氷帝が半エルフの集落に入ったとの情報をイーサウにもたらしたのは何を隠そうリオン本人だった。
「半エルフの集落って、間違いじゃないですけど正解でもないです。正しくは神人の血を引く人たち、ですね」
 飄々と、笑顔でリオンは言う。エリンの魔法学院だった。当面の措置として、星花宮の魔導師たちを率いているのがエリンだから致し方ない。が、その非常時にリオンの笑みはあまりにも似つかわしくなかった。まるで星花宮の一日。当たり前の昨日に続く今日。そして明日へと続く今日。そんな気すらしてしまう。だからこそ、痛い。エリンは黙って目をそらす。
「リオン師?」
 それはどう言う意味なのだ、と声を上げたのはイメルだった。偶然なのか必然なのか、旅に出ていた風系の魔術師たちもすべて帰還している。
「ですから、そのままの意味ですよ。半エルフもいますし、闇エルフもいる。もちろんその子らもいる。そう言う意味です」
 闇エルフ、の語に一同がざわりと騒めく。常人のよう、悪だとは思わない。星花宮にはフェリクスがいた。闇エルフの子である師がいた。それでも戸惑いは強い。
「闇エルフが共同体に? 可能なんでしょうか」
 イメルの言葉にリオンが溜息をついた。当たり前のことを聞くなとでも言わんばかりの態度にリオンが苛立っているのが手に取るようわかってしまった。それだけフェリクスが憔悴している、と言うことまでもエリンは理解できてしまう。
「可能だから共同体にいるんです。変わっているんですよ、世界はね。それと、集落、でもないです。アリルカ、と言ってますけどね。近いうちに建国宣言をすることになるでしょうね」
 なにせ前例がある。イーサウにはその点で感謝しているのだ、とリオンは言う。明らかに異常な速さで物事が動いて行く。ぞっとして、これが現実だとエリンは思う。フィンレイが死んだときにもそうだった。あの日も、当たり前の日だった。一瞬で、すべてが変わった。
「それで、あなたがたに依頼です。手が足りないんですよ、我々は。ですから、一緒にアリルカについてくる人がいないかな、と思ってイーサウに来ました、私」
 にこり、リオンが笑った。けれど目だけは鋭い。アリルカで今後どのようなことが起こるか、あくまで予想ではあるけれど、と言ってリオンは語る。単純に言えば世界大戦と言っていい規模の戦争をアリルカは起こす。神官のリオンが言う。
「それはうちの師匠の意志ですかい、リオン師」
「まぁ、そうでありそうでなし、ですね。フェリクスの復讐戦にアリルカは乗った。と言うより、アリルカも人間に差別されて見下されて馬鹿にされて殺され続けていることに嫌気がさしてるんですよ。互いの利益が合致した、というところです」
 肩をすくめて言うリオンに魔術師たちは寂として声もない。戦争だという。戦ったことがない魔術師はおそらくいない。それでも、戦いに赴くという。
「リオン師、俺は行きます!」
 だがしかし。一番に声を上げた者。イメルだった。エリンは厳しい目で彼を見る。周囲が驚くほどの目だった。イメルは常にエリンの善き友であったはずなのに、と。
「……あなたは」
「イメル。だめだ。お前はアリルカに行くんじゃねぇ」
「エリナード? なんでだよ? お前だって――」
「俺は行かねぇからな」
 ふい、と背を向けてエリンは部屋を出て行った。呆気にとられるイメルを残して。リオン一人が満足そうに息を吐いていた。
「アリルカの使節でもあるんです、私。ですから数日はここに滞在します。と言うより他に仕事もありますしね。ですからみなさんはその間に今後を決めてください。留まるも進むも自由です。が、つれて行くかは私が決めますからね」
 エリンの態度などはじめからわかっていたかのようなリオンだった。イメルはそれにもまた、戸惑う。エリンは、エリンだけは必ず何があろうとも誰が止めようともアリルカに行くと思っていたものを。なぜだ。
 にこにこと笑いながら、これからイーサウの首脳部と会談があるのだ、と出て行ったリオン。ざわざわと今後のことを話し始めた仲間たち。イメルはどちらにもどうにもできず、一人学校を後にする。
 行先は、決まっていた。狼の巣の、エリンの自宅。力なく歩けば、否応なく思い出すタイラントのこと。様々なことを教えてもらった。楽しい師で、怖い師だった。あまりにも突然に、殺されてしまったタイラント。
「――エリナード、邪魔していいかな」
 扉を叩けば、カレンが迎えてくれた。肩をすくめた態度に見覚えがある。エリンのようで、ライソンのようでもあるその仕種。二人の間で過ごしてきた彼女の時間を思った。
「ライソンさんが機嫌悪いですからね?」
「え? もしかして、俺?」
「たぶん。師匠が帰ってきてから荒れてますから。原因がイメルさんだったら、そう言うことです」
 荒れているエリン、などときっぱり言われてイメルは一瞬帰ろうかと思ってしまった。そしてタイラントの声が蘇る。どうして君はそういうところで押しが弱いかな、と言う師の声。ぐっと拳を握ってイメルは家裡に入っていった。
「エリナード」
 ライソンが、座り込むエリンの手を握っていた。声をかけたイメルをきつい目で睨み据える。無言でお前のせいか、と言っているライソンに、イメルは怯まなかった。
「俺は、お前の考えがわからない。だから聞かせてもらいに来た。話してくれる気は、あるのかな、エリナード」
