陽動隊に加わっているエリンは舌打ちをこらえきれなかった。自警団が騒ぎでも起こしたのだろう。配置につくより先に正面の自軍が発見されてしまった。 「戻りますぜ、エリンさん」 「あいよ」 「ついてこらんなかったら置いてきますからね」 にやりとする熟練兵を悪戯にエリンは睨む。そして歴戦の傭兵と遜色ない足取りで素早く元の道をたどりはじめた。 「見つけた」 「素人だな。行くぜ」 口々に言う傭兵に、エリンは反対はしない。むしろ彼らの意を汲むよう、魔法を詠唱し待機させる。走り出した傭兵の一人が鋭く口笛を吹いた。 「遅れるな!」 茂みから、訓練された彼らの馬が飛び出してくる。全員が自らの愛馬を間違うことなく手綱を取り、馬の足を止めもせずに飛び乗る。 「へぇ、やるな。あんた」 「舐めんな。昔は傭兵だったんだぜ、これでもよ」 「聞いてるよ。竜だって? 頼りにしてるぜ、魔術師さんよ」 「あいよ。任せ――とけ!」 言い様にエリンは魔法を放つ。眼前に敵の背中が迫っていた。まさかと思っていたのだろう、ラクルーサ兵の驚愕が手に取るようにわかる。エリンはそこへと向けて水の矢を放っていた。 師であるフェリクスの矢と違い、エリンの矢は水で構成されている。だが威力は変わらない。鋭く到達する水の威力、というものを常人は知らない。 あっという間のことだった。恐慌に陥っていたせいももちろんある。だがそれ以上にエリンだった。ラクルーサを出て十余年、さすがにもう自分の顔を知っている兵などいないだろうとは思うものの用心をして幻影をかけて顔を変えている。その上でエリンは次々と魔法を放つ。水の矢をはじめとした攻撃魔法の数々、敵兵の矢を防ぎ、剣を弾く防御魔法はさらに数多く。傭兵たちはアランの薫陶もあってかエリンの魔法に無言のうちに連携し、敵兵を沈めて行った。エリンの眼差しが遠くを見る。 「――来ました。行きますよ」 眼差しを受け取ったのはラクルーサ兵を挟んだ反対にいるはずのカレン。自警団が武者震いをし、剣を構える。そしてカレンは師の魔法を感覚し、自らもまた幻影をまとった。 「え……なに? なんだ、おい。あんた……」 「動揺すんな! 見た目が変わっただけでしょうが。私は私、カレンだっての。剣の持ち方も知らない乙女じゃあるまいし、なにびくついてんだか。行くぞ!」 一応は猫を被っていたカレンだったがここに及んでついに努力を放棄した。常の態度に戻りカレンは馬腹を蹴る。馬が嘶き駆けだした。 さすがに自警団員にも考える頭はあった。魔術師を先頭にするわけにはいかない程度のことは。カレンはほっと息をつき、わずかに下がる。それでもほとんど先頭だった。 「いたぞ、あそこだ! 突っ込め! 何も考えるな、訓練を思い出せ! あんたらは狼に訓練されたんだろうが!」 カレンの叱咤に団員が勢いづく。自分たちはあの狼に訓練をされた、狼は歴戦の傭兵隊だ。いまはずいぶん数が減っているなどと言うことは強いて忘れて団員はカレンに従う。 剣が血で汚れる。ぞっとしたものも確かにいた。何もこれが初めての戦闘と言うわけではない。イーサウはシャルマークの内にある。魔物討伐など日常茶飯事だ。だが、ラクルーサ兵を相手の戦闘はこれが初めて。そんな思いも次第に戦場の熱気に飲み込まれて行く。 「カレン!」 はっと横手を見れば、陽動隊がいた。当然のよう、エリンは先頭で剣を振るっている。水製の、師の剣の美しさに一瞬我を忘れそうになったカレンは勢い良く首を振った。 「あんた、馬鹿ですか。魔術師がなんで先頭にいるんですかい!?」 「お前にだけは言われたくねぇよ!」 思えば自分も気づかぬうちに先頭で魔法を放っていたカレンだった。そちらは見ないふりをして馬上で互いににやりと笑みをかわす。 そんな二人の魔術師に、自警団員は目を白黒とさせていた。どうやらカレンと、もう一方はエリンだろうと見当はつく。だが二人とも幻影のせいだろう、同じ顔をしていた。 その二人の姿が集団に巻き込まれた。自警団員はぞっとする。エリンの弟子を、もしかしたら乱戦で失ってしまったのかもしれない、と。 杞憂だった。すぐさま現れた二人の魔術師は自らの力でその場を切り抜け、そして互いの率いる隊へと戻ってくる。 「カレンちゃんかい?」 水の剣を持っていない方が、カレンのはずだ。恐る恐る尋ねる団員にカレンだろう魔術師は肩をすくめる。 「行くぜ」 続きだ、と言わんばかりに駆けだした。陽動隊のほうにも魔術師は戻り、彼らもまた戦闘に加わっている。狼の主力はすでに乱戦の中だ。一番の激闘部分で最も長くその場を支えている。 「お、陽動隊が追いついてきたぜ、アラン」 「遅かったなぁ。こっちはいい加減疲れてきたぜ。なぁ、隊長」 「ご冗談。まだまだいけるぜ。あぁ、あそこにエリンがいる。つーことは、あそこが一番だな」 水の剣の煌めきを目に留めたライソンがにやりと笑う。軽く片手を上げて狼を集合させる。その間にも当然、戦闘は続いていた。その中で陣形の再編成をやってのけるのだから、これぞ傭兵隊の面目躍如、というものだった。 「あの辺が脆いはずだぜ。うちの連中が魔術師を危険にさらすはずはねぇからよ」 ライソンが剣先で水の剣が光を弾いている辺りを示す。