オーランドがリオンの葬儀に出席した。カレンはエリンの名代として、密かにそれを見守った。決してフェリクスに見つかるな、との厳命を受けた上で。
 同時期、エリンはヘッジを見送った。イーサウ自由都市連盟、初代議長を務めた俊才も、二十年の年月に一回りも二回りも小さくなった。中々苛烈なところもあったヘッジだったけれど、晩年は穏やかに孫の相手をしている時間も多かった。
「いなくなっちまうな……」
 葬儀の帰り道、エリンはぽつりと呟く。偶然だとはわかっている。それでも立て続けに知人が逝ってしまう。それがやりきれない。
「けどな、新しい知り合いだって増えてんだろ。気に病むなよ」
 ライソンがゆっくりと噛みしめるようそう言う。知り人が、少しずついなくなってしまうと嘆くエリンを励ますように。エリンはじっと唇を噛む。黙ってライソンの髪に手を伸ばした。
「ずいぶん、増えたよな?」
 苦笑するライソンの顔。若いころにはなかった皺の数。年齢を刻んだその顔は、かつてのものより頼もしい。反面、少なくなって行く時間をも思わせる。
「嫌いじゃねぇよ」
「そりゃ幸い」
「なんだよ、気にしてたのか?」
「当然だろ? あんたは変わんねぇのに俺だけジジイだぜ。やんなっちまう」
 ぼやくライソンの口調は変わらない。それだけが若き日の名残とでも言うように。けれど、エリンにだけ。あるいはカレンも含めた「家族」にだけ。対外的には重々しい軍事の専門家の顔を見せる。
「安心しろよ。もっとジジイがいるだろ」
 ちらりとエリンが笑った。体を鍛えているせいだろう、コグサは七十を超えていまだ壮健だ。さすがに兵学校の長は降りたものの、いまでもびしびしと後任をしごいている。
「隊長か。ほんっと、なんであんなに元気かね? 信じらんねぇわ。昨日もまたしごかれたからな、俺」
 要は以前の関係に戻っただけ。ライソンはコグサの兵学校をいまは束ねている。さすがにもう前線で戦うのは無理がある。
「お前が軟弱――」
 笑おうとしたエリンが息を詰まらせる。ぎょっとしたよう目を見開き、そしてそのまま胸のあたりをきつく掴む。
「エリン!?」
 まるで何かの発作のようだった。はじめて会ったあの日から、一瞬も年を重ねていないエリンであるけれど、肉体はあるいは。そうライソンが疑ったほど、激しい発作。もしその場にカレンがいたならば、青ざめるだろう。あの日のエリンを思い出して。だがカレンはおらず、ライソンがエリンの体を支える。
「とりあえず医者か!?」
「……違う」
「何!? わかんねぇ、エリン!」
 恐慌状態のライソンに町の人々が目を留める。ライソンの顔が知れているのは幸いだった。イーサウの重鎮の一人として数えられているライソンだ。そしてエリンだ。あっという間に誰かが店先を片付けエリンの休む場所を作り、誰かがカレンに知らせに走る。
「師匠!?」
 飛んできたカレンが見つけたのは、そんなエリンだった。どんな重病か、と思えば店先でのんびり茶をすすっている。ライソンが隣で青い顔をしていたからこれは見栄だろう、と見当をつけはしたが。
「悪い。ちょっと眩暈起こしただけだ」
「はぁ? 眩暈!? 師匠、てめぇの年ってもんを考えたらどうなんですかね。若ぇのは見た目だけだってのをもうちょっと真剣に考えたらどうなんです」
「見た目だけたぁなんだ、見た目だけたぁ。悪いがな、クソ弟子よ、お前よりよっぽど俺は鍛えてんぞコラ」
「ほお、そうですか。だったらなんで眩暈? 実に不思議なこともあるもんだってんだ」
 口喧嘩をはじめた師弟に人々が笑う。このぶんでは重病などではなく、本当にエリンの言うとおりちょっとした眩暈だったのだろう、と。笑いながら手を振り去って行く人々にライソンが丁重に頭を下げている。少し申し訳なくなってカレンが続き、エリンも苦笑いをした。
「――で、師匠。戯言は抜きです」
 自宅にカレンが無言でついてきたのにエリンは察している。自分の家にも帰らずカレンは事情を聞かせろ、と言っていた。
「とりあえず、茶」
「師匠!」
「あのな、カレン。衝撃があったのは事実なんだぜ。労われ、少しは」
「労わらなきゃならねぇような男ですか、あんたが」
 鼻で笑って、それでもカレンは茶を淹れに立つ。ライソンがじっとうつむいているのが気になったせいかもしれない。少しは二人で話す時間をあげよう、と言う弟子の心遣いにエリンが苦笑し、ライソンの手を取った。
「悪かったな。もう、大丈夫だから」
「あんたは……」
「俺は基本丈夫だぜ? 星花宮の魔導師は他のやつらより頑丈なんだ」
「――エリン」
 うん、とライソンの顔を覗き込んで、エリンはうろたえた。取っていた手を思わず離してしまい、慌ててもう一度繋ぐ。それからもう一度離して、今度はライソンの頬を拭う。拭ってから、片手は繋いでいていいのだと気づくありさま。
「あんたがそんなおろおろしたとこ、はじめて見たかも」
「うるせぇ。お前がンな顔するからだろうが」
「だって、エリン。――頼むから、俺より先に死んだりすんなよ。あんたのほうが長生きなの――」
「ライソン、そこまでだ。俺たちの間で生き死にはやめようぜ? 切なくなっちまう。な? それに俺は現状元気だ。大丈夫だから。心配させて悪かった。だから」
