何かがおかしい。はじめからただの休暇旅行などでないのは察しているライソンではあったけれど、イーサウに到着してからのここ数日。あまりにも奇妙だ。
 昨日はコグサの供をしてイーサウ周辺の散策に行った。エリンはアランと共にイーサウの町中で遊んでいたらしい。
「でも、なんか違う。なんと言うかな、町の人の反応見てる、みたいな感じ」
「なんだそれ」
「だからよ。魔術師ってのは、ありがたがられる半面、すげぇ怖がられたりもするもんだ」
 実感として、アランはそれがわかると言う。ライソンにはよくわからない。アランは親しい同僚であって、魔術師だからどうのと思ったことがあまりない。
「魔法ってのは、普通にゃ扱えない力だろ? それをすげぇと思うか怖いと思うかの差なんだけどよ。どっちにしたって普通は敬遠されんだ、俺たちは」
 ここイーサウでは違った、とアランは言う。歴史の浅い商業都市のせいかもしれない、とも言う。利になるのならば厭う理由はない、それが徹底しているせいかもしれないと。
「でも、なんかいいよな。こういうのもいいよなって思うぜ」
 嫌われたり恐れられたりするばかりではないのだと思えば当然嬉しくもなるだろう。意外とアランも苦労をしていたのだ、とふと思う。
「まぁ、俺には隊があるからな。あんまり感じたこたぁないんだけどよ。独り立ちして、町中なんかに住んでる魔術師はけっこうつらいらしいぜ」
「じゃあ、エリンは――」
 言ったところで首を振られた。ライソンもその時点で気づいている。エリンには帰属する場所がある。王都で鑑定屋がうまくいかなければ、帰る場所がある。大陸最高の魔術師が集う星花宮に。
 そうして数日。結局なにがなんだかわからないまま過ごしているうちに違和感だけが募っていく。さすがにいつも同じ組で行動していては目立つ、と言うことなのか今日のエリンの供はライソンだった。
「どこ行くんだよ?」
 イーサウ行の理由を知らされていないだけに、何をどうしていいのかわからない。勝手に休暇気分でいていいのだと言ってくれているのはわかっていても、なかなかにそうもいかない。
「ふらふら散歩ってのもいいだろうが」
「まーな」
「なんだよ、乗らねぇ?」
「……別に」
 困ったようエリンがそっぽを向いた。そんな顔をするから、今日は本当に休暇なのかもしれないと思ってしまうではないか。ライソンの内心の苦情にエリンは気づいた様子もなく辺りを見回す。
「お。あったぜ。来いよ」
 もう聞く気もなくなった。諦めてエリンの後について行けば、繁華な町の人混みに飲まれそうになる。王都のそれより酷いのではないかと思ってしまうほどの人出だった。
「それとそれ。あっちも。包んでくれよ!」
 どうやら屋台と思しき場所でエリンが買い物をしているらしいことまではライソンにもわかった。が、それ以上はどうにも近づけない。人垣に阻まれて、エリンの金髪がちらちら見えるだけ。
「ライソン!」
 垣根の隙間から白い手が出てきた。思い切り引っ張れば、エリンだった。うまく一人では抜け出せなかったらしい。照れたように笑うエリンの眼差しに、それでいいかと思ってしまう。我ながら他愛ない、とライソンはひとりごちる。
「行こうぜ」
 どこに、と聞いても答えてはくれないのだろうと思うと問う気にもなれない。黙ってとぼとぼついて行けば、ほんの少しよい気分であったものなどすぐさま飛んで行ってしまう。
「ライソン」
「なんだよ?」
「お前なら、ここをどう攻める?」
「はい!?」
 なにを急に言うのか。慌ててエリンを見れば苦笑された。どうやらとんでもなく沈んでいると思われたらしい。
「別に、機嫌悪いわけじゃねぇから。話してくれねぇことがあってもしょうがねぇし」
「なに拗ねてんだ」
「拗ねてねぇよ!」
「そう言うの、拗ねてるって言うんだぜ? 知らなかったか?」
 ふふん、と鼻で笑われたけれど、エリンが自分を見て話している。また少し気分がよくなる。人混みを避けるためだろうか、わずかに肩をよせて歩いている彼の姿。手を伸ばさなくとも届くところにエリンがいる。
「ぶつかるぜ。人の迷惑だろ」
「おうよ、ありがたいけどな坊主。だったらさっさとその手をどけろ。用は済んだだろうが」
 人混みに紛れて抱いてしまったエリンの肩。言い訳にそんなことを言えば、エリンが笑う。今度こそ本当に誰かとぶつかりそうになって抱き寄せれば、文句も言わずに従ってくれる。離そうとしなくても、何も言われなかった。少しずつ人気がなくなっても。もう誰にもぶつからなくても。
「この辺でいいか」
 エリンの言葉に正気に戻れば、辺りはいつの間にか柔らかな木漏れ日に包まれていた。先ほどまでの人混みはいったいどこに行ってしまったのだろう。
 イーサウは、新しい都市だった。王都のような重厚さはなくとも雑然とした活気がある。王都のような素晴らしい庭園はなくとも、居心地のよい公園がある。誰でも好き勝手に入って楽しめる、と言うのだから驚きだ、とライソンは思う。ここは貴族の庭でもなんでもない、イーサウと言う都市が持つ庭、と言うのが適切なのだろう。すごいことだな、と思わずにはいられなかった。
