店の工房は、簡易呪文室でもあった。多少の訓練ならばここで充分。大物を試すときには星花宮に戻ればいいだけのこと。エリンはだから日常ここにいる。
 その工房で、エリンは頭を抱えていた。こうも呪文を失敗するなど、初期訓練以来初めてだ。星花宮では魔術師を目指す子供を、はじめから自分の属性では育てない。
 師は言う。人間は否応なしに不器用だ、と。半エルフたちのようすべての属性を得手不得手なく使いこなすことは難しい、と。
 だからこそ、子供たちは初めに自分とは反対属性の師に学ぶ。そこで基礎訓練をすることによって、苦手な魔法もある程度はこなすことができるようになるから、と。
 そして特に優秀な魔術師ほど、その基礎訓練が苦手だ。優秀だ、ということは人間の魔術師の場合、特に一つの属性に秀でている、ということでもある。反対属性の基礎訓練では魔法が発動しないのも当然と言うもの。まして幼く技術的にも未熟な子供ならばなおさら。
「……マジかよ」
 だからこそ、エリンは頭を抱えている。あの頃のやるせなさや投げ出したくなる気持ちまで思い出してしまう。
「ししょー」
 呟いて、慌てた。うっかり返事が返ってきたりしたらなにを言われるかわかったものではない。フェリクスはすぐに見抜くだろう。こうも魔法を失敗する理由というものを。なにしろエリン自身、自覚がある。
「――ったく。間が悪いんだか、いいんだか」
 文句を言って諦めて工房を片付けた。店の外、人の気配がある。馴染んだ、と言ってしまいたくなるほどよく知る気配。
 友人になろう、と宣言してからもライソンは変わらなかった。以前のように店に来て、喋って遊んで帰っていく。菓子を買ってきて茶を飲んで笑う。ただ、それだけだ。訪れる頻度が上がったわけでもない。本当に、何一つとして変わらなかった。
「……よう」
 エリンが出てくるまで、辛抱強く待っていることだけ。それだけが変わったことかもしれない、とエリンは思う。店にいるのを彼は知っている。すぐに出てこないのは研究中だともわかっている。だから待っている。楽しげに、笑顔で。
「あぁ、やっぱいたな。邪魔した?」
「邪魔だって言っても帰んねぇんだろうが」
「まーね。――それはそれとして、ちょっと話しあんだけど、いいかな」
 扉の隙間からするりと入り込み、いつものように座るライソン。いつの間にか彼が座れるよう、小さな椅子を置いたのは誰か。一人しかいない。エリンは溜息まじり茶を淹れる。今日も揚げ菓子の匂いがしていた。
「エリン。ちょっと出かけない?」
「は?」
「半分くらいは隊のお使いなんだけどな」
 肩をすくめてライソンは言う。ふ、とエリンは眉根を曇らせる。思わず額に手を当ててしまった、ライソンの。
「エリーン。熱はねーですよ?」
 からかう口調も普段に比べて冴えない。普段、というものを知っている忌々しさだ、とエリンは舌打ちをする。
「半分の内容をまず話せよ」
「隊のほう? だからお使い。ほら、こないだのあれだよ、あれ」
「それでわかるか!」
 声を荒らげて、手つきだけは丁寧に茶を置いた。どうせこぼしても掃除をするのは自分だと思えばこそ。
「だからこないだの反逆軍。あれでこっちはずいぶん死傷者が出たけどさ」
 一瞬の半分にも満たない間ライソンが自分の顔を窺ったのをエリンは感じる。フィンレイの面影への配慮だと気づいてしまう。エリンは顔をそむけて話の続きを促した。
「人員は俺にはどうしようもないからさ、隊長の領分だし。うちはそこそこ評判もいいしな。そのうち数は集まるだろ」
「だから?」
「その日のために、武器が足んねーの」
「はぁ? 普通、傭兵って言ったら武器防具は自分持ちだろうがよ」
「ま、ね。そうは言っても予備武器なんかは隊で誂えるし。下手な剣持って死なれても困るし。その辺の調達に行って来いって隊長命令」
 ライソンの言い分よりコグサの懸念がわかった。いまから狼に入隊しようと言う傭兵は、以前に比べれば質が期待できない。人の質は鍛え方次第でどうとにでもなる。そう言う者だけを選べばいいのだから。だが武器は。粗末な剣を使って戦闘中に折られでもしたら訓練した分だけ損になる。
「コグサも大変だな」
 一介の傭兵ならば考えなくてもいいことを色々と考えなくてはならない。竜の時代、ラグナ隊長もそうだったのだろうか、ふとエリンは思う。想像したこともなかった。
「それにしても、なんでお前なんだよ?」
 武器の調達と言うならば、年配の、それなりに交渉に長けた人材が狼にいないとも思えない。狼自体は若い隊だが、竜のコグサの盛名を慕って集まった元傭兵がいる。通常、彼らは訓練兵の教官役をしていたり、あるいは隊の事務をしていたりする。竜にもそう言う人間はいたからエリンにもよくわかる話だった。
「俺? 前に話さなかったっけ。俺、鍛冶屋の息子だし。剣の類だったら俺の目が一番確かだと思う」
