「エリンの店に行くから付き合えよ」 ライソンがコグサにそう言われたのはそろそろ冬も終わろうか、と言うころのことだった。真冬時の訓練もずいぶん成果が上がっている。新兵のキーリもぐっと腕を上げた。 「別にいいすけど。お使いだったら俺が行きますよ、隊長」 だから、宿営地に詰め通しでなくともいい。それはライソンも理解できる。だがしかし、隊長に誘われる意味だけがわからない。コグサはにやりとしてライソンの肩を叩いた。 「別に邪魔しようってんじゃねぇよ。俺の用事だ、気にすんな」 「邪魔って!? 俺、そんなんじゃ……!」 「いい加減、邪魔だから帰れって言えるくらいになれよ、お前……」 慌てる配下の兵にコグサはがくりと肩を落として見せる。いったいあれからどれだけ時間が経っていると思っているのか。 傭兵の寿命は色々な意味で短い。傭兵として働ける時間を寿命とするならば、一般的な他の職業に比べてずっと短い。同時に他の人々に比べて、命の時間そのものもまた、短い。 「なぁ、ライソン」 「なんすか」 「機嫌悪くするな。忠告だ。素直に聞けよ」 ぽんぽん、と肩を叩きつつ歩きだせば、唇を固く引き結んだままライソンはうなずく。若いな、と思う。彼の故郷の村で拾ったときのあの幼さを思う。思わず目を細めたくなった。 宿営地の厩から愛馬を引き出そうとしたコグサを止め、ライソンがすべての支度をした。きちんと戦場用の馬ではなく、乗馬用の、それも目立たないくすんだ色合い馬のほうを連れてきた。馬具の類も使いこまれたものを選んでいる。それにコグサは内心でにやりとした。傭兵隊長ここにあり、と喧伝したくはないコグサの心情をライソンはきちんと汲んでいる。 「お前な、傭兵ってのは長生きができるもんじゃねぇぞ」 「それは……」 「ついでに言うとな、ライソン。魔術師ってのはえらく寿命が長いぜ。お前、わかってるか? エリンは俺より年上だぞ?」 とてもそうは見えないが、とコグサは笑った。ライソンはただ黙っている。言われなくてもわかっている、そう言いたかった。 ずっと年上のエリン。それでも自分のほうが間違いなく先に死んでしまう。短い間でもいい。一緒に過ごしたい。その思いは確かだけれど、同じほどにためらう。ためらいを見られたくなくて馬にまたがって顔を隠せば黙ってコグサも馬に乗った気配。ぽくり、彼の馬が足を進めた。 「……エリン、フィンレイさんのこと、好きでしたよね」 「そりゃ、付き合ってたし?」 「大事なフィンレイさんが死んじまって、いまでもまだとっ捕まってる」 「まぁな」 意外とよく見ている、とコグサは目を開かされる思いでいた。ライソンと、同感だった。エリンが忘れられないのではない、フィンレイの亡霊が、エリンを離さない。コグサもまたそう思っていた。フィンレイの亡霊、すなわち後悔。 「もし――俺のこと好きんなってくれたとしたって」 自分はやはり死んでしまう。フィンレイのよう、エリンを置いて逝くことになる。どのような死に方かはわからない。できればフィンレイのようではなく、死にたいものだったけれど。 「まぁ、なぁ――」 そればかりはコグサにもどうにも言えないことだった。わかっていて、ためらっているのならば、もう何も言えない。ふとエリンのほうはどう思っているのだろう、そんなことを思った。 道々エリンのことであったり、昔の竜のことであったりを話しつつ、二人は王都へと進んでいく。貸し厩に馬を預けて店まで歩けば相変わらずの繁華に耳がつんとするほどだった。 「よう、元気か」 店の扉を開ければ、あからさまに不機嫌なエリンがどん、と座っていた。ライソンは自分一人だったら回れ右して時間を潰してきたことだろう。 「まーな」 それでもエリンは手招きしている。と言うことは、原因は二人にはない、ということなのだろうとライソンは解釈し、こそこそと店の奥へと行こうとする。 「なにやってんだよ?」 「いや……その……茶でも、淹れようか、と」 「いいからそこにいろ」 「……はい」 しゅんとして肩を落とすライソンに、エリンの口許が小さくほころぶ。コグサは見落とさなかったが、ライソンには見えなかった。 「で。なんの用だよ?」 それを言ったのがエリンであったのならばライソンは驚かなかった。だがしかし。 「隊長?」 自分の用事があるから彼の店に行く。確かに隊長はそう言ったはず、ライソンは思って戸惑う。何度も瞬きをするライソンに、コグサが詫びるような眼差しを流した。 「用があるから来いって言ったのはこいつなんだな」 気がつけば、ライソンは座っていた。呆然と、体から力が抜けてしまったような、そんな気分。コグサは彼の友人で、直接やり取りがあってもなんの不思議もない。けれど自分は手紙一つもらったことはない。 「俺の用じゃねぇよ。来な」 エリンは気づかないのだろうか。眉を顰めたコグサだったが、すぐさま笑いを噛み殺す羽目になる。何気なくエリンはライソンの腕を取り、立たせていた。 「お前の用事じゃねぇんだったら誰のだよ?」 