そうして二人と一匹、否、三人と言うべきだろうか。彼らはラクルーサを後にした。フェリクスは追手がかかるもの、と警戒していたが、リオンは泰然としたものだった。 「たかが魔術師二人に軍隊で追手ですか。それはないでしょうねぇ」 「どうして」 「だって沽券にかかわるじゃないですか」 からりと笑って言ったリオンを呆れ顔でフェリクスは見やる。そういうものだろうか、と思いはするものの多少は納得が行く。が、警戒は怠らなかった。 「さて、のんびり行きますかねぇ」 まるで物見遊山だ、とフェリクスは思う。思った途端に胸がきりきりと痛んだ。 「おいで」 いつの間にか肩に移っていた竜を胸に抱える。穏やかな顔をして安らいだ竜の背を撫でれば、痛みが和らぐかと思った。いっそう増しただけ。 「覚えてる?」 魔術修行の合間に二人で出かけたこと。どこへと決めず旅に出たこと。吟遊詩人とその連れのふりをして――あながち間違いでもなかったけれど――村で興行をしたこと。 竜が見上げてきた。瞬きをする様に、こちらの意思が伝わっていることを感じる。だが答えはなかった。 「リオン」 思いを振り切るよう、フェリクスは道連れとなってしまった男を呼ぶ。 「なんです?」 あっけらかんとした声音に、彼は本当にこの事態を理解しているのだろうか、と思う。もっとも、出会ったときからこのような男ではあった。 「弟子ども。どうしたの」 今になって気づいた。と言うより、忘れていたわけではなかったが、すでにフェリクスにとって他者は重要な存在とはなりえないものとなっていた。 「薄情ですねぇ。今更それを言いますか? まぁ、いいですけど。星花宮は私が対処して来ましたよ。とりあえず弟子たちにはラクルーサを出るよう、奨めてあります。従うかどうかは私の知ったことじゃないですけど」 「どういうこと」 「だってあなた――」 ちらり、と視線が飛んできた。馬鹿でも見るような目つきをされたのが気に入らない。が、殴るほど親密ではなかった。 「フェリクス。あなた、国王に喧嘩売ったんですよ、わかってます?」 「僕は売られた喧嘩を買っただけ。別に売ってない」 「相手は王様ですよ? そんな言い訳が通りますかねぇ。彼は魔導師団そのものを敵視するでしょう」 「いままでが違うとでも?」 フェリクスの冷笑めいた言い様に、リオンがわずかに体を強張らせる。なだめるよう、竜が伸び上がってフェリクスの頬を舐めた。 「まぁ、それもそうですけどね。これで公然と敵対したわけですし。事情もわからないで殲滅されるのはさすがに寝ざめが悪いです。ですからラクルーサを出るよう勧告しました」 「なるほどね……」 確かにそれが一番だろう、弟子たちのことを思えば。フェリクスの瞼の裏に、育てたたくさんの子供たちの姿が浮かんでは消える。すでに立派に独り立ちした者、いまだ手元に置いて教育していた者。いずれ。もう会うことはない。そして会いたいとも思っていない自分に、フェリクスはかすかな悲しみを覚えた。 「一応、その先まで言っておきますね」 断りを入れたリオンの声に、フェリクスははっとする。甘えた鳴き声を上げ、竜がなついてきたのをそっと撫でる。 「どこに行かせたの? ミルテシア?」 「ですからそれをいま……。えーと、ちょっと無茶かなぁとも思うんですが、シャルマークに」 「なにそれ。無茶とか言う問題?」 呆れた、と声音はありありと語っている。が、表情は動かなかった。リオンは視界の端でそれを捉え、内心で溜息をつく。 「シャルマークって言っても、別にかつての大穴の辺りとか、そういうことじゃないです」 「もしかして――」 「はい。イーサウに」 遥かな過去、シャルマークの四英雄、と呼ばれた人たちがその発展に力を貸した村がある。イーサウ、と呼ばれたその村は、シャルマークに暮らす人々が自衛しつつひっそりと暮らす場所だった。 ある時、そのイーサウに問題が起こった、と言う。それを解決したのが四英雄だ、と。その副産物とでも言おうか、イーサウは温泉が湧いた。 以来、イーサウは人々が往来するようになる。シャルマークの大穴が塞がったのも大きな要因だろう。それによりイーサウは次第に大きくなり、村から町へ、町から街へ、と発展を続けた。 しばらく前にはすでに立派な商業都市となり、現在ではイーサウ自由都市連盟の盟主ともなっている。 そこならば弟子たちは新しい人生を歩めるだろう。商業都市だけに魔術師に対する忌避も少ないと聞く。後年のこととなるが、結果としてそれが功を奏した。星花宮の魔術師たちが国を出たことが大陸魔導師会設立の契機となったのだが、それはまた別の話だ。 イーサウは元々シャルマークに位置しているのだから独立する、と言うのもおかしなものだが、人間世界で二王国とは別の国を作ろうとするのは大変なことだったらしい。ある種の勢力の力を借りた、と言われているが定かではない。 「……それも手かな」 「フェリクス?」 「なんでもない」 いささか不穏なことを考えていたらしいフェリクスを、リオンは止めるべきかどうか迷っていた。