「あれは……フィンレイが悪い」
 コグサに殴られた頬がまだ痛かった。ライソンは天井を見上げたままのコグサをじっと見ている。
 宿営地に戻るなり隊長の執務室を訪れたライソンは、真っ直ぐにコグサに問うた。フィンレイとはどんな男だったのか、と。尋ねた途端、思い切り殴られた。
 いったいどこで聞きつけてきたのかと疑ったのだろう。エリンの周囲をかぎまわって、詮索しているのだと思ったことだろう。
 どう言うつもりだ、と問い詰めるコグサに、フィンレイの名を出したのはエリン本人であること、体調を崩したと言うか魔力を暴走させたと言うか倒れたエリンの介抱をしに彼の師が訪れたことなどをライソンはぽつりぽつりと話した。話し終ってからも無言だったコグサ。すまなかったな、と言ったのはずいぶん経ってからのことだった。そしていま。
「どう言う、ことですか」
 座れ、と言われてライソンはコグサの前に座っている。執務机越しに見るコグサは、見たこともないほど憔悴していた。
「なんでだ? おかしいだろ」
「なにがです?」
「なんでフィンレイが魔法の射線上にいた? 後ろで撃ってるのは自分の彼氏だぞ。そこまで勘が悪いやつじゃなかった、あいつは」
 ならば何かがあったと言うのか、それともエリンが、あるいは。だがコグサはフィンレイが悪い、そう言ったはず。
「……要はな、手柄争いだったんだよ、あれはな」
「手柄、ですか」
「あぁ。いつもの、領主たちの境界争いだ。川向こうの砦にこっちは攻め込んでた。他の魔術師もがんがん撃っちゃいたが、あと一撃。エリンが砦の門を破壊すれば、雪崩れ込んでこっちの勝ち。そこまで来てたんだ」
 なんでもないことのよう言ったコグサにライソンは戦慄する。門を破壊する、簡単に言うがそのようなものではない。傭兵ならば破城槌を持ち出す。魔術師ならば魔法を使う。だがそこまで破壊力のある魔法が易々と使えるはずもない。どれほど力の強い魔術師だったのかわかるというもの。鑑定屋に甘んじているエリンがわからなかった。
「フィンレイは……一番乗りがしたかったんだろうさ。いや……したかったんだってのを、俺は、知ってる」
 机の上、コグサがぎゅっと手を組んでいた。まるで思い出したくないものをその目で見ているかのように。思ったライソンはそのとおりなのだと知ることになる。
「出撃直前に、口喧嘩したんだよ。俺と」
 ひくりとコグサの唇が歪んだ。自分でもそれがわかってしまう。弟のようにも思ってきたライソンに、話したいことではない。自分自身の立派ではなかった過去の行い。
「お前らも、するだろ。出撃前の景気づけみたいなもんだ。よくやるよな?」
「そりゃ、お綺麗でお上品な騎士団じゃねぇですし」
「だろ。あの日も、そうだったんだ。それだけだったはずなんだ。――俺の軽口が過ぎなきゃな」
 静かに息を吸う。あの日のフィンレイの怒った顔がいまもまだ鮮やかだ。長い栗色の髪をひるがえし、戦いに出て行ったフィンレイ。そのまま戻ってこなかった。
「お前はいつも彼氏頼りだろ、エリンがいないで戦果が上がるのかよ。――言ったのは、俺だ」
 だからフィンレイは抜け駆けをした。後ろからエリンが撃ってくるとわかっていて、砦の門に突っ込んだ。
「隊長は!」
「今更だ。誰が悪いって言い合っても、フィンレイは死んだ。エリンが壊れるほど後悔しても、フィンレイは死んだ。その面じゃあ、どうして死んだかも知ってるな? あいつ、そんなことも話したのか」
 ぼそりと言ったコグサにライソンは顔を伏せる。なぜエリンが話したのかまでは、言いたくなかった。自分にフィンレイの面影を重ねて見ていたエリン。同じ傭兵だと言うだけ。傭兵だと言うのならばコグサでもいいはず。だがコグサは二人の過去に近すぎる。ライソンは、なにも知らない若い傭兵だった。
 それが、痛い。エリンが自分ではない誰かを見ていたと聞かされて、平静ではいられない。不快ではある。それが事実だ。それ以上に。混乱して、ライソンは顔を上げられなかった。
「砦って言ってもな、戦闘員だけが入ってたわけじゃねぇんだよ、ライソン。領土争いだって言っただろ。渡河船待ちしてた庶民が収容、というか監禁と言うか、砦に入ってた」
「どっち、のすか? 味方の」
「どっちの庶民だか、そんなもんは関係ねぇよ。戦いに関係ない、非戦闘員だ。実際、砦にはそんなに戦闘員がいたわけじゃねぇんだ。俺ら側の先制だったからな。砦の人員の、ほとんどが一般市民だとラグナ隊長、当時の竜の隊長だ。隊長は、そう考えてた」
「……だから、エリンは」
「撃てなかった。フィンレイを外して砦に直撃させれば、大量の非戦闘員の死者を出す。傭兵の恥だってだけじゃない。巻き添えで殺すことなんかできるか。俺ら傭兵にしろ、騎士団にしろ、どっちみち戦うのが商売だ。殺すのも殺されるのも、それが当然の商売だ」
