イーサウに急行したエリンはそのままアリス亭へと急いだ。イーサウ・アリルカ連合のイーサウ側窓口がアリス亭の主人ヘッジであるのならば、アリルカ側窓口はエラルダだ。ならばエラルダは必ずアリス亭にいる。
 相変わらず繁盛しているアリス亭に赴けば、主人がちらりとこちらを見た。それに合わせてエリンは深くかぶったフードをわずかにずらす。ヘッジはその姿に彼を認め、宿泊客を訪問しに来た人間であり、かつ主人とも親しいのだ、そんな笑みを浮かべて器用に二階を目顔で示しては指で客室番号まで教えてくれる。エリンは笑いを噛み殺して笑顔で礼を呟いて客室を探しに行った。
 扉を叩けば一瞬の警戒。すぐに開いたのはなぜだろう。自分と悟られた気がしてエリンはにやりと笑う。無論、開いたのはエラルダだった。
「よう、やっぱりいたな」
 扉の隙間から部屋に滑り込めばまだエラルダは驚いたままだった。鬱陶しいフードを跳ねのけ、ようやくほっと息をつく。
「エリナード? どうしてここに。いえ、入ってください」
 驚いた半エルフのその表情の美しさ。生きていることが馬鹿らしくなるほど美しい。こうやって人間が彼らを迫害していくのだ、と言うことがエリナード・アイフェイオンにはよくわかる。星花宮にはかつて半エルフの魔術師がいた。エリンは直接知りはしない。けれど半エルフがいた、それが大きい。彼らもまた生身の、この地上を歩く生き物だとエリンは知っている。
「同盟の調子はどうよ?」
 茶の支度をしようとするエラルダを手で制し、エリンは単刀直入に尋ねる。わずかに首をかしげたエラルダはそっと微笑んだ。そこに巧く客をあしらってきたのだろう、主人のヘッジが入ってくる。
「具合のいいところに来てくれたもんだ。ヘッジさん、はっきり聞きますがね、俺の正体がばれてもかまわない?」
「いや、それは困る。イーサウはラクルーサと盛大に事を構えたいわけじゃないのだ」
「独立しようってのに?」
 からかうようなエリンの声にヘッジは苦笑する。独立はしたい。だができれば穏便に。無理だとわかっているからこそ、戦いになる。が、ラクルーサを虚仮にしたいわけでも星花宮の魔導師を裏切らせたいわけでもない。それを訥々と語るヘッジにエリンは申し訳なくなる。自分の都合で正体を隠さざるを得ないエリンだ。けれどヘッジはそれと悟った上で顔は隠してほしいと言ってくれた。その思いとありがたさに頭を下げ、そして目を上げたエリンはにやりと笑う。
「だったら俺は顔を変えるか。以後、名前は……そうだな。アノニムとでも呼んでもらえればいいか」
「あまりにもそのままではないかね、偽名とは」
「正体不明の野良魔術師でいいんですよ。顔は変える。その上フードでもかぶっておく。誰だかわからないけど、イーサウの後ろには力のある魔術師がいる。それでいいでしょう?」
「……我々としては、好都合だが」
 あまりにもイーサウ側に都合がよすぎるのではないか、それでは。エリン一人が危険を冒すことになる。ヘッジはそう言う。その言葉にこそエリンは微笑んだ。
「俺は俺の理由があって、イーサウ側に立ちます。と言うより、エラルダの味方をします。だからその辺はまぁ、気にしないでください。で、エラルダ。同盟の調子はいいと思っていいんだよな?」
 一度塔でしっかりと話し合った。二度めは顔を合わせた程度だった。だがエラルダは奇妙にこの人間を信用している自分に気づいている。信用、ではないかもしれない。利用では間違ってもない。ならばなんだと聞かれても困る。あるいは友人になることができるかもしれない相手。人間であるにもかかわらず。そう思うことは充分にエラルダを混乱に落とし込んだ。
「順調です」
 だからこそ、短い言葉になる。二度目に会ったとき、エリンは友人、とあっさり言った。人間にとっては軽い言葉だったのかもしれない。半エルフのエラルダが人間に言うには、重い言葉だった。いまだ使う気にはなれないほどに。
「そりゃ、よかった。――来るぜ」
 はっとした。友情がどうのなど、考えている暇が瞬時になくなった。エリンが来る、と言うのならば相手は決まっている。
「ラクルーサ・ミルテシア連合ですか」
 二王国の軍が小さなイーサウにやってくる。穏やかな訪問であるわけもなく、血と埃を伴う激流が。だがエリンは首を振った。
「いいか悪いかは置くとして、ラクルーサだけだ。幸いと言うか、ラクルーサだけ下せば、イーサウは独立できる」
 停戦にまで持ち込み、無理にでも独立を認めさせてしまえばミルテシアは怖くない。ラクルーサが認めたと言うことは、ミルテシアが異を唱えた場合、火の粉はイーサウではなくラクルーサにかかる。
「ラクルーサ王国軍かね?」
「アレクサンダー王子率いる騎士隊が主力ってことになってるみたいですがね、本当の主力は――暁の狼ですよ。この前会ったでしょう、あいつらです」
 ヘッジに言えば顔色が変わった。傭兵隊が前面に出てくるのならば激戦は必至、そう思ったのだろう。
「狼は主力ですがね、問題は王子が大将だってことのほうだ。あれは……言いたかないが愚物でね。下手すりゃ狼がすり潰される。それは、避けたい」
「エリナード、いえ。アノニム? その、いいんですか。あなたの、大切な友人なのでしょう?」
「大事だよ、この上なく。だから俺はここにいる。正直、あんたの味方ってのも我ながら嘘だわな。俺は、最初から狼が駆り出されるってのを知ってた。狼が潰されないために、俺はここにいる。私欲も私欲、欲まみれだ。信用してもらえますかね、ヘッジさん?」
