子供たちのきらきらとした眼差し。この世にはこんなに素敵なことがあるのだと全身で語るようなその目。星花宮を出る以前はとことん子供の相手は向いていない、と思っていたエリンだったけれど、こうして戻ってみれば意外と楽しいかもしれない。そんなことを思って口許が緩んだ瞬間。
「ぼうっとしてられるなんて、ずいぶんな余裕だね、エリィ? だったらあなたのその余裕を削りに行こうか」
「ちょい待ち、師匠!」
「待たない」
 くすりと笑い、フェリクスが切り込んでくる。彼の愛剣、まるで血の通った氷の剣。エリンにとっては見慣れた彼の剣が実戦さながらの勢いで切りかかってくる。
「だから、師匠!」
 危ういところでエリンもまた剣で受ける。エリンの剣は水の剣。硬化した水、なのだからフェリクスのそれのよう、見た目が氷めいていても不思議ではない。が、なぜかどう見ても水だとわかる。
「ちょっと留守にしてたら、腑抜けたんじゃないの、エリィ?」
 聞き捨てならないからかいに、エリンは敢然と魔法を放つ。剣で切り合いながらも魔法を行使する。それが星花宮の魔導師の戦い方だ。
 こうして四魔導師は時折、小さな弟子たちに模擬戦を見せる。戦闘とはこのようなものである、と示すためではなく、魔法の応用とはかくあるべし、と教えるため。
 エリンは戻っているのだから手伝え、と子供たちの前に引きずり出され、今に至る。渋々だったはずが、ずいぶんと楽しくもある。もっとも、フェリクスの目の輝きもまた、子供たち並みに煌めいていて、そちらのほうが嬉しいのかもしれない。
 迷惑をかけ通しの師だった。心配ばかりさせている弟子だった。立派にはなれなくとも、せめてもう少し誇らしいと思ってもらえるような弟子になりたい。
「はい、そこまでにしましょうかね」
 審判役を務めていたリオンの声に従ってエリンは剣を引く。同時にフェリクスも。寸時、静まったかと思うと沸騰しそうな弟子たちの気配。
「ご苦労様です、エリナード」
 にっこりと微笑むリオンにエリンは頭を下げる。そんな彼にフェリクスが不満そうな目を向けた。
「リオンなんかほっとけばいいのに」
「師匠にはそうでも、俺には違うでしょうが」
「どこが?」
「師匠とリオン師は兄弟弟子でしょうが。俺が礼を尽くさなかったら秩序ってもんがなくなるでしょう、秩序ってもんが」
「僕の弟弟子だし。あなたは僕の弟子だし。格で言ったら同格?」
「んなわけあるか!」
 言葉遊びだとフェリクスはわかっている。エリンもわかっている。リオンなど楽しくてたまらないと言った顔で二人のやり取りを眺めている。驚いたのは小さな弟子たち。
「悪い」
 独り立ちした遥かな兄弟子の上げた怒鳴り声に驚いてしまったらしい。すぐさま気づいたエリンにフェリクスが目許を和ませた。
「ちょっとは大人になったじゃない?」
 エリンは聞こえなかったふりをして体を伸ばす。フェリクスとの模擬戦闘は楽しいけれど、この上なく疲れる。たぶん、それでも師のほうが疲れている、と今のエリンはわかる。自分に万が一にも傷を負わせないように、細心の注意を払い続けている。それでいて、本気の戦闘に見えるようにも心がけている。すごいな、と今更になってよくわかる。
 店から星花宮に戻って早二十日が過ぎている。この魔術師たちの離宮に流れる時間に戻れば、心の底からほっとする。自分の住処だ、との思い。青臭いそれにエリンは内心で苦笑していた。
「師匠――」
 まだまだ教えを乞いたいことがある。一度は出て行ったからこそわかる師の偉大さ。魔法の素晴らしさ。エリンが言葉を続けようとしたとき、扉が開く。
「なんだよ、エリナード。こっちに戻ってたのか」
 いつの間にか子供たちはいなくなっている。リオンも消えていた。とすれば、リオンが弟子を率いて次の教授に向かったのかもしれない。気づかなかった自分にやはり子供の面倒は無理だ、とエリンは思う。
「イメル? なんだよ、店行ったのか」
 エリンの一番親しい友人が、扉の近くで唇を尖らせていた。子供じみた姿にエリンの顔がほころんだ。
「行ったよ。せっかくなんか飲ましてもらおうと思ったのにさ」
「うちは茶店じゃねぇよ」
「でもエリィのお茶、おいしいよね。やっぱりあれかな。水系の使い手だとそう言うものなのかな」
「別に魔法で茶ァ淹れてるわけじゃねぇですよ。師匠は雑なんだ。それだけだ」
「でもお前が汲んでくる水、旨いよなぁ」
 師と友人に口々に言われては、なんだか水系魔法の使い手とはそう言うものなのか、と納得しそうなエリンだった。慌てて首を振り、そんなわけはないとしっかり念じる。だいたいフェリクスだとて属性で言うならば水系だ。本人の趣味で氷の魔法をよく使うだけのこと。ちらりとエリンを見やったフェリクスが微笑んでいた。
「フェリクス師。エリナードにまだ用事がありますか」
「ないよ。連れて行ってもいいけど、でも連れて帰らないでね」
「店にですか? もちろんです」
