一瞬たりとも打ち沈んではいなかった、エリンは。猛然と活動を開始する。時間との勝負。ならば停滞の猶予はない。 「物は相談だ。あんた、戦力が欲しいか?」 どっしりと座る相手の机越し、エリンは身を乗り出してにやりと笑う。相手は飄々と受け流す。サキア・ヘラルド、イーサウ自由都市連盟二代目議長を務める女性だった。烈女との評判とは裏腹にたおやかな女性だった、外見は。だが次代の議長が初代と同じイーサウ出身では問題がある、との囁き声もなんのその、辣腕をふるって議長の座についた女性だった。そして多くの都市が連盟して作り上げたこの都市国家を過不足なくまとめ上げている人でもある。 「戦力、ね。欲しくないとは言わないわ」 「だろ。だったら協力してくれ」 「たとえば?」 イーサウは二王国に比べれば小さな国家だ。貿易を主としたささやかな国家だ。二王国が本気になれば、容易く潰される。潰されないために輸出品がある。だがそれとてもあちらが本気になったらどうか。前回の大戦では乗り切れた。次はどうかわからない。そして次がある、と想定するのが首長の役目というもの。 「俺たちだ」 きっぱりとエリンは言う。自らの胸を指し、そして傲岸に顎を上げ。サキアはそんな彼をじっと見据える。 まるで値段をつけられている気分だ、とエリンは思う。イーサウが払う対価に見合う戦力となるのか、魔術師たちは。戦力的には過分とも言えるほどの重装備になる。だが魔術師だ。すでに異種族と言っていいだろうほど、人間とは違う。 違うからと言って、イーサウは忌避しない。それが利益に繋がるのならば利用する。自らも利用されつつ更なる利益を求める。商業都市であるからこその理由。 魔術師は、利益になるか。異種族と見做すべき彼らをイーサウが雇用することに利益はある。損失もある。ならば損失はどれほどか。利益が損失を上回れば問題ない。 「あなたは何を考えている?」 乗る気はないわけではない。だから魔術師の真意を聞かせろ。サキアの言外の声にエリンはうなずく。 「正直、夢みてぇな話だ。――星花宮がなくなって、魔法は衰えかねねぇ。あんたにそれが理解できるかは、わからん」 「わかる、とは言わない。でもラクルーサが魔術の華であったのは知識として知ってるわ」 「そのとおり。ラクルーサが魔法を忌避した瞬間から、魔法は衰退をはじめてる。だから俺が回復させる。それから伸ばす。魔道ってのは歩く人間がいなくなりゃ草ぼうぼうで埋まっちまうんだ。だったら次世代のために道を拓いとくのが先人の役目ってもんだ」 サキアははじめてエリンを見たのだ、と知った。今ここにいるエリンが、ただの魔法学院の長ではないと知った。彼の本名を思い出す。フェリクス・エリナード。あの氷帝フェリクスの愛弟子にして後継者。 「イーサウに第二の星花宮を作りたい?」 「ってわけでもねぇな。あんたが、つかイーサウが望むならそれはそれでありかと思うけどよ。俺の望みは――」 ふ、とエリンが唇を歪めた。少し遅れてサキアは知る、含羞んだのだと。それが意外で、興味深い。じっと見つめれば、照れているのだろう、目をそらして窓の外を見る。 「大陸中の魔術師を集めてぇ。魔法を一歩も二歩も進めてぇ」 「イーサウに戦力をもたらすために? 違うでしょう? 本音は」 「……師匠のため、だな」 遠くアリルカにいる彼の師、フェリクス。大陸中の魔術師を集めイーサウに加担する、それがどうしてフェリクスのためになるのか魔術師でないサキアにはわからなかった。 「……内緒話だ、あんたを信用して話すから誰にも言ってくれるなよ?」 「意外ね。信用に値するのかしら、私」 「まぁ、いずれわかることだからもしバラしても大問題にゃならねぇってとこなんだけどな」 肩をすくめるエリンをサキアは悪戯に睨む。信用していないではないかと言う抗議の形を取った黙約。互いの間に信頼でも信用でもないものが通い合う。 「うちの師匠の残り寿命はそうはねぇ。まぁ、魔術師としちゃってとこだから常人の感覚とは違うと思うけどよ」 エリンも理解している。魔術師と常人は違う。エリンの感覚が、だからサキアとは一致しない。そしてライソンとも、おそらくは。埋めようもない差を埋めるものがある、ただそれだけ。 「……だから、師匠がくたばる前に、新しい魔術師の形を見せてぇ。あんたの弟子たちはきっちり自立して次に進んで歩いていけるってとこを見せてぇ」 イメルから渡されたフェリクスの遺書とも言うべき手紙を読んだ、それがエリンの決意だった。師はアリルカの地で必ずこちらを見ている。見ない、存在しない者として扱っていても、風が噂を運ぶ。師の肩には、彼の伴侶の魂の欠片がある。風の魔法に長けた彼の。 「――軋轢がでけぇぞ、それは。覚悟はあるのか」 真剣な顔のライソンにエリンはしっかりとうなずく。緊張は隠せなかったけれど。もちろん、最初に相談したのはライソンだった。まだまだ思いだけがあって形にできなかった望みを、ライソンが言葉に変えてくれた。 大陸中の魔術師を集め、再教育を施す機関。新しい弟子を取り育てて行く学校でもあり、その後の研究機関ともなる場所。要は新しい星花宮だ、規模が桁違いになるだけで。そしてライソンとエリンは志す、その新しい機関は国籍の如何を問わない、と。だからこそ、星花宮にして星花宮ではない新しい形。魔術師による、魔術師のための組織。危険なことではある。新理論を、二王国に持ち帰られては確かに問題がある。 