ラクルーサの南方へと、着実に歩を進めていた。吟遊詩人にしか見えないイメルもしっかりとした足取りを保っているのがライソンには意外だった。
「足、強いっすね」
 イメルに言えばにやりと笑われた。魔術師というものは、同僚のアランもそうだけれどあまり体が頑丈ではない。そう思っていたライソンの考えが根底から覆されそうだった。
「俺たちは体の鍛錬もけっこうするからね」
「そう、なんすか?」
「半分くらいは気晴らし、かな? エリナード、君は好きだったよな、剣の練習」
「別に好きでやってたわけじゃねぇよ。体動かす機会がそれくらいしかねぇからだろうが」
「でも楽しそうだっただろ」
 ごく若いうちも何も、子供のころからともに訓練をしてきた、らしい。彼らは。幼馴染と同僚を一緒にしたようなものだろうかとライソンは思う。
「あんた、剣使うのか?」
 知らないエリン。一つ一つ知っていくと思えば楽しめただろうけれど、自分の意図しないところで意図しない形で知り合ったばかりの他人がエリンを暴く。それにこだわっている自分をライソンは自覚してはいた。
「使うってほどじゃねぇよ」
 ふん、と鼻を鳴らしたエリンの横顔。思えば彼は青き竜の傭兵だったのだ。ならば護身程度であったとしても剣が使えないはずもない、改めてエリンを見る。自分の大先輩にあたる傭兵だったエリンを。
「あのな、坊や? いくらガキだろうが若かろうがな、お前は現役の傭兵だろうがよ。そのお前に向かってたいして使えもしねぇ剣を偉そうに、ボクも使えますってか? そんなみっともない真似ができるかよ」
「あ――」
「そのへん察しろよな? だからガキだってんだ」
「エリナードってさ、ほんとどっちかって言ったらカロル師の弟子っぽいよなぁ」
「あのなぁ、イメル……」
「君は知らないかな、ライソン? カロル師って方はね、気に入った人ほど暴言の嵐に巻き込む人なんだ。あの方から罵詈雑言を浴びせられたら一人前って、星花宮の弟子の間では言われてるくらいでさ」
「……すげぇな、それ」
「どこがすげぇんだ! 俺はあそこまで酷くねぇ! 一緒にされるのは心外だぞ、おい」
 まじまじとイメルを見て言うものだから、ライソンはそれこそどちらかと言えばイメルの言が正しいのだと思う。思ったら、笑っていた。
 二人の魔術師。仲のいい友人同士。そこに入り込んでいる自分。警戒されている馬鹿な若い傭兵の疎外感。いまのできれいさっぱりなくなった。
「なぁ、エリナード」
 ちらりとイメルがそれを横目で見ていた気がした。満足そうに微笑んだ口許も見えた気がした。一瞬の目の惑いのようなそれにライソンは瞬きをする。そして気づく。なんのことはない、認められたのだとわかった。少なくとも、旅を共にする仲間としてだけは。
「んだよ?」
「だからさー。なんで歩くんだよ?」
「馬がねーから。借りると高ぇんだよ」
 一言告げてくれたら自分が宿営地から借り出してくる。言いかけたライソンをイメルの笑みが止めた。
「馬? そんなこと言ってないって。さぁ、エリナード。俺たちはいったい何者でしょう? 星花宮の魔導師が二人もいて、三人分の移動ができないなんて馬鹿なこと、言わないよな、君。あぁ、もしかして腕がなまった――」
 最後までイメルは言えなかった。話の途中でエリンに殴られている。それでもけらけらと笑っているのだから、じゃれあっているだけだろうとは思う。
「お前な、ライソン。なに羨ましそうな顔してんだよ? 俺、ヤだからな。殴られて喜ぶ傭兵なんて気持ち悪い趣味があるんだったら――」
「ねぇから!?」
「そりゃよかったぜ。ほっとした」
「エリンさん? すげー棒読みですけど」
「お前に妙な趣味があったら魔法叩き込むだけだし。んで、イメル、なにめんどくせぇこと言ってんだよ」
「だからー」
「あのな、イメル。よーく考えろ。俺はいい、お前もいい。ついでだ、このガキ運んでやるのだってできるさ、そりゃな」
「だったらさぁ、いいじゃん。俺、長旅から帰ってきたばっかなんだよ、歩くの疲れるんだけど?」
「我慢しろ。旅は歩いてするもんだ。だいたいガキを甘やかしてもいいことなんざねぇよ。楽させんな」
 前を向いてエリンは笑っていた。それを覗き込むような真似をイメルはしない。ふと疑問に思ったライソンがそうしようとしたのを、彼は止めた。
 なぜ、そう問うこともできなかった。目にそれが表れた瞬間、イメルは厳しい顔をする。一瞬だけ。はっとした時には元の微笑み。
「歩くのも体力づくりの一環ってやつー? 傭兵隊もそう言うことってするのかな?」
「むしろ……俺たちは走るほうが、多い、かな?」
 するりと滑っていく話題。イメルがずらしたのだとライソンにもわかる。たぶん、ライソンは想像する。自分にわかるよう、あからさますぎるやり口で示してくれたのだと。
 他愛ない、傭兵隊の一日をイメルは楽しげに聞いてくれた。訓練の様子、酒場でがなる歌。戦場の話はライソンがしなかった。
「エリナード」
 ふいにイメルが道端の木から数枚の木の葉をちぎり取る。振り向いたエリンはすぐさまそれと悟ったのだろう、呆れた顔をしていた。
