朝食の支度はカレン、と決まっているわけではない。できるときにできる方がすればいい、と考える師弟だ。強いて言えばライソンだけは回数が少ない。それは単にエリンが自分の作ったものを食べさせたい、と意外と可愛いことを考えているせいだ、とライソンは知っている。が、さすがに今日の朝食はカレンだった。
「おう、おはよう」
 気分よく目覚めたエリンが寝室から出てきたとき、すでに食事の準備は調っている。まるで出来上がるまで待っていたのではないかと疑いたくなるくらいの間の良さだった。
「おはようございます。どうです?」
「あぁ、すっきりした」
「……師匠。ご存じかどーか知りませんけどね。私も一応は若い娘なんですけど」
「あ? なに言ってんだ。俺はただ寝不足解消して気分いいって言ったんだぜ?」
 にんまりとするエリンにカレンが嫌な顔をする。その耳元がほんのりと赤らんでいて、まだまだエリンに口では勝てそうもない、とライソンは含み笑いを漏らす。
「ライソン」
「おうよ」
「悪いがな、あとでコグサに用がある。連絡つけといてくれ」
「晩でいいのか?」
 かまわない、というエリンにライソンもうなずいた。つまりそれはこの家に呼んでいい、ということなのだろう。カレンが首をかしげ、出かけていましょうか、などと言うのにエリンは黙って首を振った。
「――てなわけで、俺もエリンの用事ってのを知りませんがね」
 夕刻。理由も知らされずに呼びつけられたコグサは若干不機嫌だ。そっぽを向いてエリンを横目で睨んでいる。
「悪いな、コグサ」
 軽く詫びつつ、それでも夕食はエリンの手製。悪いとは思っているらしい。いまだ独身のコグサだ。それなりに遊び相手はいくらでもいるのだろうが、家庭料理となると縁がない。それを知るからこそのもてなし。気づいてしまったライソン一人が小さく微笑む。
「で。用事はなんなんだよ、え?」
 ぶっきらぼうな問いは食後のこと。さすがに深刻な話題だとわかっているのだろう。食べながらでは味も何もわからなくなってしまう。コグサもそのあたりは飲み込んでいてありがたく旨い夕食を心行くまで食べる。もっとも、この旨い、というところが癇に障りもする。男友達の手料理が旨い、と思うほど貧しい己の食生活を思ってしまうからこそ。あるいはエリンはそれを見越して多少はからかっているのかもしれなかった。
「……カロル師が、亡くなったのは聞いたか?」
 エリンの声にコグサは黙ってうなずき、目でライソンを示す。ライソンも黙って伝えておいた、とうなずいた。
「――俺は、これからイーサウに近づく」
「はい? どう言う意味だ」
「……師匠の内心なんざぁわかったもんじゃねぇ。だからこれは俺の一存だ」
 エリンの断りに、コグサもライソンもフェリクスの示唆を読み取る。万が一の際、師に類を及ぼすことのないようにとのエリンの心をも。カレンが呆れて溜息をついた。
「そもそも俺がイーサウにいるのは、師匠の布石だ。だったら、もう一歩推し進める。俺は、俺と俺が育てた魔術師が、イーサウになくてはならない戦力だ、とわからせる」
「いいのか、エリン」
「よくねぇよ。全然よくねぇよ。ほんとだったら帰りてぇ。あぁ、そりゃ本音だ。でも帰ってもどうにもならん。師匠の足手まといになるだけだ。だったらこっちで働く方がよっぽどマシだ」
 ライソンの言葉にエリンはがりがりと頭をかきむしりながら答える。どれほどフェリクスを案じているか。いま星花宮がどうなっているか。かつての仲間たちは順調でいるのか。不安で仕方ないエリンの表情。コグサが厳しい顔をした。
「それを俺になぜ言う」
「お前を巻き込みてぇからだ」
「おい!」
「考えろ、コグサ。いま、お前が作った狼はどうしてる。ほとんど隊商の護衛か魔物狩りだ。傭兵らしい傭兵の仕事なんぞしてねぇだろうが。別に戦争だけしてりゃいいってもんでもねぇけどよ」
「死なねぇんだから御の字ってもんだろうが」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ。おいコグサ。傭兵ってのは高くつくんだよ。イーサウがいつまで馬鹿高ぇ給金払っててめぇら雇うと思ってんだ」
「俺は雇われ――」
「うっせぇ。お前込みだ込み。なんでかわかるか、コグサ。お前の育てた兵が、狼に入ってっからだ。自警団より狼に入る。どうしてかわかるか」
「……そりゃ、稼ぎがいいからな」
「だろうがよ。似たような仕事しかしてねぇのに狼は金食い虫なんだよ。――悪いな、ライソン。でも事実だろ?」
「ま、それが傭兵隊ってもんだしな。別にいいぜ。つか、俺もそろそろイーサウと交渉する時期かと思ってたからな」
「例えば?」
 鋭い問いはエリンとコグサが同時に。ちらりとカレンが笑う。人数分の茶を淹れ直し、カレンは興味深げに彼らの話を聞いていた。
「いっそ、俺らを自警団にしねぇかってな。まぁ、大雑把に言やそんなとこだな」
「ん、なんだ? 例えばだがよ。イーサウ自警団狼部隊、みたいにして恒久的に組織に組み込んで雇え、みたいなことか」
「うい、隊長。そのとおり。最近じゃマジで戦闘はねぇから。そろそろヘッジさんから言ってくるかなと思ってましたからね」
