呆気にとられて頭を抱えるのも忘れてキーリを見ていた。エリンはこの小柄でまだ日に焼けてもいない少年をまじまじと見つめる。彼のほうが怯むくらいに。 「話って、それだけか?」 「え。はい、そう……ですけど?」 顔を赤らめて言うその可憐ぶり。いっそ殴ってもいいのではないだろうかと思う。ふつふつと何かが沸き上がってきた。 「てめぇ、いい加減にしろよ!? 話ってそれだけかよ! こっちがどんだけ悩んだと思ってんだ、あん!?」 「エリンさんー? ちょい、落ち着けって。あんた、なんか悩んでたのかよ?」 「うっせぇ! こっちの話だ!」 不思議そうなライソンをエリンは怒鳴りつけることで誤魔化した。失言にもほどがあるというもの。何を悩んでいたのかなど、言いたくない、決して。 「ったく。だったらさっさと言やいいだろうが。何をたらたらぼそぼそ」 それこそぼそぼそと文句を言い、エリンが視線を宙に投げる。突如として怒鳴られる羽目になったキーリは硬直して一点を見ている。 「大丈夫か、キーリ?」 そうやって心配そうにするから気になるのだろうが。思ってもエリンは言わない。それより早く返答が来た。実体を伴って。 「ミカの曾孫だって? ふうん、この子なんだ。うん、似てるね、面影がある」 「――師匠。俺だけならともかく一般人いるんで。とりあえず挨拶くらいしたらどうなんすかね」 頭を抱えたくなる要因がさらに増えた。エリンとしてはミカの曾孫と自称する輩がいま店に来ている、と師に伝えただけなのだが。まさか跳んでくるとは思いもしなかった。 「あー、その。氷帝。お久しぶりです」 「別に久しぶりってほど前でもないし、そもそも頻繁にあなたの顔なんか見たくないんだけど? なんでうちの子の店にいるわけ?」 「師匠。過保護もほどほどに。俺ァもうガキじゃねぇんで」 「誰が? あなたは僕のなに? 弟子でしょ。僕はあなたの師匠だ。師匠と言ったら親同然。――って言ったのはカロルだけど。僕も同感だし。つまりその伝でいけば、あなたは僕の息子だし、あなただって僕のことお父さんって呼ぶじゃない。独り立ちしようがどうしようが子供は子供。僕はいくらでも口出しするからね」 滔々と流れるような悪態にキーリは目を回しているらしい。エリンとしては言い諭されただけ、と思っているし、ライソンはすでに慣れた。いずれも罵倒とは聞こえていない。 「で、改めて。それがキーリってガキですよ。ミルテシアのミカって人の曾孫だとかで」 エリンの言葉に合わせるよう、ぽんとライソンに肩を叩かれたキーリは大きく息を吸う。ぱちぱちと瞬きをして、夢でも幻でもなく現実としてそこに人が増えているのを認める。 「キーリ。これが俺の師匠で、星花宮の四魔導師の一人、カロリナ・フェリクス師だ」 お前の話していたフェリクス本人だ、とエリンが言う。キーリはまた瞬きをした。曽祖父の友人であったはず。だが目の前の人物はせいぜい二十代も半ば程度の青年だった。 「あの――」 「言いたいことはわかる。師匠は特に見た目が若ぇからな。俺と並んだって俺のが上に見えかねねぇし。でも本人だぜ」 「この人が……」 曽祖父の友人だった人。祖父が楽しそうに話していた人。機会があれば是非、星花宮のお人と話をしておいで、と送り出してくれた父の言葉。思い出話でも聞ければ、と思っていたはずが図らずも本人に会うことになってしまったこの驚き。 「あの、その。キーリです。曾祖父ちゃんが、ミカで」 「そう。さっきも言ったけど、面影があるね。ミカは、僕の恩人なんだけど、聞いてる?」 キーリがついに卒倒した。その場でふらふらと背後に倒れる。慌てて咄嗟にライソンが捕まえなければ、床に頭から倒れていたに違いない。――とはわかっている。それでも抱きとめられたキーリも抱きとめたライソンも不愉快だ。 「エリィ。あなた――」 「いまここでその話題を出したら家出しますからね、師匠」 「家出? 可愛いこと言うね」 くすりとフェリクスが笑った。それだけでささくれだった気持ちが静まっていくのだからうまくあしらわれたものだと思う。むしろあしらってくれたことに感謝する。 「おーい、エリンさんー? 気付けかなんかねぇかな。泡吹いちまってるぜ、こいつ」 「ほっとけば? 死ぬような病気じゃないし。なに、この子。あなたの友達なの。へぇ、傭兵。よく入れたね。傭兵隊って、そんなに人手が足らないの?」 「師匠。真面目に言ったら可哀想ですって」 「ほっといて死なせるのはもっと可哀想だと思うけど?」 「あのなぁ、魔術師ども! こいつだって剣取りゃけっこう使うっての! 含羞み屋なのは性格! エリンの毒舌と一緒だっての!」 「違うよね、エリィ。あなたは僕に似ただけだと思うんだけど」 子供のころはおとなしかったけれど、いつの間にこうなっていたのだろう、とでも言うような不思議そうなフェリクスの眼差しにエリンは溜息をつく。 「俺の口の悪さはどっちかって言ったら傭兵隊で鍛えられたもんですけどね。イメルじゃねぇんだ、憧れの師匠の真似っ子なんか恥ずかしくってできねぇよ」 嘘だった。子供のころからごくごく親しい友人とは雑な会話をしていた。イメルが知っている。たぶん、フェリクスも知っている。