唐突に、戦場が静かになった。タイラントが竪琴を弾きながら振り返る。怪我人はもれなく回復していた。 「終わったね」 この短時間で。あっという間とも愚かしい時間で。コグサが言うとおり、これは「人間の戦闘」ではない。ライソンははじめて理解した。同僚に魔術師がいるのは当たり前。優れた傭兵隊には必ず魔術師が所属するもの。が、隊の魔術師とは格が違う。そうとしか言いようがない。 「こっちはどう?」 不意に姿を現した魔術師たち。無造作にタイラントに近づく氷帝フェリクス。その向こうでは黒衣の魔導師とエイシャの神官が歓談している。とても、二つの軍を壊滅させてきたとは思えなかった。 「うん。ほとんど全員治ってるんじゃないかな。とりあえず重傷って言うような人はもういないと思うけど」 「そう。ご苦労様」 フェリクスの一見冷たい言葉にタイラントが目を輝かせる。伴侶の言葉ならそれがどんなものであっても嬉しいのか。それとも違う響きに聞こえているのか。ライソンにはわからない。 「エリン――」 彼らの中、エリン一人が肩で息をしていた。ぜいぜいと喘ぐ声まで聞こえてくる。たぶん、つらいのだろう。魔法は体力、とアランが言ったことがあった。 「ここ、座るか?」 ちらりとこちらを見やったエリンは黙って首を振る。そうなるとライソンはどうしていいかわからなくなる。 「ライソン。ちょっとその辺のことは後にして。僕らは忙しい」 「あとにするもなにもねぇです。別になんも始まってねぇですから!」 「そう? 別に僕はどうでもいいけど。とりあえず、あっちの軍は近衛が出てくるから任せるよ」 さらりと本題に入ったフェリクスにライソンは感謝をしたくなってしまう。どうしていいか、エリンの顔を見ていたら本気でわからなくなってきた。 「ちょい待ち、氷帝さんよ。近衛ってなぁ、近衛騎士団のことだよな? そんなもんいつ連絡――。あぁ、あれか。精神の接触とやらか。便利だよなぁ、それ」 コグサの屈託のない笑い声。だから狼の兵たちはみなほっと笑い出す。ここに、隊の魔術師とは異質な魔術師がいる緊張を隠せなかった兵たちだった。それを理解してやってくれ、とでも言うようなコグサの眼差しにフェリクスはこくりとうなずいた。 「まぁね。星花宮に残してきた弟子たちがいるからね。接触とはちょっと違うけど。でも連絡がついてるのは事実だから別に方法はいいよね。だからたぶんそろそろ近衛が来るよ。問題はあなたがただ」 「俺ら?」 狼の兵は幸いタイラントが傷を癒してくれた。馬を失ったのは少々痛いが自分の足と言う立派な移動手段がある。コグサとしては問題を感じていなかった。 「テメェらがとろとろ歩いてる時間が惜しいって言ってんだよ。悟れや、ボケ。それで傭兵隊の隊長でございますたァ笑わせんじゃねェかコラ」 淡く透ける金髪の美しい人だった、黒衣の魔導師は。魅力的な翠の目をした人だった、彼は。儚げな、風にそよぐ花園こそが似合う人。その彼こそ、罵詈雑言の主。唖然とするライソンの傍ら、アランは知っていたのだろう、力なく笑う。 「それほど時間を惜しまなくってもいいとは思うけどね」 「だから、惜しむの惜しまないのって話にどうしてなるんだか、それを聞かせてくれって言ってんだがな、氷帝さん?」 「ねぇ、コグサ。あなた馬鹿?」 言った途端に兵たちが剣を取る。ライソンも咄嗟に柄を握っていた。だが一番に手を放したのもまたライソン。エリンが小さく笑っていた。だから他愛ないフェリクスの戯言なのだと理解した。 「あのね、あなたは反乱に巻き込まれたの。あなたって言うより、暁の狼がね。被害者だけど、下手打って共謀を疑われたらどうするの。だからさっさと宿営地に戻ったほうがいい。理解した?」 「――これ以上なくな。ちっ。ラグナ隊長が懐かしいぜ」 ぼそりとした呟き。青き竜の隊長が自分の場所に座っていたのならば、こんな馬鹿みたいな戦闘に巻き込まれることはなかった。フェリクスに指摘されるまでもなく今後の策を考えついた。 「お前はお前だろ、コグサ。できることとできねぇことがある。それが人間ってもんだろ」 そっぽを向いたエリンだった。弟子の背中にフェリクスが微笑む。 「じゃあ、とりあえず宿営地ね? エリィ、狼の魔術師の面倒見て」 「うい。アランだっけ? お前の他に何人いる? とりあえず全員集合」 ぱたぱたと段取りが整っていく。主導権を奪われたコグサであったのに、気分よく従っている風だったから兵も気にしない。傭兵隊というものはそう言うもの。エリンは懐かしいような、ふとそんな気がした。 「エリン、なにすんの」 ひょい、と魔術師たちのところにライソンが顔を出した。狼の魔術師はほんの数人。統率するも何もない。ただまとめていればいいだけのエリンは気楽なものだ。 「師匠たちが宿営地まで送ってくれる」 ライソンはへぇ、と言っただけだった。かえって魔術師たちが恐慌状態に陥る。