季節が変わってもエリンはライソンに会いに行かれなかった。行きたかった、とても行きたかった。本当ならば今すぐ辺り一面薙ぎ倒して行ってしまいたい。が、そうも出来かねた。
 イェルク王、崩御。これが痛かった。あらゆる意味で痛かった。まず当たり前の事実として、宮廷魔導師団に在籍するエリンは葬儀他一切の式典等々で王都を離れられない。そしてそれらが済めば王冠を戴くのはあのアレクサンダー王子だ。星花宮の今後を思えば簡単に留守になどできようはずもない。
「会いてぇ……」
 店の中で呟く。ようやく自分の店に帰ってきたところだった。これを機に星花宮に本格的に復帰するか、とも思ったものの、自分の頭の上にあの王子がいるのか思えばためらわれる。
「不幸中の幸いってやつだな」
 もしも暁の狼のラクルーサ離脱が遅れていたならば。それを考えるだけでぞっとする。イェルク王が狼の契約者だったからよかったものの、万が一にもアレクサンダー王子がそれを引き継いだりしたならば。
「狼は確実に使い潰される」
 それが傭兵の役目、と放言する人間もいるのだから。そしてアレクサンダーはそう言う人間の一人だ。運よくイーサウとの契約が間に合った。本当に、運がよかったとしか思えない。
 それほど急激にイェルク王は衰えた。確かにそろそろ寿命か、とは言われていた。体調も崩していた。だがこれほど早いとは誰も思っていなかった。エリンなど本気で疑った。
「まさか、盛ったわけじゃねぇですよね、あの馬鹿が」
 星花宮で二人きりになったのを見計らってフェリクスに囁けば、師匠にものすごい目で睨まれた。だからこそ、エリンはぞっとする。
 フェリクスもまた、王の毒殺を疑ったのだ、と。彼の息子の手で、フェリクスはあるいは長年の友人を殺されたのかもしれない、と。
 エリンは以来、黙った。これ以上追求すれば本格的に首が危ない。それを察した。が、ある意味ではすでに遅いとも言える、と思う。エリン個人の問題ではなく、星花宮の魔導師たちはアレクサンダーに好かれてはいない。そもそもアレクサンダーが自分個人を認識しているか怪しいものだとエリンは思っている。それでも魔導師団の一員として、警戒はされている。まして星花宮から離れ王都に店を持っているエリンだ。外部との連絡を疑われるに充分な要因がエリンにはある。
「会いてぇ」
 だからこそ、いまラクルーサを離れられない。星花宮も緊張しているいま、自分一人恋人の元でへらへらするわけにもいかない。
「責任ってやつか。あぁ、クソ。ぶん投げてぇわ」
 腹立ちまぎれ、その辺にあったものを投げようとしたけれど、生憎と都合のいいものがなにもない。店の中なのだから当たり前だ。わざわざ居間まで戻って投げるものを探すのも間が抜けている。舌打ち一つで済ませた。済ませるしかなかった。
 そんな時に店を訪れた客は不幸としか言いようがないだろう。エリンは道楽で店に戻ったわけでもない。王都の情報は、まず王都の住人のもの。星花宮にいるより早く噂話が拾える。国王の崩御と王子の戴冠をどう感じているか、そこに混乱は起きるのか。これ幸いと何かしでかす人間はいそうなのか。いくらでも噂話が拾える。だからこそ、ここにいる。商売をしようと言うわけではない。客にとっては二重に不幸なことだった。
「開いてるかい? こんとこずっと閉まってたからよ、いい加減に見限ろうかと思ったぜ」
「あ? 見限るも何も常連でもなんでもねぇだろうがよ。つか、初対面だ。おうよ、好きなだけ見限りやがれ。どっこも痛くねぇわ」
「これで客商売だってんだから笑わせるな。――コグサの紹介だ。いいかい?」