「だけどよ、エリン。ラクルーサを見ろ、ミルテシアは元々だ。二王国は魔術師が好きじゃねぇよな?」 「戦力になるなら――」 「使うってんだったらあの戦争ん時も使った。だろ? でも排除した。この二十年、魔術師団の再配備なんて話はどっからも出ねぇ。だったら、たぶん大丈夫だ」 「そう……か? 俺は、弟子と戦うのも同僚と戦うのも嫌だ。それだけが、懸念ではあるんだ」 「平気だろ、たぶんな。あのな、エリン。周りを見ろよ。魔術師は、イーサウだから安穏と暮らしてられてる。氷帝と、あんたの策略のお蔭だ。他は? まぁ、この際アリルカは例外な?」 「二王国は――」 「そのとおり。一応、俺はまだ他の傭兵隊と付き合いがあるからな。隊の魔術師を確保すんのも大変だってよ。ったく、隼の連中は巧かったぜ、早々にアリルカに参加したのは大正解だ」 傭兵隊にとって仲間は家族。家族の一員である魔術師が排斥されるのはさぞつらかろうとライソンは言う。そして傭兵隊は言わずもがなながら戦闘が商売だ。だからこそ、魔術師が必要だ。自らの生命の保存のために。それなのに二王国では魔術師を見つけることすらが難しいと言う。 それほど隠れ暮らしている魔術師だ。たとえ新理論がどれほど素晴らしい画期的なものであろうとも、それを国家が利用することはまず考えなくていいとライソンは言う。その言葉にエリンは考え込んでしまう。この二十年でいったいどれほど魔道は衰退してしまったのか、と。このまま放置すれば消滅の危機すら感じた。 「だから大同盟とでも言うか? 魔術師が一致団結してもたぶん問題はない。まぁ、二王国はぶー垂れるだろうがよ。その辺はサキア女史を丸め込め。後は作り上げた後、あんたがきっちり配下の心を掴めばいい」 「お前みたいにかよ?」 「……いや、それはそれで困るんですけどエリンさん?」 「ってそっちじゃねぇよ!? 傭兵隊長だろうが、お前は!」 兵を掌握したようにすればいいのか、と暗に言ったはずの言葉に照れられてエリンは声を荒らげていた、笑いながら。途中で気づいたせい。あまり深く考えても仕方ないことだと、やってみなければわからないのだからと、まずは進めとライソンが言ってくれているのだと、気づいたから。 「新しい魔術師の形、ですか。漠然としすぎててよくわかりませんね」 サキアの声にエリンは内心から復帰する。ライソンと交わした言葉の数々、それだけが頼り。そんなことなど窺わせないよう、毅然と微笑む。 「なぁ、サキアさん。大陸中の魔術師だ。衰退したって言っても、独自理論がごろごろしてる可能性はいくらでもある。俺が意表を突かれるようなことだってあるかもしれねぇ。それをイーサウが独占したら?」 「――新しい輸出品目になるとでも?」 「おいおい。人身売買する気か、あんたは。そうじゃねぇよ。たとえば、右腕山脈に大穴開けたのは俺の師匠筋なわけだが」 「えぇ、幼心に無茶な話もあったものだと思いました」 幼心、と言うほど子供だったとは思えない、とはエリンは言わず肩をすくめる。話の趣旨がずれるのを嫌ったとも女性に対する礼儀だともとれる態度だった。 「あんたら常人があれをやったらどんだけの金と人がかかるかわかったもんじゃねぇ。魔術師なら一人で、ほんの半日仕事だ。――もしイーサウが魔術師の集合に手を貸してくれるなら、魔術師はあんたらに手を貸す。まぁ、ある意味売買か。どっか行って働いて来いって言うなら、金次第で請け負うこともあるってことだろうな」 逆に言えば、協力しないならば魔術師は独立する、とも取れる言葉だった、エリンのそれは。エリン自身は内心で冷や汗をかいている。二王国が存在する以上、それはいかにも無茶だ。が、ここははったりを貫くよりない。 「公共工事がはかどりそうですね」 淡々とした言葉の中にもサキアの興奮が読み取れた。魔術師の持つ力は偉大だ。常人には敵わない圧倒的な力。それを利用させてやる、とエリンは言うのか。いまだとて、便宜を図ることはある。学校の設立に協力したのはイーサウだ。だがそれをさらに推し進めようとエリンは言う。 「ですが」 ふ、とサキアが首を振った。エリンは否の印とは見ていない。サキアは乗っている。彼女一人で決められることならば、確実に乗り気になっている。 「我々常人は、魔術師を違うもの、として見ています。あなたの学校のよう、小さな子供ならばともかく……」 「大人の成熟した魔術師が大挙してってのは怖いってか?」 星花宮の生き残りはイーサウにいるのにか、とはエリンは問わない。それは戦時の混乱が招いたなし崩しの事態だとわかっている。 「言ってみれば、そうですね」 「だったら怖がられねぇよう手を打てばいいか。そうだな……たとえば」 「闘技会なんてどうでしょうね?」 言葉を奪われたエリンが苦笑し、サキアがにやりと笑う。互いに考えていることは同じだった。人は戦争は嫌う。だが血沸き肉躍る戦いを見るのは好きと言う困った種族でもある。 「武道の闘技ならばどこにでもありますが、魔法の闘技と言うのは中々珍しいのではないですか」 「珍しいっつーか、聞いたことねぇな。やったことはあるけどよ」 「ある?」 「星花宮の訓練でな。だから、主催の要領はわかるぜ」 「では」 それで行こう。そんな風に話が決まった。決まったのに、当然ではあるけれどイーサウの各都市で話をまとめるのに時間がかかった。民衆の同意を取り付けるのに時間がかかった。 |