転換点は三年後に訪れた。その間、狼は人員減少に悩まされ、イーサウ自警団の白眼に耐え続けた。 「遠征をしていただきたい」 率直なヘッジの言葉が事態の深刻さを物語っていた。とはいえ、場所はエリンたちの自宅ではあったのだが。あるいはそれだけ公にはしにくい事情というものがあるのかもしれない。 「どこに?」 ライソンの鋭い声に同席しているコグサがそっと微笑む。長年、自分は隊長の器ではないと言い続けている彼だ。それなのにこんな時にはこんな声を出すようになった。 「ラクルーサ・シャルマーク間の国境付近に小さな村があります」 イーサウ自由都市連盟が確立された現在でも、なぜか人々はシャルマーク、と言う。そのほうが通じやすいからでもあるし、地域名として利用しているのかもしれない。 「その村をラクルーサ軍が囲んでいます」 「それで?」 「村は、連盟に加盟しています」 それで理由は充分だ、とヘッジは言う。これは戦争ではなく、自衛だと。ラクルーサの言い分としては、土地自体がラクルーサ王国内にかかっている。依って当該の村は王国の領土だ、ということらしい。ヘッジからおおよそのことを聞き終えてライソンはエリンを見る。 「どうする?」 「俺とカレン、アランは当然」 「多くねぇか?」 「自警団、出るんですよね、ヘッジさん? だったら見ておいた方がいい、魔術師の戦い方ってもんをな」 にやりとするエリンの顔がわずかに青ざめている。カレンも気づいたかもしれない。コグサは見なかった顔をしていた。 「――ただ、自警団を多くは出せん。自衛ではある。が、ラクルーサと事を構えるほどの実力がまだ我々にはない」 当然の言い分だった。ライソンもエリンもうなずいている。エリンとしてもラクルーサと全面戦争になどなられては困る。 「じゃ、すぐに出るか」 気楽に立ち上がったエリンにヘッジが驚いた顔をした。まさかと思ったらしい。だがエリンはかつて傭兵だった。星花宮時代も招集がかかればすぐさま出立するなどと言うことは多々あった。この手の行動は慣れている。 「ヘッジさん。自警団のほうは?」 どれくらいで準備ができるのか、とのライソンの問いにヘッジはできていると答えてライソンを安堵させた。そしてライソンはコグサに後を頼む。本当ならば副隊長あたりに狼の巣を任せたいところではあるのだが、如何せん人数がいない。現状では全員率いるより他にない。 「すんませんが後をよろしくお願いします」 「あいよ、行って来い」 「なんだよ、コグサ。お前も行くって言うかと思ったぜ」 「冗談言ってんじゃねぇよ。俺ゃ校長先生だぜ。現役は退いた。あとはお前らがやれってんだ」 肩をすくめてコグサは言う。だがその声音に懸念があることも長い付き合いのエリンにはわかっている。大丈夫だ、と言うに言えずただ彼の肩を叩いた。 そうして狼と自警団はその村に急行した。さすがに狼が鍛えているだけあって自警団も遅れずについてくる。ただ、魔術師の同行には訝しげな顔をしてはいた。 「エリン。大丈夫か」 あと少しで到着する。そのころになってライソンがぼそりと問う。エリンは苦笑するしかない。気づかれているだろうとは思っていた。 「まぁな」 「あんた、出るの好きじゃねぇだろ」 まして自分との共闘だ、とライソンは思う。昔、恋人を失った情景が重なっていてもなんの不思議もない。 「戦争なんてもんはなきゃそれに越したこたぁねぇってのがようやくわかる年になったってことだ。腕は上がるがよ、失うもんが多すぎらぁな。でもまぁ、ここらへんで俺らの力量ってもんを知らしめといた方が効果的だからよ」 馬上で器用に肩をすくめる。先頭を行く二人のすぐ後ろにはカレンが馬をつけていた。おかげで聞かれたくない話が他に漏れることもない。 「自警団か……。あんたらと戦うの、はじめてなんだよな。やべぇな、怖ぇわ、俺」 魔術師と共に戦うのに自警団は慣れていない。一応、訓練自体はアランが加わって魔術師とはいかなる戦い方をするものなのかを見せてはいる。が、実戦ではない。 「恐慌状態に陥るのだけは勘弁してほしいもんだぜ」 「同感」 短い言葉でライソンが同意する。おかげで自警団の訓練不足がエリンには察しがついてしまって、そちらのほうがいっそ怖いほど。 「おい、カレン」 ひょい、と首だけ振り向けて弟子を見る。その実エリンの目は自警団員を見ていた。狼に比べて、緊張は隠せないでいる。傭兵だとて緊張してはいる。歴戦の兵であっても、それは同じだ。だが彼らはそれを笑い飛ばし余裕のふりをすることに長けている。自警団員はそこまでの心境にはなれないらしい。 「なんすか、師匠」 「俺は狼につく。お前は自警団な?」 「はい? 師匠は後方じゃないんですかい。狼はアランさんだと思ってましたけど」 「現場に行ってみねぇとなんとも言えねぇがな。俺とアランで村の正面と裏手を挟む。まぁ、どっちかが陽動だな」 「つーことは、あんたが裏手か。派手にやってくれると楽なんだがな」 「楽しようとすんじゃねぇよ」 笑いつつエリンはライソンの肩先に手を伸ばす。軽く叩けばからりと上がる笑い声。