 見るからに傭兵。いま一番見たくない手合いだった。嫌でもライソンを思い浮かべてしまう。おまけに二人。しかも一人は見覚えがあると来ていた。
「客だってんならいいぜ、別に。そっちの若ぇの、見覚えあんな。なんだっけ、デイジー? えらく可愛い名前だから覚えてんぜ」
「デイズアイだってあのときも言ったぜ! いい加減に覚えろ、このくそ鑑定屋!」
「覚えてるけどよ。そう呼ばなきゃならねぇ理由はねぇし? で、そっちのでかいの。お前んとこの隊長さんかい?」
 顎先でもう一人の男を指せば、指された当人が苦笑した。どうやら色々と思うところがあるらしい。が、エリンはいま愛想よくする気がまるでない。
「あぁ、炎の隼のココだ。よろしく頼む」
「事と次第によっちゃ頼まれてやるよ。――エリンだ」
 にやりと笑って手を差し出せば、岩もかくやとばかりに頑丈な手のくせ、意外な柔らかさで握手を交わしてくる。生まれたてのひよこを握ったまま馬に乗れる手だ、とエリンは思う。生粋の騎兵の手。思うのは別の騎兵。黙ってエリンは目をそらす。
「しかし、あれだな。コグサも言ってたがあんた、口悪いなぁ」
「諸事情あるにゃあるが、師匠譲りだ諦めろ」
「真顔で言うんじゃねぇよ。なんかあれだ。初対面の気がしねぇってのはいいもんだ。ついでにあれだしな、三人揃ってなんだ、妙に女っぽい名前ばっかだしよ」
「隊長! 俺は――」
「デイズアイだって立派に可愛い名前だと思うぜ?」
 エリンが言えば若き傭兵は嫌な顔をした。そこにライソンの面影を見てしまう。年のころは似たようなものだろう。背はライソンのほうが高いかもしれない。あるいはデイジーのほうが横幅が広いだけかもしれない。溜息を内心でかろうじてこらえた。
「ちなみに本名はエリナードだ。好きに呼んでくれてかまわねぇけどな」
 いい加減、もうこの界隈では自分の素性が知れている。隠す気もなければ誇示する気もないエリンの態度にココが顔色を変えた。
「……もしかして、あれか。エリナード・アイフェイオン?」
「おうよ」
「……なんでこんなとこで流行らねぇ鑑定屋なんかやってんだ!」
「ほっとけ、趣味だ」
 慌てるココにデイジーが不思議そうな顔をしていた。当然だ、とエリンは思う。ライソンもまた、エリンが成し遂げた事績を知らなかった。
「あの黄金の悪魔が鑑定屋か。なるほど、道理でコグサが紹介するわけだぜ。馴染みか、昔の?」
「知ってんだろ、コグサは青き竜の出身だぜ。俺はあそこの魔術師だった。つまり同僚ってわけだ」
「なんでアイフェイオンの名前持ってるくせに傭兵なんかやってたんだよ」
「趣味だ」
 断言してしまえばこれ以上掘り下げてくることもあるまい。同時に魔術師の持つ名前についての知識がココにはある。ただ力押しだけの傭兵隊ではない、その長ではないとエリンは知る。狼のためにほっと安堵した。エリンの思いを汲み取ったかのようココはにやりと笑い、そして軽く頭を下げた。
「で、お客さん。なんの用ですかい」
 言えば愛想のない店主だ、とココが笑う。当たり前だと言い返すエリンにデイジーが目を白黒させていた。隼は、腕のいい傭兵隊のわりに貴族の受けが悪い。ひとえに隊風とでも言うべき態度の悪さからだ。口の悪い傭兵はどこにでもいるが、貴族の前でも貫き通す傭兵は多くはない。その隼を率いる隊長と真っ向からやり合っている魔術師、というものに驚かない傭兵がいたならばそちらのほうがどうかしているというもの。エリンはデイジーを見やってはにやりと笑ってみせた。
 用件は他愛ないものだった。鑑定屋にはよくある注文。どこそこで手に入れた魔法のかかった剣や道具の鑑定を。あるいは今後の取引。情報交換。エリンは金の分だけは仕事はする、そう思っていたはずなのにココに好感を持ち始めている。
