大きな広間の片隅でカレンが子供たちの相手をしている。その反対側でアランが若い魔術師たちに講義をしている。簡単な実践ならば問題ない程度の広さがあった。実際の魔法を目にすることで子供たちのためにもなる。それらを壁際のエリンが腕を組んで眺めている。 どことなく楽しそうにアランを見つめ、からかうようにカレンを見やる。それでいて本当は生徒たちを見ているのだと二人の魔術師は知っていた。そのエリンが突然、体勢を崩した。 「師匠?」 寝不足で居眠りでもしたかとでも思ったのだろうカレンの緊張感のない声。だがアランは異常を悟っている。さっとエリンの顔色が変わっていた。 「カレン、伝令。ヘッジ、ライソン、コグサ。すぐ呼べ。俺は執務室にいる。ガキども、授業は中止。家帰って待ってな」 手を振り、青ざめたままエリンは背を返す。咄嗟にアランはその背中に従った。ひどく危うく見えていた。それが功を奏する。 「エリン!」 廊下に出るなりエリンが倒れそうになった。きつく胸のあたりを掴んで呼吸を荒らげる。じっとりと額に嫌な汗が浮かんでいた。 「悪い、手ぇ貸してくれ」 「かまいませんけど、一体……」 繊細な、これぞ魔術師と言いたくなるエリンの手をアランは取る。自分の手とつい、比べてしまった。一流の上に超がいくつもつく星花宮出身の魔術師とはこういうものなのかと今でも思ってしまう。 「……心臓を握り潰されたかと思ったぜ」 執務室でアランが淹れた茶を飲み、ようやくエリンの顔色が少しばかりよくなる。それでもまだ充分に酷い顔をしていたけれど。 「エリン。何があった!? お嬢が飛んできたぞ」 そこにライソンが飛び込んでくる。エリンと大差ない顔色の悪さだった。カレンからあのような伝令を受ければ確かに、とアランは同情したくなる。コグサもヘッジも続々と到着した。最後にカレンが戻ってくる。 「エリン。何があったというのかね? 私も忙しい身の上なんだが」 嫌味ではなくヘッジが言えばエリンが苦笑いをした。片手を上げるのは謝罪か。ならばさらに悪いことが待っている。幸か不幸か全員がそれを理解した。 「――星花宮で、なんかあった」 「ほう?」 たかが、と言ってはなんだがその程度のことで自分を呼んだのか。言外のヘッジの言葉にエリンは首を振る。コグサとライソンは顔色を失くしていた。 「エリン。星花宮でって……」 「……師匠は生きてる。それは、わかる。なんつーかな。俺と師匠は尋常じゃねぇ部分で繋がっちまったことがあるからよ。生きてんのは、わかる。でも死んでる」 「おい!」 「だからな、ライソン。師匠は生きてる、でも死んでる。その意味は?」 息を飲んだのはカレン。その音に注目を浴びてしまって彼女は居心地悪そうに目をそらす。それを許さずエリンが発言を促した。 「……タイラント師が。もしや」 「そのとおり。タイラント師になんかあったとしか、思えねぇ。……まずいぜ、ヘッジさん。ラクルーサは、滅ぶかもしれねぇ」 「は? なぜそんな話になる!?」 「師匠が怒り狂ってんのを感じるからだよ。タイラント師はまだ死ぬような年じゃねぇし、魔術師ってのは普通の事故死はしにくいもんだ。勘が鋭いからな。魔法の事故で吹っ飛んだとしたら、師匠は怒りゃしねぇ。馬鹿って泣くだけだ。でも怒ってる。だったらタイラント師は――」 「ちょい待て、エリン。まだ事情が明らかになってねぇだろうが。先走んな。お前がお師匠さんを心配すんのはよくわかってるがよ」 コグサの軽い声音にライソンが息をつく。だがエリンとカレンは首を振る。のみならずアランまでも。 「コグサ隊長。魔術師として、エリンの勘は間違ってないと言わせてください。これも勘としか言いようがないから勘って言ってるんであって、エリンはほとんどその場で氷帝の怒りのあおりを食らったのと同じ衝撃を感じたはずなんです」 先ほどのあの顔色、そして心臓を潰されたかのよう感じたとのエリンの言葉。それをその目で見てしまったアランの顔色もまた冴えなかった。 「だったらエリン。ここはごちゃごちゃ言うよりあれだ。お嬢に偵察に行ってもらえ。いいな、お嬢?」 「いいですよ。アランさんや師匠は面が割れてるから、私のほうがマシでしょう」 にやりとしてカレンはその場から立ち去ろうとする。彼女の転移魔法はまだ転移点なしでラクルーサまで跳べるほど距離が出ない。 「待て、カレン」 さっと伸びてきた手がカレンの腕を掴んだ。心配は要らない、自分一人で大丈夫。言い返そうとしたカレンの喉がエリンの眼差しに押さえつけられた。不思議と誰一人言葉を発しない。そして空気が揺らめく。 「……エリナード」 そこには泣きそうな、否、涙の跡の残るイメルが立っていた。ふらりとエリンに近づき、その腕の中に倒れ込む。その姿に、誰もが先ほどのエリンの言葉への疑いを捨て去った。 「イメル。何があった」 「君が感じなかったはずはない! 師匠が……師匠が……」 「あぁ、わかってる。やっぱそうか。こっちまでぐっさり来たからよ。うちの馬鹿親父、どうしてる。つか、本当は何があった?」 イメルが語った事件の真相に、全員の顔が紙より白くなる。