言って止まるとも思いがたい。 リオンはすでにその座を退いたとは言え、エイシャ女神の総司教だった。おかげで、彼には独自の情報網と言うべきものが存在する。 だから知っていた。イーサウ独立の背景に、半エルフや闇エルフ、その子らの集団がかかわっていることを。 フェリクスはいま、その手を借りようと考えたのではないだろうか。 「危ないですねぇ」 呟きに、冷たい視線が返ってきた。肩をすくめて答えずにいれば、関心を失ったよう、視線が外れる。 リオンは危険を回避したいと思っているのではない。戦うべきときに戦うためにこそ、力はある。それが戦いを本分とするエイシャの教えでもある。 だが、彼ら人ならざる者たちの手を借りれば、大陸全土が戦乱に巻き込まれかねない。人を憎むことに関しては人後に落ちない彼らだ。その危険は充分すぎるほど予想できた。 「ほどほどのところで制止するのが私の役目でしょうかねぇ」 「なに言ってるの。僕はほどほどなんかで済ませないから」 「あぁ。あなたのことじゃないですよ。ちょっとした独り言です」 にっこり笑って言ったリオンに、フェリクスは唇を引き締めただけだった。信じていない、とはっきり顔に書いてある。が、追及もしてこなかった。 それが、リオンには不安だった。放っておけば、このまま死にかねない。かつてカロルは言っていた。 「あの死にたがり」 と。当時はその言葉の意味がよくわからなかったものの、こうなってみればよくわかる。 フェリクスは、己の命を投げ出しすぎる。それがカロルにはどれだけ不安だったことだろう。 困ったな、と内心に呟いてフェリクスを見る。嫌そうな顔をして、あからさまにそっぽを向いた。 この際、フェリクスとさほど親密な関係を築いてこなかった、と言うのは幸運だったかもしれない、とリオンは思う。少なくとも、リオンが彼自身として立つための根幹を、フェリクスは理解していない。 おかげで、嘘がばれずに済んでいる。そうリオンは微笑みそうになる口許を引き締めた。 死にたいなど、微塵も思っていなかった。確かにカロルを失った苦痛はいまも去らない。消したいとも思っていない。 だが、犬死などしたくはない。それではカロルが誇った自分ではない、と思う。カロルに愛された自分は、倒れるまで生きるべきだ、と思う。 「生きて、生きて、生き抜いて、それから死ね」 カロルの言葉は、リオンに向けられたものではなかった。フェリクスに言ったもの。だがそれがリオンの魂に刻まれていた。言われた本人だけが、それを忘れた顔をして抜け殻になっている。 「今にはじまったことじゃないですけどねぇ」 塔の迷宮の事件が終わったあとも、そのあとも。タイラントと出逢ったときも、いつも彼はその身を投げ出すようにして死に惹かれていた。 「なにが」 独り言に答えが返ってくるのはいいものだなと、リオンは感じるが、彼はどう思うのだろう。見やればどこか遠くを見ていた。竜だけが、純な目をして見つめ返してくる。 「いえいえ、無計画と言うか、無思慮と言うか。これからどうするのかなぁ、と。それを思ったらつい独り言が」 「文句があるならどっか行けばいいじゃない」 「誰が文句を言ってます? あなたがた師弟は本当によく似てるなぁと思ってるだけですよ。その無謀っぷりが大変懐かしいです」 「……僕は」 「はい?」 「僕は、カロルじゃない」 叩きつけるよう言われた言葉に熱がない。フェリクスは慰めを求めるよう、竜を抱きしめていた。 「なに馬鹿なことを言ってるんです。誰がカロルの身代わりですか。あなたごときが私の銀の星になれるとでも思ってるんですか。おこがましいって言うんですよ、そういうの」 軽やかな声音に不似合いなきつい言葉。フェリクスの耳に届くだろうか。案じたリオンはわずかに安堵した。 竜が、たしなめるよう、フェリクスの肩を掴んでいた。その顔を覗き込み、少しばかり目を細めた竜からははっきりと彼を責めている気配がした。 「……わかった」 リオンにではなく、竜に言う。それでリオンは充分だった。その言葉は、フェリクスにとって謝罪に等しい。それも、彼は今タイラントに叱られたような気がしているはずだ。あるいは、何よりつらいことかもしれない。タイラントは、いないのだから。 「さて、フェリクス? 何か計画がありますか」 カロルならばこうしてあからさまに話題を変えたとき、かすかにほっとする気配がした。フェリクスは無表情のまま遠くを見るだけ。 「計画? あなた、僕を馬鹿だと思ってない?」 「とんでもない」 ひらひらと顔の前で手を振って見せる。おどけた仕種にもフェリクスは関心を示さない。竜が同情するよう、視線を向けてきた。 「だってフェリクス。なにか考えがあるんですか」 「ないわけじゃない。と言うか、こんなとき行けるとこなんてたいしてないじゃない」 「それは、そうですが……」 だったらどこに行くつもりなのだ、と問いかけそうになってリオンは黙る。愚か者扱いをされたくなかった。 |