エリンは止まらない。決して立ち止まらない。フェリクス亡きあと、一瞬たりとも止まることなく闘技会の準備を進めた。 「喪に、服さなくっていいのかな」 ぽつりとイメルが言う相手はカレンだった。カレンもまた、闘技会の準備に奔走している。イメルもまた。エリンが言ったのだ。 「ちょうどいい。師匠が生きてる間に参加しろたぁ言いにくかったけどよ、死んじまったし。お前らアリルカの魔術師も参加しろよ」 ちょうどいいだの死んでしまっただのとはなんたる暴言。イメルが顔を強張らせたのはたぶん、ファネルのためだ。カレンはそれとなくそれに気づいている。同時に、結局は友人の言葉にイメルが従うだろうことも。 だからアリルカの魔術師も闘技会に参加することになった。無論、希望者であれば、と但し書きはついたものの、元々かの国の定命の魔術師は星花宮出身者ばかり。闘技にも馴染みがあったし、何よりイーサウに残った同僚と腕比べがしたくもある。 「いいのかな、カレン?」 ずいぶんと年下の、弟子のような若き魔術師に問う頼りなさをイメルは感じないでもない。それでもカレンはエリンの弟子。師のことならば彼女のほうがよくわかるだろう、離れていた友人の自分よりは。 「服してるじゃねぇですか」 「はい?」 「――師匠、フェリクス師にだけ見せたかったんですよ」 「この、闘技会を?」 カレンは黙って首を振る。会場の設営が進んでいた。そろそろ各地から魔術師たちが集まりはじめるだろう。イーサウの宿屋は大儲けの機会にほくほくしている。 「違いますよ。なんて言うかな……。自分が進んでいく未来を。ちゃんと一人で歩いて行ける、自分はもう大丈夫。たぶん、そんな姿を見せたかったんですよ、うちの師匠はね」 親離れができない子供か、そうカレンは笑う。笑いながら遠くで建設に従事している魔法学院の生徒たちを怒鳴りつけている師に対する眼差しは優しい。 「闘技会がどうの、魔術師の大同盟がどうのじゃねぇんですよ。ただ、ちゃんと一人で平気。仲間がいる。歩いて行けるから、心配しないでって、言いたかっただけなんじゃないですかね」 「……仲間」 「イメル師ももちろん、オーランド師や他の魔術師仲間。イーサウの住人達。アリルカとは違う形で、自分たちは生きて行くから。そう言うことなんでしょうよ」 「だったら……」 アリルカが参加することに意味はあるのだろうか。エリンの好意であって、その思いを汚すことになりはしないのだろうか。呟くイメルに再びカレンは首を振る。 「違うでしょうよ、イメル師。だって、ほんとは師匠は望んでたんだから。アリルカも巻き込んで、大陸全土の魔術師を結集させることをね」 カレンは言ってはならないことを考える。もしかしたら、アリルカでフェリクスの妨害があったのではないか、と。自分の死後に弟子がなんの懸念もなく魔術師を結集させることができるよう、手を打っていたのではないかと。自分が生きている間は、決してアリルカを巻き込むまいとするだろう弟子だから。カレンはフェリクスがそう考えていたのではないかと疑っている。もしかしたら、信じている。 その師弟の愛にも似た絆の強さに苦笑するほど。たまに、ライソンをからかったものだった。うちの師匠はフェリクス師とライソンさん、どっちが好きなんでしょうね、と。そんなときいつもライソンは自分に決まっている、と豪快に笑っていた。 「こんなこと言うのも生意気ですけどね、イメル師。ここでアリルカの魔術師が負けたりしたら、けっこう名折れっすよ?」 にやりとしたカレンにイメルは力なく笑う。この師弟にはいつも敵わない、そう思う。いつも会うたびにどうしてだろう、こんなに励まされている気がするのは。 「エリナード、大丈夫かな」 「心配するくらいだったらきっちり勝ってくださいよ」 「そっちじゃない、ライソンのこと」 カレンは黙ってうなずいた、一瞬の沈黙の後ではあったけれど。ライソンが、もう残り少ない人生を生きていることは誰の目にも一目瞭然だった。師を失い、いままた伴侶まで失おうとしているエリン。 「だから、一生懸命なのかもしれませんよ、師匠は」 「え――?」 問い返そうとカレンを見やったその瞬間、思い切り後頭部に衝撃を感じた。次いでずぶ濡れになって行く感触。 「エリナード! なにするんだ、お前は!」 「おうよ。暇そうだったからよ。暇だったら手伝えってんだ。お前もお前だぜ、カレン。師匠に働かせといてのんびり見学してる弟子がどこにいるよ」 「いやいや、師匠だったらよけいな手伝いなんかかえって邪魔かなぁと思ってただけっすよ?」 「ほざけよ。あっちでガキの監督してくれ。もう、だめだ。あのガキども、手に負えねぇ」 「昔っから師匠は子供の相手が苦手ですもんねぇ。まぁ、いいでしょ、行きますよ」 軽く手を振ってカレンは歩き去る。向こうで魔法学院の子供たちが歓声を上げていた。どうやらカレンは人気ある先生らしい。 「大人になったねぇ、あの子も」 まだまだ本当に子供だったカレンをイメルも知っている。