時間だけが流れて行く。エリンの焦りは止まらない。止まらないけれど、だからこそ自分が立ち止まるわけにもいかなかった。ここで立ち止まれば、すべてが流れて消えてしまう。 「だから言ってんだろうがよ。勝者は属性それぞれで出す。水系が風系に勝って何が嬉しい、あん?」 それはそれで暴言だ、とエリンは知っている。必ずしも水系が風系に強いわけではない。逆もまた充分にあり得る。要は魔術師の技量だ。 だがエリンには思惑がある。四属性で勝者を出し、そしてそこに上下を作らない。星花宮の魔導師ならばはたと悟るだろう意味。 「別に嬉しいとか嬉しくないとかではなくてだな!」 目の前の星花宮出身ではない魔術師の鼻息の荒さにエリンは顔を顰める。この程度の意図が読めないようでは腕のほうもお粗末に違いないと思いたくなる。 「だったらいいだろうが。あんただって仮にも魔法の使い手、四属性に優劣はないしどれが欠けても世界は成り立たんってのを知ってるはずだがな?」 「それは……そうだが……」 「だから属性内でだけ、勝敗をつける」 「まぁ……それは、それで、いいが。勝敗をつけると言うのならば」 「なんだ、ご褒美が必要ってか?」 笑うエリンから魔術師は目をそらす。エリンとてわかっている。現状、この世界で星花宮出身者とそれ以外とでは雲泥の差がある。だからこそ、違うのだと証明したい魔術師がいるのも当然。そこにつけ込んでいる自分であるのも承知の上。 「ご褒美は、言っただろ。今後イーサウに作られるようになるだろう魔術師大同盟の主催者の地位ってやつだ」 「属性は――」 「だから、四属性で一人ずつ、計四人がその同盟を率いる。わかるか?」 「計算くらいはできる! ならば私が勝者になったら――」 「当然、この俺も勝者に従うことになる」 特別に、自分に勝てるのか、との意味は持たせなかった。そうでなくとも誤解されている。その上、おそらく現時点でエリンの上を行く水系魔術師はアリルカのフェリクスのみ。さすがに星花宮出身者ではない魔術師に驚異的な使い手がいないとも限らなかったけれど、そこはそれ、ライソンがいる。 「一応、そんな話は聞こえてこねぇしなぁ。俺にとっちゃあんたは最強だぜ、いまだに。つか、四属性、か? それ飛び越えて最強じゃねぇの、エリン?」 「――否定はしねぇけどよ。上には上がいるからな」 「氷帝か」 にやりとするライソンの頬をエリンは撫でるように叩いたものだった。昔のよう、無防備に殴ると言うことがしにくくなっている。彼はもう怪我をしてもすぐに回復するような若さを持っていない。 「で、どうなんだよ。参加するのかしないのか。俺はどっちでもいいぜ。ただし! 終わった後に自分が出てたら勝った、なんて言うのはやめてくれよ?」 にやりとして目の前の魔術師に言えば言葉もなく怒り狂っている。それだけ煽ったのだから怒ってもらわねば困る、というもの。この魔術師、在野の魔術師としては腕はいいのだから。影響力もあるだろう。彼が参加するとなれば参加者は大いに増える。 「貴様なんぞ叩きのめしてくれるわ!」 お決まりの台詞にエリンは苦笑して肩をすくめる。怒りながら帰っていったあの魔術師が話を広めてくれるだろう。打倒エリンを掲げて参加者を募り煽ってくれることだろう。 「無茶するぜ」 隣の部屋で万が一のために、と待機していたライソンだった。魔術師同士が魔法戦をやらかしたならばどれほど腕が立つ兵であろうともライソンには太刀打ちもできない。だからこそ、いる意味がある。ライソンは自分がいることでエリンが最後の一線を越えないと知っていた。 「どこがだよ? ちょーっと煽っただけだろうが。忍耐力に問題があるんじゃねぇの、いまの?」 「あんたに煽られて平静でいられるやつがそうそういるわけねぇだろうが」 「俺の目の前にいると思うんだけどよ?」 「そりゃ彼氏がきゃんきゃん言ってんのに一々反応してたら俺の身が持たねぇっての」 ふふん、と笑ったライソンが唇に軽くちゅ、と音を立てたくちづけをする。くすぐったいとエリンが身震いするのを知っていてするのだからライソンも中々のものだった。 「前から思ってたんだけどよー」 「うん?」 「あのさぁ、ライソンよー。俺、いつまでお前の彼氏なわけ?」 どことなく不満そうに、しかもそっぽを向いているのだ、あのエリンが。くつりと喉の奥で笑ったライソンを咎めようともせず窓の外を見ている。その耳の赤さ。笑い声を抑えたままエリンを背後から腕に抱けば嫌がる素振り。 「なに、彼氏じゃねぇの? 愛想尽かしってやつ?」 「そっちじゃねぇだろ!?」 「ふうん?」 こんな時、少しだけ自分はエリンに似たのかもしれない、とライソンは思う。コグサは言ったものだった。エリンの性格の悪さが伝染したのではないか、と。そのコグサを去年、二人は見送った。 「だってエリン。あんたさ、俺の嫁とか言われて喜ぶようには思えねぇんですけど?」 「そりゃ、……喜べねぇっつーか。嫁じゃねぇし、女じゃねぇし」 「だいたいあれだ。彼氏は言いやすいけど、伴侶って舌噛みそうにならねぇ? 俺としてはそれだけなんだけどな」 「お前な!」 「なんだよ?」 「わかっててやってたな!? 俺は……俺は……!」 「あんたは俺の伴侶、俺はあんたの伴侶。いい加減長い付き合いだし。