フェリクスが去るとほぼ同時にイメルも商売に行く、と席を立った。
「なにしに来たんだよ?」
 嫌な顔をするエリンにイメルは笑う。仕方ないやつだろ、とでも言いたそうな顔をしてライソンを見やった。
「別に? 顔見にきただけ。じゃな」
 思わせぶりに鼻で笑って、けれどそれ以上を言わずイメルは帰っていった。唐突に、がらんとしてしまった室内。ライソンは手持無沙汰に鍋を見る。
「……どうよ?」
「って、何がだよ?」
「鍋だよ、鍋。あいつらに邪魔されたんだろ」
 ひょい、と顔を突き出してエリンがライソンの肩越し、鍋を覗き込む。その気安い仕種にライソンはどきりとし、強いて何事もない顔をして鍋をかき回す。混ぜるな、と叱る父の声が聞こえた気がした。
「結構、楽しかったし。こんな賑やかな降臨祭、久しぶりかも」
 笑って大丈夫だ、と鍋を示し、ライソンはテーブルの上を片付ける。ずいぶんと散らかっていた。まったくもって信じがたい。いったいどれだけ飲んだのだ、あの魔術師は。
「氷帝、強いよな」
 空いた葡萄酒の瓶を振ってエリンに言えば肩をすくめる。そんなものではない、と言いたげだ。星花宮の日常がどんなものかを想像して少し恐ろしくなる。
「あの人は、闇エルフの子だからな」
「どう言うこと?」
「半エルフと闇エルフ、どう違うか知ってるか」
 いきなりの質問にライソンは面食らった。目を丸くしながら考えつつ、それでも手を動かしている辺りに彼の過去を見る思い。かつて、その家族と共にあったころ、彼は長兄と共に幼い弟妹を導きつつ、父母の手伝いをしていたことだろう。それがいまだに体に染みついている。それを見た気がしてエリンは不意に切なくなった。
「いいやつと悪いやつ?」
「ガキか、お前は!」
「だって知らねーし! 無茶言うなっての」
 ライソンの言うことももっともだった。通常、闇エルフと知り合う機会などあるはずもない。目にしたことがある人間もさほど多くはない。半エルフですら、伝説のように朧なのに。そのくせ、出会えば半エルフも闇エルフもその子らも、一様に迫害するのが人間であったけれど。
「とりあえず頑張って生きてんのが半エルフ。絶望して死にてぇのが闇エルフ」
「はい?」
「うちの師匠の師匠の師匠が半エルフだったんだよ」
「わかるか、それで! どんだけ遠いんだ、他人だ他人、そんなもん!」
 笑うライソンだった。エリンはただ肩をすくめる。彼個人の思いとして、ライソンが感じるほど遠い師ではない。
「俺が弟子になったときにゃ、もういなかったけどな。星花宮には半エルフの魔術師がいたからな。カロル師の師匠、最強のサリム・メロール」
 人間にはとても到達できない域に達していた魔術師。あらゆる属性の魔法を使いこなし、自在に操った。そもそも属性と言う概念すらなかったほど完璧に。そしてなにより現在の鍵語魔法の開発者。偉大な半エルフの魔術師。
「その人が言ったことだそうだ、いまのは。闇エルフってのは、死にたくて、死ねねぇから、何とかして殺されようとして無茶するんだってよ」
「それはそれでけっこう無茶苦茶な考えじゃね? 死にたきゃ勝手に死ねよ、そんなの」
 ライソンの脳裏に家族や知人の姿が浮かぶ。それからたくさんの戦場での死者たちが。敵も味方も。そのほとんどが傭兵。いつ敵になっても味方になってもおかしくなかった彼ら。
 生きたかったはずと思う。もっとずっと生きていたかっただろうと思う。自分もだ。死にたくないから、相手の命を奪った。戦場で倒れる日が来れば、そう思って自分は死ぬだろう確信がライソンにはある。家族だとてそうだった。間違っても死にたくなかっただろう。訳もわからず、なぜ殺されるのかもわからず死ななければならなかった。
「怒るなよ」
 体の脇でぎゅっと拳を握っているライソンだった。エリンには、彼がいま何を考えているのか驚くほどよくわかる。そっと肩に手をかければ力なく首を振る。
「闇エルフは――っつーか、半エルフもそうだけどな。神人を親に持った。わかるか?」
「昔は神人の子とかって言ったんだろ? なんか聞いたことはあるけどよ」
「その、神人の血のせいなのかどうかまでは俺も知らねぇ。――神人の子らは、死ねねぇんだよ。どんなに死にたくっても、死ねねぇ」
 ふ、とエリンが言葉を切る。死にたくとも死ねないと言うのは、どんなにつらいことなのかと。エリンは身をもってそれを知っている。暴走したあの日、死に逝くはずだったのに、師に保護された。絶対に死なせない、と固く誓う師の心を嫌でも知った。どれほど望んでも、だから死ねなかった。生かすことのほうがずっとつらいと師も知っていた。それでも生きてほしいと師は望んだ。
「ほんと……つれぇもんだ。死ねねぇのは」
 ぽつりとしたエリンの呟きに、ライソンは振り返る。黙って手を取った。友人として、ただ慰めたくて。言葉などないから、ただここにいる証に。
「神人の子らは、自殺もできねぇ」
「え?」
「一応、試みた馬鹿がいるらしいんだな、これが」
「でも――?」
