イーサウは大盛況だった。何百人と言う魔術師が戦うのだ。それもただ腕を競うだけで戦うのだ。有史以来初めての試み。
「こりゃ、予選だけで一苦労だな」
 にやにやしつつエリンが言えば今回はただの観客であるライソンが肩をすくめる。実際、予選が一番の問題だった。
 イーサウの町中にも広場は当然にある。だがそこで一組ずつ予選を行っていたのでは一年経っても終わらない。結局イーサウの郊外、魔法学院とはイーサウの街を挟んで反対、北側に位置するタウザントの森を切り開き、闘技場を作ってしまったのはそういうわけだった。いずれ、魔法学院ごとこちらに移転することになる。
 それでも予選は時間がかかる。いずれにせよ、属性ごと四か所の闘技場でこつこつと行うよりないのだから。それでも町中ではないだけに一組ずつ、と言うわけでもない。一つの闘技場を四つに区切って一度に四組の闘技を行う。それが属性ごとに四か所だった。
「見ごたえがあるんだか、ないんだか……」
 ぼそりとライソンが言うのにエリンは笑ってしまう。観客は中々喜んでいるようだったけれど、魔術師としての技量はずいぶんと劣る。まだ星花宮出身者同士の闘技が行われていないせいだろう。
「言うようになったもんだぜ」
 一介の傭兵であったライソン。イーサウの兵として戦ってきたライソン。魔術師と共同作戦を行うことがあっただけ、彼の目は正しい。
「あぁ、負けた」
 やっぱりな、と言いたげなエリンの言葉にライソンが苦笑した。戦前に大言壮語していたミルテシアの魔術師だった。エリンとは属性違いで闘技を行うことはないのだが、自分が勝ち抜いたら叩きのめしてくれる、と大笑いしていた彼はあっさり三回戦で負けた。
「まぁ、持った方じゃね? 俺は一回戦で負けると思ったからな」
「いくらなんでもそりゃひでぇぜ。あれでもミルテシア有数の魔術師なんだぜ?」
「でもミルテシアだろ?」
 ライソンが言うのも無理はない。ラクルーサは魔術の華開いた国。その星花宮出身者と、根本的に魔法を好かないミルテシアの魔術師では魔法に対する理解そのものに格段の差がある。
「浅いんだよな、ミルテシアは。しょうがねぇけどよ」
「なんでそこまで嫌うかねぇ。技術は技術だろうに」
 ライソンが片手で腰の剣に触れる。いまだに、もうとっくに戦うことはなくなっているライソンでも、こうして外に出てくるときには軽い剣を手放さない。かつての愛剣はもう重たくなってしまった彼だけれど。
「お前の剣と一緒なんだけどな。戦う術であることに違いはねぇってのも一面の事実ってやつか。まぁ、魔法がそれだけってのも考え物だし俺としてはそりゃ間違いだって言いてぇけどよ。いずれにせよ、自分が理解できない力ってやつは厄介だよな。怖いだろ、けっこうさ」
「俺はあんたの魔法が好きだよ、エリン。綺麗だろ」
「お褒めに預かり光栄です?」
 照れて誤魔化すエリンをライソンはちらりと見やった。ほんのりとなめらかな頬に血が上って、言葉にできないほど美しい、ライソンはそう思う。
「ほんっと、美人さんだよな、エリンは。見てて飽きねぇわ」
 だがしかし、言う機会はもう限られている。何度もない機会ならば言うべきだった。自分が感じたこと、自分が思っていたこと、エリンには伝えておきたい。
「言ってろ。ちょっとやってくるわ」
 ひらりと片手を振ってエリンが闘技場に下りて行く。すぐに戻ってくるだろう、勝利を握って。むしろエリンにとっては勝利などというものではないだろう。少し散歩してきた程度かもしれない。思ってライソンは笑った。
「聞いてもいいですか」
 エリンがいなくなるのを見計らっていたよう近づいてきた人物の声。ライソンはどうぞ、とでも言うように手を差し伸べる。口許には微笑み。エリンと相対するときとは打って変わった老紳士ぶりだった。
「あなたに聞くのは違うかもって思うんですけど」
 フェリクスの死をイメルが告げに来たあのとき、同行していた女性だった。チェイスと言ったはず、ライソンは思い出す。無論イメルは闘技に参加している。そしてあの時の闇エルフも観覧に来ていた。
「なんだい、お嬢さん?」
「お嬢さんって年でもないんですけどね、私。でも、いっか。うん……なんて言うのかな。つらく、ないのかなって」
 そしてチェイスは闘技場にいるエリンを見やる。それでライソンには理解できた。見た目のそぐわない二人。それを若い女性である彼女はどう見るのだろう。その思いにライソンは内心で苦笑した。チェイスは決して若くはない。一人前の女性を若い、と思うだけ自分は年を重ねた、そう思う。
「よさないか、チェイス」
 厳しい声の闇エルフが止めに入る。びくりと身をすくめたチェイスを庇うよう、ライソンはかまわない、と首を振ってみせた。
「俺は、幸せだよ。とても、幸せだ。エリンも同じくらい幸せだって、知ってることが幸せ、そう言ったらいいのかな」
 微笑む老人にチェイスは言葉がなかった。自分で尋ねたのに、とてつもない無礼を働いた気分。黙って頭を下げた。
「ごめんなさい。私、フェリクスのことがすごく嫌いだったの。それで、いろんな人に迷惑かけた。嫌いだったって言うか、いまも好きじゃない。だから、フェリクスの弟子って人を見てみたかった」
「エリンを?」
「そう。だって、そうしたらあぁやっぱりフェリクスはちっとも優しくなんかない人で、私は間違ってなかったって思うかなって」
