エリンとイメルのやり取りにリオンが微笑む。幼いころから手元に置いてきた弟子たちだった。その成長を喜ばない師はいない。
 そしてリオンはアリルカのフェリクスを思う。エリンはいい目をしている、そう思った。弟子として、師のことを彼以上によく理解している者はいない。アリルカに連れて行く魔術師の中にもフェリクスの弟子はいる。けれどエリンにはとても及ばない。そして自らの弟子に思いを馳せ、リオンはうなずく。ちらりとオーランドを見やれば、彼もまたうなずいていた。
「イメルを連れて行ってしまうので、エリナードの補佐はオーランド、あなたがしてください。そうそう、こんなついでみたいで申し訳ないですけど、名前あげます」
「は……? 師匠、何を……?」
 もしかしたらオーランドの最も長い言葉だったかもしれない、エリンは思う。それだけ驚いているのだろう、彼も。エリンもまた、驚いた。オーランドが相応しくない、と言うのではない。単純に、早すぎる。そう思うだけ。自分だとてフェリクスの名を名乗るのは早すぎるのだ。それだけリオンも危機を感じているということか、ふと気づく。時代の加速にエリンはぞっとした。
「使えるものなら何でも使うのが戦闘の基本です」
 そんなエリンにわずかに目を留めてリオンは微笑む。まるで側近くあることだけが師の在り方ではない、と語るように。フェリクスとエリンのように。
「まだ未熟ですけど、あなたをいずれ後継者にしようと思ってました、私。だから今日からあなたはリオン・オーランド。いいですね? 継承式は飛ばしちゃいますけど非常時ですし。何よりあなたの中に私の教えは生きていますし。問題ありません」
 微笑む師の言葉に感激したのだろうか。オーランドは頬に血を上らせてはっきりうなずく。背筋まで伸びていた。そしてエリンを見つめ、もう一度うなずく。なにより頼もしい眼差しだ、エリンは思いうなずき返した。
 そんな彼らをイメルは羨ましそうに眺めていた。エリンはフェリクスの名をもらった。オーランドもまた。二人とも、長い付き合いの仲間だった。そして自分を思う。殺されたタイラントを。いつか師の名をいただけるような立派な魔術師になりたい、そう思っていたのに。師は殺されてしまった。
「リオン師、行きましょう!」
 だから自分は敵討ちをするしかないではないか。せめてそれくらいはしたいではないか。イメルはそう思う。いまはまだ、それしかできないとも思う。そんなイメルにリオンが苦笑した。
「あのね、イメル。私にも用事というものがあるんですよ? あなたがたを選んだからと言ってすぐには発てません、私」
「あ……」
「オーランド、見学を許可します。エリナードは手伝ってくださいね」
 赤面するイメルを置いてリオンは何事もなかったかのよう二人に話を持ち掛ける。なんのことだ、とやはり二人揃って首をかしげてしまった。
「あぁ、ついでと言ってはなんですけど。あなたのライソンの手も借りたいです。正確には狼の手が」
「俺のってわけでもねぇんですけどね。まぁ、いいや。で、何しろってんですかい?」
 話す前にリオンは魔術師たちに退去を命じた。別段隠し事、と言うわけでもないのだろう。単に大勢がぞろぞろといても無駄なだけ。人当たりの柔らかいリオンではあるものの、四人の師の中では一番辛辣でもある。エリンは苦笑して自分たちこそが移動しようと提案して自分の執務室へと誘った。
「そんで、話ってのはなんです?」
 カレンに茶を淹れさせ、ついでにライソンのところに使いに行ってもらったから彼もすぐに到着するだろう。エリンは執務室の中でリオンとオーランドを前にしている。
「アリルカ側の提案と言うか、イーサウの利益になることがなにかないかなって向こうで話してたんですけどね」
 そのときに右腕山脈が邪魔だ、という話をリオンは聞きつけてきたらしい。確かに貿易が主な収益であるイーサウ連盟において、山脈さえなければ直接海路を取ることができるのに、と言うのは長年の懸案ではあった。現状では山を迂回し、ラクルーサないしミルテシアに出てから海路を取っている。無論、廻船業者に依頼、と言う形で、だ。イーサウ自身が船を持てば利ざやを取られることもなくなる。専門技能を持つ人間をどうするのかなど難点は色々あるが長期的には利益のほうがずっと大きい。
「あぁ、そりゃ俺のところにも話は聞こえてたんですけどね」
「どうして手を出さなかったんです? あなたにだってどうにかできたでしょうに」
「そりゃ簡単ですよ。噂話でしかなかったからっすね。ヘッジさん――議長にはお会いになったんでしょ? 持ちかけてはみたんですけど、苦笑していなされるだけだったし。やらせてもらえりゃ、俺の利益にもなったんですけどね」
 魔術師はかくも有用、それを証明することができた。けれどヘッジはまさか、と思っていたらしい。あるいはエリンには無理だ、とでも。現にリオンの話には乗ったのだからずいぶんと見くびられたことになる。
「でも、あなたにとってはその方がよかったかもしれませんね」
「リオン師?」
「強大な力を持ちすぎた魔術師は敬遠されますから。ここで地歩を固める前にそれは痛いでしょ?」
 にこりと笑ってとんでもないことを言う師だった。エリンは苦笑いをしつつうなずく。確かにそうも思ったからこそ、強くヘッジに言いもしなかった自分がいる。
「悪い、遅くなった」