「そろそろ野営地探すよ。誰が水場を探すか、籤引こうよ」
「お前の籤なんかあてになるか。もう加工済みだろうが」
「酷いこと言うね? 俺が? いまちぎったばっかりなのになぁ。ほら、ライソン。引いて引いて。印があったら当たりね」
「うっす。――って、印つけてるってことは加工したってことじゃないっすか!?」
「気のせいだよ」
 にこりと微笑まれてしまった。がくりと肩を落とすライソンに見向きもしないでエリンもまた籤代わりの葉を選ぶ。
「ちっ。俺かよ」
 エリンが選んだ木の葉には赤々と印がついていた。それを放り投げ、エリンは片手を振って木立の中へと入っていく。水袋に水でも詰めてくるのだろう。
「――許してやってね、エリナードのこと」
「はい!? 俺が? って言うか、なにがです」
 エリンが消えたのを見澄ましてイメルが言った。ぽつりとした言葉で、これがたぶん、彼の本来の話し方なのだろうとライソンは察した。いままで賑やかし役の吟遊詩人を務めてくれていたのか、と気づく。
「色々ね、あいつにも思うところはあるから」
「その……聞いていいのかどうかわかんねぇですけど。その、フィンレイって人のこととか?」
「さっさと忘れればいいのにね」
 恋人の魔法の射線上に入ってきた馬鹿な男。愛した人の手を自分の血で染めることになった男。エリンの友人として、イメルがよく思っていないことだけはライソンにもわかる。
「忘れねぇエリンだから、好きなのかもしれない、俺」
「君もいつか戦場で死ぬかもしれないから? その時にエリナードがいつまでも忘れないでいてくれればいいから?」
「ちげぇよ、そんなんじゃない。俺のことなら、忘れてくれていい。つーか、忘れてほしい。それでエリンが苦しむなら、俺は覚えててほしくない」
 フィンレイは、どうだったのだろう。ふとライソンは思う。死ぬまで忘れてほしくない。彼は自分のものだと、そう思っていたのだろうか。それとも、早く立ち直って幸せになってほしいと願っただろうか。
「まぁ、俺は今んとこ、エリンのダチ候補ってだけだし。そんな偉そうなこと言えないっすけどね」
 フィンレイのことを考えれば、不快になるだけだった。エリンを愛した男かもしれない。エリンが愛した男だとも知っている。それでも、だからこそ死んだフィンレイが嫌いだ。エリンを悲しませたから。息を吸い、ライソンは思いのように胸に呼吸をためる。ただ息だけを吐きだした。こんなにもエリンが好きだと、言わないままに。
「友達候補、か……。そんなこと、ないと思うけどな」
「そう、ですか?」
「うん。エリナード、楽しそうだからね。師匠にエリナードが元気になったって聞いたけど、信じてなかった。いまもまだ、ちょっと信じがたい、かな。それくらいね――」
 ふ、とイメルが言葉を切る。ちらりと見やった視線の先にはエリンがいた。一杯になった水袋を下げているところを見れば水場は近くにあったのだろう。
「それくらいなんだよ? 俺のいないところで内緒話か、え?」
「それくらい君がライソンと一緒にいて楽しそうな顔してるねって話。別に内緒でもなんでもない。ただ――」
「てめぇな、イメル!」
「ほらね? 面と向かって言うと怒るだろ。だから君がいないところで喋ってんだ」
 ふふん、と鼻で笑うイメルと一緒になってライソンは笑い転げていた。人のことを子供扱いするけれど、案外エリンも子供っぽい。そんなことを考えていたら気が楽になる。
「なに笑ってんだよ?」
「別にー。なぁ、エリン。水場、近かったのかよ?」
「あのなぁ。歩き出してから気づいたんだけどよ。俺は水系の使い手なんだよ、イメル」
 最後はイメルに向かって一睨み。ライソンにはわからなくとも感謝と知れる。イメルは星花宮の魔導師の中でも最も親しい友人なのだから。
 あの籤からしていかさまだった。はじめから、自分が手にしたものに印がつくようになっていたとエリンは気づいている。ライソンに、何かを話したかったのだろうともわかっていた。
 おとなしく席を外したのは、なぜだろう。わからないのはそちらだ、とエリンは思う。わずかばかりイメルが肩をすくめていた。いまは気にするなとでも言っているかのよう。
「そういや、そうだったよな、エリナード。ばっかでぇ、それなのにわざわざ水探しに行ったのかよ? エリナードのおまぬけさーん」
「てめぇ!」
 じゃれ合う魔術師の隙間を縫ってライソンは手を出す。さすがこの辺は現役の傭兵だった。二人に気づかせもせず水袋を奪い取っている。
「ったく。ガキはどっちだってーの」
 ぼそりと呟いて水袋に口をつける。そして驚いた。汲みたての水なら何度も飲んでいる。それなのに、こんなに冷たくて甘い水ははじめてだ、そう思う。
 目を丸くするライソンの向こう、まだ魔術師たちは遊んでいた。笑いながら戯れて、なにをしているのだろう。ただの遊びではない。そんな気がライソンもしている。離れていた時間を埋める語り合いだと、いつしか気づいた。




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