陽が落ちる頃、魔法学院にエリンを迎えにきたライソンは、ちょうど学校の入り口の前で少年に捕まってしまった。
「ライソンさん!」
 顔色の悪い少年だった。聞かん気な、不満そうな表情。まるで返事をしないのならば自分を馬鹿にしているのだと判断する、そう語っているかのようでライソンは苦笑してしまう。しみじみと自分が年齢を重ねたのだと思ってしまった。
「ん、どうした?」
 屈託のなさそうなライソンの返答に、一瞬少年は気を飲まれたらしい。笑顔でいてもそこは歴戦の傭兵だ、少年の気を挫くことなど造作もない。
「……戦うのって、必要ですよね!?」
「そりゃな」
「戦わないのは、愚か者だと思います!」
 わずかに頬に血の色を上らせた少年をライソンは見つめた。少しばかり困ってしまう。こんな時、エリンが子供の相手は苦手だ、と言い続けている気持ちがよくわかる。
「あのな、坊主。勇気って、なんだかわかるか」
「わかります。敵を前にして逃げたり、戦うことを恐れたりしないってことです。たとえ死を覚悟しても戦い抜く、それこそが勇気だと思います」
「そりゃ見当違いだな」
 まさか傭兵隊の隊長だった人にそのようなことを言われるとは思ってもいなかった。少年の顔にありありと書いてあってライソンは内心で微笑ましくなってしまった。
「俺ら元狼だって、戦うのは怖い。傭兵だって死ぬのは嫌だからな」
「そんな――!」
「坊主。戦わなくていいときに戦いを避けるのを智慧って言うんだ。それでも戦わなきゃならないときに戦うことを勇気って言うんだ。むやみやたらに暴力振るうのはただの馬鹿って言うんだぜ?」
 ライソンの言葉に少年がまたも青ざめる。そしてそのまま返答もせずくるりと背を返して走り去った。ライソンは黙って肩をすくめ、学校の扉をくぐる。エリンはいつもどおり執務室にいるだろう。
「よう、そろそろ帰らねぇか?」
 案の定だった。難しい顔をして机の前で書類を睨んでいる。が、普段通りというには顔色がよくない。まるで先ほどの少年のようだった。
「エリン。なんかあったか?」
「あー。まー。わかるか?」
「あんたと何年一緒にいると思ってる。それくらいわかんねぇ俺だと思ったか」
 嘯けば小さく笑うエリン。ほんの少しでもエリンの気分がよくなるならば充分だとライソンは思う。机越し、手を伸ばせばエリンの金の髪。今にも落ちようとする夕陽の赤さに染まっていた。
「……ちょっとな、問題児がいてよ。どうにもならねぇ。放校するしかなかった」
 本当ならば導きたかったのだ、と後悔がありあり窺えるエリンの声だった。至らない自分のせいで、子供の将来を歪めてしまったのではないかと恐れ怯えるエリンを、いったい誰が知っていることだろう。
「問題児?」
「問題っつーかなぁ。元狼含めて評判がよくなった弊害ってやつだな」
 一昨年に起きた国境の村奪還戦。あの戦闘によって暁の狼を母体とした隊の強さ、魔術師の有用さがイーサウに伝わった。正に熱狂的と言える勢いで元暁の狼――現在でも狼隊、と呼ばれてはいるがすでに傭兵ではないのだからそれはどうなのか、という声もないわけではない――は、あっという間に新兵が増えて最盛期に達する人数を抱えることになった。自警団も同様でいつになく潤っている。
 エリンの魔法学院も同じだった。イーサウからはほんの少数だけが入学していたものを、あれよあれよという有様で子供が増えた。授業をするにも部屋数が足りず建て増しをしたほど。
「ん? それ、もしかしたら今そこで会ったやつのことかもな」
 ライソンが直前の出来事を語って聞かせればエリンが溜息をつく。これ以上ない明確な返答だった。
「戦うのは間違ってねぇよ。それ自体は否定しねぇ」
「でもなぁ。あんたら魔術師がそればっかりってなぁ、どうなんだよ?」
「ライソン――」
 驚いてエリンは顔を上げる。そこには穏やかに微笑むライソンがいた。胸の奥を鷲掴みにされた、そんな気がした。
「どうかしたか?」
「いや……、そのとおりなんだがよ。兵隊に言われるとは思ってなかったぜ」
「俺は傭兵崩れの兵隊だけどよ。あんたの隣にいるんだぜ?」
 ふふん、と鼻を鳴らすライソンに、いつにない愛情を覚え、そのことにエリンはほんのりと赤面する。慌てて窓の外へと視線を投げた。
「……俺ら魔術師は、魔道を歩くことそのものが情熱であるべきなんだ。結果として、戦うことはある。結果として、武力を持つことはある。でも、それが一義になるわけにゃいかねぇんだ。そういうの、なんて言うか知ってるか。狂った魔術師って言うんだ。そうなっちまったら狂犬と一緒だ。討伐するよりねぇ。お前らだってよ、頭おかしくなったやつが剣持ってたら危ねぇと思うだろ」
「兵隊だったら昏倒させて剣を奪えばいいけどなぁ」
「そこなんだよな。魔術師は自分に力の源がある。知識は奪えねぇ。だからこそ、危険の芽は摘まなくっちゃならねぇ」
 長い溜息だった。ライソンはこんなことを語るエリンと言うのは自分一人のものだと知っている。深刻な話題であるにもかかわらず、だから感じたのは嬉しさ以外の何物でもない。
「難しいもんだぜ。だからガキの相手は嫌だって言ってんだ、俺はよ」