「……あんた、いまでも狼のダチなのか」
 真っ直ぐに目を見つめてココに聞く。嘘ならばすぐわかる、とでも言いたげに。はったりだった。エリンは神官ではない。嘘を見抜く呪文の持ち合わせなどない。それでも気力だけで見抜いて見せる。その思いが目に表れていた。ココは店に来て以来はじめて真剣な顔をする。
「おう。俺はそのつもりだ。つまり、俺、ってのは隼のことだ」
「わかってら。昔は傭兵だったって言ってんだろ。隊長の言葉は隊の言葉。んなこたぁわかってんだよ。――もう一つ。隼は、ラクルーサにつくのか」
 答える必要のない問いだった、ココにとっては。隊の行く末を初対面の人間に話す必要など本来はどこにもない。あるいはだから、それは直感。
「つくと言えば、つく。ただ見ての通り俺らはお貴族様の受けが悪いからよ。狼より緩い付き合いになると思うぜ」
 その言葉にエリンがうなずいた。真摯に、真っ直ぐに。ココは知らず腰の剣に手をやっていた。抜こうと言うのではない、緊張しただけだ。とはいえ無礼ではあるその態度に目礼すれば魔術師は見なかったことにしてくれたらしい。
「俺が言うのもなんだけどよ。――付き合いはほどほどにしといた方がいいぜ。次代の国王はあんまり出来がよくねぇしな。狼がどうなったかは、聞いてんだろ、コグサからよ」
「隊長は馬鹿じゃねぇぞ! 二の舞なんか演じるかっての。だいたいなんでてめぇがそんな王様のことなんか知ってんだっての。はったりも大概に――」
 言葉が急激に途切れ、エリンは笑いだす。ココに思い切りよく頭を殴られたデイジーが情けない顔をして隊長を見上げていた。
「あのな、デイジーよ。お前は可愛いぜ、あぁ、息子みてぇなもんだ。ちっとばっかしでかいがよ。だからな――おいコラ馬鹿息子! この魔術師はな、聞いて驚けってんだ、ラクルーサの宮廷魔導師だっての。王宮のことで知らねぇことがあるわけねぇだろうが!」
「……いや、けっこうあるぜ?」
 ぼそりと言ったエリンの声は黙殺されて、デイジーの驚愕の眼差しだけがこちらを向く。溜息まじり肩をすくめれば、なぜか尊敬の目。
「ちなみに、だ。馬鹿息子。アイフェイオンってのが星花宮、ラクルーサの宮廷魔導師たちの大半が名乗る名前だ、覚えとけ!」
「よく知ってんなぁ、ココよ」
「情報ってのは傭兵の命なんだよ。知らねぇわけねぇだろうが、悪魔さんよ」
「若い坊やにしちゃ弁えてんじゃねぇかって褒めてんだ」
 にやにやと笑みをかわす魔術師と隊長をデイジーはもうどうにでもなれとばかり眺めている。なにがなんだかさっぱりだった。何もかもを放り投げようとしたとき、一変してココの表情が精悍になる。デイジーすら息を飲むほど。
「あんた、コグサのダチなんだな。だったら、隼はできる限りのことを狼にする。それは信用してくれていいぜ」
「ありがたいね。肩の荷が下りるってもんだ」
「なぁに、腑抜けた面ぁしてやがる。女でも抱いて来いや。さっぱりすりゃ気合も入るってもんだぜ。なんだったらどうだ、これから? 馴染みの店があるぜ」
 心遣いだとわかっていた、エリンには。傭兵流の乱暴なそれが奇妙に馴染む。ライソンの、あるいはコグサのそれによく似て。
「悪いな、彼氏持ちでね」
「……念のために聞くけどよ。コグサがあんたの男だとか、言わねぇよな」
「あれと寝るくらいなら自害する」
 断言したエリンにココが爆笑した。狭い店の中が一段と狭くなったかのよう。エリンは内心に呟く。ライソンがいたころもこうだった、と。




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