一度焼くのがこつだ、と偉そうにライソンは言って笑った。鍋ごと火にかけて、鶏をこんがり色よく焼いて行く。意外と器用なものだ、とエリンは覗き込む。 「あとはことこと煮るだけっと」 胸を張って言うようなことではない。思ってエリンは気づく。ライソンは若い傭兵だった、と。今更だった。 「お前、宿営地で料理とかすんの」 「するわけねぇじゃん。アランとかは好きでするけど。俺は食う専門」 「ふうん」 だからか、と思った。単純な煮込み料理。ただ思い出のそれ。亡き父の仕種の一つ一つを思い出し、想い人に贈る料理。緊張していて当たり前なのだとエリンは気づく。 「――ちょっと、出かけてくるわ。留守番、頼んでいいか」 「いいよ」 「じゃな」 だからかもしれない。いたたまれなくて、申し訳なくて。けれどありがたくて嬉しくて。その場にはいられなかった。 ライソンが望んでいることがわからないエリンではない。たぶん、彼はこうも思っていたのだろう。煮込む間、のんびりと他愛ない話でもしようと。あるいは傭兵隊での普通の遊び、単純な賭けごとに興じようとでも思っていたか。いずれ、エリンと二人きり。そう思っていたに違いないのに。 わかっていたから、エリンはその場にいられなかった。フィンレイがどうのではなく、何も決めたくない自分が申し訳なくて。 「――ちょっと焦ったか」 ふむ、と偉そうに腕を組み、ライソンは鍋の前で微笑んでいた。エリンが逃げ出していったのをライソンは悟っている。 「別になんにもしないんだけどなぁ」 が、意味まではさすがにわかっていない。その点は紛れもなく若い傭兵、人生経験の少なさだった。煮立ってきた鍋に束ねた香草を放り込み、火の場所から少しずらす。これで充分に弱火だろう。 「……たぶん?」 人の家の台所はわからない、という問題以前だ。料理そのものに縁がない。宿営地では隊の食堂を使うか、飽きればその辺にある酒場に行く。そもそもライソンが住む部屋は隊の営舎、寮とでも言うべきものであって、台所自体がない。 意味もなく、鍋の中をかき回してみる。放っておけ。父に叱られた気がして驚いてライソンは手を放した。 「親父……」 炉の側で、仕事をしながら煮込んでいた父の背中を思い出す。いつもの、火と鉄の臭いだけではない仕事場の匂い。 「親父さ。これ、お袋に食わせたこと、あった?」 当たり前だろうが。父の声が聞こえた気がしてライソンはそっと微笑む。鶏の煮込みは父の得意料理。母も喜んで食べていた。 「違うよ、そうじゃない。結婚する前」 若き日の母に、あの父が手料理を振るまったことがあったのだろうか。あったのだとすればこんなに面白いこともない、ライソンは思う。 武骨で鉱石が服を着て歩いているようだった父。朗らかで、いかにも明るい一家の主婦だった母。似合い、だったのだろうと思う。 「俺もさ、好きな人に食べてほしいなって――」 鍋の中身を再び混ぜようとしてしまってライソンは危ういところで止まった。父に睨まれた、そんな気がして。同時に、たとえようもない悪寒。 「ふうん。好きな人、ね。それって僕の弟子? まだごちゃごちゃやってたんだ。エリィも思い切りが悪いね。それがあの子の優しいところだけど。さっさと振ればいいのに、傭兵なんて」 すぐ後ろに、何かがいる。否、もうわかっている。だからこそ、振り返りたくない。断じて振り返りたくない。何かの思い違いか幻か。いっそ父の声のように遠いものであってほしかった。 「……氷帝」 だが、無視する方がよほど恐ろしい、とライソンはすんでのところで気がついた。力なく振り返れば、両手を腰に当てたカロリナ・フェリクス。 「ちょっと聞きたいことがあるんだけど。いい?」 「……なんすか」 「なんであなたがエリィの家で料理してるの? まさか、なんてことはないよね。まさかね」 酷いことを言われているような気はするものの、それがフェリクスの弟子への愛情だとわかってしまったからには怒れない。 「降臨祭なんで。飯の約束しただけですよ。別にそんなんじゃない」 「だよね。よかった」 「……よかったってこたァねぇでしょうが」 「だってあなた、傭兵じゃない?」 竜の傭兵であったフィンレイを失ったエリン。同じ傭兵のライソンが彼に相応しいと思っているのか。そう問われた気がした。 「一応、聞きたいんすけどね。もし俺が傭兵じゃなかったら歓迎してもらえたんですかね」 「そんなわけないじゃない」 即答だった。がっくりと肩を落とし、けれどライソンは気づけば笑っていた。ここまではっきりと言われると、何やら妙に面白い。 おそらく誰が相手であろうとも、フェリクスは気に入らないのだと思う。自分がどうの、ではない。傭兵だろうが商家の二代目だろうが、はたまた魔術師であったとしてもフェリクスのお眼鏡にはたぶん、適わない。わかるからライソンは言い返す。 「ちなみに。フィンレイさんは? エリンに相応しかった?」 それが嫉妬ゆえの言葉だったならばフェリクスは答えなかった。