明日は王都に入る、という晩。最後の夜営だった。強行してもよかったのだけれど、それほど急ぐ旅でもない。だから三人はゆったりとした夜を過ごしていた。
「……君と旅をして、よかったのかもしれない」
 ぽつりとイメルが呟いたのは、そんな時だった。ほろほろと竪琴を爪弾きながら、まるで歌のよう。眼差しは大地に落とされたまま。だからライソンは自分に向けての言葉だと思いもしなかった。
「君だよ、ライソン」
「はい? 俺?」
「うん、そう。――ちょっとね、色々思うところはあったんだけど。でも、君と一緒に行って、よかった」
 思うところ、とはエリンのことに違いない。色々の詳細はわからないもののライソンは黙ってうなずく。戸惑いが強すぎてどうしていいかわからなかった。
「俺じゃね、エリナードを立ち直らせられなかったから。君と一緒にあそこに行って、少し元気になったよね? だから」
 ちらりとイメルがエリンを見やる。彼は聞こえているのにそっぽを向いたまま。それをイメルがほんのり笑った。
「立ち直らなきゃ、元気にならなきゃって、ずっと思ってたし、言ってた。でも、それじゃだめなんだよな。――正直、よくわかんないけどね」
「そう、なんすか?」
「うん。俺は、変に聞こえるかもしれないけど、まだまだ魔法が楽しい。勉強して、研究して、それで精一杯。人のことまで手がまわらないって言うか、人を好きになる余裕なんてないから」
 さらりと竪琴の上で指が動く。魔術師というよりは吟遊詩人。それでも彼は紛れもない喜びとして魔法を操る。
「剣の鍛錬のほうが楽しくって、女になんか興味ねーや、みたいな?」
「そうそう。そんな感じだろうね。だってね、ライソン。君には信じられないだろうけど、俺もエリナードも魔術師としては小僧も小僧。まだほんの若造なんだよ? 魔術師としてなら、君が若い傭兵であるのと変わらないんだ」
 年齢ばかりはずいぶん上だけれどね、イメルは笑う。そんな彼をライソンは目を瞬いて見ていた。次第に口許に笑みが浮かぶ。よくわからないなりに、楽しくなっていた。
「だから、俺にはわからない。ただ俺が奥手だってだけかもしれないけど。エリナードみたいに誰かを好きになったことがないから、わからない」
 立ち直れ、元気になれ、前に進め。簡単に言ってしまう。イメルはそう言う。口ほど簡単に言っているわけではないことくらい、ライソンにもわかる。
 それでも言われたエリンはどれほど心の痛む思いをしてきたことか。それもライソンにはまた、よくわかる。
「君は、エリナードの気持ちがわかるからね。俺にはできない、俺にはわからないエリナードの心を汲んであげられる。君が一緒でよかったって言うのは、そう言うこと。わかる?」
「そりゃ、まあ……、その。でもイメル。それ、エリンの目の前で言われても。俺も素直にうなずけねぇっていうか」
「――聞いてねぇから好きにしろ」
「って聞こえてんだろうが!? つか、この距離で聞こえなかったら耳遠くなったかって突っ込むぜ?」
「そこまで年じゃねぇよ」
 ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いたままのエリンが更に目をそらすさま。くすりとイメルが笑った。
「変な意味じゃなくて――君にはそっちの意味のほうが嬉しいだろうけど、そうじゃなくってね、ライソン。君はエリナードに必要なんだと思うよ」
「嬉しいような嬉しくないような?」
 言いつつライソンはにやりと笑う。だからエリンにもわかってもらえるだろう。そんな気はいまはないのだと。ただの友人でいい。望むらくは親しい友人でありたいだけだと。
「だってね、正直言って俺はフィンレイが嫌いだ」
 ぞくりとした。イメルの声が違う。思わずライソンはエリンを窺ってしまった。親友から失った恋人をそのように言われて、エリンはどう思うのだろう。どうもこうもない。傷つくに決まっている。
「エリナードは俺があいつを嫌いなの、知ってるよ。さすがに知らなかったら本人の前では言えない」
 からりとイメルが笑う。それでもライソンはわずかばかりとはいえ、イメルを睨む。知っているからと言って、言っていいことではないだろう。
 いまだエリンはフィンレイにその心を捧げている。後悔であり、悔悟であり、愛であるそれを。ライソンにも、言いたいことがわかってはいる。そんなものは愛ではないと。イメルは黙って首を振った。
「元々、フィンレイが元気だったころから、俺はあいつが嫌いなんだ」
 言われても、そうですかとうなずけはしない。うなずけないぶん、イメルにはわかるだろう。エリンにも気づかれてしまうかもしれない。
 ライソンもまた、フィンレイに隔意があるのだと。知りもしない赤の他人。嫌うなどだから、おこがましくはある。それがわからないほど若くも愚かでもない。
 それでも、ここまでエリンを傷つけた相手を、エリンが愛した、エリンに愛されていた、ただそれだけで認めることはできない。
「無茶して、馬鹿で、愚かで。そのたびにどんだけエリナードがつらい思いしてきたか、あいつは知ってたはずなんだ」