ここは氷帝の弟子らしく手を出すか、と思ったとき、ライソンがからりと笑った。それでなぜか魔術師たちが静まる。あとになって当然だと思った。ライソンは仲間なのだから、彼らの。 「あの……竜の――」 「エリンでいい。いまはそっち名乗ってるほうが多いからな」 エリナード、とは呼ばせずにいたいのだとはライソンだけが気づいた。その魔術師は訝しげな顔をして、代わってすでに旧知となっているアランが話しかける。 「四魔導師が送ってくれる、とは。もしかして?」 「もしかもへったくれもねぇだろ。転移すんだよ、転移。あっという間におうちに到着だ。よかったな」 少々吐き気がするだろうがな。エリンは付け足し笑う。ライソンは意外だった。こんなに明るく笑う男だったのか、そう思う。竜の時代の彼に会ってみたかった。素顔をさらし、魔法を取り戻したエリン。遠くなった気がした。 「お前らも魔道にいるんだから言わなくってもわかるよな? 師匠たちが仕事はじめたら一切手出しは無用。下手したら肉片になって消し飛ぶぞ」 それすらもエリンは楽しげに言った。まるで氷帝だとライソンは思う。当然のことでもある。彼はその弟子なのだから。 「なぁ、エリン」 彼は彼でここにいる。氷帝ではなく、自分の知っていたエリン。それを確かめたくなってしまった弱さをライソンは嗤った。 「なんだよ?」 訝しげな顔。以前、店で会っていたときにも前髪の向こうでこんな顔をしていたのかもしれない。想像はできなかったけれど。 「あんた、いいのか。お師匠様たち手伝わなくって」 別に話題はなんでもよかったし、そもそもどこかに行ってほしくなどない。ただ、話題がなかった。店ではあんなに他愛ない話をいくらでもしていたのに。 「手伝う? 無茶言うな。俺と師匠たちじゃ力量が違いすぎる。俺が混ざったら消し飛ぶのは俺のほうだ。幸い、四大要素が全員いるからな。俺なんかがせこせこ手伝う必要もねぇよ」 「ふうん、わかんねぇけど。まぁいいや。だったらこっちにいるんだよな」 「こいつらの面倒見ろって言われてっからな。つか、お前。なんでここにいるんだよ。コグサんとこにいりゃいいだろ」 ふい、とそむける顔。前髪を上げてしまっているから顔を隠すものがなかった。だからと言って今更髪留めを外すのも妙な誤解をされそうでしにくい。 「隊長んとこでもいいんだけど。用ないし。だったらダチと一緒にいるかなってさ。な、アラン?」 心配するな、あんたじゃない。ライソンの言外の声が聞こえた気がしてエリンはどこかを見たままうなずく。 どうしていいかわからなくて迷っているらしい、ライソンは。だが迷いたいのは自分だとエリンは思う。 友人になるかもしれない若造だ、と思っていた。唐突に好きだの惚れたの言われても、どうしていいかわからない。この心の奥には、いまもまだフィンレイがいる。 「エリィ、はじめるよ。そっちはいいの」 「黙らせときゃいいんでしょうが。別に大したことでなし。言い聞かせてありますよ。だよな、坊やたち?」 暁の狼の魔術師たちは、エリンに狼を見た。狼がさも楽しげに笑ったらたぶん、こんな顔だ。向こうのほうからそれに目を留めたと思しいコグサの笑い声。 「じゃあ行くよ。おとなしくしててよ、僕はまだ死にたくないからね」 「ぐだぐだ言ってんじゃねェよ。さっさとはじめんぞコラ。積層魔法陣、苦手なんだよ」 「そう言う怖いこと言わないでくれる、カロル?」 「この手のちまちました魔法は好みじゃねェんだっての」 「どこがちまちまなんでしょうねぇ。けっこうな大がかりなのに。あなたのそういうとこ、とっても素敵です。惚れ直しちゃうかも」 「あのー、カロル様、リオン様。狼の兵が怯えてますけど……」 「怯える方が――」 わりぃだろ。悪いんです。語尾だけ変えて声が揃った。こんな時になにも同調しなくてもいいとエリンは笑う。 「なんだよ?」 直ぐそこでライソンが笑う自分の顔を見ていた。物珍しいのだろうとは思う。だがそれにしては優しげな目。 「あんたの、これが日常だったんだと思ってな。星花宮の魔導師なんて遠い別世界の話みたいだったけど、俺には。でも、これがあんたのいたところか」 「罵詈雑言と暴言と魔法が吹き荒れる離宮だぜ。おかげで下働きがいつきゃしねぇ」 「楽しそうだな、あんた」 「俺にとっちゃ、故郷だからな。あそこは」 生まれた場所ではなく、魔術師として生まれた星花宮こそが、エリンの故郷。あの離宮で自分はエリナードとして生まれたのだとエリンは思う。 「故郷、か……」 生まれた場所も家族も失ったライソンは、その言葉をどう聞いたか。わずかにエリンは唇を噛む。完全に手許に戻ってきた魔法に高揚しすぎだ、改めて気づいた。 「だったら俺は、狼が故郷だな。うん、隊長が親父かも」 「誰が親父だ、せめて兄貴と言え! お前みたいなでけぇ息子要らねぇよ!」 聞こえていたコグサが怒鳴る。兵が気楽に笑った瞬間、魔法が発動した。 |