の星は自明のことを言った人を叩きのめして楽しむ趣味が――」
「あったじゃない」
「……ですね」
 ゆっくりと溜息をついて見せたリオンに、フェリクスは乗らなかった。代わりに、と言うわけではないだろうが竜が朗らかに鳴いた。
「ねぇ……、歌わないの」
 声の調子に、フェリクスが竜の背を撫でては問いかける。竜はきょとんとしたまま首をかしげて答えない。
「歌うといいですねぇ」
 慰めを彼は必要とはしないだろう。だがリオンは言ってしまった。途端に目の前に氷が出現した。否、氷の剣。フェリクスの愛剣だった。
「下手なこと言わないで。わかってると思うけど、僕は今とても自分の感情制御に自信がない。なんだか自分が凍りついちゃったみたいな気がしてる。こういうのって、解けるときは速いよ」
「フェリクス」
 指先でリオンは剣をよけた。本よりフェリクスも今ここで切りかかるつもりはなかったのだろう、あっさりと剣を引く。
「なに」
 怯えた竜の鳴き声に、フェリクスは指を伸ばした。大丈夫だ、とでも言うようその額を撫でる。
「あなた、泣きました?」
 もう一度剣が現れても無理はない。一度くらい切られてもいい、そう思って言ったリオンの言葉にフェリクスは不思議そうな顔をした。
「タイラントが亡くなったとき、あなた、泣きましたか」
 言葉の意味を掴みかねているような顔をするフェリクスに、リオンは畳み掛ける。竜が小さく声を上げる。その口許からは冷気の吐息が漏れていた。
「いいの、気にしないで。あなたが敵対するのも馬鹿らしいよ」
 そう言ってフェリクスは竜を腕に抱き取った。まだ唸り声を上げている竜に、リオンは目礼する。それにはっとしたよう、竜が気配を穏やかなものへと変えた。
「リオン」
「はい」
「ここで僕に喧嘩売ってるわけじゃないってことは、わかる。でもね、言葉に気をつけて」
「心がけてはいますけどねぇ。でも、フェリクス――」
「僕は、泣かない」
「どうしてです?」
「あなたは――」
「泣きましたよ、カロルが亡くなったときは。もう大泣きしましたとも。三日三晩泣いて泣いて、いっそ一緒に連れて行ってくれって嘆願して」
「それで」
「……諦めたか、と聞くんですか?」
 きゅっと、フェリクスが唇を引き結んだ。その表情ともいえない変化にリオン唇をほころばせ、言葉を続ける。
「まさか、諦められるわけがありません。私は気づいただけですよ」
「なにに」
「カロルは死んでないってことに」
 あっさりと言った言葉に、フェリクスは正気を疑ったのだろう、まじまじと見つめてくる。それを受け流してリオンは笑う。
「私のね、ここに――」
 指したのはその胸。目を閉じ、リオンは愛した人の面影を瞼に浮かべる。
「カロルは生きてます」
「馬鹿な」
「うん、どう言ってくれてもいいんです。私がそう思うだけですから。私の銀の星はここに生きてる。だから、私は無駄死にはしません」
 いつまでも、彼を欺き続けることはできなかった。否、欺くだけならば、可能だ。リオンはそうしたくない、それだけのこと。
 それはフェリクスに寄せる感情ではなく、カロルが誰よりも慈しんだ弟子が彼だからこそ、リオンもまたフェリクスを大切にしているに過ぎない。
「言っていることが違う、そう思ってますね」
「まぁね」
 案じたのだろう、竜が腕の中から伸び上がってフェリクスの頬を舐めた。それに彼は自ら頬を寄せ、目を閉じる。
「さっさとカロルのところに行きたいのも、嘘じゃないんですよ」
「だったら」
「無駄死に、犬死はごめんです」
「なら――」
「かといって、あなたのそばから離れる気もありません」
「どうして――!」
 ここに至って初めてフェリクスが声を荒らげた。そのことにリオンは誰より安堵する。と、竜と目が合った。誰より、ではないと内心に苦笑した。
「あなたが、カロルの愛弟子だから、です」
「リオン――」
「私は彼がしたかったことをしています。それだけですよ」
 リオンは胸に手をあてる。心に住むカロルは、きっと喜んでくれることだろう。フェリクスをどの弟子よりも大切にしていた彼だから。
「無駄話はこの辺で。フェリクス。リィ・サイファの塔に行く予定だって言いましたよね?」
「……言ったけど、なに」
「いやぁ。どうして歩いてるんでしょう、私たち」
「リオン」
「だって、あそこだったら場所もよく知ってますし、別に魔法で跳んじゃえば早いのになぁって思っただけです。あ、もしかして何か深遠な考えがあったりしましたか」
「ねぇ、あなた。ちょっと噛みついてきなよ。この男のこと、昔っから嫌いだったけど、いまは物凄く嫌いかも」
 穏やかに言ってフェリクスは竜を見つめる。声音からすれば微笑んででもいるのだろう、そう思ったリオンは彼の表情にそっと溜息をつく。
 無表情のフェリクスに怯えた竜が体をよじる。そのことに衝撃を受けたよう、フェリクスは竜の胴を掴んだ。掴まれてみて、竜は慌てたのかもしれない。わずかに表情を変えたフェリクスに竜が驚く。そして飛び上がって肩に移った竜は彼の頬を必死で舐めていた。
「実はフェリクス。あなた考えなしに歩いてただけでは?」
 痛ましいフェリクスの仕種にリオンは挑むよう彼をからかう。それにフェリクスは応じた。射殺そうとでも言うよう睨みつけ、ちらりと竜に視線を向ける。
 華やかな鳴き声を上げて飛び掛ってきた竜を大袈裟に防御して見せリオンは悲鳴を上げる。あからさまな馴れ合いの戦いにもフェリクスは無表情だった。




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