 ひょい、とライソンが執務室に入ってきた。カレンが下がろうとするのをエリンは呼び寄せる。彼女は自分の弟子。無言で同席させますよ、と告げればリオンも否とは言わない。
「遅くねぇよ、これから本題だ」
 手短にエリンは右腕山脈に穴を開ける、とライソンに話す。以前エリンにも聞いていた話だけあってライソンは肩をすくめるだけだった。魔術師の持つ力、というものに対してライソンは常人でありながら脅威を感じないらしい。それをリオンはエリンのために嬉しく思う。
「その際にですね、現場の立ち入りを禁止はしますけど、狼に警備をしていただきたいな、と思いまして」
「別にいいっすよ。その程度は――って、その程度で済む話なのか、それ?」
 最後をエリンに確認すれば呆気なく答えは来た。済まない、と。案の定だったからライソンはもう一度肩をすくめる。魔術師と付き合っていればこの程度はそれこそ日常茶飯事だ。
「まぁ、山をぶち抜くからな。リオン師がすんだから被害は出ねぇだろうけど、万が一のことは考えといた方がいい。ついでにお前らには見といてほしいってのも俺はあるな」
「エリン? あんたが魔法使ってるとこならいままで何度も見てんぞ。うちの若いのはあんたに慣れてる」
「だからだ。俺以上の使い手ってのを知っとくのは狼のためってもんだ」
 さらりと言うけれどライソンは気づいている。エリンが悔しく感じているのを。リオンは四魔導師の一人、とても自分が敵う相手ではない。けれどしかし、いつかは必ず抜いて見せる。だからこそ、及ばない自分が悔しいのだ、と。このところ厳しかったライソンの目がふと和んだ。
「では、オーランドとカレンは見学として、あなたは冷却を担当してください。そっちは私がやるより効率的だから」
「了解です。んで、リオン師。聞いていいすか? オーランドと一緒にやったらもっと早くて確実なんじゃねぇですか?」
 それなのになぜかリオンはオーランドに手伝え、とは一言も言わない。いまも不思議とくすりと笑う。
「うん、なんと言いましょうか。フェリクスと賭けをしまして」
「……はい?」
「彼はねぇ。右腕山脈に穴を開けるのにサレイカラ四発だって言うんですよ?」
 沈痛な顔をするオーランドに目を留めたライソンがエリンを見れば盛大な溜息をついている。聞けばサレイカラ、と言うのは地系の最大呪文らしい。
「見くびられてるなぁと言いましょうか言葉がないですけど。意地がありますし、ちょうど満月ですし。三発で開けようかなぁって思うんです、私」
 オーランドが小さく声を上げた。思わずエリンはうなずいてしまう、それも激しく。目が合った二人は互いに何事かが通じ合ったのを知る。こんなことで、だ。
「……リオン師。訂正します。俺、当分リオン師に勝てねぇです。つか、あんまり勝ちたくねぇ気がしてきた。俺は普通の魔術師でいてぇわ」
「おやおや、酷いですねぇ。普通ですよ、私だって」
「どこにそんな普通がいるんですかい!? 俺だったらリュリルトゥ撃ったって十五発やそこらじゃ済まねぇよ!?」
「それは物が山ですからねぇ。私たちみたいに地系は有利ですよ」
「おい、オーランド」
 エリンの無言の要請にオーランドは黙然と片手を突きだす。一度、二度。
「だよな? 同じ地系のお前でもそれくらいはかかるだろうよ、それが普通だよなぁ。やっぱ俺、普通でいいや、うん」
 慨嘆するエリンにオーランドがちらりと笑みを見せる。それだけでひどく人のいい顔になる、とライソンは思う。
「うん、やっぱりオーランドをあなたにつけるのは正解みたいですね。相性がよさそうです、人として。あなたはどこに流れて行くかわからない水ですからね、杭が必要でしょう。もっとも――」
 そう言ってリオンはライソンを見やる。どことなく不満そうな顔をしているエリンの伴侶を。優しい、この上なく優しい顔をしていた。
「ライソンの性は大地に属していますからね。あなたはだから均衡がとれているんですよ、エリナード」
「はい?」
「ライソンがあなたの杭です。ずるずる流れて行きがちなあなたという人をライソンがちゃんと繋ぎ止めて囲ってあなた、と言う形にしてくれている。そう思うんですよ、私」
「……それはなんですかい、神官としてですか。リオン師」
「どちらでも同じですよ。魔術師で神官が私ですからね」
 そう言って再びリオンはライソンを見つめた。今度は居心地悪そうに、けれど嬉しそうな彼を。リオンに褒められた、とわかっているのだろう。
「ライソン、エリナードを頼みますね。今更ですけど」
「俺は一介の傭兵ですよ? 魔法のことはてんでわからねぇ」
「関係ないです、そんなことは。あなたがあなたとしてそこにあるだけで、エリナードはずいぶんと幸福だと思うんです、私」
「そりゃ……まぁ」
 照れて天井を見やったライソンをカレンが笑った。オーランドまで微笑んでいた。エリンはとっくにそっぽを向いている。そしてライソンが顔を戻した。
「でもね、リオンさん。俺は遺言みたいな言葉は聞かないことにしてんだ。エリンのことは頼まれたんじゃない、俺の当然。いいですね?」
 これから戦場に行こうという人間が不吉なことを言ってくれるな。ライソンの無言の声にリオンは目頭が熱くなる。詫びるよりただ微笑んだ。それで通じる気がした。




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