 言葉に詰まった。明るく当たり前に過ごしているライソンだ。けれど自分同様のつらい過去が彼にもある。
「あー、エリンさん? そこで黙んないでくれるかな。別に俺は――」
「……悪い」
「っから! 別にいいっての。悪いと思ってんだったら、付き合ってよ」
 にやりと笑うライソンに、丸め込まれてやってもいいと思った、今回は。どこに行くのだろう。たまには遠出もいいかもしれない、そんな風にも思う。
「……どこ行くんだよ」
「とりあえず南の方」
「……って、おい」
「まぁ、要するに俺の故郷のほうなんだけどさ。あっちは鍛冶技術が発達してるから、仕方ないんだけど」
 ならばよけいにライソンではない人物が行くべきだ。コグサは何を考えて人の傷を抉るような真似をした。思わず立ち上がろうとしたエリンの腕を、微笑んだライソンが止めていた。
「あのさ、エリン。志願したの、俺だから」
「お前!」
「……なんて言うかな。区切り、かな。一度、生まれ故郷に帰っておくのもいいかなってさ。あれから……五年くらい、六年近く経ってるかな。たぶん、村の面影はないだろうし、たぶん誰も住んでない。もしかしたら、全然違うとこから来た誰かが、もう住んでっかも」
 故郷にして、故郷ではない場所になっているだろう、ライソンは言う。だからこそ、いま見ておく、と彼は言う。
「ガキの頃、なんかわけもわかんなくって隊長に拾ってもらってここまで来たけど、俺も少しは大人になったし。墓参りってほど殊勝な気分じゃないんだけどさ」
「――いまでもガキだってーの」
 憎まれ口を叩くくらいしか、してやれない。そして悟った。それでいいのだと。ライソンはそんな道連れを求めているのだと。
「隊の仲間はさ、みんな多かれ少なかれ色々あるやつらばっかだろ」
 明るく言われて思い出す。竜の仲間もそうだった。好きで傭兵をしていると笑っていたフィンレイでさえ、実の親との確執から殺されそうになったことがある、といつか話してくれた。
 彼の実家は小さな商家だった。後妻の息子だったフィンレイは、前妻の子である兄に殺されそうになったと言っていた。指示したのは父だとも。その話を聞いた後、偶々彼の故郷の町を通ったとき、彼の実家の商家の前を通りがかった。悲しくなるくらい小さな店だった。
 傭兵とは、ほとんどの場合そういうもの。幸福な家庭、満ち足りた環境にあるものは命をかけて生き抜こうとなどしない。
「俺の昔を知ってるやつもいるし、知らないやつもいる。アランなんかは知ってる口かな。――でも、なんて言うかな。だから」
「隊の仲間には甘えたくない、か」
「そんな、感じかな」
 戦友だからこそ、慣れ合いたくない。命を預ける相手だからこそ、余計な負担は担わせたくない。若い傭兵の気概に乗ってやろう、エリンは思う。
「……いいぜ。付き合ってやる」
 コグサのようないい男になる。その宣言通り、ライソンは己を磨いているのかもしれない。――思った自分が馬鹿だった、エリンは溜息をつくのも忘れた。
「よっしゃぁ! いまの嘘じゃねぇよな? 二人っきりでお泊りだぜー。今更やめたとか言わせないからなー」
 ふっふっふ、と馬鹿のように笑うライソンに、ようやく溜息をつけた。眩暈がする。体中から息と言う息を吐きだし、そのまま星花宮に帰ろうかとまで思ってしまう。
「おいコラ若造。一応言っとくけどな、隊の用事だって言うなら宿には泊んねーぞ。野営だ野営」
 無駄遣いができるか、とすげなく言う。それでなくとも半壊した狼は資金面のやりくりでコグサが胃痛を起こしているはず。
「なに? 星空眺めてうっとりしたいってやつ? 意外と可愛いよな、あんた」
「意外たぁなんだ、意外たぁ! って、そうじゃねぇだろ!?」
「――よかった」
「あん!?」
「エリン、なんか沈んでたから。俺の用事にも付き合ってほしいけど、あんたの気晴らしになればもっといいなって思う。だよな?」
 それが友人というものだ。もっともらしく言ってライソンはようやく茶に手を付けた。もうとっくに冷めているだろう茶。言葉をなくしたエリンもまた茶を飲む。仄かに甘かった。
「……なんだこれ。師匠の悪戯だな」
「なにが?」
「茶。甘いだろうが。――まったく。自分が甘い茶が好きだからって俺のにまで混ぜるなっての」
 今頃、星花宮でほくそえんでいるだろうフェリクスを思う。あるいは単に優しさ。疲れの取れる甘い香草を混ぜてくれた師の思い。
「へぇ。俺、この味好きだな」
「嫌いじゃねぇけどな。これで揚げ菓子を食うお前の味覚は嫌いだ」
 甘い茶に歯が溶けそうな甘い菓子を合わせる恐ろしいライソンの味覚にエリンは身震いし、自分用に新しい茶を淹れ直した。




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