まだ砂糖衣をぼそぼそと舐めているエリンの頭をライソンは軽く撫でた。ちらりと眼差しが上がって見つめてくる。苦笑して目をそらし、深呼吸を一つ。
「んじゃ、帰るわ。疲れてるとこ、悪かったな」
 言った途端、エリンが長い溜息をつく。深々と、体中の息を吐きだしてしまうのではないかと思うほど。
「おっ前なぁ。疲れて駄々こねてる彼氏おいて帰るか、普通?」
 睨み上げてくる藍色の目。ライソンは一瞬見惚れ、すぐさまエリンに何を言われたのか理解する。言葉だけは、最低限理解した。
「ってあんたな。あのさぁ、聞いていいのかよ?」
「は?」
「あんた、俺のこと、好きなの。そこんとこ、はっきりさせろよ。待つとは言ったけどさ」
「ライソン。ちょっと座れ」
 ぎょっとして下がるところだった。おとなしくエリンに何を言われようとも帰るべきだったのかもしれない。思ったもののもう遅い。ライソンは渋々とエリンの座る長椅子の正面に置かれた別の椅子に腰を下ろそうとして、眼差しに射抜かれた。
 エリンは何も言っていない。ただ、じっと見ているだけだ。それでもライソンは立ち上がる。無言でエリンの横に座りなおした。
「それこそ俺も一つ聞くけどな、お前はなんだ、俺が惚れてもいねぇ男を誘うような人間だと思ってんのか、てめぇは」
「いや……それは、その。だから! 出陣前の励ましだとか、そう言うことかと!」
「違うんだって理解したよな、坊や?」
 にんまりとするエリンの赤い唇。疲れていると言うわりには生気があふれている気がしてライソンはくらくらとする。
「坊やって、よせよ。――ガキ扱いすんな。彼氏なんだろ」
「どーも彼氏のほうがそう思ってくんなくってよ」
「拗ねんな」
「拗ねてねぇ。事実だ」
 そっぽを向いたエリンの肩に手を置く。そのまま滑らせて、抱きしめてしまいたい誘惑。強いて抑えようとしたとき、エリンがわずかに首だけ振り向ける。誘惑に、負けさせられた。
 背後から抱きしめてくる力強い腕にエリンは目を閉じる。このまま眠ってしまいたいほど心地いい。同時に、それ以上に。エリンの思いとは裏腹に、腕が離れた。要求をしようとして振り返ったエリンは驚愕することになる。腕が引かれた。
「おい! お前なぁ……」
 引かれた、と思ったときにはライソンの膝の上、横抱きに抱え上げられていた。自然と口許に笑みが浮かぶ。
「文句があるんだったら後で聞く」
 言い様だった。エリンは本気で噛みつかれたかと思った。逃げないようにとでも言うようにしっかりと自分を抱きかかえたままのライソンに覆いかぶさられ、そのまま唇を奪われた。乱暴な、容赦の欠片もないくちづけ。舌先が強引に唇を割る。そのようなことをしなくとも、受け入れるのに。望むのに。言う機会は与えられなかった。
 ライソンの片手がやっと頬をたどりはじめたのは、何度も水音を立てた激しいくちづけに唇のほうが痛みを覚え出したころ。
「――ライソン」
 掠れたエリンの声に、はっとしたようライソンが離れる。目の奥に、後悔にも似た色を見つけ、エリンはそのままライソンの首に己の腕を投げかける。
「悪い。疲れてるって言ってんのに」
「誘ったの、俺だろうがよ」
「でも――」
「若いのに無理すんな。溜められて浮気されるよりゃマシだ。つか、疲れてるとすげぇしたくなんねぇ?」
「あんたな。俺が欲しいのかよ、それともやりたいだけかよ?」
「お前としたい。それになんの問題がある。え?」
 下卑た言葉のやり取りも、耳元で囁きかわせば睦言になる。ぞくりとしてライソンはゆっくりとエリンの体に腕を回した。
「ライソン。お前が欲しい。何度言わせる気だ。――もしかして、そーゆー趣味?」
「色っぽいこと言うか冗談かますかどっちかにしろ、混乱すんだろ!?」
「一応これでも照れてるんで」
 少しだけ顔を離したエリンに見つめられたライソンは、言葉に嘘がないのを知る。軽くくちづければ、ほっとしたような吐息。
「って、ライソン!」
 安堵も束の間。膝の上に乗せられていた体もそのままに、エリンは抱き上げられていた。軽い魔術師の体一つ、いくら男とは言え傭兵の彼にはなんでもないことだっただろう。
「あー。ベッドに連れてきたいと思ってんですけど。どうですか、エリンさん」
「抱き上げる前に聞けよな。つか、聞くな、んなこと」
「んじゃ、了承も得られたってことで」
 ぼそりと言うからライソンも照れているのだろう。そう思えばどことなく心が休まる。抱えられた体を更に添わせたくて首筋に抱き付けばライソンの小さな笑い声が体を通して聞こえた。
「なに笑ってんだよ」
「いや……なんつーか、けっこう可愛くって」
「目が悪ぃんじゃね?」
 悪態をつくエリンすら愛おしくなってきた。思ったけれど、はじめからだとも思う。エリンの悪口雑言はいまにはじまったことでもない。居間の扉を蹴り開けて、寝室の扉も足で開けた。そのまま後ろ足で蹴り飛ばし、扉を閉めれば明かりのない闇。ぽう、と灯が入った。
「エリン?」
「ん……、明るいの、嫌か?」