まさかと思った。だが疑う要素はどこにもない。 「ラクルーサ王が放った刺客? タイラント師が殺された? マジか、それ」 エリンとて、だから疑っているのではない。よもやと思い、案の定とも思う。ただひたすらに自らの拳を握りしめた。 「――あの野郎。殺しとくんだったぜ。あの日、手の届く場所にいたのによ。俺はやめちまった。くそっ。殺っとくんだった」 「エリン、不穏なこと言うんじゃねぇ」 「うっせぇ! お前は知ってんだろうがよ!? イーサウ独立戦の時、俺は外壁に乗ってたんだ! 魔法ぶちこめるところにいたんだ! あの時――」 コグサに向かって言い募るエリンに向け、ライソンが進み出ては物も言わずに彼の頬を張り飛ばす。ぎょっとしたようアランが身をすくめた。 「冷静になれ。後悔したってもう済んだことだろうがよ。世界の歌い手が殺された? 黒衣の魔導師はとっくに逝っちまった。氷帝はこのあとどうする気だ? もう一人、リオン師もいるよな。あんたはどう思う。どう考えて、あんたはどう動く」 言いながらもライソンは反対の手をもエリンの頬に添えた。そっと包み込み、真っ直ぐにその藍色の目を覗き込む。 「泣いてる暇はねぇぞ、エリン。あんたが考えて、あんたが動け。俺は支持する。いくらでも使え」 そしてライソンはヘッジを振り返った。まるでイーサウが支持しないのならば、狼は再び傭兵に戻る、とでも言うように。 「事情がわかるまで、我々は――」 当然のヘッジの言葉に黙認してくれるだけでいいとライソンはうなずいた。それから一度きつくエリンを抱きしめる。泣いてなどいないエリンを。涙が零せるほど、冷静ではないエリンを。 「とりあえずは密談だ」 ぎゅっと唇を噛んでエリンが魔法を紡ごうとする。それを飛びついて止めたのはイメル。何事か、と思ううちに別の魔法の気配。 「ごめん、ここを知ってるのは俺だけだから。目標になってたんだ」 言い忘れていた、とイメルは続ける。星花宮はその機能を停止したと。望むものはイーサウに行くように、とリオンの指示を受けたことを。 「先に言え。弾いちまうところだったじゃねぇかよ」 文句を言うエリンはかろうじて冷静さを取り返していた。そして次々と魔術師たちがエリンの執務室に転移してくる。幸いにも、腕には自信がある者ばかりだ。少々の障害物ならばよけることが可能だ。おかげで執務室が人で埋まることも起こらない。その代わり執務室周辺の部屋にも大勢の魔術師が転移してくる。 「……すげぇな、こんな大勢の魔術師はじめて見たわ」 ぼそりとライソンが呟けば、カレンが苦笑する。その目が一人の魔術師を捉えた。 「ミスティ師!」 カレンを以前導いていた師だった。ひどくやつれて今にも倒れそうな顔をしている。その中で噛みしめ続けていたのだろう、唇だけが血の色を透かせて不自然に赤かった。 「カレンか。元気そうだ」 「はい、おかげさまで。修行も進んでいます」 「そうか」 小さく言ってミスティはそっとカレンに抱擁を与えた。アランが駆け回り、魔術師たちを適当な部屋に振り分けて行く。全員と話をしていては混乱するばかり。傭兵隊で培った経験がアランを動かしていた。 「この辺でいいな。悪いな、アラン。助かったぜ」 エリンの声にアランが照れくさそうにうなずいた。執務室には星花宮の主立った魔術師だけが集められていた。もちろん、ヘッジたちはそのままこの場にいる。 「イメル、状況を聞かせてくれ」 「ラクルーサ王が、タイラント師を――師を。――それから、魔術師は危ないってリオン師に言われて。それで」 「落ち着け。ラクルーサ王の手はここまで届くほど長くねぇよ。お前はまだ生きてる。生きてるんなら生き抜くことを考えろ」 「……うん、ごめん。まだ、信じられなくて……」 当然だ、とエリンは思う。惨いことをしている自覚もエリンにはある。師を失ったばかりのイメルを動かすのは、無茶が過ぎる。それでもここで立ち止まらせればイメルは動けなくなる。そのほうがずっと恐ろしかった。 「うちの師匠はどうしてる?」 「わからない……。本当にわからないんだ!」 「疑ってねぇよ。つーことはなんだ? リオン師も師匠もお前らの誰にもなんにも言わずに消えたってことか?」 魔術師を見回せば、口々にそのとおりだ、と不安げに言う。不安なのはこちらのほうだ、と声を荒らげたいエリンはぐっと飲み込む。ライソンが無言で励ましてくれているのを感じていた。 「すぐさま激発すると思うかね、エリン?」 ヘッジの問いにエリンは首を振る。万が一、激発する気があるのならばすでにそれは起きている。弟子たちが無事に逃げ延びているのならば師は王宮にはもういない。エリンにそれは確実なことだった。 「たぶん……どこかに、逃げたんだとは思うけど」 「わかってねぇな、イメル。師匠は逃げねぇよ。城にいねぇんだったら、それは戦略的撤退だ。間違いなく、ラクルーサ滅ぼす気で反撃の狼煙を上げるぜ、あの人はよ」 エリンにはすでに師がどこにいるか見当がついていた。勘でも精神の知らせるそれでもなんでもない。いまの師に安全な場所は一か所しかない。それにエリンは気づいていた。 |