フェリクスとイメルが自分の家で楽しく飲んでいる。眩暈がするような気分だった、エリンは。それなのに、楽しくもある。それを隠したくて渋面を作れば、師には悟られた気がした。だからこそ、八つ当たりをしてしまう。 「お前もお前だ! なんで相手してんだよ!」 自主的に作ったのか、それとも作らされたのか。テーブルの上には簡単な酒のつまみ。意外と器用ではないか、とエリンは思う。 あるいは。料理が嫌いではなかったのであろう父の影響なのかもしれない。そんなことを思う。ライソンは八つ当たりだとわかっていて、乗ってくれる気もした。そして当然のよう、彼は笑う。 「無茶言うな! あんたの客だろうが。俺が勝手に追い返せるかってーの」 「追い返せ。いいから、追い返せよ!」 「……ふうん、冷たいこと言うようになったね、エリィ?」 「師匠は黙っててください! 話をややこしくすんな!」 エリンの絶叫にフェリクスが笑った。ライソンはわずかに目を見開く。怒鳴っていても、どことなく楽しそうなエリン。それこそが、降臨祭の贈り物だったのかもしれないと。 鍋の面倒を見つつ、ライソンもついには酒宴に参加する羽目になった。エリンは文句を垂れている。もう諦めればいいのに、と含み笑いを漏らせば睨まれた。 「せっかく買ってきたってのによ。師匠はざるだぞ、ざる」 降臨祭を祝うためにライソンが料理を作るのならば、自分は葡萄酒の一本でも買ってこよう、としたらしい。帰宅したエリンは上等な葡萄酒の壜を下げていた。そして当たり前の顔をして今、フェリクスがそれを飲んでいる。 「ざるってなにさ? 別にそれほど強くないけど?」 「あんたは闇エルフの血のせいでしょうが。自分で自覚がないだけでしょ。強いとか弱いとか言う問題じゃねぇだろうが」 鼻を鳴らしてエリンが言えばフェリクスが黙って肩をすくめる。意味がわからないなりに暴言の類としか思えない言葉。なのに、それでもそれは師弟の絆だった。 「そういえば、そっちのでくの坊」 「……って俺ですかい」 「あなた以外に誰がいるの。僕の周りはでかい男っていないんだ。せいぜいリオンくらい? あのボケ神官も結構背が高いよね。体格もいいし」 「身長だったらカロル師もそれなりにありますよ?」 「隣にいるのがリオンだからね。あんまり大きく見えないんだよ、あの人は」 ちらりとライソンはタイラントを思い浮かべる。そして納得した。星花宮の四魔導師の中でフェリクスはひときわ小柄だ。成人男性としては華奢すぎるほど線が細くもある。 「あなた、素顔の僕を見ても平気だよね。どうして?」 そのフェリクスの問いが、ライソンには意味がわからなかった。きょとんとして首をかしげてしまう。自分で子供じみた仕種だ、と苦笑したけれどこの場にいる誰もが気に留めてもいなかった。 「なにを気にすりゃいいんです?」 わからないのだから尋ねるしかないではないか。ライソンの真っ直ぐな問いに、イメルが笑った。 「フェリクス師は、見ての通り闇エルフの子だからね。普通は、なんと言うか……その、ね」 「まぁ、あれだ。妙な気になるっつーかなぁ」 「いきなり圧し掛かってこようとするとか。路地に引っ張り込んで強姦しようとするとか。闇エルフの子としてはそれがけっこう日常なんだけど」 「……いやな日常もあったもんだぜ」 今更だったけれど、それで以前のフェリクスは人間の幻影を被っていたのだ、とライソンは気づいた。エリンの店にはいつ客が来てもおかしくはない。こうして居住部分にいる今だからこそ、彼は素顔でいるのだと。氷帝が経験してきただろう様々なものにライソンは背筋を震わせる。 「あるものはあるで仕方ないからね」 心底、気分が悪くなったのだろう。顔を歪めたライソンをフェリクスは真っ直ぐ見ていた。まるで心の奥まで見据えようとしているかの眼差し。ライソンはそれに応えなければならない、そう思う。 「エリンは知ってますけどね。俺は生まれ故郷が盗賊に襲われて全滅してる。俺一人が生き残りですよ」 悼むよう、イメルが携えていた竪琴を爪弾いた。カタンの村への旅を思い出してくれているのだろう。いまを生きる彼にそうしてもらえたことがなにより亡き家族は、知人たちは嬉しいのではないだろうか。ふとそんなことを思う。 「盗賊ですからね、綺麗に殺すはずはない。――さしてでかくもねぇ村だ。さすがに全員が俺の知り合いか、でなかったら家族だ。これ以上は言いたくねぇ。察してくださいよ」 こくり、とフェリクスがうなずいた。眼差しの真摯さに、ライソンは微笑む。何も気まぐれで聞いたわけでも、他愛ない冗談で過去を暴こうとするつもりもない。無言でそう告げられた気がした。 「だからね、氷帝さん。俺はそっちの犯罪だけには走らねぇよ。絶世の美女が素っ裸で足広げて誘おうが、闇エルフの子だろうがね」 ぱちりと片目をつぶって見せて、そして青ざめた。ここにエリンがいるのをついうっかり忘れていた。傭兵隊では当たり前の冗談も、想い人に聞かせる言葉ではなかった。 「青くなるくらいなら馬鹿な戯言たれてんじゃねぇよ」 「いやいや、エリナード。普通、戯言ってのは馬鹿なもんだろ」 「だよね。イメルが正しい」 励まされているのか救われているのか。はたまた単にからかわれている可能性すら捨てきれない。