「半エルフたちの集落だけどね。ここからだと北のほうになるかな、そっちに集落はある。彼らは自分たちをアリルカ、と自称してる。神人の血を引く者、程度の意味だろうね。僕にもさすがに神聖言語は手に負えないから、本当のところはわからないし、彼らにしても人間の言葉風に発音してるだけだし。まぁ、そんなような意味、と思っておけばたいして間違いではないって言ってたからね」 「言ってた?」 さらりと言われた言葉にエリンが眉を上げる。自分はいま確かにそう言ったのだ、とフェリクスがうなずいた。 「僕はアリルカと接触があるからね」 「それは――師匠が、闇エルフの子だから?」 「まぁね。向こうはそのつもりだと思うよ。色々面倒もあるだろうし、できれば手を貸してほしいって言われてるんだけど、いまのところ僕は星花宮に満足してるし。これ以上手は拡げられないし」 下手なことをすれば手を貸すつもりが害になる。フェリクスの言葉にエリンは唸る。そう考えたとしても、手を出してしまうのが人間だ。彼ら、異種族を含めて、エリンはそう思う。同じ人型の生き物として、異種族ではあっても考え方そのものに根本的な差があるわけでもない。善悪に隔たりがあるわけでもない。 だからこそ、退けた師の勇気を思う。いま自分がすべきこと、してはならないこと。見定めるのは至難だとエリンは思う。いずれ師のようになれるのだろうか。いまだに迷うエリンは小さく溜息をつく。脳裏にちらりとライソンの影がよぎった。 「だからね、提案してみたんだよ」 フェリクスの語調にエリンは顔を上げた。いまですら突き落とされているような気分だと言うのに、まだ叩き落とそうと言うのか、師は。これも師の愛とばかりエリンは背を伸ばす。 「イーサウと手を組んだらってね」 伸ばしたばかりの背がくたりとへたれた。茶を飲んでいたら間違いなく吹いている。息すら止まった気がした。 「そんなに驚くようなこと?」 「だって! 相手は一介の都市ですよ!? 手を組むも何もないでしょうが。それとも、あれすか。ラクルーサとミルテシアみたいに、都市を国と見做して同盟しろ、みたいな?」 「ラクルーサとミルテシアが仲良かったことなんてほとんどないけどね」 だが着眼点は悪くない、とフェリクスは言う。褒められても少しも嬉しくなかった。下手をすれば、ではなく間違いなく戦乱になる。 「待ってください、師匠。アリルカでしたか、そいつらとイーサウが手ぇ組んでどうなるってんですか。イーサウはシャルマークの内にあるって言ったって、うちだってミルテシアだって黙っちゃいねぇでしょうが」 「そもそも黙らせといたら禍根が残る。こう言うことはきっぱり決着つけとかないと後に響くんだよエリィ。ついでに言えば、イーサウはイーサウだけじゃない」 「はい?」 「あなたはいま、シャルマークの内にあるって言ったね? そのとおり、イーサウ近隣には、王を戴かない都市がずいぶん増えた。魔族の減少効果ってやつだね。彼らは国王を戴かない。さて、どうする?」 どうする、と問われてもエリンには見当がつかない。改めて自分はラクルーサの国民なのだ、と思う。王のいない生活、というものに想像が及ばない。 「イーサウはね、小さいけど国家と言っていい構造と規模はある。周辺都市もそう。だったらさ、その都市国家とでも言ったらいい? そのあたりで手を組むのがまず常道だよね」 「まぁ……ですか、ね?」 政治向きではないエリンにはそうだろうと思いはするものの、正解かどうかはわかりようがない。あるいは正解などというものはないのかもしれないとも思う。 「言わば都市国家連盟だ。いまはまだ、シャルマークの都市国家群はそれぞれ単独で活動してる。でも遠からず同盟するはず、と僕は見てるよ。さてエリィ、ここで問題だ。旧シャルマーク王国内に都市国家連盟ができたとする。――というより、イーサウがまず独立しようとしたら、かな。イーサウの本気を見せなきゃ、周辺都市も動かないだろうからね。そのときラクルーサとミルテシアはどうすると思う?」 「そりゃ、叩くでしょ。自分たちの領土じゃないって言っても、二王国は大陸の主を気取ってんだ。勝手に国を作るたぁどういう了見だってとこじゃねぇですかい」 ラクルーサの民でありながら、エリンは魔術師でもある。だからこそ、そんなことを易々と言える。あるいは、考えられる。それだけ魔術師は自立している、とも言える。特定の国、および人の臣下ではなく、自らを自らの主とすることに慣れている。それが魔術師だった。そのエリンにして、王のいない国、と言うのは考えにくかった。それが自分の限界だともフェリクスの凄味だとも思っていた。 「そうだね。だからね、僕はアリルカに提案したんだよ」 「え――あ!」 「そう、気がついたね? 戦争が派手に形ばかりで済めば被害が少なくて済むんだよ。二王国が渋々でも停戦して和解してイーサウなんかの独立を認めるって形に持って行きたいわけ、僕は」 「なんで、そんな……」 「理由は色々あるけど、まずはあなたの用事から済ませようか」 言ってフェリクスは首をかしげて見せた。わかるか、と問われているようでエリンは首を振る。なにを言われているのかさえ理解できない。 「いま言ったじゃない。ラクルーサは、イーサウに向けて出陣する。誰が、出陣するの?」 エリンがさっと青ざめた。言われるまで気づかなかったとは不覚とばかりに唇を噛めば生気が蘇る。じっと師を見据えた。 