イメルの圧勝だった。あれほど戦闘呪文が得意ではないと言い続け、実際に戦うことが好きではないイメルにして、それだった。それだけ彼の技量は図抜けている。決勝は星花宮出身者同士であったにもかかわらず、だ。
 風系の優勝者はもちろんイメル。火系、地系はミスティとオーランド。誰に文句も言わせない圧倒的な勝利だった。同じ闘技で、同じよう技術を争ってもこれだけの差がある。参加者は不満を漏らすどころではない。今後の大同盟になんとしても加わり、己も技術を磨くのだと誰の目にも未来が燃え盛っている。
 そして誰より他を圧したのは、エリン。他の三属性の勝者と戦ってもあるいは勝ってしまうかもしれない。それだけの魔法を彼は披露した。嬉々として、楽しそうに。舞うように、生きるように。
「――化けもんだな」
 苦笑して言うのがライソンでなかったのならばそれは恐怖と嫌悪の響き。だがライソンだった。もうどうしようもない悪戯をする幼子をたしなめているかのような彼の声にファネルが小さく笑う。
「彼の魔法は素晴らしいな」
 事実、神人の子の目から見てもエリンの魔力は頭一つ抜けているようだ。あれで定命の子だと言うのだから呆れてしまう。
「とんでもねぇって思ったな?」
 にやりとするライソンにファネルは苦笑を返す。付き合いはないに等しい人間の子だったけれど、なぜかそれで通じてしまう気がした。相性、というものなのかもしれない。
「俺は四魔導師にエリンが加わった戦闘ってのを見たことがあるよ」
 ゆっくりと思い出すかのようなライソンの口調。遠い過去を見つめる眼差し。興味を引かれたのはファネルではなくチェイスだった。
「それってどんなの? 戦闘って言うからには、本物の戦いだったってことよね?」
「あぁ。俺がまだ傭兵だったころだね。ちょっとした策略に嵌って……エリンと四魔導師が助けてくれたんだ」
 ほう、と不思議そうなファネルの声がした。星花宮の魔導師が、それも主導者たちが戦闘に加わった、と言うのが不思議なのかもしれない。
「エリンだよ。エリンが、師匠たちを引っ張って、たぶん、俺を助けに来てくれたんだ。――本人は、ダチを助けにきた、なんて言ってたけどな。あぁ、ダチってのは当時の隊長で、エリンの本当の友達だった」
 懐かしいコグサ。闘技を見ることがあったならば、誰より喜んだのではないかとライソンは思う。魔術師と兵の連携を重んじていた人だった。なにより育ての親とも言っていい人だった。
「あれは……ほんとにすごかった。隊長はなんて言ったと思う?」
 くすりと笑いライソンは闘技場に目を戻す。いまは四属性の勝者たちの模擬試合が行われていた。誰が勝者にもならないよう、慎重に調整された舞踏のようなもの。幸い、全員が気心知れた星花宮出身者、この程度のことは打ち合わせなしでもできるのだろう。
「さぁ、見ていないからわからんな。お前はどう思う?」
「え、私? 魔術師の戦闘って見たことほとんどないし。――あんまりいい印象、ないし」
 チェイスが少し顔を顰める。闘技は闘技で楽しくとも、実際の戦闘となれば顔を顰めるのが当然というもの。その健全さにライソンは頬を緩めた。
「天災って言ったんだ、隊長は。四魔導師だけでも天災だぜ、実際。そこにエリンまで加わっちゃあ……もう、天変地異の前触れどころか。世界の終わりみたいなもんだったな、あれは」
「……なにをやらかしたんだ、あれは」
 溜息まじりのファネルの声にチェイスが笑う。ライソンもまたそっと笑っていた。この闇エルフが、あの氷帝の父なのだと思うとなぜか面白い。アリルカで二人は互いの関係を知っていたのだ、と聞く。ならばどれほどファネルは苦労したことか。思えばおかしくてならなかった。
「いやもう、しっちゃかめっちゃかだったぜ? 火柱は上がる土砂崩れは起きる、破城槌もびっくりなつららが空から降っている上に鉄砲水もかくやの大洪水。タイラントさんは戦闘が苦手だからって負傷者の治療係にまわってくれたんだけど、イメルのあれ見るとなぁ」
 ちょうどイメルが風の刃を放ちミスティの火矢を切り散らしたところだった。ライソンは肩をすくめて続ける。
「タイラントさんまで加わったら、ほんとにあのとき死の大地に変わってたかもしれねぇな。まぁ、誰かが止めたんだろうけど」
「ねぇ、四魔導師って、リオンも入ってたのよね?」
「あぁ、入ってたよ。ん、あぁ……神官なのにどうして止めなかったかって?」
「……アリルカのリオンはとても優しい人だったから」
 天災を起こしてしまうような魔術師には見えなかった、とチェイスは言っているのだろう。ライソンはうなずいてちらりと笑みを浮かべる。
「あのときは、黒衣の魔導師が……メロール・カロリナが元気だったからね。たぶん、そう言うことなんだと思う」
 それでチェイスに通じるのか、通じたのかはライソンにはわからない。ファネルには通じた確信がある。闇エルフは黙って視線を落としていた。
「あぁ、終わるな。――綺麗だ」
 模擬試合は終了し、観客席からたまらない喜びの声が上がった。そして魔術師たちはお祭り騒ぎの総仕上げ、とばかり華やかな魔法を披露する。ミスティの、ありえない色をした素晴らしい花火が、寡黙なオーランドが作り上げたとは思い難い華奢で美しい花々を照らす。イメルの風が呼んだ楽の音を飾るのはエリンの夢のような噴水。辺りはすっかり暗くなり、闘技場の中央で彼らの魔法だけがきらきらと煌めいていた。