「……座れ」
「……うん」
 威勢良く言ったのに、結局崩れてしまう自分というものをイメルは内心で自嘲した。そんなイメルの手元、カレンが茶を差し出す。見上げれば、悪戯っぽく片目をつぶられた。あまりにも男らしい笑みにイメルは小さく笑ってしまう。笑えて、ほっとした。それを確かめでもしたようカレンがうなずき、ライソンとエリンにも茶を差し出した。
「師匠。私は下がってた方がいいですかね」
「――いや、お前もいろよ。俺の考えを聞いといてくれ。その上でお前がどうするかは」
「私の勝手ってことですね。了解です」
 にやりとカレンが笑う。それにライソンが少し緊張を解いた気がした。そのぶん、帰宅してからのエリンの態度が想像できてしまってイメルははじめて申し訳ない気がした。
「エリナード、どうしてお前はアリルカに行かないんだ? 俺は行く。だって、師匠の敵討ち、したいと思わないのかよ!? そりゃ、タイラント師はお前の師匠じゃない。でも――」
「――あのな、イメル。まず人の話を聞けよ?」
 ぐっと握りしめた拳。ライソンが怪我するだろ、と呟いて拳を撫でていた。それなのに開かない拳。
「お前、うちの師匠に面ァ見せられるのか?」
「……え?」
「俺はできねぇよ。一言じゃ言いようがねぇ。だから、詳細は自分で考えろ。言えるのは、俺は師匠の前に顔は出せねぇ。師匠も、俺の面だけは見たくねぇはずだ。次が――」
 お前だ、とエリンは言った。ぞっとして青ざめるイメルから目をそらさずエリンは言い放つ。
「お前の面をうちの師匠は見たくねぇ。それでも行くのか、え?」
「だって……。俺の師匠だぞ? 殺されたんだぞ? タイラント師は……」
 わかっている、とエリンはうなずく。少しもわかっていない、イメルは思う。殺されたのはタイラントであって、フェリクスではない。そう、思う。
「うちの師匠にとって、俺は色んな意味で見たくねぇ面だ。けどな、イメル。お前ははっきりわかる。タイラント師の弟子だから、お前の顔は見たくない。俺ならたぶん、そう言う」
「お前はお前で、フェリクス師じゃない!」
「俺はあの人の弟子だ」
 きっぱりと断言することで、それがフェリクスの意志に違いないとエリンは言う。自分は彼の名を継いだのだから。だから間違ってなどいないのだとエリンは言う。
「さっき、話の最初にリオン師が言ってたよな? タイラント師の名を出すなって。もしアリルカの誰かと会うことがあったとしたら、絶対にそれだけは口にするなって言ってたよな?」
 誰か、ではないとエリンはわかっている。リオンはフェリクス一人を想定してそう言っている。けれど頼りない弟子たちだ。万が一にでも口を滑らしてほしくないからこそ、リオンはそういう言いかたをしたのだろうとエリンは気づいている。
「師匠は、タイラント師の名を聞きたくない」
「そんな! だって!」
「なぁ、イメルさん。俺の勝手な想像だけどよ。ついでにたとえも悪いけどよ。エリンが殺されたら、俺はしばらくエリンって名前を聞くだけで堪えられなくなると思う」
「殺すんじゃねぇよ」
「だから詫びてんだろうが」
 ふん、と鼻で笑ったライソンは撫で続けているエリンの拳を軽く叩いた。ほんの少し、緩んだ拳を。
「氷帝も、そうなんじゃねぇ? 俺は氷帝じゃねぇし、氷帝の弟子でもねぇ。だいたい魔術師でもないし。でも、おんなじように大事な人がいる。絶対に失くしたくない人がいる。だから、間違ってねぇ気がするよ」
 エリンは無言だった。イメルは戸惑いが深まっていくのを感じていた。ライソンにわかることが、自分には理解できない。
「……それでも、俺はタイラント師の仇が討ちたい」
 ぽつりと呟くようなイメルに、エリンはもう何も言えなかった。リオンがイメルを連れて行ったら、どれほどフェリクスが嘆くだろうか。
 イメルは気づいていない。イメルと自分は、フェリクスにとって日常の象徴だとは。かつてあった、続くはずと信じていた日々の輝かしい記憶だとは。エリンにも、具体的な言葉になって表れてはいない。けれど、わかる。わかってしまう。タイラントよりもなお深いところでフェリクスと繋がった経験が、エリンにそれを理解させてしまう。
「お前がイーサウを出たら、もう会えねぇかもな」
「エリナード? どう言う意味だ、それは。なんでだよ。そんな、絶縁宣言みたいな……」
「違ぇよ。お前、うちの師匠に殺されるかもしれねぇ」
「え……」
「俺のここが」
 それでもまだ握ったままの拳でエリンは自らの胸を押さえた。あの日から、痛み続けている胸の奥。弟子の自分ですらこの有様だ。フェリクスはいかに、と思えばぞっとする。
「どんだけ師匠がつらいのか、否応なしにわからせる。つらいなんて、言葉にできねぇ。言葉だけじゃねぇな。態度も、表情も、何もできねぇ。ただ、ラクルーサ王を殺したいとしか思ってねぇ。――だから、俺はここで、イーサウで蔭からあの馬鹿師匠を支える」
 本当は、飛んでいきたいのだとエリンの心は言っている。側で支えたいと言っている。理由はイメルにはわからない。それでもフェリクスがそれを望まない。再び強く握られた拳をライソンがなだめ、そしてエリンの背後にはカレンがいた。




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