「先陣は、間違いなく暁の狼だろうね。いまところ、国王と繋がってる傭兵隊はあそこだけだし。隊としての歴史は浅いけど有能なのは知れている。信頼も篤い」 「……ライソンが」 「僕が派手にするつもりの戦闘に、あなたの好きな人が巻き込まれる。と言うより、先頭切って叩き込まれる」 フェリクスは詫びない、と言った。だから話す気になった、と言った。エリンはいずれにも答えなかった。ただわなわなと手が震える。 「俺らが……星花宮が、随伴するわけにゃ、行きませんか。だったらもっと早く――」 「エリィ、忘れないで。僕はイーサウとアリルカを叩き潰されちゃ困るんだ。僕らが出れば、潰れちゃう。それに、その状況になったらミルテシアと手を組む可能性もある。ラクルーサ宮廷魔導師団が出陣することをあちらさんは快く思わないよ」 自分たちの魔法文化が劣っていることを見たくはないから。魔法を好まないミルテシアであると言うのに、自分たちの手にないと思えば不快に思うのが人間でもある、フェリクスはそう言う。彼が人間、と口にしたとき、そこに異種族は入っていない、それをエリンは如実に感じてしまった。 「僕は、アリルカにイーサウ独立に手を貸せ、と提案した。飲むかどうかはアリルカ次第。飲むと思ってるけどね。飲めば、アリルカ・イーサウ間の緩い同盟が発生する。アリルカもそれで一息つける。いまの世の中、どうやったって完全自給自足ってわけにはいかないからね。つまり、近い将来にあるはずの戦争時、イーサウの背後には異種族がつくってこと。あなたに、この意味はわかるね、エリィ? 半エルフと闇エルフは生来魔法が使える。僕ら魔術師よりある意味では器用で強い魔法を使える。イーサウは、決して弱い勢力じゃなくなる」 「でも……それじゃ……」 派手な戦争ですぐに終わらせる。それはいい。よくはないのかもしれないが、とにかく横に置く。何はともあれ、戦争だった。戦闘行為である以上、不慮の死者がないはずもない。まして先陣を切らされることになる傭兵隊、暁の狼。騎兵である、ライソン。 「アリルカにとっても、いい話のはずなんだよ。イーサウは商業が発達してるからね。異種族だろうが人外だろうが商売上の得になるなら手を結ぶし。アリルカはそれで情報と、人間の集団との同盟を得られる。彼らが今後どうするつもりであれ――」 「んなこたぁ、いまはどうでもいいでしょう! 他人のことより、俺は……!」 「ライソンが心配?」 「悪いか!」 師に向かって怒鳴ったエリンに、フェリクスは莞爾とした。その儚いまでに美しい笑みにエリンは毒気を抜かれ、どさりと座る。いつ立ち上がったのかも覚えていなかった。 「あのね、エリィ。イーサウだって異種族の手を借りたなんてあからさまにしたくないんだよ、人間の集団なんだから。ただ背後にちらっといるんだなってわかればいいの」 「……魔法は」 「人間だって使うじゃない。魔術師なのか半エルフなのか、遠目に見て判断なんかできないでしょ。あれは半エルフらしいなって噂でいいんだ。まぁ、出陣はしてもらうけどね。実際は彼らしか魔法の使い手はいないわけだし。だからね、エリィ。わかる? あなたはあっちで手伝って」 「はい!?」 「あなたはイーサウ側に立って、顔でも隠して魔法を撃って」 「ちょっと、師匠!?」 「別にばれなきゃいいんだよ、エリィ」 「そう言う問題じゃないでしょうが! 俺ァ一応は星花宮の魔導師ですぜ!?」 「だからばれなきゃいいの。顔隠してって言ってるでしょ。半エルフたちにもそうしてもらうつもりだから、あなた一人悪目立ちはしないから平気」 問題はまったくもってそこではない、とエリンはもう言わなかった。言う無駄を悟った、とも言う。師の、意図がわかった。自分をイーサウ側に派遣することで、徒な戦乱の拡大を防ぐ。付け加えるならば、万が一の際にイーサウ側からライソンを守ることができるようにとの配慮でもあるだろう。だからエリンは何も言えない。 「あなたにはね、向こうでイーサウを見てほしいって言うのもある」 「はい?」 「……この前さ、イェルクが寝込んだんだよね」 唐突に国王を呼び捨てられてエリンは面食らう。そう言えば師は国王とは友人でもあるのだ、と思い出す。 「そろそろ、危ないかもしれなくってさ。もう、そんな年だなって。ちょっと寂しいもんだよね」 長寿である魔術師は、否応なしに友人を見送ることになる。ふとエリンは思う。師はいったい何人の友人を見送ってきたのだろう、と。 「イェルクは、いい王だよ。ちょっと気が弱いところもあるけど、人の話をちゃんと聞くしね。問題は――」 「アレクサンダー王太子、ですか」 シャルマークの四英雄にして、ラクルーサ王国中興の祖とも称えられるアレクサンダー明賢王。偉大な王と同じ名を持つイェルク王の王子は、愚物だとエリンも身をもって知っている。 それで、エリンにも察しがついてしまった。万が一の際、星花宮の魔導師たちが逃げる先をフェリクスは作ろうとしているのだと。だからこそアリルカに手を貸した。イーサウに助力した。そしていま、エリンの目でイーサウを見てこいと言う。 「そう言うこと、だよ。エリィ」 不意に背後から何者かが迫ってくる気配を感じ、エリンは背を震わせる。現実の何かではない。運命の足音とでも言うような。それを師に言えば鼻で笑われる。そう思った途端に寒気は消え、エリンは師に向かってゆっくりとうなずいてみせた。 |