「――別に、つらかねぇよ。フィンはちゃんといつも俺んところ帰ってきた。それでよかった」
「帰ってこなかっただろ」
「イメルさん。それは言っちゃだめだと思う」
 ぴしりとライソンの声が飛ぶ。若き傭兵にたしなめられて一瞬イメルの目が丸くなる。それからほころぶよう微笑んだ。
「ごめん、エリナード」
「別に」
 短いやりとり。許すも許さないもない、友人の失言だ、ただそれだけ。すくめたエリンの肩にそれだけを見てとることができる。羨ましいような寂しいような気がライソンはした。
「でもね、結局そう言うことなんだよ。エリナードが、ここまで傷つくって、フィンレイはわかってたはず。わからなかったんだったら、さすがにさっさと別れろって言うよ、俺も」
 エリンが小さく笑った。大地に向けて、哀悼のよう、密やかに笑った。だからライソンも察した。かつて何度となくイメルに別れろと言われていたことを。
「わかってて、フィンレイは無謀に吶喊した。エリナードの前に出た」
 そうして、愛した人の手で死ぬことになったフィンレイ。死んだ彼より死なせてしまったエリンのほうがずっと苦しんでいる。いまなお。
「だから俺はフィンレイが嫌い。――君は、エリナードが好きなんだろ?」
 夜営は冷えるもの。ちょうどよく温まった酒を口にしていたライソンは、思い切り吹き出す羽目になる。汚いな、とばかり振り返ったエリンがそっと笑った。
「だってな! いきなり言われたら驚くだろうが!」
「別に驚くようなことじゃねぇだろ。イメルだって知らねぇ話じゃねぇし」
「だからってなぁ……」
 この状況で好きです、とは言い難い。さすがに浮世離れした魔術師だ、とライソンは溜息をつきたくなった。これで若すぎてまだ他人に興味など持たないと言うのだから呆れてしまう。若いと言うより子供だ、と。
「ライソン?」
「いや、まぁ。そりゃね。好きだけど。――だけど! だから、俺はエリンのダチになりたい。まずそっから。だよな、エリン?」
「そこから先になんざ進まねぇと思うけどな」
「それはそれでいいんじゃね? 俺があんたを好きなのは変わんねぇし。それはそれ、これはこれ、だろ?」
 エリンが無言になってまたどこかを向いた。そんな彼を見てはイメルが微笑む。
「だから、君でよかった」
「はい?」
「君は、エリナードのことをちゃんと考えてくれてる。エリナードが傷つかないように、エリナードのことを一番に考えてくれてる。俺は、人を思うってそう言うことだと思う」
 フィンレイは違ったとイメルは言外に言う。ライソンは黙って首を振る、答えないエリンの代わりに。もしもフィンレイがそんな男であったのならば、エリンが愛したはずはないとばかりに。
「これは、俺が言うことじゃないと思うけどね、ライソン」
 横目でイメルがエリンを見やった。その視線を感じないはずはないだろうにエリンは動かない。それを了承と取ったのだろうか。
「エリナードも、君を気に入ってるよ」
 言った瞬間だった。イメルが頭からずぶ濡れになったのは。唖然として動けもしないイメルが、ぎしぎしと音を立てそうな挙動でエリンを振り向く。
「エリナード、君な」
「妙なこと言いやがるからだろ。俺のせいかよ?」
「いきなりこれかよ! もう少し加減しろよな!」
「押し流さなかっただけありがたいと思え、ばーか」
「馬鹿って言う君が馬鹿なんだからな!」
 言い合いをはじめた魔術師たちにライソンは吹き出しそうになる。ほんの子供の喧嘩のよう。そして喜びが湧き上がる。エリンにそう言う相手がいることに。ただ知らなかっただけだった。寂しく思うより、嬉しく思える自分が誇らしい。
「だってな、ライソン! ほんとはな、君に襲われるかもしれないなんて、エリナードはちっとも思ってなかったんだ!」
「うっせぇ、黙れイメル!」
「君が生まれ故郷に行くって決めて、俺にそこで挽歌を弾いてくれって、そう言うつもりで俺を誘ったんだ、エリナードは! ほらな!? これでライソンを気に入ってないなんて、どうして言うんだよ!」
「言ってねぇ! 言ってねぇが、お前に言われるとぶん殴りたくなんだよ!」
「なぁんだ。結局、照れてるだけか。君は」
 そこでそういうことを言うから火に油を注ぐことになるのではないだろうか。短い付き合いながらイメルと言う魔術師の粗忽さがわかってきたライソンだった。
 案の定といおうか、エリンは水の剣を手にイメルを追いかけまわし始めた。だがライソンはちらりと疑う。エリンを立ち上がらせるために、心身共にそうさせるためにこそ、あのようなことを言ってみせたのではないかと。
「ダチってのはありがたいねぇ」
 くつりと笑えば、自分のほうまで何かが飛んできた。あっと思ったときには顔がびしょ濡れだった。
「エリンさーん。俺まで巻き添えにしないでよー」
「元凶がなに言ってやがる!」
「俺かよ!」
 笑いながらライソンは焚火に細い枝をくべる。そろそろ夜も更けた。明日は王都。エリンは店に、自分は宿営地に。またしばらく会えないな、と。




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