馬鹿馬鹿しいような激戦だった。こんな小さな町一つ落とすためにアレクサンダー王子は一万の軍勢を率いてきた。
 元傭兵のエリンは無駄だ、と断じる。町の外壁にはそれぞれ門がありはする。だが小さな町の小さな門だ。一万もいても、そこに殺到すれば己で体を縛るようなもの。しかも四方から攻めているわけでもない。王子がそのような攻撃は王の軍勢がすることではないとでも言ったのだろう。律儀に正面にだけ、展開している。まして傭兵隊がいる。
 王軍の先駆けを務めるような形で布陣している暁の狼だけで、本当ならばイーサウは、陥ちる。それをさせていないのが半エルフたちだった。
 四方の門に一人ずつ。四人の半エルフが町を守る結界を張っていた。たったそれだけで、攻撃をほぼ無効化している。正面の担当はエラルダ。そしてその横にはイーサウ側に改めて流浪の魔術師でエラルダの友人、と紹介されたアノニムことエリンがいる。
「癖ですか、それは?」
 結界を維持する、と言っても彼らのそれは生来のもの。考えを弄ぶようなものなのだろう。大した手間でもないらしい。攻撃魔法の合間にエラルダが話しかけてきたことでエリンはそう判断する。
「なにが?」
「首飾り。よく触っているので。もしかしたら魔法かな、とも思ったんですが」
「あぁ……」
 確かに魔法動作に癖はある。本来鍵語魔法は動作を伴わない。かつての真言葉魔法には手振りによる魔法の拡大や精度上昇というものがあるが、鍵語にはそれはない。だから仕種を伴っているように見えるものは純粋に魔術師それぞれの癖でしかない。
「これな……」
 エリンは首飾りを掌に握り込む。自分の手の熱だろうか。熱いような気がした。門の前、狼が必死の攻撃をしている。イーサウ側も黙って見ているだけでは決着がつかないから、兵を募って戦っている。そのようなことをすれば死者が出るだけだというのに。それでも独立をしたい。願うイーサウの気持ちがわかるようでエリンにはわからない。
「あっちにさ、彼氏がいるんだわ」
 顎先で苦笑しつつ狼を示せばエラルダの顔が青ざめた。こんな時にも綺麗だな、とエリンは思う。なにをしても、ただ生きて動いているだけでこんなにも彼らは美しい。
 エリンは戦闘前に鏡に映した自分の顔を思い出しては苦笑する。さすがに素顔、と言うわけに行かなかったし、エラルダの友人ならば半エルフらしい方がいいだろう、とエリンは顔を借りた。実際に会ったことはない、メロールの伴侶であったアルディアと言う半エルフの顔を。もっとも、幻影であるし、元が人間だ。どう見ても半エルフ、と言うよりは半エルフと人間の間にできた子、と言った方がいいような容貌にしかならない。それだけ半エルフの美貌が異質だ、と言うことなのかもしれない。
「恋人が……。そんな。あなたは」
「忘れんなよ、エラルダ? 俺はだからここにいるんだ」
 守るために。否、死なせないために。エリンは会話を中断して魔法を放つ。一応、注意は払っている。あからさまに星花宮の魔法、とわかるものを放つ訳に行かない。基本的な、誰でも使うような攻撃をするだけだった。それでもあちらに魔術師がほぼいない以上、効果的ではある。
「アランも大変だな」
 自分の魔法をアランたち狼の魔術師が防いでいる。と言っても、事実上は防げていない。狼に直撃しそうなものだけ、アランが防いでいる。エリンもこの階梯の魔法としては手を抜いてはいないから、アランの腕がいいことになる。その防備手段のない王軍こそ、大変だった。星花宮の出陣を禁じた結果がこれだった。
「その人が、恋人、なのですか?」
 照れたようなエラルダの表情に、かつてフェリクスが言っていたことを思い出す。半エルフは親密な関係というものがとても苦手なのだ、恥ずかしすぎて、と。
「違う。アランは狼の魔術師。魔力はあんまり強くねぇんだがよ、腕はいいんだぜ。ほら」
 いまもまた、アランの対抗魔法がエリンの攻撃を弾いた。ぱっと火の粉めいた魔力が散る。美しかったけれど、恐ろしいものでもあった。あの火晶石が効いている。エリンは内心でにやりと笑った。そして充分に使い尽くしているアランの腕にも感嘆する。
「彼氏は……いるかな。あぁ、あんたなら見えるかな。あの辺。お、いたぜ。あの騎兵、砂色の髪の、若いのがいんだろ」
「私にとってはみな若いので……。いえ、たぶん彼かと。えぇ、見えます。ずいぶん大変そうです。額に汗が。少し血も」
「へぇ、俺にゃそこまで見えねぇや」
 言った途端、言うのではなかったと後悔するようなエラルダの表情。エリンは聞かせてくれてよかった、と微笑む。
「どこか切れてるかい?」
「頬、みたいです」
「だったら掠り傷だ。平気だよ。つらそう?」
「――なんと言うのでしょうか。大変そうではあるんですけど、でも生き生きとしている、と言うか」
「なるほどね。あいつも腕はいいみたいだからな。頑張ってんだろ。俺との約束果たそうとして」
「約束? いえ、言いたくなかったら……」
「変な気ぃ使うなっての。言いたくなかったら最初っから言わねぇよ」
 からりと笑ったエリンにエラルダはまぶしそうな眼差しを向けた。笑いながら楽しげにエリンは魔法を放つ。行く先は、と見ればあろうことかエリンの恋人の元。ぎょっとするエラルダをよそに、アランと呼んだ魔術師のものだろう魔法がそれを退ける。