カレンも認めてくれてるし」 「なんでカレンなんだよ!」 「そりゃ氷帝はとっくに認めてくれてたから。お父さんがよしって言ってくれたら次は娘だろうが」 「あんな娘いらねぇよ! だいたいな、ライソンよ! 伴侶って文語の他によ、連れ合いっつー便利な言葉があるっててめぇ知らねぇのかよ!?」 喚きながらもエリンの目がきらきらとしていた。フェリクスを父と、カレンを娘と呼ぶ不自然は理解している。それでも家族を持たないエリンには彼らこそが家族。それを理解してくれているライソンが今更なのにとても嬉しかった。 「で、エリン? だいたい決まったのかよ?」 ひょい、と体の向きを変えさせられてエリンはライソンの腕の中に包まれる。壮年をとっくに越えたライソンなのにいまだにその肉体は強固だった。硬い胸に頭を預けてほっと息をつく。 「あいつでだいたい最後かな。これで話が広まってあとはサキアさん待ち」 イーサウ自由都市連盟内での話はついた。むしろサキアが利を説いてかなり強引につけた。内々に進めていた話を意図的に漏らしたのもサキアだ。 当然のよう、魔術師大同盟など反対する人間も多くいた。逆に、魔術師とて同じ人、共に歩もうと言う人間もいた。もっとも、イーサウは商業都市、魔術師が多数存在する利益に敏感に動いた人間が最も多かった。 「やっと、やっとだ」 魔術師のみが参加する闘技会を開催する、そうイーサウの世論を動かしたのも、サキアがしたこと。まるで住人の間から自然に出てきたかのよう噂話を操ったのだから敵に回さなくて心底よかったとエリンたちは胸を撫で下ろしていたものだった。 「闘技会の勝者が同盟を率いるってやつか?」 「おうよ。同盟は参加も不参加も自由。ただ、参加すれば技術供与はするぜ?」 にやりとエリンがライソンを胸の中から見上げる。イーサウ在住の星花宮の魔導師は無論参加する。そこからリィ・ウォーロック直系の魔法を学べるとなればそれだけで参加者は増える。ましてエリンがいる。フェリクス・エリナードの名を持つ既知世界の人間で最強の水系魔導師がいる。倒せばそれだけで勇名を馳せることができる。倒せなくともいずれすべてを学び取り、寝首を掻くこともできる。そこまで至らなくとも彼の後継者に名乗りを上げることさえ可能になるのかもしれない、星花宮出身でない魔術師であっても。常人にはおそらくわからない。己の持つ魔法を試したい。新しい魔道の一歩を歩きたい。魔術師ならば誰もがそれを望む。 これが誘惑でないはずがなかった。エリンは星花宮を追放され、イーサウに身を寄せたときと同様、己の名を利用した。使えるものならすべて使えと教えてくれた師の言葉どおりに。 「あんたが危ねぇからな、ちょっとは反対したいんだぜ?」 顔を顰めるライソンに、エリンは伸び上ってその顎先にくちづけた。少しばかり柔らかくなった肌が切なくとも愛おしい。 「俺を誰だと思ってやがる? 俺は師匠の弟子で後継者だぜ。そこらへんの有象無象に負けるかっての」 「まぁな、あんたが負けるところは想像できねぇんだけど。それでも心配。おわかり?」 「それって愛してるからってやつ?」 「当然」 偉そうにうなずいてライソンはエリンの頬に指を滑らせた。なめらかな青春の盛りの肌。陶器のような肌触りにライソンは目を細める。いずれ遠からずエリンを置き去りにする自分だった。 「ライソン?」 だから覚えていてほしい、否、覚えていたいのは自分だとライソンは思う。体のすべてにエリンを染み込ませて、死の旅の向こうまでも持って行きたい。 「なんでもねぇよ」 ひょい、と肩をすくめてライソンはエリンを離した。その前に軽くくちづけるのは忘れない。エリンが妙な不審を感じたりしないように。エリンはどうやら騙されたらしい。あるいは、騙されたふりをしたのかもしれない。ライソンにもそれはわからなかった。忙しい日々に紛れてどうか失念してくれ、と望むしかない。 そしてライソンの願いどおりなのかどうか、日ごとエリンは忙しい。あれで最後だ、と思ったはずの魔術師だった。が、意外にもまだまだいるらしい。毎日のように魔術師の訪問を受けた。中には星花宮を戦争以前に離れた、と言う魔術師までいて自分も参加資格があるのかなど問うてきたりもする。 「あるに決まってんだろうが」 いささか疲れてきた。エリンは言っている。イーサウでも言っている。魔術師であれば参加は自由、と。無論、闘技会の話だ。そして魔術師たちは問合せと共にその後の大同盟の詳細を知ることになる。 「だから勝ったやつが率いる! 俺はその後のことまで関知しねぇって言ってんだろうが!」 いったい何度同じことを言っただろう。さすがにいい加減いやになってきた。魔術師は飲み込みがいいのが身上だろうに。 「――気持ちはわかる。勝者が、有利だ」 ぼそりと言ったのは地系では随一だろうオーランド、リオンの後継者だ。寡黙な彼が口を開くのは珍しい。 「だから餌なんだろうがよ」 闘技会の勝者となった四人の魔術師が大同盟を率いる。かつての星花宮の四魔導師に匹敵するだろう権限を魔術師に持つ。参加したすべての魔術師が四人に従い新しい魔道を歩き続ける。切り拓き、先に行く魔術師の姿。 それを見せることこそが、エリンの望み。ただ一人、フェリクスにだけ見せることが。そして訃報が届いた。 |