 ん、と小さくライソンがうなずいた。そして自らの狂態を恥じるよう、乱暴に頬をこすって涙の跡を消してしまう。そんなライソンの心が痛くて、同じほど嬉しかった。そっと頬を包もうとした正にそのとき、なんとも言い難い顔をしたカレンが茶を運んでくる。
「お前なぁ。見てたんだったら気を利かせろ、気を!」
「なんのことです? 見てなんかいませんけど。はい、師匠。待望の茶ですよ。茶は淹れてあげたんですから、こっちの話もしてくれるんでしょうね」
 ライソンのことは後で二人で片づけろ。言外の声にエリンは苦笑する。ライソンもまた同じ顔をしていてカレンは内心で微笑んでしまう。
「お前、心当たりはあるんだろうが」
 そんなカレンにエリンは切り込む。カレンはあの日、側にいた。聞きたくないことを聞いたかのようカレンが顔を顰める。
「エリン。俺にゃそれじゃわからん。話していい話なのか。それとも魔術師じゃねぇとまずいか」
「いいや。カレンはわかるだろうよってだけだ。――うちの師匠だよ」
「え……」
 フェリクスが激しい衝撃を覚えた日、タイラントが殺された日。エリンまで彼の衝撃を感じた。ライソンも思いだす。直接その場を見てはいないものの、顔色の悪いエリンは見ている。
「まさか、氷帝が……」
 口にすることはできなかった。リオンを送り、ヘッジも逝ったいま、よもやフェリクスまで。ライソンに向けエリンは黙って首を振る。
「詳細はわかんねぇよ。ただ、死んではいねぇ、それはわかる。なんかとんでもねぇことしでかした気は、する」
「とんでもねぇって、例えばなんです?」
「俺は神官じゃねぇんだよ。んなもんわかるか。――ったく。俺にも波及効果があるってのをあのクソジジイ、忘れてやがるな」
 心臓のあたりを押さえてさすり、苦く笑う。覚えているはずがない。あるいは覚えていたとしても、気に留めていない。フェリクスの現状がエリンには手に取るようにわかっている。
 本当は、フェリクスがなにをしたか見当もついている。身のうちが震え粟立ち、けれど快楽の気配まであった。魔法の習得過程で、一度は誰しも同じ思いをする。
 ――まさかとは思うがな。でも、間違ってはいない。師匠……あんた、正気じゃねぇのは知ってるけど。アリルカが、あんたをどうする?
 心の中で呟いてみる、フェリクスに向けて。応えは当然ない。そんな自分にエリンは小さく笑い、首を振る。
 しばらくの後、イメルがイーサウを訪れた。いまだに青い顔をしているからエリンはその時点で自分の予感が当たっていたことを知った。
「エリナード。フェリクス師が……」
「あのクソ親父、悪魔召喚しやがったか」
「なんでお前は!? どうしてそれを知ってるんだ!」
「舐めるな、俺は氷帝の弟子だぜ」
 嘯くエリンにはじめてイメルは畏怖の表情を浮かべた。それにどうでもいいとばかり片手を振れば、ほっと息をつく。だが同席していたライソンとカレンまでが息を飲んでいたのにはエリンも驚く。
「なんだよ?」
「悪魔召喚って……師匠」
「見せたことあんだろ。退魔ができねぇ魔術師は片手落ちだからよ」
「そうじゃなくて!?」
 フェリクスほどの高位の魔術師が悪魔召喚をしたこと、そして同時にエリンが彼の弟子とは言え寸時をおかずに悟ったこと。いずれもカレンには理解できない。ライソンもまた、知りたいことがある。
「イメル。氷帝は、どうなったんだ?」
 ただ一つ、それだけがライソンは知りたい。ぐっとうなずくイメルから目を離さない。そのライソンに、イメルは頼もしく微笑んだ。
「フェリクス師はお咎めなしだよ。だって、悪かったのは他のみんなだから。魔術師も、人間も、フェリクス師を追い詰めるだけだった」
 だからフェリクスがそんなことをしたのだ、イメルは詳細を語る。エリンは厳しい目をしてイメルを見ていた。同じことを繰り返すつもりならば自分にも考えがあると言わんばかりに。
「エリナード。信じてくれとは言わないし言えない。これからアリルカの人間は、変わっていく。それをもう少し、見ていてくれないかな。もう二度と、フェリクス師を追い詰めたり、しないから」
「――お前ら、わかってんのかよ? 師匠に救われた命がどれだけある。師匠に庇われた命がどれだけある。あの人はあれで他人のことなんかどうでもいいって顔しながらな、なにより他人の命が大事な人だ。どうでもいい他人のためにてめぇの命すり潰して、そんでお前ら、何しやがった?」
 カレンもライソンも驚いていた。エリンのここまで辛辣な物言いは聞いたためしがない。どれほど彼がその師を案じているか。思えば思うだけライソンは切なくなる。
「師匠も師匠だ。そこまで追い詰めてきやがる他人なんざどうでもいいだろうが。やっちまえばよかったんだ。召喚、なんで中止したんだかな」
 鼻で笑うエリンにカレンは驚く。魔術師として決して越えてはならない一歩だというのに。友の言い分を理解していると言うよう、イメルはうなずいていた。




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