コグサも、目覚めたエリンも結局、口は割らなかった。話せないのではなく、当ててみろとでも言われているかのよう。 何度か野営を繰り返し、進んでいく道に見覚えがないわけでもない。おおよそそうだろう、と思った場所があっているのは中々に嬉しい。 「やっぱイーサウだったか」 道理で温泉がどうの、と言っていたはず。今更ながらそう言うことだったのかとライソンは思い至る。むしろ温泉、と言われたときになぜ思いつかなかったのか不思議なほどだった。 「ほんとかよ?」 わかっていたのか、とエリンが笑って茶化す。コグサが笑う。アランにまで笑われて、けれどライソンは気分がいい。 本当に、休暇の気分だったせいだ。違うと、頭ではわかっている。なにかコグサには重大な用事がある。そしておそらくはエリンにも別件で用事がある。それはそれとして、だがライソンはここでこうしていること、そのものが楽しい。コグサとエリンが言わないのならば、自分とアランは楽しめばいい、あるいはそれが隠蔽になるのだろうから。そこまで覚悟を決めてしまえば、ライソンにとってはこれは休暇に間違いない。 「我ながらなんで温泉って聞いたときに思いつかなかったかわかんねぇわ」 「そりゃあれだろ。お前、よからぬことを考えてんだろ、絶対。具体的には――」 アランが言いながらちらりとエリンを見やる。ぱっとライソンの頬に朱が差した。それから思い切り嫌な顔をするエリン。 「お前なぁ。野郎の裸想像してうっとり、とかやめろよ? いくらなんでも気色悪いぜ、それ」 「想像してねぇから!」 「ふうん、それはそれで、どうなんだろうな、え?」 「ちょっと、エリンさん!? そう言うからかい方は卑怯じゃないんですかい!?」 慌てつつ、だがライソンは気分を損ねた様子もなくからからと笑っていた。実は、エリンは嬉しく思ってもいる。欲しがられるのが気持ち悪い、と思うほどうぶではない。もっとも、それを口に出すほど羞恥心に欠けてもいなかったが。 「おい、遊んでねぇで宿探すぞ、宿。このままじゃここまで来て野宿だぞ、おい」 怒っているのだか笑っているのだか微妙なところのコグサの表情にエリンがにやりとする。何か奇妙なほどに彼が喜んでいるのが、長年の付き合いであるエリンにはわかっている。 「だったら俺の馴染みに行こうぜ」 たぶん、と思う。フィンレイのことを乗り越えて進む気になったとでも思っているのだろう、コグサは。それを喜んでくれているのだろうとも思う。 進んでいるのか、エリン自身は疑問だった。乗り越えても、たぶんいない。この胸にフィンレイはいまもいる。それでいい、と示してくれたライソンを大事だと認めただけだ。変わったのかどうかすら、自分ではわからない。そのようなものだとも思う。 「馴染み?」 「おうよ。師匠のお供で何度か来てっからな、ここは」 「氷帝が湯治かよ?」 「つか、逢引だな、ありゃ。星花宮にいると弟子どもがなにしでかすかわかったもんじゃねぇからな。しっぽりいちゃつきてぇと思ったってガキが泣きだしゃそれまでってな」 「……どこの子だくさんの貧乏長屋だ、そりゃ」 「似たようなもんだ。ガキは掃いて捨てるほどいるんだからよ」 憎まれ口を叩きながらもエリンの目は優しい。フェリクスと過ごした時間を思うのだろう。ライソンはちらりと彼を見る。 「エリンもいつかあっち帰るんだろ?」 「あん?」 「だから、お師匠さんって呼ばれて、弟子取ったりすんだろ」 「しねぇよ。ガキの扱いは向いてねぇ」 言った途端にコグサが吹き出す。何事を言い出そうとするのか見当がつくエリンは思い切り彼の脇腹に拳を叩きこむ。 「お前なぁ」 「そりゃ、俺の台詞だ。ったく。かってぇなぁ、おい。どんな鍛錬したらそんな腹になんだコラ」 「現役だぞ、こっちは。お前みたいな引退した野郎と一緒にすんな」 「現役なぁ」 首をかしげてエリンがライソンを手招く。なにをされるかある程度はわかっていた。だから腹に力は入れていた。それにしても。 「痛ぇだろうが、エリン! どこの魔術師にそんな力があんだよ!」 「ここにいるだろ。アラン」 ちょいちょいと指先で招けば、アランはきっぱり笑ってエリンの招きを退けた。 「ライソンが痛がるような拳じゃ、俺は壊れちまいますよ、エリン」 「そうか?」 「お前は例外なんだっての。自覚しろよな。お前んとこの流派は剣を使うだろうが」 コグサに指摘されて、忘れていたわけではないがエリンは納得する。確かに自分は世の一般的な魔術師より鍛えている。 「おう、ここだ」 そんな他愛ない話、と言うよりはむしろ馬鹿話をしているうちに宿につく。コグサはいささか驚いたらしい。中々立派な宿だった。多少、立派過ぎるとも言う。暁の狼の台所事情では。 が、エリンはそのあたりのことはわかっているのだろう。別々に部屋を取るような無駄をせず、四人まとめて大部屋を取った。ライソンがほんの少し落胆しているのを心楽しく見つつ。彼をからかおうとして、そして本気で驚いた。 「エリナード……?」 