「生きて帰ってくる。――あいつはそう言ったからな」
「だったら攻撃しなくてもいいでしょうに」
「呆れんなっての。挨拶みたいなもんだって。いまので……アランには悟られたかな」
「なにをです?」
「ここにいるのが俺だってことにさ。まぁ、黙っててくれんだろ、あいつは」
 魔法には色合いとでも表現するよりないものがある。隠すことはできるけれど、失くすことはできない魔法の色。一流の魔術師であればあるだけ色は顕著にその人物の特徴を表す。アランがちらりと外壁の上に佇むこちらを見やった気がして、エリンは咄嗟に手を上げてしまいそうになる。まさかここで挨拶をするわけにもいかない。苦笑して視線を外した。
「よく見えましたね。人間の目は、あまり遠くまで見えないと言うのに」
 先ほどのライソンのことだろう。エリンはどこにいるかすぐさま見つけ出した。愛ゆえにとでも思っているらしいエラルダの勘違いにエリンは笑いそうになる。
「違うっての。これだよ、これ。首飾り触るの癖かって、あんた聞いてただろうが。ここに……あいつの髪の毛入れてあんだわ」
 先端の飾りを何度も握る。ライソン。心に呟く。魔法でもなんでもない。ただそれだけならば。
「さすがに魔法具化する時間はなかったからな。生モノだけどよ。こっちの腕はいいし、まぁ居場所くらいは掴めるさ」
 なんでもないことのように言うエリンにエラルダが驚いた顔をした。あまりにも驚いたのだろう、一瞬ではあったけれど結界が緩む。
「おいおい、頼むぜ」
 すみません、小声で詫びてエラルダは立て直す。が、その隙を狼は逃さなかった。錐のように突き込んでくる軍勢を、さすがに通すわけにもいかない。
「ちっ」
 門の正面に大穴は空けたくはなかった。後始末が大変だ。内心に文句を言いつつエリンは攻撃魔法を放つ。狼そのものにも無論、そして何より大きなものを大地に。衝撃で狼の後ろにいる王軍にまで砂礫が飛んだ。
「……アノニム」
 恋人は、大丈夫なのか。案じてくれるエラルダに物も言わずに顎で示す。ライソンは土まみれになりながら元気に剣を振るっている。
「……ぬかったぜ」
「どうしました」
「咄嗟にうっかり障壁張っちまった。アランには完全にばれたな。コグサにも」
 ライソンの周囲に、具合がいいのか悪いのかコグサとアランもいた。あの二人ならば知り得た情報であっても無言は貫くだろうが、知られない方が彼らの身に危険はなかったものを。三人を中心にする形でごく薄い障壁を展開してしまったエリンは何もなかったかのようそれを解く。
「それが……普通だと思います。大切な人なのでしょう? あなたがた人間の考えはわかりませんが、私ならば恋人とは戦えない」
「だからな、エラルダ。俺はあいつと戦ってねーの。これでも守ってんの」
「それは、そうですが……」
「とはいえ、ちょいと血が騒ぐな」
 にやりとしたエリンに何を見たのだろう。エラルダが不安そうな顔をする。機会もあった。アレクサンダー王子が業を煮やしたのがここにいてもエリンには感じられる。正面をいつまで経っても破れない狼に腹を立てているのだろう。狼に撤退命令がかかっている。
「追撃するぜ」
 ひょい、と外壁から内側に飛び降りてエリンは背後にいた兵に言う。エラルダが驚愕の声を上げたものの、彼は結界維持のためにそこから動けない。
 エリンは兵と共に門から出撃していた。素早い追撃に狼の後尾が振り返る。殿を守っている小隊の中、見覚えがある砂色の髪。一応、魔術師であるエリンを中心に置く形にしたイーサウの小隊もまた、そこに向けて駆けて行く。
「追い返せ! 隊を守れ!」
 剣を掲げて叫ぶライソンの声が聞こえた。そこに向け一直線にエリンは駆けた。馬の疾駆する音が、久しぶりの戦場の高揚を更なるものへと高めて行く。
「アラン!」
 魔術師らしい長衣姿のまま馬に乗る敵にライソンが目を留め、仲間に向けて声を張り上げる。魔術師ならば魔術師に。それは間違ってはいない。だがアランが一瞬戸惑った。エリンはその隙を逃さない。ライソンの元に駆けつける。自分が相手取るしかない、ライソンが剣を握り直したのが目に入る。切られる、思ったときにはなんとか魔法の発動が間に合った。冷や汗ものだ、内心に呟く。それでも鼓動が高鳴る。切りかかられる。かわす。魔法で弾く。こちらの攻撃。体でかわされた。楽しい。ふと思ってしまう。その隙をライソンが見逃さない。防御魔法を発動させる時間が惜しい。舌打ちをしてエリンは呟く。
「集え凝れ大気の水、リエル<玉瑛剣>」
 エリンの水の剣。ただし、掌に収まるほどの短剣だった。ライソンが驚く。が、剣は止まらない。エリンはそれを己の剣で弾いた。
「コグサに伝えろ。隊を守れ。損耗を防げ。壊すぜ」
 言い様に馬を馳せ違える。駆け抜け、そして狼隊のいなくなったところでエリンは馬を返し、今度は逆方向、イーサウに向かって馬を駆った。狼は無事撤退を済ませたらしい。それにようやくほっと息をついた。
「……怒らせちまったかな」
 自分に向けて剣をふるったことにいまライソンは途轍もない後悔をしていることだろう。顔が違おうとも、姿を変えようとも、彼には自分がわかったはず。それをエリンは疑ってはいなかった。




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