どう聞いても戯言か酒場の馬鹿話にしか聞こえない「星花宮の逸話」を聞くうちにライソンはいつの間にかくつろいで大笑いをしている自分に気づいた。お蔭でいまだになぜ自分がここに連れられてきたのかいま一歩わからないことまで思い出す。
「なぁ、エリン」
 その声音に何を感じ取ったのか、エリンが嫌な顔をした。思わず話したくないならいい、言ってしまってからライソンは舌打ちをする。
「聞きてぇんだろうが。変な遠慮するんじゃねぇよ」
「だってさ……」
「で。なんだ?」
 こだわらず微笑むエリン、などと言う珍しいものも、ここが星花宮であるせいだろうか。わずかに見惚れ、視線を外した。
「……俺、なんで連れてこられたのかなってさ。思うだろ、普通」
「囮だろ。俺同様」
「はい!?」
「だからな、ライソン」
 驚いた拍子に再び自分を見つめてくるライソンの視線からエリンは逃げなかった。真っ直ぐな若い目が、以前はつらかった。いまは、そうでもない。
「師匠はコグサに用事があった。わかってるな? だから、こういう呼び方をした」
 内密の話だから。今ここではっきりと口にはしないほど、秘密の話だから。エリンの省略した言葉にライソンはうなずく。
「俺もお前も囮だってことだ。気にすんな」
 そうは言っても、何かしらを彼は気にかけるだろう、エリンは思っている。それがいいことなのか悪いことなのか。できれば、同行者にはライソンではなくアランを選んでほしかった。アランならば、星花宮を訪問する理由がある。彼は魔術師なのだから。逆に、警戒される原因にもなり得るが。だからこそ、ライソンだったのだとわかってはいる。納得したくないだけだった。
「エリン、納得してねぇだろ」
「おい……」
「なんで?」
 真正面から問われるとは、思ってもみなかった。ぎょっとしてエリンは顔をそむける。言えない、咄嗟に思った。
 お前が巻き込まれるのが嫌だから。策略の道具にされるのが嫌だから。謀略で殺されかねない位置に置くことが嫌だから。いずれも言えるか、と思う。
「まぁ、いっか」
 ぽつりと言ったライソンの声。自分の問いすら流してしまったのだとわからないはずはなかった。とてつもなく申し訳ないことをした気になり、エリンはどうしようか迷う。迷った末に己がしたことは何かと言えば、新たな茶を淹れることかと思えば笑ってしまう。
「あんた、茶ァ淹れんの巧いよな」
 それでも喜んで飲んでくれるのならばいいか、そんなことを思うエリンの、その視線が宙に流れる。
「エリン?」
「話が終わったらしいぜ。呼んでる」
「はい?」
「師匠が俺の心に触れてる。んで、帰って来いってよ」
 便利だな、呟きつつライソンは立ち上がり、まだ熱いだろうに茶を飲みほした。心遣いなのか誠意なのか。エリンは口許がほころぶのを抑えきれず、背を向けた。
「いいよな」
 四阿から星花宮に戻る道筋。出るときより入る時のほうが心弾むのはなぜだろう、ライソンは思いつつ歩いている。星花宮の不思議なのかもしれない。
「なにがだ?」
 問うエリンにそれ、と胸元を指さす。そこには何もなかったけれど、ライソンの言っている意味くらいはわかる。精神の接触がもたらすものが羨ましい、彼はそう言いたいらしい。思わず目許が和んでいた。
「便利だってだけだ。ある意味不都合だぜ?」
 心にも思っていないことだった。魔術師一般にとっては事実のそれも、エリンにとっては違う。この上なく心安らぐ感触。口にしたことこそなかったものの、フェリクスは知っているだろう。いまだ師に守られている自分の不甲斐なさも、その安堵も。
「なんでさ? なんか秘密の会話っぽくって、すげぇ羨ましいわ」
「ただの言語のひとつってだけだ。お前、半エルフの知り合いいねぇよな? まぁ、俺もいねぇんだけどよ。半エルフは人間とは違う言葉を持ってるって知ってるか? それと同じだ。お前が話してる言葉と違う。それだけのことってわけだ」
「でもさ、なんかいいじゃん? あんたとそんな風にして話せたらいいのにな」
「無茶言うんじゃねぇよ。魔術師の特権ってやつだ。やってみたかったら転職しな」
「ってそんなに簡単になれるもんなのかよ、魔術師!?」
「なれるか、馬鹿」
 言い捨てて、けれどエリンは笑っている。ただの冗談なのだろう。他愛ない軽口を叩けるエリンに、ライソンは喜びを見る。少しずつでもいい、元気になりつつあるのだろうと思う。もっとも、フィンレイを失った直後のエリンを知らないからこそ思うことなのだろうとライソンは感じている。こんな生易しいことを思えるような状態ではなかったのだろうとも、わかってはいる。理解するから、口にはしなかった。
「でさ。なんで不都合なわけよ?」
「あん? そりゃ簡単だ。精神の接触中に、嘘はつけねぇ。正確には、嘘はつける。ただし、それが嘘だと相手に伝わる」
「それ、つけてねぇから」
「言えることは言えるんだ。まぁ、意味ねぇけどな」
 肩をすくめたエリンの心の内側が見たいとライソンは思う。嘘のつけない、彼の心が知りたいと思う。思う半面、怖かった。
「うい、師匠ー。お呼びすかね」
