「よし!」
 レノアの村を出るなり、ライソンは楽しげに両腕を天に突き上げた。朗らかにしていても思うところはあった、という証明のようなそれにエリンが口元をほころばせる。
「なんだよ?」
 すぐ隣でイメルが自分を見ていた。わかっていて、エリンは問う。口封じのようなもの。わかっているとばかりイメルが片目をつぶった。
「それでライソン? どうしたの」
 優しげで物柔らかな声だった、イメルのそれは。エリンは内心で小さく含み笑いを漏らす。本来の彼の声、というものをエリンは知っている。
 イメルは穏やかでもないし優しくもない。それを言えば誰だとてそうではあるが。だがエリンの知るイメルはそれに輪をかけたよう悪戯を好む子供のような男でもある。反面、魔法に関してはこれでもかとばかり真摯な男でもある。
 そのイメルが物柔らかに見えている理由、というものをエリンは知っている。彼の師、タイラント・カルミナムンディ。憧れの師に一歩でも近づきたいがために師の真似をする幼さを持つ友人がエリンはとても好きだ。自分も同じだ、と思うから。
「エリン?」
 イメルの問いに答えずライソンが首をかしげていた。なんでもない、と首を振れば肩をすくめて尋ねては来ない。立ち入ってほしくない場所、というものをあっという間に把握された、そんな気がした。
「あんたがさ、いるから。ちょっと勇気が出せそうだ。付き合ってくんない?」
 瞬間、エリンの手に剣の影。イメルが大きく笑う。ライソンが目を丸くする。切りかかられてさえ、ライソンは楽しげだった。
「すげぇな、それ! あんたの剣? 水づくりなんだ。やっぱ魔術師ってすげぇなぁ」
「うっせぇ、クソガキが!」
「エリナード。君ってほんとはカロル師の弟子なんじゃないのか」
「てめぇごとぶった切るぞ、クソイメル!」
「それは勘弁」
 にこりと笑うイメルになだめられている気がする。深く呼吸をすればライソンが剣の届かない場所で笑っていた。
「あんたさ。俺は黒衣の魔導師って人をよく知らないけど、イメル? 実はその人、すげぇ早とちりしたりってするの?」
「あぁ……どうだろう? 俺は見たことないけど、リオン師がうっかりさんで可愛いですねぇ、とか言ってるの聞いちゃって寒気がした覚えが……」
「よせ、イメル! 悪寒がするわ!」
「だよなぁ」
 口々に言う魔術師たちにライソンは楽しげだった。ゆっくりと歩きながらレノアの村を離れて行く。それに心躍っている事実。コグサの提案を受けて、自ら志願したレノア行。それでもやはり、本当は嫌だったのだと気づいた。
「それでさ、ライソン。カロル師が早とちりって……。あぁ、そうか、エリナードが何か勘違いしたのか」
「そうそう。別にお付き合いして彼氏になれなんて言ってねぇっての。俺はあんたの友達候補。言っただろ?」
「――信じられっか、んな戯言」
「とりあえずそこだけ信じて。他はどーでもいーから」
 投げやりな言葉の冗談めいた響き。それでもライソンの心を感じた。これだけは、何があっても本当だとばかり。渋々うなずくエリンにライソンは微笑む。
「付き合ってほしいのは――隣村。もう、ないけどね。その跡地にさ」
 ふ、とイメルが黙った。勘の良さはさすがとエリンは褒めたくなる。レノアの隣、ライソンの生まれ故郷。カタンの村は盗賊に襲われてもうない。
「迷ってたんだけど、やっぱ見とくわ。こんな近くにきたんだしさ。はじめから、見に行くつもりだったんだし、ここで迷っても仕方ないし」
 レノアのポーカに言われてライソンはしみじみと我が身を振り返っていることだろう。たった一人、生き残ってしまった自分。助けられたのではなく、父に叱責されたがゆえに逃れてしまった自分を。
「あんたが一緒に来てくれたんだしさ。すぐそこだ、付き合ってよ」
「……おうよ」
「うし。あぁ、そうだ、エリン。別に親父たちにこれが俺の好きな人ーとかって紹介するつもりじゃねぇから。その辺は安心して」
「だったら言うんじゃねぇ、想像しちまっただろうが!?」
「やっだなぁ。俺まで想像しちゃったよ、どうする、エリナード。君が真っ白いウエディングガウンかなんか着ちゃってさ、殊勝な顔して花婿の両親の墓参り。うっわ。寒い、寒すぎる。死にたい!」
「だったら死ね!」
 言っていまだ現したままだった水の剣でエリンはイメルに切りかかる。腹を抱えて笑うイメルは咄嗟によけきれず、半身にひねってなんとか掠り傷に留めた、と見せて実は魔法を叩きこんでいた。あっという間に剣が水に還り、そして大気の中に溶け消える。
「ちっ。鍛錬が足りねぇな」
「だね。精進しなよ?」
「うっせぇ」
 冗談のように見えたエリン。笑っていたイメル。それでもこれは二人の真剣な立ち合いで訓練の一環だったのだとライソンは気づいた。
「すげぇな、やっぱ。星花宮の魔導師って格が違うわ」
「できることが違う。それだけだ。技に優劣はねぇよ」
 アランのような力の弱い魔術師であっても、時と場合と自分に適した技術を使えば力押しだけの魔術師に勝る、エリンは淡々とそう言った。
