きちんと食べてきちんと寝る。いささか常人とは生活時間が違おうとも、それが魔術師としてもたしなみだとエリンは思っている。根本のところで、魔法とは体力だ。騎士辺りに言えば何を非力な魔術師が、と嗤われるだろうけれど、魔術師同士ならば深くうなずいてくれることだろう。
 だからこそ、体力を保つための努力だけは怠ってはならない。最後のところで信じられるのは己の体力だ。
 それがいま、悩むあまりにないがしろになっていた。これでは師の元になど駆けつけられない。未熟を謗られて叱責されるだけだ。それでも覚悟が決まるようで、決まらない。溜息を一つ。
「ライソン」
「なんだよ?」
 ゆったりと床に膝をついたまま自分の体を抱いていてくれているライソンの腕。逞しい鍛えた男の体のぬくもりに安堵を覚える。が、まだ足らなかった。
「しようぜ」
「はい?」
「だから、しようぜ」
 ひょい、というには鈍い動作でエリンはライソンの首を腕で巻く。にたりと笑えば彼の渋い顔。それにエリンは心からの笑みを零す。
「あんたな。体力ねぇんだろうが」
 ろくに食べてもいない。このぶんでは睡眠も足りていない。そのエリンが何を言い出したのか、とライソンは溜息をつく。
「今更やりたい盛りの若造でもねぇぞ、おい。とりあえず帰って食って寝ろ。話はそれからだ」
「だからな、俺は寝てぇの。わかる? 寝てぇから、疲れさせろ。頭ん中ぐるぐるしてて寝れねぇんだっての」
「んな無茶な」
 言いつつライソンは笑ってしまった。それが敗北のきっかけ。エリンの藍色の眼差しに捉えられた、と思ったときには知らずくちづけている。
「――なんか、すげぇ調教されてる気がすんの、俺の気のせい?」
 眼差し一つ。ただそれだけで煽られてしまった自分が照れくさくて言えばエリンが微笑んでいる。わずかに仰のいた顎先にくちづければ上がる嬉しそうな声。
「エリン――」
「帰らねぇ。ここでいい」
「あんたな。俺まだなんにも言ってねぇだろ」
「言う気だったくせになに言ってやがる。ここでいい――ライソン」
 艶を帯びたエリンの声。ぞくりとしてライソンは彼の首筋を指先でたどり、貪るようそこに唇を這わせる。その頭を強引に引きはがされた。
「なんだよ?」
「食わせろ」
「はい?」
 なにか、と問う間もない。強烈なくちづけ。絡み合うというより正に食われるかとライソンは思った。それが不思議と歓喜に繋がる。
「腹減った。もっと」
「あんたは魔物か。頭からばりばり行く気かよ」
「魔物かどうか確かめろよ」
 にんまりとしたエリンが、自らの唇に指で触れる。月明かりしかないこの執務室に、エリンの唇だけがひどく、赤い。惑わされるようライソンのくちづけ。軽く唇を噛めば甘い声。
 そのエリンの体をあえて突き放し、ライソンは彼の着ているものを剥ぎ取った。身をくねらせて逃げようとするエリンの口許が笑っている。
「おい!」
 エリンが体を返したのをいいことに、ライソンはソファの背にエリンの体を押しつけ、そのまま背後から彼を抱きすくめる。まるで動けないエリンが上げた驚愕の声すら、ライソンには甘ったるく聞こえた。
「確かめんだろ、魔物じゃねぇのかをよ?」
 鼻で笑いライソンはエリンの背中に舌を這わせた。ぞくりと彼が身を震わせたのを感じる。まだ脱いでもいないライソンの服が当たる感触すら、エリンに刺激を与えていた。
「……ライソン」
 ねだるようなその声に、ライソンは服の前だけをくつろげる。もう一度抱きすくめれば、わずかにライソンの肌を感じたのだろうエリンの体から力が抜ける。
「もっと? ソファ、汚しちまうかもよ? いいのかよ、仕事に差し支えんじゃねぇの」
「言うな――!」
「学生たちになんか気づかれたりしてな?」
 笑うライソンの手がエリンの前に伸びる。はっとしてそれでも逃げようとするエリンに逃げ場など疾うにない。かろうじて声を抑えて唇を噛んだ気配。ライソンの忍び笑いに霞んで消えた。
「エリン。油」
「無茶……言うな!」
「へぇ、できねぇの? そんな気持ちいい? 集中できねぇくらいに? この辺、感激しとくべき?」
 腕の中から聞こえてきたうなり声。あまりいたぶっては後が怖い。が、ライソンも止まらない。ほんの少し手を緩めれば、エリンが口の中で必死に何かを呟く。普段に比べれば圧倒的にたどたどしい詠唱。それがあまりにも愛おしくてライソンの口許には笑みが浮かぶ。くたり、エリンが力尽きては息をつく。
「まだまだ余裕ってか? だったらもっと励まねぇと悪いよな」
 嘯いてライソンはエリンが手の中に現した小さな油壷を奪い取る。とろりと掌にとってはエリンの後ろになすりつける。息を飲む彼の体にくちづければ、また跳ね上がる。
 充分に油を含ませればそれと悟ったエリンが力を抜く。そんな彼の姿に微笑んでライソンは指先をそこへと埋めた。途端に強張る彼の体。やめなかった。何度も往復を繰り返せば、すでに慣れた体だ、時を経ずして指へと絡みついてくる。
「ライソン……もういいから! さっさとこい! もう――」
 頭を振るエリンの首筋に、悪戯のよう息を吹きかければ体が跳ね上がる。そこが収縮し、さらに咥え込もうとする。意図しないその挙動にライソンも我慢ができなかった。問いもせず、突き込んだ。エリンの指がソファの背に食い込んでは爪を立てる。息もできず、ライソンを貪る。その彼の前に、再びライソンは手を回す。