知っていて降臨祭のあの晩、からかって遊んでいたのだとエリンは思っている。 「なんだ、まだ僕に憧れてるの? 可愛いね、エリィ」 「師匠!」 師弟がいちゃつきあっているのにライソンは溜息をつく。相手はフェリクスで、エリンはその弟子。わかっていても癇に障る、と言うことがエリンにはわからないのだろうか。 一通り文句を頭の中でわめきたて、ライソンは息を大きく吸ってキーリに活を入れた。ひっと悲鳴じみた声を上げたキーリが目覚める。 「……夢じゃなかった」 いっそ悪夢であってくれたならば、と思っていることがありありと窺える顔。魔術師たちは揃って肩をすくめた。 「ミカの曾孫だって! どこなの、シェイティ!?」 やっと目覚めたところにまたひと騒動。キーリにとっては受難の一日だな、とエリンは小さく笑う。今度はタイラントが転移してきた。 二人の魔術師の腕前に、エリンは感嘆する他ない。このような狭い店に転移してくること自体がそもそも難しい。どこに何があるかわかったものではない以上、危険を伴うことでもある。それを彼らは易々とこなす。その上、今はここにはじめは三人、フェリクスを入れて四人の人物がいる。過密と言っていい空間に、タイラントは当たり前の顔をして跳んできた。 「見てわからないの? あなたの頭の構造がどうなってるのか、僕にはいまだによくわからないんだけど。説明してくれる、僕のちっちゃな可愛いタイラント?」 「って、だから怒るな!?」 「怒ってないけど?」 言い合う二人にエリンが懐かしそうな目を向けていた。その彼を見つめる視線に気づいたエリンがライソンを見やる。 「なんだよ?」 「いや……あれ、ほっといていいのかなって」 「ほっとく? いや、別にいいだろ。だってあれ、ただの痴話喧嘩だぜ?」 「痴話……喧嘩……」 いまにも魔法を飛ばそうとするフェリクスに、必死の形相のタイラント。できれば魔法は星花宮に戻ってからやってほしい。狭い店の中では修復するのが手間だ。 三人の魔術師の感覚など想像もつかないライソンは、ただただひたすらに呆れていた。その中で少しだけ、不安だった。 これがエリンの日常。彼にとっての当然。ならば、自分は彼にとっては異質なものでしかないのだろうと。かつてはフィンレイという例もあった。だがライソンは、そうは思えなかった。 「師匠ー。そろそろ話、戻しますぜ? タイラント師、こいつがミカ氏の曾孫のキーリですよ」 紹介されたキーリがまた泡を吹きそうになっている。フェリクスだけでも目を回したのに、そこにタイラントまで加わってはそういうものかもしれない。 ただ、慣れればいいのに、とエリンは思う。曽祖父の友人でとっくに死んでいるはずだと思っていたとしても、今ここに元気で生きているのだから、そう言うものだと納得すれば楽になれるのに、と。なぜそれほどまでにこだわるのだろう。ありえないもの、と切り捨てていては人生がつまらないのではないだろうか。あるいはそれが魔術師と常人の差、というものかもしれない、ふとエリンは思う。 「エリン?」 思わず見やっていたライソンの不思議そうな顔。そこにほんのひとつまみばかり不快さを加えたら、今の彼の顔だろうか。何が気に障っているのだろうと思う。 「いや……なんつーか、魔術師とお前ら常人の感覚の差ってやつかな、とか思っててな」 「あぁ、それは俺も思う。色々、違うよな。でもさ、エリン。違っても、いいと思わねぇ? あんたと氷帝だって違うんだろ、考え方とか色々。だったら俺とあんたが違ってても、普通だと思わねぇ?」 「そう、それだよね。君っていいこと言うね。違うのが当たり前って思えれば、けっこういい世の中になると思うんだけどなぁ、俺も」 「タイラント師、話、戻していいっすかね!」 「そういうところばっかりシェイティに似てさー。可愛くないよ、エリナード」 「タイラント師に可愛いって言われたって嬉しくねぇです。つか、師匠に睨まれるから断固として御免こうむります」 「そんな顔してないじゃない、エリィ!」 「視線を感じましたけどね。で! いいすか!?」 「だから、その子がミカの曾孫だよね、エリナード。なにぴりぴりしてるんだよ?」 あんたらが人の家で痴話喧嘩をはじめたからだろうが。エリンの内心の絶叫がいま、ライソンは聞こえた気がした。思わず口許を覆ってしまう。不思議とタイラントも同じ仕種をしていた。 「俺はタイラント・カルミナムンディ。君の曾祖父ちゃんには本当に世話になったんだよ。ミカは、俺の恩人。俺の魂の恩人なんだ」 言ってタイラントは今にも倒れそうなキーリなど見えてもいない様子でフェリクスを見つめた。フェリクスもまた、ほんのりと表情を緩める。 「ミカがいなかったら、ミカがタイラントを助けてくれなかったら、僕の魂は死んでいた。それくらいの恩が彼にはある。懐かしいね、タイラント? ミカの結婚式にあなたは演奏したんだよね」 「はじめての子供が生まれたときにも、初孫の時にもね」 突如として穏やかに思い出を語り合う二人に、キーリがおどおどとしている。エリンはそっと肩をすくめた。 「これ、普通だから。諦めた方が早いぜ」 ついに限界に達したキーリが再び目を回し、今度はしばらく目覚めなかった。 |