 にこりと笑ってイメルが請け合う。俺の意志はどこにある、と呟くエリンの言葉は無視された。
「ほら来いよ、エリナード」
「なんだよ。別にいいだろ。茶だったら食堂で飲め。つか、自分で淹れろ。茶葉がねぇんだったら俺の部屋から勝手に持ってけ」
 面倒事に巻き込むな、と体中で叫ぶエリナードにイメルがほくそ笑む。せめて師の手助けが欲しい、と思ったら師は消えていた。
「あのクソ師匠! 俺おいて転移しやがったな!? こっから転移ってどんな横着だよ! 俺を見捨てたとしか思えねぇ!」
 叫んだ瞬間、エリンは床に膝をつく。どこからともなく現れた魔力の塊とでも言うしかないものに思い切り後頭部を殴られた。
 ――誰が見捨てるって? そう言うことは見捨てられたことが一度でもあってから言うんだね。
「冗談ですから! つか、わかってんだろ、あんた!? わかってて、遊んでるだろ、俺で!」
 くすくすとしたフェリクスの思念の気配。イメルが腹を抱えて笑っていた。
「ほんと、お前はフェリクス師に愛されてるよなぁ」
「あぁ、そうだな。全身ぬくぬくだぜ、マジでよ」
「エリナード、棒読みだけど?」
「聞いてそうだからな、まだ」
 鼻で笑えばフェリクスの精神が離れて行く。ここからは友人同士の聞かれたくない話、私的な空間、と理解してくれたらしい。
「で、なんだよ?」
 本当は、聞かれてもかまわなかった。今更、師に隠し事も何もない。遥かに無様で、何より情けない姿をもう見られている。
「お前の部屋、行こうぜ」
 軽く首をかしげてイメルが言う。それにエリンはわずかに訝しい思いを抱いた。別にこの呪文室は、いまだ使用中。印だけ書き換えてくれば、誰が入ってくることもない。
「広い呪文室を独占してちゃ悪いだろ。俺は話がしたいんであって、お前と魔法の練習がしたいんじゃないんだから」
 他人がいない時のイメルの素の話し方に心がくつろぐ。妙に恰好をつけて私だの君だの言っているイメルを見ると、悪いとは思うがぞっとする。
「それならいいけどな」
「なに警戒してるんだよ?」
「別に。なんか、まぁ」
 煮え切らない態度のエリンをイメルが微笑む。兄のような微笑み方がたまには癇に障る。ほぼ同期と言っていいほどしか年は違わない。
「たまにさ、俺も思い出す」
「なにをだよ」
「お前のほうが年下だったよなって」
「うっせ。ほっとけ。下ってほど下じゃねぇよ」
「魔術師としてはそうだよな、確かに。変わんないよなって思う。でも、なんか悩んでるお前見てると妙に兄貴面したくなるんだよなぁ」
「お前みたいな頼りない兄貴なんかいらねぇよ」
「それもよくわかる」
「否定しろよ!」
 もっともだ、とうなずくイメルに言い返し、言い返させられたのだ、とエリンは気づく。他愛ない言葉でも、黙っているよりはずっとくつろぐだろうとの気遣い。
「――お前だったら、俺はべらべら喋ってなくったって落ち着くぜ?」
「やだ、エリナード君ってば。ここで俺を口説く気?」
「死んでもねぇよ」
 タイラント師に突き返した方がいいのではないか、と心底エリンは思う。もう一度師の下で吟遊詩人の何たるかを徹底して叩き込まれた方がいいのではないだろうか。わざとらしすぎて少しも可愛くない仕種にエリンは溜息をつく。
「入れよ」
 それでもとりあえずは、と自分の部屋に入れてやる。二十日もあればだいぶ生活の匂いが戻っている。長く暮らした自分の部屋だ、という気がする。
「んで。なんの用だよ」
 何かがあるからイメルは私室に入りたがった。冗談に紛らわせて、緊張を解こうとしてくれた。わからないエリンでもない。
「ちょっと、預かりものをね」
 言いつつ、なぜかイメルは部屋に入ってこようとはしなかった。扉を挟んで内と外。言葉をかわす不自然さ。
「預かりもの?」
 眉を顰めるエリンの手に、一通の手紙がふんわりと乗せられた。まるで大切なものなのだから大事にしろと言われてでもいるかのよう。
「じゃあ、一人で読みなよ。エリナード」
 ひらりと手を振って行ってしまったイメル。まだ空いたままの扉の前、ぽかんと間の抜けた自分。首を振ってエリンは扉を閉める。一人きり、手の中のものを見る。
「……ライソン?」
 不吉な予感はしなかった。かといって、ならばフィンレイが出陣する前は嫌な予感におののいていたのかと言えばそのようなこともない。諦めて黙って封を開く。

 ――エリン。あんた、いまどこにいるんだ。もうずいぶん顔見てない気がする。最後に会った日、なんか機嫌悪かったよな。もしかして、具合が悪かったとかか。あれから何度か店にきたけど、あんたはいつも留守でいない。……けっこう心配してる。じゃあな。

 黙って文面を撫でていた。気がつけば、そうしていた。最後の一文の前、乱暴に消した痕跡。その下は、何が書いてあったのだろう。ライソンは、何を言いかけたのだろう。エリンの指先はまた手紙を撫でていた。




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