 エラルダに言いつつ最後だけはヘッジに向けて苦笑した。商業都市であるイーサウの頭である人間であるからこそ、ヘッジはその言葉を信じてくれる。エリンはそう思っている。そのとおり、ヘッジはうなずいた。
「あなたが義理や正義のために動くと言うよりよほど信じられる言葉ですよ、それはね」
 ぱちりと片目をつぶった茶目ぶりにエリンは笑う。参戦を許されたのだ、この瞬間に。礼代わり、軽く頭を下げた。
「ヘッジさん、イーサウ側の準備をはじめてください。さすがにいつ出陣要請がかかったかまでは俺も言えねぇですからね。急いだ方がいいですよ、程度は言っときますけど」
「それは言っているのではないかね?」
「ご冗談を。エラルダ、あんたの準備はどうなる? というか、アリルカ側の準備、だな」
 ぽんぽんと交わされる素早い会話に半エルフのエラルダは目がまわりそうだった。思えばフェリクスもそうなのだが、彼とは一対一で会話していることが圧倒的に多い。人間同士の親しい会話、というものにあまり立ち合ったことがなかった。
「我々は表に立ちたくはないのです」
「それはそれでいいから。なにをして、なんの準備がいる?」
「その……とりあえず、仲間の元に知らせをやりたいと思います。それからでいいですか?」
「だからそれを聞いてんだっての」
 からっと笑ったエリンにエラルダは苦笑する。なるほど、これが人間の会話というものかと。誤解だった。エリンはいま殺気立っている。かつて傭兵だったころの感覚が戻りつつある。戦場を前にした、高揚。
 失礼、と言ってエラルダが席を外す。戻ってきたときには一人の半エルフを伴っていた。カラクル、と紹介された半エルフにエリンも目礼を返す。
「彼が仲間の元に知らせを伝えてくれます。それからすぐに仲間たちを連れて戻ってくるでしょうから、明後日の午後にはこちらに仲間が来るはずです」
「……意外とアリルカってのは近いんだな」
「いえ? 人間ならばもう少し時間がかかるはずです。我々は――人間ではないので」
「あぁ、あれか。馬に乗ってても馬が生き物乗せてると思わないってやつ?」
「どうしてそれを!」
「いや、だから。うちの師匠の師匠の師匠が半エルフ」
 いまの世の人間で半エルフの在り方を知っているものがいるとは思わなかったエラルダの驚きにエリンは苦笑を返す。力なく笑ったエラルダがそうでした、などと呟いてカラクルに肩をすくめた。
「では、呼んで来ればいいかな?」
「頼むよ」
 短い言葉でやり取りをし、カラクルと呼ばれた半エルフは出発した。エリンは再び話を戻す。アリルカは何をするつもりか、と。
「一応、俺は魔術師なわけだし。あんたらの作戦があれば乗っかるほうが効果的かと思うんだ」
「効果的かどうかは……。我々は、表に立ちたくないわけなので、イーサウの外壁防御を担当するつもりでした」
「魔法で? 当然だよな。あんたらは生まれながらに魔法が使えるんだし。だったらヘッジさん。俺はその後ろから魔法を撃てばいいかな?」
「それは、助かるが。いいのかね? 友人に直撃するだろう、それでは」
「直撃するものを当てないってのが腕でね。その辺は巧くやりますよ」
「でも、アノニム。あなたの大事な人に、万が一のことがあったら……」
 エラルダの心遣いが嬉しいようなくすぐったいような、そしてもどかしいような気がする。これは戦争だ。そう言ってしまいたい声が心にある。だがエリンは肩をすくめただけだった。
「覚えてるだろうけど、コグサってのは腕のいい傭兵でね。あいつが隊を率いてる限り、壊滅はまぁ、しないだろう」
「人間は脆いもの。もしも……」
「コグサはね、その覚悟をして戦場に立ってる」
 穏やかに言うエリンにエラルダは言葉が返せなかった。すぐに死んでしまう脆い人間。そうでなくとも、百年と経たずに死んでしまう彼らであるのに。死に急ぐ、としか言いようがない。半エルフのエラルダはそう思う。
「それに、まぁ手は打ってあるっつーかね。ついでにコグサは俺の戦友だ。あいつがどう動いてどう戦うか、俺の体に染み込んでる」
「……聞くまいと思っていたが。もしや君は青き竜、最強の魔術師と名高かった黄金の悪魔と呼ばれた男なのかね」
 ヘッジの呟きめいた声にエリンは苦笑で返答した。肯定でも否定でもない、エラルダはそう感じたらしいが人間である二人にとってはこれ以上ない明確な肯定だった。
「なるほど。それは心強い」
「昔の話でしてね。ただ、腕は落ちちゃいませんよ」
 にやりとした人の悪そうな笑みをかわす二人の人間にエラルダは戸惑い気味だった。エリンが咳払いをして何かを尋ねたそうにしているエラルダに向き直る。
「魔法は、大丈夫なんでしょうか。我々にはあなたがたの使う魔法がわからないので何とも言えませんが」
「あぁ、精度? 当てたくないと思うところに当てない程度には大丈夫だ」
 その言葉に生来魔法が使えるだけあって訓練というものをしたことのない半エルフが驚いた顔をする。ふとエリンは思い出す。才能がないとは努力をしない人間の言い訳だとは、師の口癖だったと。
 今頃フェリクスは星花宮で悶々としていることだろう。できれば自分が飛んできたいと思っていることだろう。四魔導師は強力ゆえに目立つ。出陣を禁じられた彼らにはそれとない監視がついているはず。苛立っているだろうな、と思うエリンの指先が喉元に下げた首飾りをいじっていた。




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