講堂についたのはイメルが最後だったらしい。扉を開ければ一斉に視線が集まってしまっていたたまれない思いをした。 迷っていた、いまでも。エリンの忠告を無下にするつもりはない。だがしかし、己の師が暴力で命を奪われた。その思いはどうしても捨てきれない。だからイメルは決心した。アリルカに向かうと。 「あなたで最後ですよ? 来たと言うことは、アリルカ行きを望むということですね、イメル」 リオンのいつもどおりの言葉にイメルはうなずく。そして力づけられたよう、前方に座っているエリンを見た。 「お前も行くんだな? よかった……」 不安だった。確かにイメルは不安だった。だからこそ、エリンが結局はアリルカに行くのだと知ってほっとしていた。 「馬鹿言うんじゃねぇよ」 しかし叩き落された。本当に不愉快に思っているときのエリンの声を知らないイメルではない。一瞬でぞっとした。 「俺はこの施設の管理者だからよ。立ち会ってるだけだ。言ったな? 俺は行かねぇ。お前らも――」 行くと決めた魔術師たちが不思議そうに、あるいは不快そうにエリンを見ている。フェリクスを見捨てた、とでも思っているのだろう。エリンは取り合わなかった。 「俺の師匠のことも俺のこともなんにもわかってねぇ。リオン師にでも道々聞けよ。ってほど、時間はねぇか。でもリオン師、ここ出てすぐに跳ぶってわけでもねぇんでしょ?」 「それはね。まぁ、人目につくと面倒ですし。驚かれるのは厄介ですから。いいですよ、あなたの心持ちは解説しておきます、私」 ありがたい、と頭を下げるエリンをリオンは優しげな目で見ていた。フェリクスの真実を知っているのは今となってはこの弟子一人か。どことなくそれが切ない。 そして切ない、と漠然としか考えられない自分、というものもリオンは理解している。カロルが逝った。あの瞬間に自分もまたその魂の最上の部分を失った。神官のリオンはそれをも理解していた。そしてなお、生き続けている。生きていはするけれど、やはり以前のようにはいかない。世界はカロルと言う光を失った。 「イメル」 エリンの厳しい声に自失しているイメルがぼんやりと返事をする。それに再度きつい声を上げればはっとしたよう背を伸ばした。 「お前は行く。それはそれでお前の決断だ。俺はもう何も言わねぇ。ただ一つだけ、頼みがある。聞いてくれるか」 「もちろん! 俺にできることなら……。その、アリルカ行きに反対とかじゃなければ」 「だからお前の決めたことは尊重するって言ってんだろうがよ」 苦笑するエリンにイメルは顔を伏せた。なぜだろう、とてつもなく申し訳ないことをしている、そんな気がした。 「あのな、イメル。……向こうでお前は師匠に会う。だよな?」 嫌でも会うだろう。そもそもイメルはタイラントの敵討ちがしたいのだ。ならばタイラントの伴侶であるフェリクスに会わないはずもない。 「そのときにっつーか、師匠に会っても、絶対に俺の名前を出すな。まかり間違っても、死んでも出すな」 「え? それはどう言う……」 「意味もへったくれもあるか。向こうに行きゃわかるよ。お前が死ななきゃ理解する。とりあえず、頼みを聞いてくれりゃそれでいい。どうだ」 イメルにはなにがなんだかわからない。思わずリオンを見やれば優しい顔をしていた。エリンが正しいと、そしてエリンが師を思う気持ちを汲み取ったと。だからイメルはわからないなりにうなずいた。エリンの名を出さない、それだけ守ればいいのだろうと。 「わかった」 「頼むぜ。じゃねぇとお前、ほんとに死ぬぞっつーか、殺されるからな」 「エリナード!」 「俺は嘘は言ってねぇ。向こうに行きゃわかる。リオン師、この馬鹿、頼みます。これでもダチなんで」 「えぇ、わかりました。色々忠告はしますけど……どうでしょうね。イメルが体で覚えるしかないことじゃないかと思いますよ、私」 「だからこの体で覚える時間を作ってやってくださいって」 小さく笑うエリンとリオン。イメルのみならずアリルカ行きを希望した魔術師たちがぞっとしたよう二人を見つめた。 「……エリナード。あなたは真実、フェリクスの弟子です。あなたこそ、彼の後継者。フェリクス・エリナード。後を頼みますよ」 ぽつりと零されたかのような言葉にエリンは渋い顔をしていた。黙って首を振り、そしてリオンを見据える。星花宮の弟子にあるまじき態度に魔術師たちがぎょっとした。 「リオン師。俺は遺言聞く気はねぇですよ。きっちり戦って、勝って、また顔見せてください。そのために俺はこっちで働くんだから」 「……あぁ、そうですね。えぇ、ありがとう、エリナード。さすがに同格、とは言いませんけど、あなたはもう立派な魔術師ですよ、私と並ぶね」 「いつか越えますから。期待しててください」 にやりとしたエリンにリオンが笑い返す、楽しみにしていると。それで講堂内がほっとした。まるでそれを待っていたかのよう、リオンが顔を引き締める。 「さて、アリルカ行きを希望した人たちが集まっているわけですけど。