「それ、俺が聞こうと思ったんだけど?」
 室内にエリンの魔法灯火がふわりと浮かぶ。青白いけれど目を焼きはしない明かりが、思いの外に美しい。
「……お前には悪いと思ってる。――あぁ、言わねぇ方がいいか?」
「そこまで言ったら最後まで言えっての」
 静かに寝台の上、エリンを横たえ、ライソンは自らもその上に重なった。ゆっくりと体重をかければエリンが目だけで微笑む。
「……暗いの、嫌なんだよ。なんか、お前じゃねぇみたいな気がしちまうかもしれねぇ」
「――聞くんじゃなかった。ムカつく」
「言えって――」
 言ったのはお前だ。言いかけたエリンの唇をライソンは塞ぐ。何度夢を見たのだろう。何度目覚めて泣いたのだろう。何度夢の中でフィンレイに抱かれたのだろう。
「エリン。俺は誰?」
 ちゅ、と音を立てて頬にくちづける。見なくとも困り顔が見える気がした。そのエリンが腕を伸ばしてライソンの頭を抱きかかえる。
「――ライソン」
 溜息のような声。安堵のような、情欲のような。背筋に痺れが走った気がしてライソンは体を起こす。エリンの返答はもう聞かなかった。聞かなくとも、わかっていた。
「……んっ。痛いだろ」
 耳に噛みつけばじらすような声がした。薄く弾力のある耳たぶを噛みちぎってしまいたい。はっと引いて舌先で舐めた。
「いいぜ。したいようにして。くれてやる」
「煽んな。マジで食いちぎりたくなってくる」
「いいって言ってんのに、しねぇの? 遠慮深い野郎だな」
「あんたを傷つけたくねぇの。頼むから煽んないで、エリン」
 唇に舌で触れた。そっと舐めれば物足りなくなったのだろうエリンが自分の舌を絡めてくる。気づけば深くくちづけていた。絡まり合うそこに、それだけでは足らなくなった。
「あぁ、もう。ごめん!」
 とりあえず詫びておいてライソンはエリンの服に手をかける。上手に脱がす自信も余裕もなかった。引き裂かれた布地の悲鳴じみた音。ライソンを煽り、エリンは笑みを浮かべる。
「そのまま」
 膝立ちになったライソンに半裸の、裂けた布地をまとわりつかせたままのエリンが絡まる。繊細な魔術師らしい手指がライソンの体をたどり、ゆっくりと脱がしていく。わざと時間をかけているようにしか思えなかった。
「エリン」
「なんだよ?」
 言いつつ現れたライソンの肌にエリンがくちづけた。ただ軽く触れただけ。それなのにどうしてこんなにも痺れるのだろう。じんわりとした熱が、くちづけの跡から全身に広がっていく。
 眩暈がした、と思ったときには再びエリンを組み敷いていた。肌と言う肌に触れた。指だけではなく唇でも。それでもまだ足りなかった。
「あ――。ちょっと、待て。そこは――」
 逃げようとずり上がるエリンの腰を捉えた。大きく足を開かせれば、身悶えする美しい人。よけいに熱に侵される。
「は……待て。やめ……ライソン」
 うわごとのよう呟くエリンにライソンは目もくれず、エリンのそこを口に含んだ。跳ね上がる体。青白い光にさらされた滑らかな肌が、いまは血の色を透かせて鮮やかに色づいている。
「いやだったら、やめるけど?」
 からかうように口にしたのはライソン自身が煽られたせい。エリンの喘ぎに、それだけで高ぶり尽してしまいそうだった。それを、勘づかれた。にやりとエリンの目が笑う。
「お前が欲しい。舐めてやるから、こっち来いよ」
「色気のねぇ台詞だな、おい」
「俺になに求めてるわけ?」
 鼻で笑ったエリンだから、ライソンは相手にしなかった。エリンもまた高ぶっているのを嫌でも感じる。それを鎮めたくて彼がそんなことを言ってみせたのも、また。今度にやりとするのはライソン。開いた足の間のその奥に、触れた。
「――あっ」
 ただ触れただけ。それだけで切なげに寄せられた眉根にライソンは嫉妬を覚える。そうした男は誰なのか、と。それでも今のエリンは自分のものだった。
「……もっと」
 ただ触れるだけでは足らない。訴えるエリンにライソンはわずかに戸惑った。さすがにそこを使うことは知っていても、使って愛し合った経験はない。出逢ったときの間違いも、ここを使っての行為ではなかった。
「ほら」
 寝台の頭のほうに置いてあった何かをエリンが寄越す。目をそらして押しつけてきた小瓶にライソンは首をかしげる。
「……香油。そこまで言って使い方がわかんねぇなんてほざく甲斐性なしを俺の男にしたつもりはねぇぞコラ」
 ライソンは笑い、謹んで要求に応える。手の中に零された香油は水のように爽やかで、そのくせ貪りたくなるほど官能的な香り。エリンの後ろになすりつけ、丁寧にほぐす余裕もなく己自身にも香油を垂らす。
「ライソン――」
 両腕を開き、覆いかぶさるライソンをエリンは迎えた。抱きしめているつもりが、抱きしめられていた。エリンが苦痛を漏らしたのはわずかの間だけ。ライソンの動きに、普段の彼からは想像もできないほどエリンは乱れた。




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