カレンが処置なしとばかり肩をすくめた。 「だったら私と自警団は?」 「んー、見学?」 まるで遠足にでも行くような気楽さのエリンにさすがにカレンは声を荒らげた。そのことでエリンは気づく。カレンもまた実戦経験の少ない若い魔術師なのだと。 「お前な、隊商の護衛と大差ねぇよ、心配すんな。包囲戦らしいがな、相手は大軍じゃねぇ。気楽に行けよ」 「行けませんよ、そんな。……だって、護衛だったら実戦になること、少ないじゃないですか」 「一々なってたら護衛失格だってーの。まぁな、だからよ、カレン。お前と自警団は目を養うために連れてきたようなもんだ」 「とはいえ、働いてはもらうからな、お嬢? 俺らだけじゃさすがに村一つ解放すんのは無茶だぜ。狼が前後から突っ込んだら、相手の目がこっちに向く。間違いなく混乱するからな、それに合わせて自警団を雪崩れ込ませるって辺りか」 「でも、そんなこと言われても――」 「気にすんな、いつ突っ込むかは俺が指示する。お前は耳だけ澄ませとけよ」 精神を接触させることで会話する、魔術師だけの方法はこのようなときに非常に便利だ。しかも声が届く範囲より遥かに到達距離が長い。カレンが緊張しつつこくりとうなずいた。 村はエリンが予想した通りの配置でラクルーサ軍に囲まれていた。ライソンは魔術師の地理に対する知識にも舌を巻くことになる。エリンに言わせれば単なる好奇心、とのことらしいが。 「アラン、どうする?」 小高い場所に登り、アランと共にエリンは村を俯瞰していた。魔力は劣るものの、技術的にアランは一流だ。カレンよりよほど頼りになる。 「少ないですね、あちらさんは」 アランは首をかしげていた。確かにラクルーサ軍、というよりラクルーサ王国内の領主の軍、と言った方がいい程度の数しかいない。だが紛れもなくラクルーサ王国軍だった。すでに水鏡で紋章の類を確かめている。 「エリン、魔術師がいると思います?」 アランの問いにエリンはにやりと笑うことで答えに代えた。それにアランも破顔する。ラクルーサ軍に、魔術師はいなかった。 ある意味では、当然。当代のラクルーサ王アレクサンダーは魔術師を憎み嫌っている。ならば魔術師が軍に同行しているはずもない。 「はじめてみたいだがな」 「そうなんですか?」 「おうよ。一応、俺はあっちにダチがいくらでもいるからよ。終わった作戦の話なら結構聞くぜ? だからな、これはラクルーサ王が魔術師抜きでやれるってことを証立ててぇ戦いなんだろうよ」 「叩きますか?」 「木端微塵にな」 楽しげな二人の魔術師の会話を少し後ろでライソンが苦笑しつつ聞いている。ラクルーサとの関係を考えればあまり派手なことはしてほしくないのだが、自警団の教育という意味では派手にしてほしい。中々悩ましい事態だった。エリンとしてはここで魔術師の有用さをラクルーサに知らしめることで星花宮の地位保全の一助になれば、との思いもあるのだろう。 「一応は俺は面が割れてるからな、幻影はかけるけどよ、俺は裏手で暴れる方がいいな」 「だったら俺が正面を受け持ちましょう。隊長、あんたはどっちにつく?」 「そりゃ、正面だろ。つか、隊長はやめろ」 嫌そうな顔のライソンをアランはからかっているだけだ。長年の友人の指揮に不安はない。指揮する立場になった友人を手の届く限り助けたい、その意思の表れでもあった。 「じゃあ、狼の主力が正面。その少し後ろに自警団。裏手に狼の陽動隊。それでいいな?」 「はーい、隊長。作戦はどのようなものでしょーか」 「突撃。殲滅。解放。以上」 「簡素極まりないね、間違えようがない。いい作戦だ」 にやりとするアランの冗談を聞かないふりをしてライソンは丘を降りる。自警団がざわめいているのが少し前から聞こえていた。 「あれ、使えんのかなぁ」 戦闘行為に慣れていない、というのがなにより怖い。逆に、幸せなことなのだろうとも思う。人生の半分以上を戦場で過ごしている傭兵にはわからない。 「慣れさせねぇと危ねぇだろうがよ」 エリンの笑い声にライソンは肩をすくめた。慣れないで過ごせるならば、それは楽園と言うのかもしれない。そんなことを思いつつ。 「お嬢、頼んだぜ」 緊張するカレンにも声をかけ、ライソンは騎乗する。すでにエリンにつける兵の選出は済んでいる。ライソンの目配せを受け、彼らはそっと村の裏手へと進みはじめた。陽動隊が配置につくのをじりじりと待つ。 「おい、お嬢ちゃん。あんたで大丈夫なんだろうな」 ライソンがお嬢、などと呼ぶものだから自警団員まで真似をする。それがカレンには不快だ。侮られているような気すらした。 「私はあなたがたの護衛じゃないですからね。あなたがたは戦闘集団だ。ちゃんと働いてくださいよ」 言いつつカレンはさっと魔法を発動させた。すでに戦闘は始まっていた。陽動がはじまるより先に、自警団の騒ぎに気づかれこちらを発見されてしまった。ライソン率いる狼が吶喊する。それに合わせて飛んでくる矢を、カレンはほんのわずかな詠唱で防いで見せた。侮りが感嘆に変化する。緊張ゆえの蒼白が、武者震いへと移行する。後はエリンの合図を待つだけだった。 |