「離せよ」
 ぽつりと言ったエリンの声が少しばかり寂しげに聞こえたのは気のせいだろうとライソンは思う。まるで肩を抱いていた腕が恋しいかのような、そんな口調。まさかとライソンは小さく笑った。
「なに人の面眺めてんだ? 座れよ。食おうぜ」
「ってエリン。なに買って来たんだよ?」
「お前の好きそうなもん、見繕ってきたつもりだがな」
 間の抜けた声を上げないようにするのにライソンは必死だった。エリンが自分の好物を買ってくれたと言うのか。選んでくれたと言ったのか。
 恐る恐るエリンが差し出す袋を開ければ、色とりどりの菓子の数々。それほど子供でもないのだけれど、わずかな落胆がすぐさま歓喜に代わる。
「これも大事だろ?」
 自慢そうに言うエリン。差し出したのはライソンの大好物、例の揚げ菓子。それも果物で風味をつけた蜜がたっぷりかけられた贅沢なもの。
「うわ、すげー!」
「ガキが」
「うっせ。好きなもんはしょうがねぇだろ」
「だから買ってやったんだろ」
 言えば言い返す。ほんの少し、王都の店にいるような気になって、ライソンはほっと息をつく。休暇旅行のふりをしたその実、探索らしい日々。いい加減に気を使う。
「付き合わせて悪ぃなと思っちゃいるんだがよ」
「いや、別に――」
「聞いても答えねぇって癇に障るだろ。まぁ、俺にも覚えがあるからな。わかるが、言えねぇこともいまはわかる」
「エリンに?」
「おうよ。うちの師匠たちは秘密主義ってわけじゃねぇんだぜ? 要らんことならべらべら喋るからよ。なんてんだろうな。こう……切っ掛けはくれてやった、そっから先はてめぇの頭で考えろ、自分で答えを出せって放り出すんだ、あの人たちは」
 ふと気づく。あるいはいまコグサがしているのはそれなのかもしれないとライソンは思う。イーサウ周辺でコグサは何を見た。何を見て、どう考えた。同じものを自分は見ていた。自分ならば、何かがあったときに今日までに得た情報をどう生かす。
「若いわりに飲み込みがいいな」
 にやりとエリンが笑った。ばつが悪くなってライソンは菓子を頬張る。ぎょっとするほど旨かった。
「……エリンも、なんかしてんだろ、いま?」
「まぁな。俺一人の命でカタがつくことなら喋ってやるけどよ。さすがにちょいとばっかしこの肩に乗り過ぎだ」
 イーサウの町の人々の命。アリルカの人々の命。あるいは今後の魔術師の命。自分が今ここで見たものがフェリクスに伝わる。フェリクスがそれとなく四魔導師に伝えるだろう。万が一の際にはイーサウに避難せよと。
 エリンはぞっとする。自分の見たものが間違っていたら。見間違えたら。見損なったら。仲間たちの、後輩たちの命がこの肩にずっしりと乗っている。突如としてその肩にぬくもり。ライソンの手。
「なんか相談に乗れるようなことじゃねぇんだろうし俺じゃ力にゃなれねぇんだとも思う。でも、とりあえず息抜きくらいは付き合うぜ?」
「じゅーぶん」
 ちょん、と乗せられた手に頬を寄せれば驚いたよう手が引き抜かれてしまった。それが残念で睨み上げればそっぽを向かれた。
「からかうなっての」
 そのようなつもりはまったくなく、本当のところ二人きりでいるのをいい機会だとも思っていたエリンは思わず瞬く。
「あのな、エリン。息抜きにゃ付き合うし、頼ってくれりゃ、そりゃ嬉しいけどよ。でもなんか違うだろ、いまの。そう言う頼られかたしても嬉しくねぇっての」
 どうやら本格的に拗ねているらしい。そんな意図はまったくない、と言ってもいまは聞いてくれない気がした。小さく笑えば体ごとそっぽを向く。
 そのライソンの背中を見ていた。痩せ我慢をして、本当は冗談でもなんでもいいから乗ってしまいたいと思っている若い傭兵の背中を見ていた。意外なほどに胸の中が温かい。
 本当は、私的な時間を割いている余裕はない。ライソンのことも、頭の隅に追いやっておかなければならない。一手間違うだけで、どれだけ死者が増えるか。思えばぞっとする。
「……けっこう、気になってんだぜ」
 隅に追いやっておかなければ、と思うほど、ライソンが気になっている。たぶん好きだと思っている。間違いないだろうとも思っている。いい機会だから、そういう仲になってしまおうかと思う程度には。
「ガキだから馬鹿すんじゃねぇかって気になってんだろ?」
 鼻で笑ってライソンが振り返る。気を悪くはしていないらしいけれど、乗ってくる気もないらしい。エリンは内心でそっと笑う。これは天の配剤というものなのだろうか、と。余裕など微塵もない。気にかけている時間はない。だからこそ、もう少し時を待てとでも言うように。
「そんなこと言って拗ねてっから、ガキだって言うんだろ。バーカ」
「どっちがガキだよ!?」
「うっせぇ。口の周り、蜜ついてんぞ、お子様」
「え――、マジ?」
 ここだ、と言う代わりに指先で拭えばライソンの頬が赤味を増す。ここぞとばかり、指についた蜜をエリンは舐めた。




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