「やめ……だめだ、ライソン。そこ、だめ……」
 うわごとのようなエリンの言葉に耳を貸しもせずライソンは前後を揺すり立て、上がる嬌声か悲鳴かわからないものを耳で味わう。
「汚しちゃまずいだろ。俺の手の中に――出せよ」
 エリンの耳にそんな言葉を注ぎ込めば、羞恥にだろう、さっと耳朶が赤らむ。あまりに美しくて、そのままライソンは体の動きを速めた。せわしげな息遣いだけが部屋に響く。それは互いを貪り合う音だった。

「お帰んなさい。――なんですか、そりゃ?」
 カレンが訝しげな顔をしてライソンの腕の荷物を窺う。それから肩をすくめて馬鹿らしげに溜息をついた。言うまでもない、眠るエリンだった。ライソンのマントに包まれ安らかな寝息を立てている。
「寝てたんだったら連れて帰ってこなくってもよかったでしょうに」
「寝てたんじゃねぇよ、寝かしたんだよ」
「……なるほどね」
 くん、とカレンが鼻を鳴らした。二人から漂う気配に気づかないはずもない。そんなカレンからライソンが照れくさげな目をして顔をそむける。
「あー、とりあえず置いてくるわ」
「飯、どうします?」
「食う。俺は腹減ってんだ」
「そりゃ、そーでしょーね」
 どう言う意味だお嬢。ぼそりと呟いて、けれどライソンは問い詰めはしなかった。相手はエリンの弟子だ。反撃のほうがよほど怖い。
「で、師匠。なんだったんです?」
 目の前には湯気を立てる夕食。カレンの手料理は絶品と言うわけではないが下手でもない。どことなくエリンの味に似ている気がして、ライソンは思うたびに笑いたくなる。
「悩み事が高じて寝不足ってやつ?」
「んでもって彼氏に寝かしてくれと。どんな馬鹿ですか、そりゃ」
「お前の師匠だよ、お嬢」
 笑って言えばカレンも笑う。この口の達者な娘がライソンは嫌いではない。若い娘らしいたしなみなど皆無だったけれど、半人前の魔術師、と思えば可愛いものだ。単に年若い友人、と思っていればいい。ライソンがそう思っているのを知っているかのよう、カレンもライソンに容赦ない口をきく。他人が見ればはらはらするようなやり取りだったが、エリンは一切それを咎めない。かえって楽しげに眺めているくらいだった。
「いい年して甘ったれって言うか。なんなんですかね、あの師匠は」
「そんなもんじゃね? お嬢には師匠でも、俺には彼氏だし」
「彼氏に甘えるって年でもないでしょうに」
「わかってねぇな。年なんざ関係ないっての。細かいこと気にしすぎなんじゃねぇの、お嬢は。年がどうのなんて言ってたらな、俺とエリンは下手すりゃ親子だぞ」
「あ……」
 このあたりが半人前の魔術師だ、とライソンは思う。色々と知識はある。たくさんのものを知っている。けれど彼女の世界はまだまだ狭い。知っていることがすなわち彼女の知識ではまだない。いずれ世界を広げ、知識を自らの物にし、そして智慧へと昇華させたとき、カレンはどんな魔術師になるだろうか。そのあたりを愛でられるだけ、ライソンも経験を積んだ。
「お嬢も彼氏作れよ。まぁ、別に彼女でもいいけどよ」
 どうも星花宮出身の魔術師たちは恋愛感情が大雑把なのか、好きなら好きで性別などどうでもいいと思っている節がある。確かに常人でも同性と恋愛する者は少なくはないけれど、星花宮出身者のそれは群を抜いているような気すらしてしまう。ライソンの言はそれを踏まえてのものだった。
「別に女が好きってわけじゃないですよ? 男に興味があるってわけでもねぇですけどね」
「好みの相手くらいいるんだろうがよ。どんなのだ?」
「なんですか、急に」
 わずかに嫌そうな顔をしつつカレンは笑っている。あるいはこんな話をする友人は彼女にはいないのかもしれない。思えば魔術師で、しかも女性だ。常人とは関係が結びにくい上に女性魔術師となればまだ数も少なく、仲間内でも中々友人は作りにくい。ふと思う。カレンの男言葉はそれが原因か、と。同じ魔術師から女性として距離を置かれるのではなく友人として扱われたいがために。難しい問題だけに口は出しにくい。カレンが気に病んでいるのならば手は貸すが、本人の性に合ってもいるらしいから今は見守るべきなのだろう。そしてそれがエリンのしてきたことだ、とライソンは悟る。微笑ましいような、そんな気がした。
「まぁ……そうですね。頭も気風も腕もいい。悪いのは柄だけ、なんて男がもしいたら惚れるかもしれませんね」
 言ってカレンはにやりとした。ライソンは肩をすくめて笑ってしまう。それは誰だ、と言いたくなるのをなんとかこらえた。
「念のため。横恋慕する気はさらさらないですよ? ただ理想ってだけです」
「……ほんっと、魔術師の師弟って馬鹿みてぇに仲いいよな」
「なんのことです?」
 ふふん、と笑うカレンだった。が、ライソンはそれなりに深刻だ。色恋ではない。相手に理想を見てしまうほど憧れた師の手助けを側でできないエリンの苦痛を思って、ライソンは内心で顔を顰めた。




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