 イーサウは数年をかけて周辺都市と同盟を築き上げている。その際に多少の戦闘行為がないわけでもなかった。ほぼすべての都市と同盟が結ばれている今、戦闘がないのはある意味では当然というもの。
「エリンが考えてんのも、そう言うことか?」
「あのなぁ。俺が深刻ぶってんのが馬鹿らしくなんだろうがよ。なんでそんなこと考えてんだって言ってくれねぇわけ?」
「いや、別に。特に言う意味もねぇかと」
「ある。あった。つーかなくても言え」
「はいはい。で、なに? エリンが考えてんのもそう言うことかよ?」
 こんな時、コグサはあの純朴な少年がずいぶんと大人になったものだと思う。幾許かの頭痛は致し方ないものではあったが、嬉しくないこともない。多少は複雑なのだけれど。
「まぁ、だいたいな。今んとこ、うちの学校に来てんのは半人前の魔術師だ。最低限、なんの心得もねぇガキが入ってくることは今現在はねぇ。それを、変える。ヘッジと話つけてイーサウのガキを入れようかと思ってる」
「大丈夫なのかよ、あんた子供苦手だろうが」
「好き嫌い言ってられる場合じゃなくなったってことだ」
 カロルが死んだ。星花宮四魔導師の一角が崩れた。殊の外カロルを恐怖していたあのアレクサンダー王がどう出るか。エリンの恐れはその一点に尽きると言って過言ではない。
「ラクルーサ王は、魔術師嫌いだからな」
 コグサがにやりとする。エリンの考えを察したのだろう。察した上で、彼がいまイーサウに作った足場を更に強固なものにしようと努力をはじめたことも気づいた。
「相変わらず師匠贔屓だな、お前は」
「あ、なんのことだよ?」
「氷帝になんかあったら逃げてくる場所が作りてぇってことだろ、要するによ」
「……うっせ」
 あらぬ方を見やって吐きだしたエリンにカレンが吹き出す。どうしたのか、とコグサの目顔の問いにライソンまで笑った。
「……いや、つい昨日にね、そんな話をしまして」
「ライソンさんに魔術師の師弟は馬鹿みたいに仲がいいってからかわれたところだったんで。ね、師匠。仲いいですよね?」
「おい――」
「私と師匠じゃなくて、師匠とフェリクス師ですからね。ほんっと、ライソンさん。妬いた方がいいですよ。なんか妖しいから、これ」
 エリンが抗議の声を上げるのを気にも留めずライソンは大きく笑う。コグサは呆れた、とばかり両手を上げていた。
「いやいや、お嬢。わかってねぇな? エリンが氷帝に手ぇ出してみな。間違いなくタイラントさんに殺されんぜ、こいつ」
「……ライソン、やめろ。想像するだけでぞっとする」
「どっちが?」
「手ぇ出すのどうのってほうに決まってんだろ!? 世界中から男が消えてもあれだけはねぇ。ぜってぇにねぇ。断固として御免こうむる」
「師匠。一応は師匠も男の内なんですからね、そこで相手を同性に限定すんのもどうかと思いますけど?」
「うるせぇっての、ほっとけ。女にゃ興味ねぇんだよ。よかったな、カレン。お前が素っ裸でその辺ふらふらしててもなんとも思わねぇよ、俺はな。好きなだけ風呂上がりに裸でうろつけ」
「ちょっと師匠!? それじゃ私がそんな格好してるみたいじゃねぇですか!」
「してねぇとでも言うつもりか、お前は」
「そりゃたまたまですから! 着替えを持って行くのを忘れたとか、そんだけです」
「忘れる辺りで終わってんだ。安心しろ、お前に乙女のたしなみなんてぇもんは求めてねぇよ」
 まだ言い募ろうとするカレンだったが、ふとコグサの視線に気づく。気づかれたコグサは師弟に向かって深く長い溜息をついて見せた。
「話、戻していいか? そりゃよかった。あー、ほっとした。で、だな。聞きたいんだがよ、俺はなんで呼ばれたんだ。俺は誰がなにを言おうがいまは兵学校の校長先生だぞ。狼とは関係ねぇ」
「ライソンを説得すんのに協力してもらおうと思った」
「つまり?」
「こいつが俺に隠し事してたせいでお前は無駄足。責めるならライソンを責めろ。俺のせいじゃねぇ」
「……いや、隊長!? 俺だって知らねぇし! とりあえずエリンの旨い飯食えたってことで勘弁!」
「その飯が旨いのが腹立つんだよ!」
 思わず言ってしまったコグサを師弟が揃って笑う。先ほどまで言い合っていたはずが、ぴたりと妙に息が合う。そしてエリンと息が合うもう一人はいま。どうしていることだろうか。コグサは短くとも縁の深い付き合いであったフェリクスを思う。
「なぁ、エリン。金貯めようぜ。だって、ない方がいいけどよ、もし氷帝がこっちに来るようなことがあったら、家がいるだろ。俺、さすがに氷帝と同居は勘弁だぜ」
「――目一杯いびられるぞ、お前」
「だろ。だから金貯めて、氷帝に家買ってやろうぜ。タイラントさんと氷帝の愛の巣ってやつ。――ないことを願っちゃいるけどよ」
 そっとエリンが目を伏せた。フェリクスがイーサウに避難するのは最悪の場合。だからこそ無駄になる金、なった方がいい金だとライソンもわかっている。わかっていてあえてそう言ってくれる気持ちがなによりありがたかった。




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