観客の歓声が闘技場を包んでいた。予選で使われた闘技場ではない。四つ作られた闘技場はいま、一つになっている。四倍の広さを持つそれが、本選の闘技場だった。 広くなった分、使われる魔法も多岐にわたる。星花宮出身者はこれが魔法の闘技であることを鑑みて一つ申し合わせをしている。 「趣味にすぎんのだがな」 小さく呟いて口許に笑みを閃かせるのはアリルカのミスティ。火系では随一、もしもフェリクスがカロルの名を継がなかったならば彼こそが黒衣の魔導師の後継者、と呼ばれただろう魔術師だった。 詠唱と共に火線が走る。炎の矢だ、と観客が大声を上げて喜んでいた。火系の魔術師としてはそれほど大した魔法でもない。単なる牽制だ。 ミスティはその手に剣が欲しかった。星花宮の魔導師ならば誰でも使える、とは言わないが技量に優れるものならば作り出すことができる己の魔法剣。魔法攻撃でありながら同時に物理攻撃でもあるそれをこの闘技では使わない、と協定を結んでいた。 「オリジナルスペルなんだし、いいと思う――んだけどね!」 次の試合ではイメルまで同じことを呟いた、とはミスティも知らないだろう。それでも星花宮出身者以外に使えるものがいないのだからどことなく不公平な感がある、と言われれば仕方ない。しかも物理攻撃でもあるのだから規則に抵触する、とまでエリンに言われた。 「自分だって好きなくせに!」 本当はあまり戦うのがイメルは得意ではない。火系や水系は戦闘呪文を得手にしている者も多くいるけれど、どちらかと言えば地系・風系は苦手にしている者が多い印象がある。もっとも、イメルが優れて風系魔法に秀でているからこそ、そう感じるのかもしれなかったが。タイラントもまた、戦闘を得意としてはいなかった。 「見てます? 師匠」 そっと口の中で囁いてみる。どこか遠くで師が見てくれているような気がした。そこからフェリクスと並んで、自分たちの弟子の不甲斐なさに呆れて首を振っているような、それでも笑っているような、そんな不思議な感覚。 オーランドはもちろん詠唱すら誰にも聞き取らせることなく無言で勝ち進む。観客に一番人気と言えばやはりエリン。なにしろイーサウに長く暮らしている上、外見が華やかだ。彼が魔術師であると知り、そして実年齢もライソンと言う伴侶がいるとすらわかりつつも若い女性の歓声が彼にはこれでもかと言うほど飛んだ。 「うっせぇ!」 観客に返される暴言にも黄色い声。ライソンは忍び笑いを漏らしてそれを眺めていた。一応はこれでもイーサウの名士だ、席も一般席ではなく貴賓席を与えられている。昔ならば頑として拒んだだろうけれど、年を取った今では人波にもまれず闘技を眺められるのがありがたい。 「どうして人気あるのか、すごく不思議」 ライソンのおこぼれにあずかっているのはチェイスとファネル。むしろエリンの「俺のダチ」の一言でここにいる、と言ったほうがライソンは正しい気がしている。 「やっぱりあの顔かな、と思うけどね」 ライソンの苦笑にチェイスが渋い顔をする。それにそっとファネルが笑っていた。よく笑う闇エルフなのだ、とライソンはイメルから聞いている。が、元々闇エルフの知り合いがいないに等しい。イメルの基準がだからライソンにはわからない。それでもファネルの笑い声は耳に心地よい、そんな風に思う。 「女の全部が顔に騙される馬鹿なんて思われるの、癪なんですけど?」 「騙されてないんじゃないのかな? ただ若く見えてかっこよく見えるエリンに騒いでいるだけ、だと思うよ、俺は」 「だがあれは……人間としてはもうかなりの老齢なのだろう?」 ファネルの問いにチェイスが眩暈を起こしたような顔をした。確かにあのエリンを見て老齢、とは頭痛がする気がライソンもしないでもない。 「いま幾つだっけな? 少なくとも俺より上ってか、俺の親父くらいの年だってのは聞いた気がするよ、ファネル」 「それは……ずいぶんなのではないかと思うが」 「でもあの面だしね。どうせ自分には関係ない遠い人だろ。他人で、しかも他人の男だ。関係ないからきゃーきゃー言ってられるってのはあるんじゃないかと思うぜ」 「お前は……」 ファネルが言葉を切る。ライソンにも少しわかりかけてきたことがある。神人の血を引く人たちはどう言うときにためらうか。他者の内面に踏み込みかねないとき。ライソンはほんのりと笑った。 「あんたに言うべきか悩むけど。俺は自分の男が騒がれるの、嫌じゃないぜ。あぁ、こんなにもてるんだって思うとなんかすげぇ自慢?」 「……いまだに惚気るってなんかすごいわ」 「一生惚気るよ、お嬢ちゃん」 にんまりとするライソンからチェイスは肩をすくめたふりをして目をそらした。まだまだ老人から思いを隠すほど彼女は年齢を重ねていない。 「よう、見てたか?」 当たり前に勝ち進んできたエリンが貴賓席に上がってくる。ライソンはずっと話をしながらも彼の闘技を見ていた。はじめての闘技なのに懐かしいのは、かつての戦闘を思い出すせいだろう。 「相変わらずの冴えだな。さすが俺のエリン」 「なんだよ?」 「惚れなおしたって言ってんだ」 「言ってろ。