「ふうん、そんなもんかな?」
「そんなもんだよ。力押しだけの魔術師エリナードが言うんだからさ」
「お前な、イメル!」
「少しは腕が上がったかなぁ?」
 ふふん、と笑って魔術師たちはライソンを見た。なんだ、と首をかしげればエリンの舌打ち。イメルの優しげな微笑み。
「だからよ、道知ってんのはお前だろうが」
「え、あ……。そっか、カタンか」
 ついてきてくれるのかでも、ありがとうでも、ぼうっとしていてごめんでもなかった。ライソンはただエリンを見た。エリンもまた、視線をそらしはしなかった。ゆっくりとライソンの顔に笑みが浮かぶ。
「うん。こっちな」
 笑みと同じよう、足が道を選んで進みだす。レノアが遠くなり、カタンが近くなる。道の両脇に木々が増えてきた。
「これがさ、カタンの秘訣だったんだぜ。カタンの武器が鋭かったのは、この木のおかげ」
「あぁ、そっか。燃料?」
「うい、そうっす。この森の木は、硬くてよく燃えて、しかも高温。鍛冶屋にはなくてはならないってわけらしいです」
「ライソンは、鍛冶屋になろうとは思わなかった?」
 自分が聞けずにいたことをイメルが聞いた。エリンは二人の後ろでそっと顔を顰める。なりたくとも、なれなかっただろう、ライソンは。そう思ったせい。だが彼は。
「いや、なりたくなかったですね。俺じゃ、親父は超えられねぇ。親父は鍛冶屋になるために生まれてきたような男だったから」
「なんかわかるかもな。俺もエリナードも魔術師になるために生まれたって思うからね」
「そんな感じかな。それに、俺のすぐ下の弟がまたこれ、親父そっくりで」
 からりとライソンは笑う。楽しかったころの思い出だろうか、それは。凄惨な色に塗れてしまったそれでも。
「親父の後はあいつが継ぐもんだと、思ってたから。いや、兄貴かな。弟と兄貴と腕を競い合って精進して。そんな風に過ごしてくのかなって。親父もそれを望んでたし」
 みんな、いなくなっちまったけど。ライソンは呟くよう、けれど明るさを失わないままそう言った。
 カタンまではほぼ一日の行程。魔法で転移すれば一瞬だが、彼らは歩くことを選ぶ。だから今夜も野営だった。
「さすがに気を張ってたみたいだね。疲れてよく寝てるよ」
 焚火のそばで眠るライソンを、イメルはくすくすと笑って見ていた。その手には小さな旅行用の竪琴。かすかな音が響いて森の中を渡っていく。
「嘘つけ。お前のせいだろ」
 エリンが苦笑して竪琴を指さす。呪歌、と呼ばれる演奏による魔法だった。エリンが使う鍵語魔法とは若干体系を異にするお蔭でいまだイメルの魔法はよくわからない。わからないものの、効果の絶大さは認めている。
「まぁね。ちょっと、話したいことがあったし」
 ライソンには聞かせたくない話だ、と言外にイメルは言う。顔を顰めてエリンはそっぽを向いた。それでもイメルは話すだろう。
「彼も、色々あったんだね」
 イメルの眼差しがライソンを捉えていた。イメルより、少しだけ多くのことを知っているエリンは黙ってうなずく。
「それでもさ、すごいね。子供ってのは、ほんとすごいと思う」
「イメル?」
「俺自身のことを取ってもそうだ。子供のころの傷ってのは、けっこうなんとかなる。確かに残るよ。いまでも俺はいじめられる夢を見る」
「お前が言い返さなかったからだろ」
「言い返せるようだったらいじめられなかったんだよ、エリナード」
 その程度の他愛ないいじめだったのだから。そうイメルは笑う。それですら、夢に見るとも。エリンは黙って聞いていた。
「それなのにね、ライソンはちゃんと立ち直ってる。子供の柔軟性、だよね」
 父も母も兄弟も、仲のよかった友達も親切だった村人も。ライソンは一瞬で失った。それでもこうやって立ち直って笑って歩く。
「――立ち直ってねぇよ」
「エリナード? お前になにがわかる?」
「似たような傷があるから、わかる。親が死んだのはライソンのせいじゃねぇ。フィンが死んだのは俺のせいじゃねぇ。わかってても、傷はある」
 自分のせいだといったい幾晩ライソンはのたうち回ったことだろう。それすらできず、ただ座り込んだだろうか。エリンは気づけば眠るライソンを見ていた。
「でも――」
「立ち直ったふり。大丈夫なふり。元気で生きなきゃ、死んだ全員に申し訳が立たねぇから、そうしてる。嫌ってほど、わかる」
「それができる強さが彼にはある」
「強さなんかじゃねぇよ、ただの強がりだ。危なっかしくって見てらんねぇよ」
「だったらお前が支えてあげればいい」
「馬鹿言ってんじゃねぇ。そんなの傷舐めあうだけだろ」
「立ち直ったふりでもね、エリナード。彼は強くなるよ。これからもっと強くなる。お前のことが好きだから、お前の力になりたくて、彼は強くなる。それが子供の強みだよねって俺なんか思うんだけどな」
 まだまだ変わっていくことができるから。イメルはそう言って笑った。エリンは答えず魔法の乗っていないイメルの竪琴の音を聞いていた。




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