ライソンは諦めて黙った。 「まぁね。傭兵って世間が広いからね、それなりの年齢だったりすると、闇エルフの子だから何?って言う人もいるんだけどね。あなたまだ若いじゃない。ちょっと不思議だったの。それだけだから」 他意はない。むしろ、エリンの側に置いていい人間なのかどうか、ただそれだけを確かめたいだけ。そうとでも言うようなフェリクスにライソンはうなずいていた。 「ったく。師匠は質が悪ぃんだ」 ぼそりとエリンが言う。まるでそれは師の言葉が気に障ったのならば許してほしいとでも言うような。だからライソンは微笑む。まったく気にしていないと。それ以上に、エリンの師として当たり前の言葉だったと。それなのに。 「酷いこと言うね、エリィ。昔は可愛いおとなしい子だったのに」 「いつの話ですか、いつの!」 「前」 あっさり言ってフェリクスが酒を飲む。顔色一つ変わりもしない。見れば最初の葡萄酒の瓶は空いて転がっていた。ずいぶんな大瓶だったはずなのだが。イメルはこのあと演奏が控えているせいか、口を湿らす程度にしか飲んでいなかったし、ライソンもまだ鍋の面倒を見ている最中だ。よって、飲んでいるのはフェリクスとエリン、ということになる。 「あんなにおとなしい、人に逆らったことがないような子だったのにね、エリィ?」 ふふん、と笑ってフェリクスはライソンを見た。そんな彼が想像できるかとでも問うように。ライソンはにやりと笑って口にする。 「断じて俺のせいじゃねぇですから」 「悪い友達ができたせいだと思うんだけどな?」 「だから俺じゃねぇって。変わったって言うんなら、それ以前でしょ。エリンを変えたのは、だったらフィンレイさんだ」 何事もないようにライソンは言う。息を飲んだのはイメルだけ。その自らを恥じたよう、軽く顔を伏せていた。 「そうだろ? 初対面の時からあんた、そんな感じだったもんな?」 降臨祭だから。ライソンの言葉が蘇る。一年に一度くらいはいいではないかと言った彼の言葉が。ふ、とエリンの口許に笑みが浮かんだ。 「フィンじゃねぇよ」 肩をすくめてちらりとイメルを見やり、エリンは言う。彼はもう顔を上げて微笑んでいた。 「フェリクス師が、ご存じないだけだよな?」 「だな。ガキの頃から実は柄は悪い」 お前もな、とでも言いたそうな顔でエリンがイメルに言えば、彼もまた肩をすくめた。それにフェリクスがくすりと笑う。 「嘘つきなよ。二人とも引っ込み思案で奥手で内気で。まともに人の目見てお話もできないような子供だったくせに」 言った途端だった。ライソンが思い切り吹き出したのは。さすがにフェリクスに向かってそれをしてしまっては後が恐ろしい、と横を向いてはいたが、確かに酒を吹き出した。 「きたねぇなぁ」 顔を顰めるエリンに慌てて手で詫び、けれどライソンはそれどころではない。飲みかけの酒が息を詰まらせむせていた。 「ったく。手のかかるガキだな、おい」 仕方ない、とばかりエリンが背を叩いてくれた。そんな彼をフェリクスが渋い顔で、イメルが満面の笑みで見つめている。幸か不幸かライソンは気づく余裕がなかったけれど。 「エリンが奥手!? 引っ込み思案!?」 なんの冗談だ、と言いたげに身を乗り出したのは、咳が治まってすぐだった。さすがにそれにはフェリクスが唖然とした顔をする。次いでくすくすと笑いだした。 「本当だよ? イメルもだけどね。この子たちは本当に内気だったから」 「よしてくださいよ、師匠。ガキの頃の話なんか恥ずかしい」 「やめない」 喉の奥でフェリクスが笑う。エリンが両手を広げ、処置なしだと肩をすくめる。星花宮も楽しそうなところだな、とライソンは思う。 「エリィとイメルと。二人で置いとくとね、これで中々気もあったみたいだから、お喋りをしようとするんだけど。面白かったよ、見てて。じーっとうつむいて黙ってたかと思うと二人揃ってあの……って声上げてさ、それに慌ててまたうつむいてじっとして。その繰り返し。半日ほっといても、あの、しか言わないんだもん」 「師匠、性格が悪い。見てたんですかい、あんたは」 「見守ってた、と言ってほしいね。可愛い子供たちのことだからね」 嘘をつけ、とばかりエリンが師を睨む。けれどその目が笑っていた。ライソンは少しばかり羨ましくなり、そして気づく。自分にはコグサがいる。 「あ、呼んでる」 ふいにフェリクスが言い、立ち上がる。なんのことだと言いたそうな顔をしたエリンだったけれど事情を察したのだろう。黙ってうなずく。 「エリィ」 その彼に、ひょいとフェリクスが何かを寄越した。見れば油のしみた紙袋。ライソンが首をかしげ、エリンが口許をほころばせる。 「降臨祭だからね。おすそわけだよ」 そしてフェリクスは消えた。エリンに何を言わせる間もない。瞬きより短い、あっという間もないほどのことだった。 黙って紙袋を開いたエリンが目を和ませていた。イメルは気づいているのだろう、口を挟まず見ている。不思議そうなライソンの前、エリンが中身を皿に出せばそれは。 「相変わらず下手くそだな、おい」 くすくすと、フェリクスとよく似た笑い声。ところどころ焦げた焼き菓子。以前食べさせてくれたあの焼き菓子をライソンは思いだす。師の優しさの塊のようなそれを、どんな気持ちでエリンは食べさせてくれたのだろうかと。 |