「終わったぜ。長かったな。帰るか」
 疲れたような声でエリンが貴賓席まで上がってきた。が、足取りは弾んでいる。意外と楽しかったらしい。
「綺麗だったぜ、あんたの魔法。それと、おめでとう、勝ったな」
「当たり前だぜ。俺を誰だと思ってやがる?」
 ふふん、と笑いエリンがライソンの手を取った。ゆっくりとその手にすがって立ち上がるライソンからチェイスは目をそらす。
「さぁて、帰って飯にするか。それともどっかで宴会でもするか? どうする、ファネル?」
「――いや、我々は少し町中を見てまわりたい。そうだろう、チェイス?」
「え……あ、うん。そうだね」
 内心で首をかしげつつチェイスはファネルに同意した。そのような予定はなかったはず、まして神人の子が人混みの中に出て行きたいとは思えない。それでも何か意図があるはず。他者の意を汲もうと努力することだけは、できるようになった。自らにそう呟いてチェイスは微笑む。
「せっかくのお祭りだもの。屋台なんかを見てまわりたいわ。二人は先に帰っててよ」
「あ? 別にいいけどよ。付き合ってもいいぜ?」
「意外と気が利かないのね、魔術師さん」
 ぱちりとチェイスが片目をつぶってみせる。が、ファネルがはっきりと嫌そうな顔をしたから台無しだ。もっともエリンもライソンも笑ってくれたからそれでいいことにしよう。チェイスはわからないなりにファネルの手を引いてその場をさっさと後にした。
「なんだ、あいつら? まぁ、いいか。帰ろうぜ」
 お祭り騒ぎに興味がないわけでもないが、ライソンが気がかりだった。闘技の間ずっとここに座っていた。いくら貴賓席とはいえ、体にこたえていることだろう。
 苦笑するライソンの手を、まるで先ほどのチェイスのように引いて行く。否、それよりもっと親密に。指と指を絡め合わせれば、枯れたライソンの手。
「エリン」
「なんだよ?」
「魔法を使ったばっかのあんたはほんとにきらきらしてて綺麗だよな」
「普段は?」
 にんまりとして覗き込めば笑って目をそらすライソン。照れているのだと思えば気分のいいエリンだった。
 ゆるゆると自宅への道をたどる。とはいえ半ば以上、エリンの魔法に頼っていた。さすがに道が遠すぎる。ゆっくりと歩いているようで、その実ライソンにはほとんど負担がかかっていない。並んで夜道を散策すればまるで祖父と孫のよう。けれど夜道だからこそ、顔形もはっきり見えない。ならばただの恋人同士のように。
「なんか飲むか?」
 自宅のライソン気に入りの椅子に腰を落ち着ければ、彼がほっと息をついた気がした。やはり疲れているのだろう。
「あぁ、あったかいもんがいい。あれ……なんだっけな。昔、氷帝が好きだって言ってた茶があっただろ。あれ、あるか?」
「俺は嫌いだって言ったはずだがな?」
「でもあんたは絶対おいてるはずだ」
 師の思い出なのだから。ライソンの声なき言葉にエリンが顔を顰め、次いで破顔してはライソンの頬に音を立ててくちづける。
「こっちがいい、エリン」
 ひょい、と顔をかたむけたライソンの乾いた唇にくちづければほんの少し潤いが戻ったような気がした。互いの目の中、温かいものがある。ほんのりと笑みをかわしあい、ライソンはもう一度茶を所望する。
 エリンが戻ったとき、ライソンは椅子の中で眠っているようだった。ゆったりと体を預け、今日の闘技を振り返ってでもいるかのよう。
「ライソン?」
 眠るならば寝室へ。思ったけれどエリンは口にしなかった。もう、理解していた。黙ってライソンの頬を撫でる。まだ熱い茶を少しばかり含み、ライソンの唇を濡らした。
「なぁ、ライソン」
 床に座り、ライソンの膝に頭を預ければ、細くなってしまった彼の足の感触。まだ温かかった。
「お前、幸せだったか? 俺は、幸せだったよ――すごく楽しかった。お前が、俺を幸せにしてくれた。ライソン」
 フィンレイとの過去に傷つき壊れそうだった自分をライソンが最後のところで助けてくれた。フェリクスでも癒せなかった傷を癒してくれた、愛してくれた。
「俺は、お前を幸せにできたのかな。――もっと、ずっと一緒にいてやりゃ、よかったのかな」
 こんなに速く流れて行ってしまう時間なのだから。あっという間に過ぎ去ってしまった彼との日々を思う。
「なぁ、でも……幸せだったよな。俺が幸せだったんだ。お前もそうだったよな」
 だから、エリンは泣かなかった。少しずつ失われていくライソンのぬくもりに頬を寄せたまま、思い出の中に身を浸す。明日からまた、歩き続けるために。ライソンと過ごした日々を無駄にしないために。

 後に大陸魔導師会と呼ばれるようになる大同盟の主導者、その一角をエリンは十余年務めた。精力的に働き、彼のお蔭で大陸魔導師会は確固として立ったとまで言われた。その後、彼はイーサウから姿を消す。事故で体が利かなくなった、あるいは死んだという噂もある。そのたびにエリナード・カレンは笑って言う。
「アリルカで祖父と一緒に元気に暮らしてますよ」
 そう言って笑う。真偽を確かめたものはいまのところ誰もいない。




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