まさかここでその名を呼ばれるとは思ってもみなかった。それもこんなにも美しい声音で。ぎょっとして振り返れば、そこには一人の半エルフが人間と共に立っていた。 「エラルダ? なにしてんだ、こんなところで」 問うてから、しまったと思う。エラルダが今ここイーサウにいる意味。わかっているはずの答え。エラルダは察してくれたのだろう、ほんのりと微笑む。 「あなたがここにいるとは、驚いた。あなたこそ、どうしたんです?」 「まぁ、休暇ってところかな。あぁ、こいつらは――」 エリンの三人の同行者はそれぞれ形は違うものの驚いていた。真っ先にコグサが立ち直る。 「暁の狼と言う傭兵隊を率いている、コグサと言う」 「コグサ隊長の下で騎兵をしてます、ライソンです」 「同じく、魔術師のモートン・アランです」 次々と立ち直っていく傭兵たちが好ましかった、エリンは。どうやらフェリクスの取引相手であるエラルダもそう感じてくれたらしい。笑みが深くなる。 「私はエラルダ。見ての通り、半エルフです」 にこりと微笑めば、そこにだけ光が射したかのよう。瞬きを繰り返し、眩暈を払う。エラルダの隣に立つ人間が、少し笑った気がした。 「いや、すまん。その気持ちはよくわかる、と思いましてな。私にもエラルダの姿は時に眩しい」 壮年から初老、と見当をつけたエリンは今更ながら訝しくなった。この男は何者だろうと。屈託ないふりをしているけれど、腹に一物がたっぷりとありそうだった。 「こちらはヘッジ・サマルガード氏。イーサウ市議会の議員をしてらっしゃるんだよ」 「なんの、議員と言ったとて、元は商工会議所の役員の集まりだ。イーサウは、ご存じのよう商業の町でしてね」 ヘッジは言う。王も貴族もなかったイーサウは、主立った商業主が色々と話し合って運営していたのだ、と。そこに職人組合も加わり、商工会ができた。それが現在の市議会の前身だ、と言う。 「話し合いとは言いますがね、実態は殴り合いの大喧嘩と大差ないようなもんでしてな、当初は。まぁ、さすがにイーサウ市歴にはそうは書けんから、話し合い、となっているわけでしてね」 からりと笑う。その嫌味のなさにやり手の商売人の魂を見た気がしてエリンは苦笑する。実際、ヘッジはいまエリンがとった宿の主だ、と言う。 「うちはイーサウ一番の老舗ですよ。なにしろ、シャルマークの四英雄が最初にご投宿なさったのが我がアリス亭でしてね。ま、そのころは宿の名が違ったそうですがね」 「あぁ、あれですか。四英雄に救いを求めた果敢で可憐なお嬢さんが、確かアリス嬢だったはずだ」 エリンの言葉にヘッジが首をかしげる。確かに巷間に多く知られた話ではない。イーサウでは有名な話だ。が、旅人にとってそうかと言えばそのようなことは決してない。 「申し遅れましたね。私はエリナード・アイフェイオン。カロリナ・フェリクスが我が師」 「ん……、あぁ! そう言えばお見掛けしたことがありますぞ。なるほど……星花宮の魔導師でしたか」 きらりとヘッジの目が光る。それでエリンは察した。ヘッジは自分で言うよりずっと権力がある。イーサウ・アリルカ連合のイーサウ側窓口がヘッジであるのは間違いない。 「この傭兵たちは、私の友人でしてね。冬が終わる前にゆっくりしようかと。なにしろ傭兵と言うのは忙しい。春になったらどこに飛んでいくのかわかりませんからね」 「確かに、春先からは稼ぎ時でしょうなぁ」 「ですからね、休暇旅行というところですよ、ヘッジさん。それにしても、嬉しいな、エラルダ」 にこりとエリンが微笑む。ライソンとアランが夢でも見ているのではないかと言う顔つきをしていたが、そればかりはなんとかしてほしいとエリンは思う。 「ここで友達に会えるとは、思ってもいなかった。会えて嬉しいよ、エラルダ」 「――そうだね、私も嬉しい。友達だものね、エリナード」 微笑み含羞む半エルフに、ヘッジは何を見たか。納得したらしい。ここにいるのが、星花宮の魔導師ではなく、個人であると。そしておそらくは来る戦闘でエリンはイーサウ側につく、と悟りまでした。あるいは「友人」であるエラルダにつくのであってイーサウに、ではないかもしれなかったが。ふ、とヘッジの目が和んだ。 「なんと、我が友エラルダのご友人ならば我が友も同然! 幸い、我が家にお泊りのご様子。歓迎いたしますよ、エリナード・アイフェイオン」 エリンは危うくにやりとするところだった。個人ではある。イーサウ側に立つものでもある。それを納得して受け入れた上で、頼むから星花宮との繋がりも切ってくれるなとの無言の懇願。器用な男もいたものだ、と思う。 「ありがたくお受けしますよ、ヘッジさん。とはいえ、友人たちとゆっくり過ごせる貴重な機会ですから――」 「もちろんお邪魔はしませんとも。心ばかり、歓迎を受けていただきたい。よろしいかな、コグサ殿も」 「……お心ありがたく」 苦笑するコグサにエリンは少しばかり睨まれた。先に話しておけ、とのことだろうがエリン自身驚いているのだから苦笑して筋違いだ、と睨み返した。 |