 肩をすくめたチェイスにライソンは答えを知る。ちらりと闇エルフを見やれば処置なし、とばかりそっぽを向いていた。ここまではっきりと自分の息子を嫌いだと言う女を彼はそれこそ好きではないだろう。それを思えば闇エルフと人間の女性のかかわりがどことなく微笑ましい気分になってしまう。時の流れに身を浸し尽した人間の特権だ、そんな風にライソンは思う。
「――フェリクスって、優しい人だったんだ。イメルが言ってたけど、ほんとだったんだって。エリンさん見てたら、なんか元気だったころのフェリクスってあんな感じだったのかなって思った」
「あぁ、それはそうかもしれないね。すごく態度が似てる師弟だったと、俺も思う。あの二人の喧嘩には俺もできれば口を出したくなかった」
 からりと笑うライソンに昔日の光を見たチェイスは礼儀正しく視線をそらす。代わって闇エルフが興味深そうな眼差しをライソンに向けた。
「喧嘩をしたのか、あの二人は」
「まぁ、けっこうな頻度でね。怒鳴り合いに罵りあいはしょっちゅう。ダメ師匠の馬鹿弟子のってよく言ってたな」
 くすくすと笑うライソンが闘技場を見やれば、あっさりとエリンは勝っていた。勝つとか負けるとか言う問題以前だ。
「――それでも、俺はたまにエリンの愛情が俺以外に向いてんじゃないかって、思うことがあった。絶対ないって他の誰にも言ってたけど、ちょっと不安なくらい、通じ合ってた師弟だったよ」
 少し後ろに立つファネルにライソンは微笑む。彼の息子だと言うフェリクス。意外と言えば意外。フェリクスが闇エルフの子であるのは誰もが知ること。だが父がいるとは誰も思っていなかったこと。そして闇エルフが己に子があると知ることはさらに意外だった。
 それでも、二人はたぶん親子だったのだろうとライソンは思う。エリンは血の繋がりなどどうでもいいことで、フェリクスはただファネルを友人として信頼していた、そう言ったけれど、ライソンはそれだけとも思い難い。それは自分が人間として生まれ育ったゆえの感情なのかもしれなかったが。
「エリンはここイーサウにいて、タイラントさんの死に衝撃を受けた氷帝の心を感じ取ってた。遠く離れてて、ずっと会ってもいないのに、悪魔召喚したのも、感じ取ってた」
「な……。それは、あまりにも」
「だよな。信じらんねぇでしょ。でも、それがあの二人だったんだ。もしかしたらタイラントさんも、生前に氷帝があんまりエリンを可愛がるからって、妬いたことがあったのかもしれないね」
 笑いながら言うライソンの老いた顔にファネルはまぶしそうな眼差しを向けた。それを見るチェイスは不思議そうで、それが時間というものだとライソンは思う。
「おう。なんだ、二人とも来てたんだったら言ってくれりゃいいのによ。知ってりゃもうちょっと派手にやったのに」
「それは相手の迷惑だと思うが」
「闘技ってのはそういうもんだろ。特に予選なんかは派手にやってもいいんだ。観客のためってのもあるけどな」
「ほう?」
「さすがに本戦じゃ俺も真面目にやるぜ」
 不敵なエリンの言葉になぜかチェイスは不快を覚えない自分を見つけた。よく似たようなフェリクスの言葉には常に苛立たしい思いをしたのに。
「……なんでだろ」
「うん、なんか言ったか。お嬢ちゃん」
「お嬢ちゃんって年でもないんだけどな。って、さっきライソンさんにも言ったけど」
「なぁに言ってやがる。俺の年から見りゃ立派にお嬢ちゃんだぜ。で?」
 子供扱いされて、馬鹿みたいにあしらわれて。それでもチェイスは不愉快ではない。それを確かめるためにこそ、わざわざ年齢ごときのことで反論したのかもしれない。
「……言っていいのかわからないけど」
「このお嬢さんは氷帝が嫌いだったんだってさ、エリン」
「あんまりあれが好きってやつァいないと思うぜ? 俺は常々タイラント師の趣味を疑ってたからな。ありゃ、絶対にいじめられて喜ぶ手合いだぜ」
「……エリン、気味の悪い想像させんな」
「そりゃ失礼。でもまぁ、人好きのする男じゃなかったからな。お嬢ちゃんが師匠を嫌いでもぜんっぜん、驚かねぇわ。どした?」
「いえ、だって。自分のお師匠様でしょ。悪く言われて、嫌じゃないの。言ったの私だけど」
「俺はあの人がどんな男だったかよくよく知ってるからな。他人の評価は関係ない。俺は師匠がどろっどろに大甘で馬鹿じゃねぇかってくらい優しかったのを知ってるからな。少なくとも、俺には。タイラント師や、他の弟子たちにも。他にも。自分の周りにいりゃ屑どもにでも、手を伸ばしちまうような男。――なんだ、ただのお人好しじゃねぇか」
 褒めているようには聞こえない。けれど彼がその師を誇っているのがわからないほどチェイスも子供ではなかった。ちらりと苦笑する。どことなく、エリンが照れているのが伝わったせい。それで気づいた。
「……あぁ、そっか。私、フェリクスが笑ったのを見たことがない。だからかもしれない。あなたは生き生きと元気に酷いこと言うけど、同じようなこと言うフェリクスは」
 呟きが、止まった。それ以上は言ってくれるな、と優しいエリンの目に射抜かれた。囁きのような謝罪の言葉。黙って肩に置かれたライソンの老いた手の優しさが、いまのチェイスには痛かった。




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