すっかり一人前の魔術師になり幼いものを導いているかと思えば感慨もひとしおだった。 「まぁな。おう、そうだ。忘れてたぜ、祝いだ」 「は? 祝いってなんの祝いだ。祝うようなことなんか……」 「お前の後継指名。ちょいと時間経っちまったけどよ」 あ。そうぽかんとした声をイメルは上げた。手渡されたものに視線を落とす。魔道書だと言うことはすぐわかった。ぱらりとめくって絶句する。 「これ、エリナード! おい、こんなもの……!」 「俺のオリジナルスペルだぜ。効果は絶大、実証済み。まぁ、俺ら星花宮の魔導師の正統後継者様だし? やるよ」 「でも!」 「俺は追放処分されてっからなぁ。お前に頭下げる必要なんざねぇんだけどよ。ま、気持ちってやつだ。受け取れ」 にやりと笑うエリンにイメルは言葉がなかった。こんな貴重で、魔術師にとっては命を預けるも同然のものを渡してくれた。あっという間に目が潤んでいく。どうしようもなくてうつむけば、黙って隣にエリンがいる。イメルの視界の端、エリンの二の腕に結ばれた青と黒の紐が風に揺れていた。 「ただし、イメルよ。闘技会でお前が負けたら取り上げる。風系最強を名乗ってきっちりてめぇのもんにしろよな?」 「……うん。ごめん、ごめん、エリナード」 「詫びることなんかあったっけ? ――お前は師匠の側にいてくれた。あの時は反対したけどよ。でも、師匠を側で見ててくれるやつがちゃんといた。知らせてくれた。――ありがたかったぜ、イメル」 魔道書を抱きしめたまま、イメルがぽろぽろと泣いているのをエリンは見ずとも感じていた。ふと振り返れば、ライソンがゆっくりと歩いてくる。片手を上げれば返してくる片手。けれどもう昔のように走っては来ないライソン。 「どうしたよ?」 「暇だから眺めに来たんだっての。どうよ?」 「あぁ、巧いこといってるぜ。ガキどもの相手はカレンがしてる。闘技場の結界はどうすっかなぁ。おい、イメル。お前も手伝えよな」 「え……あ。うん」 「主催側の俺と、アリルカ代表でイメルかね」 「強度的にゃそれで問題ねぇんだろうけど、政治的にそれはどうなんだ、エリン?」 「おう、言うようになったもんだド素人」 笑ってエリンがライソンの髪に手を伸ばす。砂色の髪はとっくにない。白い髪がこしを失ったとき、ライソンは思い切りよく頭皮すれすれまで刈り込んだ。その感触が気持ちいい、とエリンは笑ってよく撫でる。 「何年あんたの側で魔法を見てきたと思ってる?」 胸をそらすライソンから、泣きやんだイメルが目をそらす。何年だろう。ライソンにとっては全人生に匹敵するほど。自分たち魔術師にとっては青春の一時期ほど。 「見てたって覚えねぇ馬鹿はいるからなぁ」 渋い顔をしてエリンが嘯けばライソンが笑う。まるでそぐわない見た目の二人なのに、こんなにもしっくりとしている。 「んじゃ、ミルテシアあたりの出身者で一人、入れるかな」 思い当たる魔術師はいないわけでもない。本音を言えば邪魔なだけだが、闘技会の公平性、という意味ならば入れる意味はある。 「なぁ、エリナード」 「おうよ?」 「大同盟。参加者、どれくらいになるかな」 多ければ多いだけいい。アリルカのイメルはそう思う。魔術師は別種族、人間とは違う種族。ならば固まって、とは思わない。ただ情報交換が可能な組織はあるべきだ。再び二王国に手を出されないために。きりりと引き締まったイメルの目にエリンが微笑んだ。 「お前が参加するって表明してから、驚け。当初参加表明してたやつらの数からどんと三倍だぜ」 「……は?」 「イメルさん、わかってねぇなぁ。あんたはリィ・サイファの塔の後継者。一応、地上最強魔術師ってやつなんだぜ?」 ライソンのからかいめいた言葉にイメルが絶叫した。それは魔術師の悲鳴などと言う可愛らしいものではなく、訓練を積み研鑽を重ねた吟遊詩人の絶叫。建設作業を監督している遠くのカレンまで飛びあがったほど。 「お前なぁ」 「だって、エリナード! 待って、俺は! 俺は絶対に最強なんかじゃない! むしろお前に勝てる気がしない!」 「あぁ、そりゃ大丈夫だ問題ねぇ。闘技は属性単位だからな。俺と当るこたぁねぇよ」 「そう言う問題!?」 「ま、戦闘技術だけなら俺のほうが上だろうよ、イメル。なにせそれだけ嫌ってほど磨き抜いたからな」 にやりと笑うエリンに嫌味はない。かつて青き竜と言う傭兵隊に所属していたエリン。星花宮を追放され、イーサウのために戦い続けたエリン。自らの歩いてきた道を振り返る眼差しだけがそこにある。 「でも、魔法ってそういうもんじゃねぇだろ? 俺が言うのもなんだけどよ、暴力で全部片づけちゃあ、いけねぇや」 「ほんと、あんたが言うな、だな」 ぼそりと言ったライソンにエリンが打ちかかる真似をした。からから笑う二人にイメルは言葉もない。ほんの少しなぜ、と思う。なぜフェリクスは最愛の弟子・エリナードではなく自分を後継指名したのだろうか。思った瞬間、ぶるりと首を振った。犯した罪ゆえに、自分はこの重荷を背負うと決めたのだと。だからこそ、真っ直ぐと歩き続ける友の姿がまぶしかった。 |