 だらしない声を上げて自分の部屋に入っていくエリンの後姿にライソンは従っていた。自分が何をするべきなのか、そもそも何かすることがあるのかどうか、いまだにわからない。あるいはもうここについてきたことで用事は済んでいるのかもしれない。
「おい、エリン。温泉行こう、温泉。ちょっとのんびりしよーぜ」
「……コグサよ。てめぇ、頭に花咲かしてんじゃねぇぞコラ」
「ってぇな。殴んじゃねぇよ、この暴力魔術師が」
「撫でてやっただけだろうがよ。これで痛ぇだ? 軟弱な頭もあったもんだぜ。で、なんだその戯言は」
 ライソンは呆然と立ち尽くしていた。意味が、わからない。コグサがエリンを誘っている。そのような意味ではない、とわかっていても、わけがわからない。そんなライソンをにんまりとフェリクスが眺めていた。
「そっちの坊やが嫌な顔してるけど、エリィ? なに、コグサ。うちの子はもしかしてもててるの。師匠としては泣けばいいのか笑えばいいのか悩みどころだね。せめて可愛い女の子だったら諸手を上げて大喜びできるのにね、エリィ」
「それ、タイラント師にも言われましたから」
「だろうね。さすが僕のタイラント。いいこと言うよ」
「だったらそれをご本人に言ってやりゃいいでしょうに。本人とは喧嘩ばっかりして、俺には惚気る。意味わかんねぇですよ、師匠」
「あれが喧嘩に見えてるんだったらあなたもまだまだ若いね、エリィ。馬鹿な子、世の中には痴話喧嘩ってもんがあるって、知ってるの?」
「……聞きたくなかった」
 頭を抱えたエリンをコグサが腹を抱えて笑った。抱える場所が違うだけでこんなにも違うものか、とぼんやりライソンは思う。いまだ呆けたままだった。
「氷帝さんよ。俺は命が惜しい。あんたの弟子に誰が手ぇ出すか。エリンはいいやつだが、好みじゃねぇ。そもそも野郎に興味はねぇよ」
「あなたのとこの若いのはそうでもないみたいだけど?」
「……師匠。ほっとけって言わなかったか、このクソ爺が! 俺のことはどうでもいいだろうが、いい加減にしやがれ、このお節介野郎!」
 あまりにも驚いて、ライソンは立ち直った。冗談には、見えない。エリンの怒りの様。室温がす、と下がった気がした。フェリクスの眼差しに彼の二つ名を見る。
「ふうん、いい度胸だね。師匠に向かって手を上げるか。顔貸しな、エリナード。徹底的に叩き潰してあげるから」
「望むところだ」
 なにが二人の癇に障ったものか、傭兵たちにはわからない。顔を見合わせ、ライソンは一歩下がる。コグサが嫌な顔をした。押し付けるなよ、呟いて魔術師たちの間に割り込む。
「おいおい、師弟喧嘩は後にしてくれ。ちなみに、これはこれで一種の痴話喧嘩だと思っていいのか、え? お前らの喧嘩はマジで意味がわかんねぇよ」
「……痴話喧嘩の定義が間違ってんだろうが、コグサ」
「仲良し同士がいちゃついてんだから一緒だろ。用事を済ませてから仲良く師弟で遊んでくれ。とりあえず氷帝さんよ、まずは俺の用事が先だ。エリン、貸してもらうぜ」
「……別にいいけど。ちゃんと返してよ。僕はまだ遊び足りないんだから」
「俺は師匠のおもちゃかってーの。で、温泉がどうのって、あれか」
 すんなりと話が元に戻ってしまったところを見れば、本当にただの冗談半分の喧嘩だったらしい。ライソンは肩を落とし、わかり得ない、と思う。それが無性に楽しかった。
「あれだよ」
 そしてコグサの言葉に顔を上げる。エリンはコグサとフェリクスの話の内容を、知っているのだろうか。ちらりと見れば首を振られた。が、ある程度は察しているらしいと見当をつける。今度は間違ってはいなかったようだった。
「なるほどな。だったら俺とお前じゃ悪目立ちだ。なにが悲しゅうて、てめぇと風呂入ってのんびりしなきゃならねぇんだ。他に囮が要る」
「そこにいるだろ」
 コグサとエリン、双方から真っ直ぐと見つめられてしまったライソンは目を剥いた。なんの話か、いまだ理解が及ばなかった。囮と言われたのは理解した。が、風呂とはなんのことだかさっぱりだった。
「こいつか……。あのな、コグサ。わかってるか?」
「おう、知ってるぜ? この坊やがお前にベタ惚れなのも、お前が乙女よろしく迷ってることもな。心優しいおじさんは愛らしい乙女の背中を押してやろうかと――自分で言ってて鳥肌立ったわ」
「だったら言うんじゃねぇ!」
 顔を覆うライソンと怒鳴るエリン。フェリクスが少年のよう腹を抱えて笑っていた。星花宮の魔導師が見たならば明日は槍が降る、と言うに違いない光景だとは、幸いなのかライソンは知らなかった。
「ったく、右向いても左向いてもめんどくせぇやつばっかりで世を儚みたくなるぜ。囮はあれだ、アランにしろ」
「だったらライソンはお前の趣味で連れてくってわけだな? 俺は別にどっちでもいいぜ。ただし、ライソン分はお前が持て。うちは財政が苦しい」
 生真面目な顔で言うコグサに、ならば自分は残る、言いかけたライソンだったけれど、向こう側でフェリクスが微笑んでいた。二人の冗談だよ、と教えてくれているような笑みにライソンは口をつぐむ。それでいいとばかりフェリクスがうなずいていた。




モドル   ススム   トップへ