弾むような足取りで、まるで休日の遠出でもあるかのようライソンは歩く。楽しくてたまらない何かが向こうで待っていると語るかのように。その足が、ぴたりと止まった。
「あーあ。やっぱなぁ」
 村の入り口と思しき所。もう何もわからない。たった五年、それでも人が住まなくなった五年。踏み固められていたはずの道にも草が茂り、あちらこちらに何かが散らばる。
「こんなの使えねぇって思われたんだろうなぁ」
 呟くライソンが何かを手に取る。覗き込んでエリンは無言になる。焼け落ちた家の残骸。屋根の梁だったのだろうか、焦げでどうにもならない木材だった。
「一番のご近所さんって言ったらやっぱレノアだし。使えるもんはみんなレノアの連中が持って行ったんだと思う」
「……そうか」
「まぁ、そういうもんだしね」
 村が滅びて人がいなくなったのならば、使えるものは生きている人間が使う。そういうものだろう、とライソンは言う。
 それが少し、エリンは悲しい。親しかった人がいただろう、このカタンの村にも。レノアのポーカはライソンの父と腕を競い合ったと言っていた。それなのに、略奪めいたことに加担するのか。
「誰もいなくなっちまったんだからさ。そうやって、役に立つもんなら、役に立った方がいい。だよね、イメル?」
 エリンからは同意が得られないと見るや、笑ってライソンは彼に言う。イメルもまた曖昧に微笑むのみ。
「んー、どの辺かなぁ。さすがにこうなんにもないと、俺にもわかんねぇな」
 ふらふらと、ライソンが歩いていた。自分では平常な足取りのつもり。イメルがちらりとエリンを見やる。彼は黙って首を振った。
「森があそこにあんだろ。で、たぶん、あの辺が森の道で――ってことは、と」
 ひょい、と何かをまたいでライソンが進んでいく。視線を落とせば、骨だった。家畜のそれだとは、わかっている。それでもいい気分ではない。エリンは唇を噛みしめてライソンを追う。
「うん、たぶんこの辺りだな」
 周囲を見回しライソンはうなずいた。問うまでもない、生家を探していたのだろう。エリンの目にもイメルの目にも何もない、名も知れぬ草の生い茂る野原だった。
「お、あったぜ。ほら、エリン」
「なんだ?」
「親父の鍛冶場。こればっかは焼け残るよな。鍛冶場が焼けたんじゃ洒落にならねぇ」
 からからと笑ってライソンは父の仕事場へと歩いて行った。そしてそのまま立ち止まる。じっと見つめるその眼差しは何を見るのか。決まっている。在りし日の父を。家族を。
「……みんな、死んじまったけど。でも、俺、元気だよ」
 父の鍛冶場こそが彼にとって家族の墓標。何一つない場所だから、幼かった日の一番の思い出こそが相応しい。
「ライソン」
 隣に立ったエリンだった。焼け跡のある鍛冶場を見る彼の目に、ライソンはふと目が潤むのを覚える。慌てて瞬きをした。
「意地張るんじゃねぇよ」
 ぽん、と一つ頭を叩いた。その手が背に下りて行き、なだめるように何度も叩く。ぐっとライソンは息を飲み込み、声もない。何度も何度も息をした。もう漂ってもいない焦げ臭いにおいを嗅いだ気すらした。
 あの日の臭いだ。森から帰ってみたら、村中の人が死んでいた。切り殺され、突き殺され。無惨な暴虐の跡。慌てて家族を探して、そして誰もいなかった。生きている家族は、誰も。死体の中、返り血だらけで金目のものを漁る盗賊たち。
「もし――」
「なんだよ?」
「もし――! あの日、俺がいたら!」
 五年の歳月は流れ去り、六年近くになる。その間、一度も口にはできなかった後悔。エリンの横で迸る。
「ウィルだけは――ウィルだけでも助けられたかもしれなかったのに――!」
「ウィル?」
「一番下の、弟。八人兄弟だったんだ、俺」
 震える唇が悔しいのかライソンはきつく噛んだ。何も言わず黙ってエリンは彼を横目で見ている。真正面から見られるのを厭うと知っていた。
「兄貴がグンデソン、すぐ下の弟が、テッド。その双子の妹がジーナ」
 祈りだ。エリンは思う。一人ずつ、哀悼のよう名を呼んでいくライソンの声。自分だけが生き残ってしまった申し訳なさ。
「一番下が、ウィル。まだ二つにもなってなかったんだぜ?」
 力ない笑いが漏れた。笑うしかないから。泣くこともできないから。理解できるエリンは黙って彼の背を叩いていた。
「あの日に俺がいたら。母さんはウィルだけは逃がせって俺に言った。まだちっちゃいんだからって。俺は、たぶん全員連れてく。兄貴と一緒に逃げればみんな生き残れるかもしれない。だめかもしれない。でも腕に抱いてウィルだけは、絶対に助けられたはずなのに」
 まるで小さな弟を抱いているかのようなライソンの腕。そこにあるのは幻だけ。エリンはそこに乗せてやるものがないことを悔やむ。何も乗せられないとしても。
「ライソン。それは違うよ」
 鋭い刃物で腹を抉られたかのよう、ライソンが振り返る。イメルだった。
「小さな弟を抱いてたら、君も殺されたかもしれない。誰一人、生き残れなかったかもしれない」
「でも――!」
「そう思ってね、生きて行くしかないんだよ」
 ふっとイメルが息を吐く。確かにそうして続けて行くしかない人生だった。生きている限りは、生きているのだから。それでも、エリンは彼にそうは言えない。
「イメルの言い分は、お行儀がよすぎるよな、ライソン?」
「……エリン?」