だがライソンはにやりと笑っている。自分が反対する理由まで飲み込んで彼は笑った。それに気づいたフェリクスはほんのりと目だけで笑う。 「僕はね、坊や。可愛い弟子には幸せになってほしいの。わかる? 誰が来たって気に入らないよ、そんなの当たり前じゃない」 「どっちかって言うと、それって娘を持った父親の態度ってやつじゃないんですかね」 「あれが娘? あんな柄の悪い娘、いらないよ」 さも嫌そうに顔を顰めたフェリクスにライソンは大きく笑った。自分もそう思う、と息も絶え絶えに同意すれば呆れた声。 「そこまで笑う?」 笑わないでいられると思っているのだろうか、この浮世離れした魔術師は。あまりにもおかしくて涙まで浮かんでしまった。 「いやぁ、こんなに笑ったの久しぶりだわ」 「寂しい生活してるね、可哀想に」 「別に? 楽しいっすよ」 フェリクスの邪険で悪意塗れの言葉が、ただの冗談なのだとわかるようになってきた。エリンがここにいれば肩をすくめるだろうか、呆れるだろうか。 「そういや、エリンに用事なんでしょ? なんか留守番しててくれって頼まれましたけど?」 「すぐ帰ってくるよ」 「そう、なんすか?」 「呼びつけたもん」 あっさりと言うフェリクスにライソンは小さく溜息をつく。どこに行ったのか知れないけれど、エリンも可哀想にと思う。せっかく逃げ出したのに師匠の呼び出しでは戻ってこざるを得ないではないか。 「なんかいい匂いするねぇ」 ライソンは、肩を落とした。どうしてこう次から次へと。思って否応なしに気づく。降臨祭だからだ、と。エリンの元には彼の友人知己が集まっても当然というもの。 「あれ、ライソン?」 イメルだった。華やかな、魔術師とは思えない装いをしていた。美しく結った髪にまで装飾が施されている。 「あぁ、これ? 降臨祭だからね。ちょっと商売に。……って、フェリクス師。いらしてたんですか」 「普通、僕のほうに先に気がつかない? そんなにお腹空いてるの。星花宮のごはん、足らないのかな」 「足りてます、足りてますから! 珍しいのが来てるから驚いただけですから!?」 「あのね、イメル。僕の前でそれやめて。あなたがタイラントに憧れるのはけっこう。あなたの師匠だしね。でも僕の前であいつの真似するのはやめて。虫唾が走る」 ぞっとして両腕で自らの体を抱えたフェリクス。そこまで言うことはないだろうとライソンが入り込みかけたとき、イメルが片目をつぶって見せた。 「今日は、師はいずれに?」 「知らない。僕に内緒で何かするから出かけてろって言われた。なんか頭の中身が入ってないような顔してへらへら笑ってたけど? 用があるんだったら星花宮だね。もしかしたら街に出てるかもしれないけど」 「いや。別に用ってわけじゃなくってですね。――まぁ、いいや。ライソン、それ食えるの」 「まだっすよ。だいたい、エリンに作ってるんです! エリンに食わせる前にどうしてあんたに食わせなきゃならないんだ!」 「だったらなんか食わしてー。商売の最中に腹減って目がまわったりしたら恥だからなぁ」 「商売?」 そこら辺にあったパンを切ってチーズを乗せて炙ってつきだせば、嬉しそうにかぶりつく。どことなくフェリクスの視線が気になって、同じものを作って皿に置く。ちらりと見やって彼もまた手に取った。野良猫みたいだな、とライソンは内心で小さく笑う。 「俺は魔術師だけど、吟遊詩人でもあるからね」 だから商売か、とやっと納得が行った。この祭りの日だ。あちらこちらに吟遊詩人が出ている。イメルがそこに交じるのか、と思えばおかしいようなぴったりと来るような、不思議な気がした。 「ライソン、そこの棚の下に葡萄酒があるから出して」 「飲むんですかい!? 商売の前に!」 「前だからだよ? 喉が滑らかになるじゃないか」 「詭弁だね。タイラントだったらそんなこと言わないのに」 「師匠と一緒にしないでください。俺は一介の吟遊詩人に過ぎないんですから」 世界の歌い手と同列に語られては寒気がする、とイメルは笑う。寒気がするのは自分だ、とライソンは思う。エリンと温かい時間を過ごそうと思ったはずが、なぜ人の家の台所で、その家の客を主人抜きでもてなしているのだろう。葡萄酒の口を開け、酒杯まで出してやりつつライソンは溜息をつく。このぶんでは食べるものが欲しいと言いだすに決まっている。適当に何かを作った方がいいだろう。 「……鍋だけは死守するからな」 そのために酒のつまみを作るのだ。火の前で両拳を握りしめ、ライソンは台所を漁りはじめる。エリンの普段の生活がしのばれるような食材の貧しさに溜息も出ない。その姿をちらりとフェリクスが見ていた。 エリンが戻ってきたのは、ちょうどそんなころ。入ってくるなり頭を抱えた。 「あんたら、なに人んちで酒盛りしてんですかい」 脱力してそのまま床に座り込みそうなエリンの腕を取り、ライソンは情けなさそうな目で彼を見る。気持ちはよくわかる、と。 |