狼の宿営地は沸いていた。エリンは特段に驚くこともない。自分のせいだとわかっている。守備兵が極端に少ない今、魔術師が転移してきたら警戒されるのが当然と言うもの。
「元竜のエリナードだ。コグサはいるかい?」
 その辺にいる兵に声をかければ隊長の元に飛んでいく兵たち。まさかこの期に及んで竜の魔術師と名乗る日が来るとは思ってもみなかったエリンの口許に苦笑が浮かぶ。
「どうぞ!」
 尊敬の眼差しもあらわに見つめてくる若い傭兵。たぶんライソンよりもまだ若いだろう。エリンの目から見れば幼いほどだ。その熱っぽい眼差しに体中がくすぐったくなる。自分はそんな目で見られるような男ではない、そうも思う。
「よう」
 隊長の執務室ではすでにコグサが働いている。あれからすでに十日ほどが経っている。傷そのものはタイラントが癒してもいるし、働いているだろうとは思ってはいたが。
「なんだ、その量は」
 机の上に山と積み上げられた書類の束また束。コグサの顔が隠れるのではないかと思ってしまう。呆れてエリンは背筋を震わせる。書類仕事は嫌いだった。
「色々あんだよ、こっちもな」
「例のあれか?」
「まーな」
 反逆軍の策略に嵌ってしまった狼だった。渋い顔のコグサにエリンもうなずく。一応、訓練中の若い兵や引退した傭兵で守備だけは賄えてはいる。それをエリンもすでに見てきた。だが戦闘となると相当厳しいだろう。壊滅しなかっただけで隊としては戦闘不能にも等しいとコグサにはわかっている。
 幸いと言うべきか星花宮の暗躍と言うべきか、狼が共謀を疑われることはなかった。ラクルーサ王としてはこの機に契約条件を王国に有利に改めることもできたものを、それすらラクルーサ王は言ってこなかった。ありがたいより不気味ではある。
「で、忙しい中になんの用だよ?」
 それがわからないエリンではないだろう。彼は竜の傭兵だったのだから。その指摘にエリンは顔を顰める。
「忙しいからわざわざ出向いてやったんだろうが」
「なんだよ、呼びつけるつもりだったのかよ?」
「お前が俺の店にきた方が目立たねぇんだよ、ほんとはよ」
「目立つ――?」
 できれば密やかな訪問がしたかった、願うならば会見すらもなかったことにしたい。エリンの考えにコグサは笑う。そう思っている魔術師が転移してきては無意味ではないかと。
「だからな、コグサ。これは通常の訪問で、俺はお前の傷の具合でも見にきただけだってことにしとけ」
「俺の負傷を気にするような野郎かよ」
「その辺は目をつぶれっての」
「せめてライソンが気になるってことにしたらどうだよ」
「……本題、入るぞ」
 むつりとしたエリンにコグサは笑う。それに嫌な顔をしたから本人も思うところがあるのだろう。あえて口は出さないでいてやろう、とコグサはにやついた。
「扉、聞こえないよな?」
 隊長執務室の前には今も若い兵が立っている。衛兵代わりの彼らに声が聞こえはしないか、と問うエリンの神経質さにコグサは背筋を伸ばした。
「あぁ、大丈夫だ。問題ない。根拠? うちで一番腕のいい魔術師はアランだがな、あれが防音の魔法を毎日かけてる」
「かけてる――? あ、マジだ。気づかなかったぜ」
「それ、アランに言うなよ。落ち込むぜ」
「しょうがねぇだろうが。腕と魔力に差がありすぎんだよ」
 ふん、と鼻を鳴らすエリンにコグサは目を細めた。立ち直ったかつての仲間にほんのりと胸の中が温まる。なんの打算もなくただ、よかったと思う。
「じゃあ、そう言うことで続けんぞ。――お前らが狙われた理由ってやつだ」
「――おい」
「情報思いっきり横流しだからな」
「待て、エリン! お前が無茶するようなことじゃねぇだろうが!」
 ふ、とエリンの口許が緩む。目までも和んだ。和らいで、まるでフィンレイを失う前の彼のよう。コグサは机の向こう、半ば立ち上がってそんな彼を睨んだ。
「違ぇよ、コグサ。横流しは俺じゃねぇ。カロル師だ、大本は」
「はい!?」
 カロルとフェリクスの共謀をエリンは手短にコグサに聞かせる。それだけで事態の重さを悟ったのだろう、狼の隊長は。ぐっと唇を噛んでいた。
「とりあえず座れよ、間抜けだぜ、それ。で、だ。狼が狙われた理由ってのは他でもねぇ。お前らが竜の後継だからだ」
「そう言うがな、竜出身の傭兵は別に俺だけじゃねぇ。他にも隊を起こしたやつらはいるぞ」
「いるけどな、ラクルーサ王家に近いのはお前らだけだろうが」
 む、と口をつぐんだコグサにエリンはうなずいて見せる。それからもっと聞きたくないであろうことを言うための決心をする。
「あとはな……お前らが、まだ若い隊だからだ」
「……まぁな」
 青き竜が解散し、暁の狼が起こったのがほぼ五年前。傭兵隊としてはまだまだ若い。竜の名があるからこそ、大きな仕事ができているだけだとコグサも理解はしている。
「ついでに言やぁな、お前ら、他の傭兵隊とあんまり付き合いねぇだろうが」
 あるはずがない。隊としては新参だ。その上この場合、竜の名が逆効果だ。あの、青き竜の後継と見なされる若い傭兵隊、他の傭兵隊が警戒しても無理はない。
「これはそれこそ内聞にしてほしい話だがな、コグサよ。師匠たちも関係ねぇ、俺の私見だ」