ほとんど毎日言ってんじゃねぇか、そりゃお前の口癖か、え? それともなんだ、惚れなおす余地があるほど愛されてなかったのかよ、俺は」 「ったく、減らねぇ口だな、おい」 「口が減ったらなくなんだろうがよ」 からからと笑いエリンはライソンが持っていた酒杯を奪い取る。中には温めて香料と蜂蜜を加えた葡萄酒が入っていた。 「冷てぇもんが飲みてぇなぁ」 「だったら人のを取るんじゃねぇよ!」 「欲しかったんだもん」 言ってエリンがライソンを覗き込む。そのきらきらとした目が見えてしまってチェイスは身の置き所がなくなりそうだった。とっくにファネルは遠くを見ている。 並べてみれば老人と青年。それなのにこの二人は同じ時間を過ごしてきた。並んで歩いてきた。少し、切なくなる。 「――ねぇ、ファネル。お父さん、幸せだったのかな」 ぽつりと言った彼女の言葉にファネルは驚いてうなずいていた。 「エラルダは? あの人も、幸せだった?」 「私は、そう思う」 きっぱりと言ったファネルの声もチェイスの問いもエリンは聞かないふりをしていた。イメルから聞いていないわけではない話。チェイスの父は炎の隼隊の隊長で人間。エリンも既知のあの傭兵。ラクルーサの王都の店に買い物に来ていた。そしてその恋人は半エルフだった。時の定めに従って、彼女の父は恋人を置いて去って行った。チェイスがいま、自分とライソンを見てその二人に思いを馳せていることに気づかないエリンではない。黙って聞かないふりをしつつ、ライソンの手を取る。彼の目もまた、和やかな光を宿して自分を見ていた。 「お、カレンだぜ」 何事もなかったかのようライソンが闘技場に目をやる。エリンの一番弟子、カレンの闘技だった。相手は星花宮出身ながら早くに野に下った魔術師。エリンは厳しい目で弟子の闘技を見つめる。 ファネルはそんなエリンを見ていた。フェリクスが息子とまで呼んだ彼の弟子。できればフェリクスが父のように思っていた、と言う黒衣の魔導師にも会いたかったものだと思いつつ。 「――惜しかったなぁ!」 準決勝、決勝を明日に控えたエリンの家は賑やかだった。普段は二人きりで静かに――とは中々いかないもののそれなりに穏やかに――暮らしている自宅だったが、今日は大勢の客がある。チェイスにファネル、なぜか宿も取らずにイメルがいるのも不思議だったし当たり前の顔をしたカレンまでいる。 「お前手伝えよ!」 エリンに怒鳴られたカレンはその声を待っていた、とでも言いたげな顔で台所で腕を振るっている。夕食の支度もこれだけ大勢となればひと苦労だった。 「ライソンさん、何がです?」 料理を運んできたカレンがライソンの声を聞きつけて首をかしげる。ついでとばかりライソンの酒杯に新しい飲み物を注いだ。ライソン用に水で割った葡萄酒だ。宴の時、若い客に付き合って同じものを飲んでいては身が持たない、と笑ったのはいつのことだったか。 「お嬢のことだよ。あれは、惜しかった」 カレンは十六強に入った。若き魔術師としてはかなりの好成績、と言えるだろう。それでもカレンは悔しかったようで最後の一戦に負けた後は誰にも見られないよう唇を噛みしめ、拳で涙を拭っていたとエリンは知っている。ちなみに狼のアランはあと一歩のところで予選突破ならず。それでも属性特化できない汎用型の魔術師の中では最高成績を収めた。 「全然惜しくなかったすよ。まだまだです。あれは、私が悪い。もうちょっと巧くやる手が絶対にあったはずなのに」 「あったなぁ。俺だったらあの時どうするか。まぁ、ざっと十や二十は考えつくわな」 「師匠と一緒にしねぇでくださいよ。私はまだ若い娘なんですよ?」 「お前……厚かましいって言葉知ってっか? 若い娘なのは見た目だけだろうがよ」 「師匠。そりゃあんたもだって言葉、知ってます?」 口々に言う師弟にファネルが笑う。声を上げて笑う闇エルフにイメルが驚いた顔をし、そして目を細める。 「ファネル。来てよかったかな?」 そっと耳元で囁けば、闇エルフがうなずいた。ファネルはフェリクスの弟子が見たかった。見て知って、そして生前のフェリクスの姿を思い起こしたかった。そのためだけに、何度かイーサウに足を運んでいたと言っても過言ではない。 「フェリクスが、生きているな」 呟いた返答とも言えない言葉にエリンが驚いて自分を見たその眼差しにファネルは目をそらしたくなった。なぜかはわからない。けれどライソンが黙って微笑んでいて、ファネルは静かに目を合わせる。 「フェリクスは、旅立ってしまった。が……お前と言う弟子の中に、他にも大勢の彼とかかわった他者の中に、彼の足跡がある。フェリクスはだから、生きている。そんな気が、した」 「……あぁ、俺もそう思うよ」 エリンが自分の胸をそっと押さえた。師が衝撃を受けたとき、その魂が汚されそうになったとき。必ず異変を察知した自分の魂はもう何も語らない。師がいないことだけが、そこにある。 「ようやくあんたは俺だけを見てくれるようになったってわけだな、エリン?」 「妙な冗談言ってんじゃねぇよ、馬鹿」 「結構真面目だぜ?」 惚気ているのか言い合っているのかわからない二人だった。ファネルは苦笑して、それでもやはり目をそらす。神人の子として見ていられない羞恥に襲われたのではない。フェリクスの愛弟子が受け止めるべき悲哀がそこにあることを感じていた。 |