「来りゃわかるっての。一々聞くな。ここで言えることだったら言ってらぁ」 まったくだ、とうなずくコグサにエリンもうなずき返す。その表情がいつになく硬かった。これは何か大ごとだ、とさすがにコグサは気づく。 「ライソン」 「ん、あぁ。悪い。なに?」 「いいから、じっとしてろよ。さすがに三人で跳ぶとなると俺も結構真剣になるからな?」 「はい、エリンさん!?」 何をするのか。いま跳ぶと言ったか。魔術師の転移魔法だとはわかっている。何度かありがたくお世話にはなった。吐き気に悩まされながらではあるが。だがしかし、その時には他にも魔術師がいた。 「ライソン、こっち来い」 ひょい、とコグサの腕がライソンのそれを取る。やんちゃな子供が動き回らないように、とでも言うようなその態度が癇に障る。 「隊長」 むっとして言えば笑われた。どうやらからかわれていただけらしい。それでどれだけ緊張しているのかが自分でわかる。エリンの小さな声が聞こえ始めた。ゆったりとした長い詠唱。わずかに落とした視線はいつになく真剣。 「心配すんな。お前が思ってるよりエリンはいい腕だ」 「誰のことです? 俺は最高の魔術師だと思ってますけど?」 「言うようになったもんだぜ」 からりとコグサが笑ったとき、転移魔法が発動した。さすがに三回目だ、すぐさま膝をついて吐く、と言うことはなかった。あとになってそれをライソンは心の底からほっとした。 「ここ、どこだ?」 多少の吐き気をこらえつつコグサが言う。彼は青き竜の傭兵時代に何度かエリンと転移をしているのだろうとライソンは察する。 「俺の部屋」 聞こえてきたエリンの言葉にライソンは一気に立ち直った。王都の彼の店ではない。それならば転移の必要がそもそもない。ならばここは。 「星花宮の俺の部屋。そう言っただろ、いま」 驚いて聞き直したコグサにエリンが笑っていた。その間に、と言うわけでもなかったがライソンは辺りを見回している。店の居住部分とあまり変わらなかった。エリンらしい、と言うことなのだろうと口許がほころんでしまう。 「じろじろ見んな。やらしいこと考えてんじゃねぇぞ、ガキが」 「見てねぇ!」 「見てただろうが、いま!」 ふん、と鼻で笑ってエリンはライソンの頭を叩く。ふとコグサはその情景に既視感を覚える。竜の時代のエリンのあの明るさに、よく似て違う。あるいは迷っているのはライソンだけではないのか、とコグサは思う。 「さすがに三人で跳ぶとなると転移点がいるからな」 「転移点?」 「魔法の目標になる場所って言ったらいいか? 普通はその場で設定すんだけどよ。三人も抱えてるとそんな余裕はねぇの。あらかじめ決めといたとこに跳ぶのがせいぜいだ、俺の腕じゃな」 肩をすくめるエリンにコグサは白々しい、と笑う。ライソンは感嘆のあまり言葉も出なかった。世の中は広い、つくづく思う。 「で、エリンよ。別にお前の部屋を見せてやろうってわけじゃ――」 「てめぇに部屋見せて何が嬉しいんだよ、あん? 俺の用じゃねぇって言ってんだろうが。聞いてたかこの薄らボケが。だいたいてめぇはいっつも――」 「エリィ、その辺にしておきな。話が進まないじゃない」 「はいはい、わかってますよ――って師匠!? いつ入ってきたんですか、いつ!」 「うん、いま?」 ライソンは振り返ると言う行動そのものを放棄した。そこに氷帝がいるのはわかっている。わかっているからこそ、振り返りたくない。 自分はまだいい。所詮、若い傭兵でしかない。だがここにはコグサがいる。歴戦の傭兵で、隊を率いる長であるコグサが。その彼にですら気づかせず出現した氷帝に何をどう言えというのか。 「師匠……。俺にも私的空間ってもんがあると思ってたんですけどね?」 「あるだろうね。いまじゃないどこかには。忙しいんだって、わかってるの、エリィ」 その口調に、これが単なる冗談ごとではないのだとライソンでさえ気づいた。フェリクスの心持ち焦ったかのような声音。コグサの表情が引き締まる。 「エリィ。僕はコグサに内密の用事ってやつがある。わかってるよね?」 「へいへい。だったら俺は隠れ蓑に徹しますよ、お師匠様。なにすりゃいいすかね」 「難しいことは言わないよ。可愛いお友達に自分の故郷を案内してあげるってのはどう? あなたが浮き浮きしててくれれば、こっちも都合がいいんだけど」 「そりゃあんまりにも珍しいもんだから俺に注目集まりまくりってやつで師匠にまで気がまわんねぇでしょうがね」 「馬鹿言わないで、可愛いエリィ。あなたの姿に失神、卒倒続出だ。僕がなにしてようが誰も気にする余裕なんかなくなるじゃない?」 笑顔で言い切られてはそのようなものかと、うっかりライソンまで納得するところだった。思い切りエリンに背中を殴られてはたと正気づく。 「囮はやらねぇですよ。――でもまぁ、案内はしてやってもいいぜ」 先ほどの師とよく似た態度で鼻を鳴らし、エリンはそっぽを向いた。ライソンの努力は無駄となる。必死で笑いをこらえたと言うのに、コグサは盛大に笑っていた。 |