全部を連れて行くとは言ってません、私。と言うわけで選別しますよ。根拠は即戦力と協調性。連れて行かなかった人が戦えないわけじゃないです、もちろん。エリナードに協力してくださいってところですね」 リオンはついで、とばかり語る。すでにイーサウと同盟は結んだ、と。戦争のための物資その他を背後から供給してくれることになったイーサウに残る魔術師たちの責務もまた重いものだと。それに一同が真剣な顔をした。 次々とリオンが魔術師を指名していく。最後まで残ったイメルは固唾を飲んで自分の番を待っていた。まさか残されるのでは、そう思ったとき溜息まじりの声でリオンが自分を呼ぶ声。 「本当はあなたを連れて行きたくありません。なぜかは先ほどエリナードが言いましたね。それでも行くと言うならば、忠告は守ること。いいですね?」 「はい!」 明るいイメルの表情に、リオンはイメルの死を感じる。危険だった。現状を把握していない、あるいは想像力がない。けれど言って聞かせてだめならば、あとは経験するより他にない。できるだけ、守ろうとは思う。けれど相手はフェリクスだった。 「……シェリに期待、ですかねぇ」 小さな声は誰にも届かず、イメルがはしゃぐ声だけが響く。そしてエリンの不思議そうな声。 「おい、カレン。お前、行きたかったんじゃねぇのかよ? あんまりがっかりしてもいねぇな?」 その場に当然のような顔をしてカレンもいた。星花宮の弟子、ではないものの、元はミスティの弟子。そして現在はエリンの弟子。アリルカに参加する資格は充分にある。けれどカレンは苦笑して首を振る。 「なに言ってんですかね。ねぇ、師匠。弟子は師匠の手足でしょ?」 「まぁな。つーか、俺はそうありてぇだけだがよ」 「だったら私だって同じでしょうが。師匠が大師匠の手足なら、私は師匠の手足じゃねぇんですかい。まぁ、ちょっとばかし頼りない手足ですけどね」 「……おい」 呆然としたエリンなどそう見られるものではない。イメルは小さく笑い、慌てて口を押さえる。けれどリオンが大きく笑っていた。 「言いますねぇ、あなた。うん、それでこそ私の愛しい銀の星直系です」 「はい?」 「ですからね、口が悪いのはカロルの弟子の伝統みたいなものですよ。カロルの後継がフェリクス、フェリクスの跡継ぎがエリナード。そして、あなた。きちんと継承されているなぁ、と思って」 「……嫌な伝統もあったもんですね」 「うん、同感です」 くすくすと笑うリオンの目に懐かしさと痛みが浮かぶ。エリンはそっと目をそらし、けれど周囲は誰もリオンの目に気づかなかった。 「ところで、オーランド?」 突然に笑いを収めたリオンが真面目な顔になる。呼ばれたのは魔術師の一人、それもリオンの弟子だった。 「はい」 返答にエリンは驚く。オーランドと言えば地属性の権化のような寡黙さを持った男だった。返答など聞いた覚えがまるでない。常ならば黙って相手を見るだけだった。 「うん、わかってるみたいですね。一応ね、あなた。さっきは選びましたけど」 「残ります」 「えぇ、そうしてください」 短い言葉にリオンがにこりと笑う。飲み込みのいい弟子だった。それに安堵する自分がまだいる。そんなことを確かめる。 「リオン師? どうしたんすか」 「そうですね。イメルを連れて行きたくない理由の一つに、あなたの手伝いをさせたかったというのもあるんです」 「あぁ、属性の問題すか」 そう言うことだ、とリオンがうなずく。ぽかんとする魔術師がいるのは致し方ない。経験が多少足らない者も確かにいるのだから。しかしイメルまでそれとは。エリンは思い切り顔を顰めた。 「お前なぁ。俺は水系、お前は風系。相性がいいんだってことくらい説明されなくっても理解しろよな」 「いや、それはわかってるけど! でも!」 「別に地系でも相性はいいさ、火系よりゃな。要は効果の問題だってーの。風系は水系の魔法を増幅する。まぁ、使い方次第だけどよ」 「わかってますね、エリナード。それでこそカロルの孫弟子です」 「めんどくせぇ褒め方しねぇでください。カロル師と比べられたんじゃ褒められてんのか貶されてんのかわかんねぇじゃないですか」 褒めてますよ、と笑うリオンにイメルはまだ理解が及ばない。魔法の話ではなく、リオンとエリンの在り方が。同格には及ばない、と冗談で言ったけれどリオンはあるいはいずれそうなると認めているのかもしれない。まるで対等な会話だった。 自分一人が未熟なような、そんな気がしてしまう。けれどどうしようもなかった。だからいまはとにかくアリルカに行くしかないのだろうとイメルは思う。それから後のことは後のこと。そう、決める。 「お前は、すごいよな……」 それでも思わず呟いてしまった。先へ先へと進んでいく友が眩しく切ない。 「おい、馬鹿ダチ。何ほざいてんだよ? 俺は俺、お前はお前。それだけだろ」 あっさりと言うエリンだからこそ、やはり眩しいとイメルは思う。けれど友だからこそ、頑張ろう、そう思ってイメルはなんとか微笑んで見せた。 |