「あぁ。だめだったらしい。飛び降りようが入水しようが無駄だったって話だ。……けっこう、想像すると怖いよな? 体自体は壊れんだぞ。そっから復活してくるってどんな怪談だよ」
 茶化して笑うエリン。だからこそ、いまでも彼がその心に傷を抱えていることがわかってしまう。わかるからこそ、自分の傷も癒えていないのだとライソンは思う。
「だから、殺されたいんだ、闇エルフは」
 自力では死ねなくても、殺されれば死ねるから。ライソンは撃たれたよう仰け反った。どんなに哀しい言葉なのか、それは。エリンは黙って繋いだ手に、反対の手を重ねて軽く叩いた。
「そんな……」
「なんかな、すげぇ悲しい話だろ。生きてんのが嫌になるくらい、切ない話だよな」
「闇エルフって、そうなんだ。……考えたこともなかった」
「普通そうだっての」
 身近にいたからこそ、自分も考える機会があった。人間とはそのようなものだとエリンは言う。想像力の欠如と言いたければ言うがいい。人間は、知らないものを想像するようにはできていない。大切なのは知った後にどう行動するか、だとエリンは思う。
「まぁ、悲しい話はそこまででな」
 ふ、と肩をすくめてエリンは取られたままの手を抜いた。どことなく、照れてしまったような仕種にライソンこそが頬を赤らめる。
「要はあれだ。半エルフも闇エルフも元は同じで、あいつらは毒無効って便利な体してんだぜって話だったんだけどよ」
「毒無効?」
 急になんの話になったのだ、と怪訝な顔をしたライソン。まだ頬に残る赤味こそがエリンの目には楽しい。
「だから酒だ酒。師匠が酒に強い理由ってやつだよ。闇エルフは毒無効。師匠はその子供だからな。強いの強くないのって、言うだけ無駄っつーか馬鹿馬鹿しいっつーか」
 呆れたもんだ、とエリンが肩をすくめた。巡り巡って戻ってきた話の行方はここだったのか、とライソンは思い出し、うっかりと吹き出した。
「なんだよ?」
「いや、別に。なんかすげぇ楽しくって」
「おい、お前。実は酒が弱いとか言わねぇよな?」
「一応は傭兵だし。それなりに飲むけどね。あんたほどじゃねぇよ」
 にやりと笑う。その表情に、それほど飲んだだろうかとエリンは首をかしげてしまう。ちらりと空いた壜を数える。まだそれほどでもないはずだ。あの人数なのだから。
「俺、なんか無性に星花宮の宴会が怖いわ」
「はい?」
「あんた今、たいしたことないよなって思っただろ」
 思っていないとは言えなかった。むしろなぜ言い当てた。不思議そうな顔をしたエリンに、ライソンが再びにやりとする。
「すげぇ飲兵衛ばっかりだったりしてな」
 おお怖い、などと言いつつライソンは鍋に向かった。どことなく釈然としない思いを抱えたまま、エリンは所在なくその背を見ている。そして思い出したよう、店のほうへと行った。
「どこ行くんだかね」
 ちらりとライソンは笑い、鶏の仕上げをする。もうずいぶんといい具合になっていた。父のあの味になっているだろうか。
「ほら。絶対飲まれると思って隠しといたんだ、一本」
 できあがった鶏のスープを鍋ごとテーブルに置けば、計っていたようエリンが戻る。その手には極上の葡萄酒の瓶。
「あんた、まだ飲むのか!?」
「それほど飲んでねぇよ。師匠だろ、飲んでたのは」
 嘘をつけ。氷帝と二人で飲んでいたのだ、とはライソンは言わなかった。多少は酔っているのだろうエリンの仄かに色づいた頬が美しかった。
「飲みすぎんなよ。酔っ払い置いて帰んのは気が咎めんだろうが」
 ライソンの言葉がよくわからなかった。葡萄酒を口に運び、何気なく鶏のスープを飲む。驚いた。そっと鶏を崩して食べてみればこちらもまた。
「すげぇ旨い。なにこれ」
「だろ? 親父自慢のスープだぜ。あんたが気に入ってくれてよかったよ」
 ライソンが嬉しそうにする間もエリンはせっせと食べていた。滋味、という言葉がよくわかる。温かい、家族の味かとも思った。
「で。さっきの話。――泊ってけよ。外、雪だぜ」
 スープから目を上げず、エリンは言った。ライソンは返す言葉を失い、外を見たりしてみる。確かに雪がちらついてはいる。帰れないほどではなかったけれど。
「念のため言っとくとな――」
「俺はダチに手ぇ出すほど不自由してねぇよ」
「どうだかな」
 互いに鼻で笑い合い、食事を続けた。二人きりになってしまって、間が待たないかとライソンは思った。望んでいたのに。だがそんなこともなく楽しい食事。
 他愛ないことを話し、なんの気負いもなく緊張もなく、連れ立って寝台に倒れ込む。だいぶ飲み過ぎていた。ただ眠るためだけに横になる。すぐそこにあるぬくもりに、どことなく満足を覚えつつ。
「フィン……?」
 朝まだき。夢うつつのエリンが呼び掛けてきた声を、ライソンは笑っていなした。
「彼氏と間違えんなって。なんか申しわけねぇだろうが」
 愕然と飛び起きたエリンの前、充分に眠って気分よく目覚めた。そんな顔をして体を起こし伸びをしつつまだ笑っているライソン。痛みが見えた。見えたのに、エリンはどうにもできなかった。




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