「おうよ。お前の話なら信用できるぜ」
「言ってろ」
 小さくエリンは笑った。たぶん、コグサはわかっている。星花宮四魔導師の意見だと。それをエリンが自分の考えだ、と告げる意味すら彼は理解している。いい隊長になったな、と思った。
 不意に思う。もしもあのまま竜が健在であったのならば。いずれラグナ隊長の後はコグサが継いだのかもしれない。同じ副隊長ではあった、フィンレイは。だが彼には自分の部下すら取りまとめる気がなかった。部下たちは、ただ彼の人柄に惹かれてついていただけ。それはそれで悪いことではない、エリンはいまも思っている。だが隊をまとめるのは無理だとも思う。だからラグナはコグサが新しい隊を作るのを歓迎したのかもしれない。いまになってそれがわかった。
「――いまの国王陛下は、問題ない。狼に好意的じゃないにしろ、敵対はしない。間違いなく、だ。陛下は狼を有能で使い勝手のいい隊だと感じてる」
「ふうん?」
「リオン師が言ってたから確かだろうよ」
 エイシャの神官、総司教まで務めた男の言うことだ。それは確かなどと言うものではなく紛れもない事実でしかない。コグサは真面目な顔をしてうなずいた。
「だがな……。次の代がな……」
「世継ぎの王子はアレか? まぁ、噂は聞こえちゃいるがな」
「魔術師嫌いの傭兵嫌い。自分のものじゃない力はみんな嫌い。どーすんだ、あれ。国の行く末ってやつが不安だぜ、俺も」
「王冠被ったらんなもんは全部てめぇの力だろうに、なに言ってんだかなぁ」
「それがわかってくれりゃ苦労はねぇよ」
 言って長い溜息をエリンはついた。いずれ自分が仕えることになる王だ。できることならば有能であってほしいし、せめて無害でいてほしい。だが魔術師たちにとっては中々厳しい時代になる予感。
「とりあえず今はまだ今上だしな、世継ぎはカロル師がそれとなく抑えてる。リオン師も再教育中って笑ってたから、なんとかなるといいんだがな」
 あの二人のそれはずいぶんと恐ろしい、コグサは内心で笑ってしまう。うっかりと世継ぎの王子に同情しそうだった。が、ことは自分たち傭兵隊にもかかわってくる。そうも言ってはいられなかった。
「だからな、コグサ。とりあえず現状でなんとかするためにな、お前友達作れよ」
「はい!? ちょっと待て、エリン。お前にだけは言われたくねぇぞ。ダチがいないのはどいつだ」
「俺のことはどうでもいいだろうが! だいたい魔術師に限定すりゃ仲間もダチもいるっての! だからそうじゃねぇよ。隊として、同盟組める程度の相手を探しとけってことだ」
「あぁ……そう言うことか。いやはや、驚いたぜ、エリン。お前が色ボケしたかと思ったわ」
「誰が色ボケだ! ライソンとはなんでもねぇって言ってんだろうが!?」
「って言ってすぐあのお子ちゃまの名前が出てくるところが怪しいんだよなぁ、エリン?」
 にやつくコグサの頭を叩いてやろうとし、エリンはにやりとする。口の中で小声で呟けば出現する水球。頭上に現れた巨大な水の塊にコグサが腰を浮かせるより先、エリンはそれを爆散させた。
「お前な! 片づけろよ、部屋ん中!」
 どうやったら執務室を水浸しにできるのか、と兵たちが怪訝な顔をすることだろう、この有様では。それなのに器用に書類だけは避けてくれている。心遣いに感謝すればいいのか怒鳴ればいいのか。混乱して諦めてコグサは座った。
「ボケたことぬかすからだろうが」
 ふん、と鼻を鳴らして手を一振り。それだけで水は跡形もなく消えていた。幻覚だったのかもしれない。それにしては水の匂いがしたけれど。
「……相変わらずいい腕してやがる」
 まるで竜のエリナードが帰ってきたかのよう。ラグナ隊長の下、自分がいてフィンレイがいた。多くの兵と魔術師がいた。あれは自分の青春時代だったのかもしれない、コグサは思う。
「……師匠に叩き直されたからよ」
「うん?」
「カロル師が陛下に報告したのは戻った当日だぜ? なんでこんな遅くなったと思ってる。師匠にしごかれて足腰立たなくってよ」
「……おい」
「まぁ、丸五年か。ほとんど攻撃魔法は使ってなかったしな。つか、使えなかったしな。さすがの俺でも腕が錆びついててよ。それをこれでもかとばかり師匠が罵る罵る。三日は稽古して寝て稽古して寝て、だったぜ」
 それ以外には何一つできなかった、と笑うエリン。久しぶりに師の下で訓練をしたことが嬉しかったのだろう。そしてそんな弟子をフェリクスは殊の外に喜んだのだろう。いささか親愛の情の表し方が間違っている師弟だった。
「おかげでまだ体が痛ぇわ。つーことで、帰る」
「おぉ、悪かったな。手間かけさせた。帰る前に、お前の意見を聞かせてくれ。お友達の第一候補は『炎の隼』を考えてるんだがな?」
「あそこはいい隊だぜ。なにせ騎兵が強い。偵察から突撃までなんでもござれだ。ちょっと参考にしろよ」
「言ってろ。五年後には隼越えだぜ」
「ほざけよ」
 鼻で笑ってエリンは背を向ける。その背中がほっとしていた。友人を失わずに済んだ、できれば今後ともそうあってほしいと。




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