 もしかしたら、自分でなかったならば、あるいはあの少年も導くことができたかもしれない。その悔いがあるからこそ、子供の相手はしたくない、とエリンは言う。自らの限界を知るからの言葉。だがライソンは首をかしげた。
「あんたが育てられたみてぇにやってみりゃいいんじゃねぇの?」
 星花宮で過ごした日々。幼いころから一流の師に囲まれて育ったエリンだ。その師たちから独立を許されたエリンは、彼らに勝るはずもない――エリンは言う。敬意をこめて人外だ、と。ライソンも同感だ――がそう劣るわけでもない。ライソンはそう思っている。エリンは黙って肩をすくめた。
「あのな、ライソンよ。うちの師匠たちの教育が普通だと思うか?」
 あまりにもしみじみとした声だった。うっかりとうなずきたくなってしまうほど、達観した声。ライソンは笑いだす。
「教育は普通じゃなくっても、あんたは普通に育ってんだろうがよ。まともな魔術師になってんだぜ? 検討してみたらどうよ?」
「あれはなぁ……さすがに実践するには可哀想でなぁ」
 ライソンは彼の幼いころの教育がどのようなものだったかは知らない。だが、エリンの弱みになるほどの優しさはいま知った。
 かつての厳しい日々をエリンは思っている。自分には耐えられた教えが、イーサウの子供たちに耐えられるかどうかはわからない。ゆえに、ためらってしまう。
 子供を苦手だ、というエリンは、だから誰よりも子供を慈しんでいるのかもしれない。そんなことをライソンは思う。
「エリン。うちの新兵を見てても思うんだ。隊長んとこのガキなんかよけいにそうだな」
 狼隊の新兵は若くともれっきとした大人が入ってくる。だがコグサが営む兵学校は、その名の通り学校だ。当然教えを受けるのは子供。
「子供ってなぁ、けっこう丈夫だぜ。俺が若ぇころのこと考えてもそうだな。あんたおっかけて、ずいぶん無茶もしたし、かなりへこまされもした。でも全然こたえなかったからな」
「おい!?」
「昔話だってーの」
 にやりと笑うライソンにエリンはうつむいて文句を言う。それほど酷く扱った覚えが――無きにしも非ず、と思わなくもない。
「あんたも、あんたの元同僚も、まともな魔術師になってる。ってことは、星花宮の教育は間違ってねぇってことだ。だったら先人の智慧に倣うってのは恥ずかしいことでもなんでもねぇと俺は思うぜ」
「――ちょっとこっち来いや」
 言い様にひょい、と手を伸ばす。無理矢理に机越し、ライソンの頭を掴んだ。すぐ目の前で察しているのだろうライソンが苦笑している。有無を言わせず噛みつくようにくちづければ、唇が小さく笑った気配がした。
「笑うんじゃねぇ。失礼な野郎だな」
「そりゃ悪かった。あんまり可愛くってどうしようかと思ったぜ」
「うっせぇわ!」
 声を荒らげても、掌の中だとの思い。それがくすぐったくって心地よくて、どうにも困ってしまう。エリンは視線をそらしてもぞもぞと動いていた。まるでただ座り心地が悪くて位置を直している、と言いたげな顔をして。
「――そっちは、どうなんだよ」
 二年の間に、当時の新兵は使い物になっているはずではある。だが年々入ってくる兵はいないわけがない。
「まぁね。剣をぶん回して戦いたいばっかりのお馬鹿さんはどこにでもいるぜ? 幸いうちは軍隊だからな。きっちり絞って考えを改めさせるぜ。剣ぶん回せば敵が死ぬ、なんて料簡起こす馬鹿はそう長続きはしねぇしな」
「長続きしてもらわなきゃ困るんじゃねぇの?」
「おやおや元青き竜の魔術師さんとは思えねぇな、エリン」
 からかわれてエリンは嫌な顔をする。以前は元竜と言われることが嫌だった。否が応でも思い出す、フィンレイを。いまもまだ思い出しはする。けれど懐かしい思い出になりつつあった。
「使えねぇ馬鹿がいると隊の生存率が下がんだよ、馬鹿はやめてくれた方が身の安全ってもんだ」
「体で覚えねぇほどならもうだめってやつか」
「そういうこと。その辺が魔術師との違いだよな。あんたらは言って聞かせなきゃならねぇぶん大変だと思うぜ」
「……星花宮風に行くかな、俺も」
 ライソンの同情にエリンは呟く。確かにライソンは言った、星花宮の教育でエリンは正しい魔道を歩いているとは。だがもしかしたらイーサウの子供にはいささか厳しいことになるのかもしれない。この瞬間、ライソンは悟ってはほんの少しばかり申し訳ない気持ちになる。だが結果として、それが正しい道になることをもまた、確信していた。なんと言ってもエリンなのだから。
「とりあえず何はともあれ進むしかねぇしよ。馬鹿はとにかく進んどけ。――うん、まったくそのとおりだな。悩むだけ無駄だ。とりあえずやって駄目なら他の方法にする。それしかねぇもんな」
 氷帝フェリクスが師である黒衣の魔導師に言われた台詞、らしい。ライソンは伝聞でしかないのだがどことなく歪んで伝わっている気がしなくもない。それでもエリンの顔色がよくなった。それですべては問題ない。ライソンはエリンの手を取り軽く彼の唇をついばんだ。




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