イーサウ自由都市連盟の初代議長に選出されたヘッジ・サマルガードは多忙だった。その忙しいヘッジを三日三晩の激論の末、エリンとライソンは納得させた。
「だから、要するに自警団は自警団。いままでと大して変わりゃしませんて。俺ら狼もそうだ。狼が今後、自警団のなんつーかな、教導隊とでも言えばいい? そうやって自警団の訓練も請け負う。で、報酬制じゃなくて、イーサウに組み込まれる」
「それに、狼はなんの利益があるのかね」
「暇が潰せる」
 にやりと笑ったライソンをヘッジは睨み据える。真面目になれ、というところなのだろうがいい加減に疲れてきている。
「こっちの話も忘れてもらっちゃ困るぜ、ヘッジさん。魔法学院はイーサウの才能ある子供を受け入れる。それは同意を得た、と思ってもらっていいのかい?」
「それにも同じ問いをする。魔法学院にどんな利益がある?」
 これをもうすでに三日繰り返している。そのたびにエリンもライソンも説明をするのだがヘッジはどうにも納得しがたいらしい。
「ヘッジさん。俺らは別にあんたを嵌めようってわけじゃねぇんだ。その辺は飲み込んでもらえると思うんだがな」
 苦笑するエリンにヘッジもまた苦笑を返す。関係は深いものの親しいわけでもない。むしろ慣れ合うことだけはすまい、と互いに戒めているような関係だ。エリンはイーサウに貸しがある。ヘッジも借りだ、と思っている。だからこそ、それを口に出してしまっては破綻する。互いにそれを理解していたのは僥倖だった。
「いままでのやり方じゃ、衰退するだけだってのは、わかってもらえるかな? 俺は今んところ魔術師のなりかけしか受け入れてねぇ。でも、これはイーサウに利があることじゃねぇだろ? イーサウ出身者で魔法を使えるのがいたら、けっこう便利だと思うんだがな」
「君のところの魔術師を私は信用しているよ」
「信用してもらって構わねぇよ。――あんたは魔法に利益を見ねぇか?」
「見ている。だからこそ、魔法学院の設立を許可したじゃないか」
「だろ。だったら、今後五十年、百年先のことを考えてくれ。俺が死んだ後でも俺の魔法の血脈は続いて行くはずだ。その時に俺の後継者がここイーサウで教える気になる環境を作っときてぇんだよ」
「それほどイーサウが気に入ってるかね?」
「第二の故郷程度にはね」
 にやりとしたエリンの言葉にようやくヘッジの口許がほころぶ。どうやら意外と浪漫的な男らしい。おかげでライソンも攻め口が見えた。
「狼もですよ、ヘッジさん。ここんところ、俺がしてる仕事は隊商の護衛に魔物退治ばっかりだ。だったらね、いっそイーサウの人間になっちまってもいいんじゃねぇかと思うんですよ。お互いに給金面での折り合いもつかねぇわけじゃねぇし、俺らにも故郷ができる。――傭兵ってのは落ち着き場所が欲しいもんなんですよ。まぁ、ある程度の年齢になるとね。若いのは出てくでしょうがね」
 率直に狼の員数が減る可能性もライソンは指摘する。隠し事はヘッジには禁物だ。かえって信頼を失う。
「減りはするが、それはつまり熟練者だけが残る、ということでもあると思っているのかい?」
「隊長としてはそうだろうってだけですよ。若いのはまだふらふらしてぇだろうから。でもいずれもしかしたら巣に戻ってくるかもしれませんよ」
 そのとき彼らは歴戦の熟練者となっているだろう。それを確保することがイーサウの自衛にかかわってくる。逆に二王国にとられるのは危険でもある。ヘッジは腕を組み唸る。
「――わかった。が、できるだけ穏やかに。喧伝したくはない」
「無論。俺も脛に傷持つ身だ。ラクルーサを刺激したくねぇ」
「ミルテシアもなにするかわかんねぇからな。静かに力を溜めるのが最適ってやつだ」
 にっと笑ったライソンがヘッジに手を差し出す。何か突如として心が軽くなった気がした、ヘッジは。暁の狼がイーサウに加わり、あるいはそれは軍と呼ぶ規模のものになる。エリンは幼いものを育てることで、百年後のイーサウに目を据えている。ヘッジの心を軽くしたもの、それはイーサウ繁栄の予感だったのかもしれない。ライソンの手を取ったヘッジのそれにエリンもまた手を重ねる。そして狼と魔法学院の行く末が決定した。
 その後も魔法学院のほうは平穏だった。数人ばかり、才能がありそうだ、というものを見つけたエリンは即座に勧誘し、入学させている。幾人かは断られたけれど、無理強いは初めからする気もない。
「まかせたぜ、カレン」
「ちょっと待ってください、師匠!? なに考えてんですか。私はまだ弟子ですよ!? 子供になに教えろって言うんですか!」
「お前が覚えてきたことを丁寧に教えてやりゃいいんだ。それだけだ」
「師匠……自分がやりたくないからって押しつけましたね?」
「さてな?」
 にんまりとするエリンだったが、本心は違う。いくらでも疑えばいいとは思っているが、カレンを案じるからこそ子供の教導を任せた。
 カレンは未熟ではあるが、すでにエリンの高弟と言っていい程度には魔法を使える。だが如何せん、人格が浅すぎる。子供を相手に苦闘することで、それに深みが出ることをエリンは期待している。同時に、物を教えるということはなにより本人の勉強になるとも思っている。それはエリン自身、この魔法学院の設立で実感し、経験してきたことでもあった。アランもそれを感じていたのだろう。積極的にエリンを支持し、カレンを説得してくれた。これでカレンの魔道も一歩進む。アランも以前に比べ更に技術が上がっている。すべては予定通り、と言いたいところではあった。実際はエリン一人では手が回らない、という情けない現実だったが。