まさかエリンが先ほどまで先頭で剣を振るっていたとは思いもしないライソンだった。 「よし、潰すぞ」 隊長の声とともに狼の主力が戦闘を再開する。目標は水の剣。あの周囲こそ、敵の弱点のはず。突き進む主力を自警団が掩護し、そして陽動隊が攪乱にまわっていた。 それらのすべてが、確実に魔術師との連携の下で行われていた。ラクルーサ兵は恐怖する。眼前で魔法を使われたことがある者すら、少なくなっている事実をイーサウは知らない。魔術師とは非力で、剣で突けば死ぬものだ、との思い込みがある。だがこの魔術師たちは。自ら武装し、魔法を行使し、攻防両魔法を駆使して友軍の掩護までしてのける。 「……化け物!」 一人が喉に詰まったような声を上げた。震えた手が巧く剣を握れない。そんな懸念はすぐになくなった。自警団員に切り捨てられたその兵は、もう一切の懸念からは遠い場所にいた。 「ざけんな。誰が化け物だ。うちの仲間だっての!」 若い団員の声に、自警団員たちは魔術師の口許がほころんだのを見たような気がした。一瞬の目の惑い。きりりと引き締まった唇が、次の戦闘を示す。 「まだまだ残ってんぞ、ご馳走残しちゃ悪いだろうが!」 罵声に団員たちは苦笑をかわし、剣を握り直す。戦闘に入る前の恐怖がきれいさっぱり消えていた。力強い味方がいる。彼らを魔術師という。 遠くで水柱が上がった。巻き込まれたのだろう敵兵の悲鳴。大地が小規模の地滑りを起こし、風が刃となって敵を切り裂く。 「さすがに焼くのはまずいな。威力が強すぎる――上に制御がしにくいと来てる!」 咄嗟に現した水の膜は堅牢この上ない盾となる。それをもって自らの身を守り、嘯く。実際、水系の魔術師にとって火系の呪文は制御が難しい。行使するだけならば簡単だが、ここまで乱戦になってしまっていると自軍に被害を及ぼしかねない。 「なんだ、あれ!? カレンちゃん、あれなんだ!」 団員に指摘されるまでもなかった。凄まじい勢いで大地の上を水の流れが滑ってくる。まるで駆け抜ける水の蛇。敵兵がそれに足をからめとられ、次々と倒れて行く。 「おぉ、巧い。やるなぁ」 呟き、こちらも仕事をしようとばかり詠唱を開始し、放ったそれはもう一つの流れ。あちらが蛇ならば、こちらは竜か。抵抗をやめようとしない敵兵を流れに飲み込み気を失わせていく。 「終わったな」 ラクルーサ軍から旗が上がった。撤退を指示する旗、と知らないではない。にやりと笑って水流に飲み込んだ敵兵を丁寧に敵将の元まで届けてやる。 「いいのかい、カレンちゃん? あれ、捕虜とかじゃないのか」 「いらないっての。食わせるだけで出費だ」 「そりゃ。まぁ」 どことなく納得しがたい、そんな顔をしていた団員に肩をすくめて見せ、そして馬腹を蹴った。ライソンの掲げる剣がここからでも見えた。集合を伝えているそれに自警団もまた従う。 「おぉ、お疲れさん」 自警団が到着した時、すでに狼は陽動隊との合流を果たしていた。和気藹々とラクルーサ軍の撤退を見ている狼に、自警団は感嘆を隠せない。そして自分たちも遜色なく戦ったのだ、と誇りが湧き上がってくる。誇りの裏側にはかすかな羞恥。狼を、数が少ない程度のことで白眼視していた自分たちが恥ずかしかった。ぐっと拳を握り、背を伸ばす自警団員をライソンは横目で眺めてそっと微笑む。 「エリン。お嬢、帰ってきたぜ」 片手を上げ、陽動隊にいる彼を呼ぼうとすれば、どことなく苦笑された気がした。首をかしげるライソンの耳に届いたもの。 「あん? 俺、こっちだけど? へぇー、お前。彼氏の見分けがつかなかったりするわけだー。ふーん」 その忌々しい声はなぜか自警団の中から聞こえた。天を仰いでライソンは振り返る。そこに近づいてきた陽動隊にいた方の魔術師も見やれば、やはり同じ顔。だが陽動隊側は確かにエリンの剣を持っている。 「あのな、ライソン。剣なんてもんは持ち替えるってことができんだよ」 長々と溜息をつき、エリンとカレンは同時に幻影を解いた。大笑いしたくてたまらなかったカレンは我慢しきれなかったのだろう、もう吹き出している。 「なんでだよ!? え、お嬢。お前、陽動にいたの!?」 「師匠が急に代われって。悪戯するんだからたまったもんじゃねぇですよ。この剣だって、実戦で使うの、初めてですよ私」 「使えたんだからいいだろ。実戦てなぁ何よりの訓練だ」 なんでもないことのように言うエリンに、呆気にとられたのはカレンでもライソンでもなく自警団。呆然とエリンを見ている。 「……え? もしかして、あんたが俺らのほうについててくれたの? え? え?」 そのような危うさがあるからこそ、エリンは予定を変えて自警団の護衛にまわったのだ、とは彼は言わない。言わなくとも、何となく通じてしまった。自警団員は戦闘を振り返る。魔術師との連携の力強さを。そのありがたさを。そして人員減少がなんだというのか。暁の狼の真価をその目で見た。 「すげぇ。魔術師強ぇ。傭兵隊、すげぇ」 若い団員の拙い言葉。戦闘の熱にまだあてられているのだろう。だがその言葉こそがイーサウ自警団員すべての心を物語っていた。 |