「生きてる限り、後悔したいならすればいい。違う道を歩く気になったら、そうすればいい。生きてんのは、お前だ。他の誰でもない」
「……そっか、あんたも」
「周りの善意は理解してる。励ましてくれるのも支えてくれるのもわかってる」
「それでも?」
「納得するかどうかは自分次第だ。だろ? お前がちっちゃい弟を助けられなかった、親父さんに詫びることもできなかったって思ってんなら、思ってりゃいいんだ。他人の言うこと真に受けていい子になろうとすんな」
「……そんな、いい子じゃねーし」
「どこがだよ? ガキの虚勢なんざおっさん、お見通しだぜ?」
 ふふん、と鼻で笑ったエリンにイメルが目を瞬いた。そんな笑い方ができるようになっていたのかと今になって気づく。
「君も、少しずつ元気になって行ってるのかな、エリナード」
「認めたくねぇけどな。そういうもんかもしれねぇな、生きてくってことは。師匠に聞いてみてぇわ」
「フェリクス師に相談したら欲しい回答の三倍は返ってきそう」
「馬鹿言うな、十倍はかてぇぞ」
 くすりと、小さくではあった。けれどライソンが笑っていた。まだ涙の残る目で父の鍛冶場を見ていた。
「……なぁ、親父。俺、まだ泣けねぇわ。どっかから、ひょっこり親父たちが帰ってくんじゃねぇかって、まだ思ってる。あの日に、見てるんだけどさ」
 変わり果てた家族の亡骸を。それでも信じたくなかった。自分のせいでみんなが死んだとすら思った。帰ってきてほしかった。帰ってきて、馬鹿だと怒ってほしかった。
「いつか、諦めて親父たちの墓作って、そうしたらわんわん泣いてやるからさ。そん時まで、まだ俺はずっと後悔し続ける」
 それが自分にできる贖罪だとライソンは思う。詫びることなどないのだと、理性ではわかっている。自分のせいで家族が死んだのではない。誰に言われなくともわかっている。それでも、そう思う気持ちは止められない。
「――でもね、親父。俺、こうやってカタンに帰ってくることができたの、友達のおかげだよ」
 墓もない、生きているかもしれない。望む馬鹿らしさ。それなのに亡き父に語りかけている矛盾に気づかないライソンではない。馬鹿馬鹿しくとも、狂気のようでも、いまはこれが精一杯。エリンもイメルも笑わないでいてくれると信じていた。
 あの日、盗賊たちの真ん中に馬で駆け込んできて助けてくれたコグサのように。コグサ率いる後の狼の中枢が、ライソンを助けてくれた。閃光のように鋭くて、夜明けのように鮮やかだった。それをただ茫然と子供のライソンは見ていた。
 助かって嬉しいでもなんでもなかった。何が起こったのか、まったくわからなかった。そもそもみなが死んでしまったのが、理解できなかった。否、したくなかった。
 コグサたちは盗賊の残党を警戒して、村人たちの墓までは作ってくれなかった。その代わり、とでも言うよう共同墓のような形で一緒に埋めてくれた。それもライソンはただ見ていた。そしてコグサに連れられ、狼の元で育てられた。
 ふと気づく。コグサがレノア行きを認めてくれたのは、ついでに故郷を見て気持ちにけりをつけて来い、と言うことだったのだと。本人は兄と呼べ、と言うけれど育ての父のような男の心遣いにライソンは小さく微笑む。
「エリンって言うんだ。美人さんだろ。口開けば傭兵も真っ青な口の悪さだけどさ」
「おい、ガキ」
「こっちの人がイメル。友達って言っていいかな? たぶんすごい人だから、友達なんて言ったら悪い気もすんだけど」
「たぶんも何も別にすごくないけど?」
「つか俺の立場はどーなんだ、え?」
 口々に言う魔術師たちにライソンは心の底から感謝していた。こんな風に巡り会えた運命に。エリンに会えてよかった。イメルがいてくれてよかった。心からそう思う。
「ったくよ。なんかすげぇ馬鹿にされてる気がすんだけど俺の気のせいか、え?」
「気のせい気のせい。尊敬してますよー、エリンさん?」
「けっ。言ってろ。イメル、頼んでいいか」
「あいよー」
 ひどく気の抜ける声音で返答するイメルに危うくライソンはつまづくところだった。何をやっているのだとばかりエリンが片手を添えて支えてくれた。
「あ……」
 ただの腕。支えてくれている、人間の腕。ライソンはそこに初めて人を見た。あの日以来、助けられて善意に感謝して元気に生きて行くことだけを目標にしてきた自分だと、はじめて理解した。
 胸が痛くなるほど、エリンがここにいる。支えられた腕から熱が伝わってくるかのよう。支えられた分、支えたい。強烈にそう思う。いまは何もできない自分だから。せめて、生きるところから始めよう、きちんと生きるところから。強く思うライソンの目をエリンはじっと見ていた。
「なんだよ?」
「なんか、わかんねぇ。なんだろ、すげぇ、悲しい。そんで、嬉しい」
「意味わかんねぇな」
 すげなく言われてもライソンは楽しかった。いままでの、どこか浮ついたようなそれではなく、ずっしりと地に足のついた喜び。
「あ、え?」
 そのときになって、やっと気づいた。イメルが歌っていた。涼やかで、透明な彼の歌。自分の奥底を理解させてくれたのはこの歌だとの確信。
「みんなが……」
 ライソンの目は見ていた。昔の、楽しかった、みんなが元気だったころのカタン村を。村人の活気を、弟妹の笑い声泣き声を。
 イメルの、それが挽歌だった。




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