 当初は文句を言っていたカレンだったが、子供たちから「カレンお姉ちゃん」などと慕われているうちにずいぶんと慣れたらしい。最近は積極的に子供にかかわるようになっている。
 問題は狼だった。ライソンが指摘したよう、兵が減った。それ自体は予測済みのことではあった。だがライソンもここまで減るとは思っていなかったらしい。今ではほとんど熟練者しか残っていない、という事態になっている。
「逆よりマシだよなぁ。新兵だけ、なんてことになったら目も当てられねぇ」
 隊長としてのライソンは暇を持て余す、という状況だ。熟練者はみな自分で自分の体を整える。いずれコグサの兵学校から若い兵が入ってくるだろうが、当面は彼らでやりくりするよりない。
「ライソン」
 カレンは子供に魔法で動く玩具を作ってやるのだ、と言って学校に残って工作中だった。魔法自体は簡単なものにして、子供が自分で作れるように工夫する、など言っていた。それもつまらなそうに、面倒くさそうに。エリンは笑いをこらえるのに苦労したほど。
「ん? どうした、エリン」
 だからいま家には二人きり。ライソンの好きな強い酒を少しばかり酒杯に注いで目の前に置く。若いころは揚げ菓子に茶ばかりだったライソンも、ずいぶん前にこの強い酒を覚えた。
「……俺のせいかな」
 隣に腰を下ろせば驚いたライソンの気配を感じる。とても顔を上げられなかった。狼が半壊している。イーサウ自警団ともいまだ巧く行っているとは言い難い。それもこれもみな。
「あんたのせいじゃねぇよ。なんだよ急に?」
「だってな」
「狼は、そういう時期だった。それだけだろ」
 言ってもエリンが納得するとはライソンも思っていない。あるいはエリンは自分の学校がある程度順調だからこそ、申し訳なくも思ってしまうのかもしれない。
 他人が聞けば意外過ぎるエリンの顔の一つだった。傍若無人、さすが氷帝の後継者と謳われるエリンだ。けれどその彼が不安も抱え、繊細な感受性をも持ちあわせているとは誰も思わない。いまもそうだった。うつむき加減のエリンは自らの膝の上で両手を組み、そればかりに目を落としている。その組み合わせた指が震えているなど、決してライソンの他には誰も信じない。
「――コグサにも、面目ねぇし」
 ぽつりと言う。思えばエリンは狼の設立当初からその成長を見てきたのだとライソンは気づく。青き竜が消滅し、暁の狼となって竜の核の部分が再生した、それを彼はどれほど心震わせて見てきたのだろう。
「隊長も同意してたぜ、知ってんだろ。イーサウと契約するってコグサ隊長が決めた段階で、今日の決着は見えてたようなもんだ。――少なくとも、いまの俺はそう思う」
「それだってな、俺がお前らを陥れ――」
「――たわけじゃねぇだろ。お互いに最善手で動いてた、そうだよな。エリン? できることをできるようにできる限りやった結果が今だ。ごちゃごちゃ言うなんてあんたらしくねぇぞ、おい」
「わかっちゃいるけどよ。でもコグサが作ってお前が育てた狼が……。なんか申しわけねぇんだよ、やっぱな」
「気にすんな。あれだ、なんつーの、傷んだ木の枝切ったりするだろ。んでもっと元気にするやつ。あれなんて言うんだ?」
「あ? なんだろ、切り戻し?」
「わかんね。まぁ、いいや。とりあえずそれな? 狼もそれなんだって、エリン。正直な、ここ十年くらいで雇ったやつらは昔の狼に比べて覇気が足らねぇと思っちゃいたんだぜ。でも、現状考えりゃ覇気はそれほど要らねぇしって我慢もしてた。なぜか出て行ったのはそういう連中なんだけどな」
 ライソンの若いころと、現在のその年頃の兵を比べればエリンとしても歴然と差があると思わざるを得なかった。それでも員数が減った、という事実までは変わらない。
「エリン、考えてみろ。いまいる狼は、狼の精鋭だぜ。うちの最良の部分だけを集めて固めたのがいまの兵だ。数は足らねぇ、それは否定しない。でももしかしたら一番強い」
 にやりとライソンが笑う。その笑みの力強さにエリンは騙されてもいいのかもしれない、そう思う。決してそのようなことはないだろう。数は力だ。それは変わらない。減った以上、戦力は落ちている。それでもライソンがそう言うのならば信じて騙されてもいい。むしろ騙されておけ、そう言外に告げてくれるライソンの思いこそをエリンは受け取る。
「ほんと……いい男んなったよな、お前」
「鍛えられてるからよ」
「俺のせいかよ?」
「その辺は全面的にあんたのせい。もうがりがり削られてすげぇ大変」
「お前な! なんだよ、もう。昔の可愛いお前はどこ行っちまったんだかな。平気で別れるとか脅すしよ」
「いつの話だいつの! 根に持ってやがるな?」
 ひょいと腕を伸ばしてエリンの体を抱え込む。まるで待ち構えていたかのよう、エリンはその中へと納まって小さく微笑む。悔いはある、できることがあったはずだとも思う。それでも進むしかない。励ましてくれるライソンの胸にエリンは憩う。
 カレンがそのときに戻ったのは、だから間が悪いとしか言いようがなかった。悲鳴を上げるでも頬を赤らめるでもないカレンを二人、笑えば睨まれて、それがさらに笑いを誘う。貴重な日常だった。




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