「エリンは、それができなかった。普通の人を、死なせるのが」
「あいつだけじゃねぇよ。もしも万が一、エリンがフィンレイを庇って砦に当ててたらな、ラグナ隊長に殺されたのはエリンだろうさ。もっとも……そうしてもらったほうが、あいつにとっちゃどれほど楽だったか、な」
 自分の魔法で恋人が死んでいく。覚悟の上でエリンは撃った。それでも、なぜと思ってしまうだろう。どうしてそんなところにフィンレイがいると。魔法を中断も解除もできない、この段階になって、どうしてここに彼が、と。
「俺との口喧嘩が、原因だ。エリンに、そう言ったのは俺だ」
「そんな、隊長は! だって、傭兵の習慣みたいなもんで――」
「だからな、ライソン。あれは誰も悪くない。強いて言えばフィンレイが一番悪いんだ。頭に血ィ上らせて、彼氏の魔法射線に突っ込むなんて、馬鹿以外の何物でもない。でもな、エリンには恨む相手が必要だったんだ」
 ライソンにはさすがに言えなかった。エリン本人もそこまでは言っていないらしい。本人にとっては恥としか言えないだろう事実。
 フィンレイを撃ち殺した戦闘が終了を見た瞬間、エリンは壊れた。暴走して魔力を垂れ流しその場に虚ろな目をしたまま座り込む彼を、仲間の誰もどうにもできなかった。あのままだったらエリンは死んでいただろう。もしもあの場に異常を感じた彼の師が転移してこなかったならば。そのまま心を失ったエリンは師につれられて隊を去った。そしてあの戦闘をきっかけに、ラグナは隊を解散した。青き竜は消え、そしてコグサは自分の隊を発足させるために働いた。傭兵以外、何もできなかったから。その途中、盗賊に襲われた村の生き残りの少年を拾いもした、ライソンだ。
「さすがにすぐじゃなかったがな。というより、すぐに話せる状態じゃなかったからな」
 エリンが、まともな人間らしい生活が送れるようになったのはつい最近のこと。コグサが剣の魔術付与を依頼する直前と言ってもいいほど、最近だ。
「それまでは、師匠のところにいたらしいからな」
「ラクルーサ宮廷魔導師団、ですか……」
「星花宮の魔導師って言ったほうが通りがいいがな。氷帝に、俺は殺されるかと思ったぜ。あの、氷帝が意外と過保護でな」
 小さくコグサは笑った。つられるようライソンも乾いた笑いを漏らす。エリンを傷つけたならば必ず殺す、とすでに宣言されている。コグサの話を聞くにつけ、冗談でも言葉の綾でもないと理解できる。
「まだ、エリンには会えなかったがな。星花宮に出向いた俺は、だから結局氷帝に話したわけだが。どういうわけかエリンに直通だったらしくってな。その辺は、魔術師同士のなんからしいが俺にはわからん」
 あの場で氷帝フェリクスは言った。今ここで自分に向かって話すことは、エリンに話すことと同じと思えと。修辞の問題だと思っていたコグサだったが、単に事実だった。
「フィンレイと口喧嘩した、それがあいつを抜け駆けさせたんだって言った途端だったよ。氷帝がうめいたのは」
「うめいた? それは、怒ったとか……」
「つーか、なんかの発作かと思ったぜ、俺は。エリンにな、そのまま聞こえてたらしいんだ。聞こえてたってのが正しい表現かどうかは、知らん」
 精神が接触しているなどというものではない状態で過ごしている。それしかエリンを救う術がないから。あとになってフェリクスはそう言っていたがいまだにコグサにはその意味がわからない。ただ、聞いてしまったエリンが狂うほどに絶叫した、その衝撃にフェリクスほどの魔術師がうめき声をあげたのだけは、なんとなくわかった。
「それでも、氷帝には感謝されたがな」
「どうしてです。だって、大事な弟子を傷つけたのは――」
「俺ってことにもなるんだがな、ライソン。それはそれとして、エリンには恨む対象ができたってことだ。俺を恨んで憎んで、それでいいんだ」
「でも――」
「恨みも憎みもできない状態から、そこまで回復したんだ。それでエリンが生きる気力を取り戻したなら、それでいいじゃねぇか」
 よくはない。ライソンはじっとコグサを見る。あるいは、もしかしたら羨ましかったのかもしれない。エリンは以前言っていた。コグサは八つ当たりされていると知っている。それを甘受してくれているだけだ、と。エリンの信頼に値するコグサが、羨ましいのかもしれなかった。
「なぁ、ライソン――。エリンは、やめとけ」
 すっとコグサの眼差しがライソンを射抜いた。涼しいのに、微笑んでいるのに、ライソンは動けない。
「やめとけって……別に、俺は……」
「お前、なんでエリンの店に行ってる? 用事なんかねぇだろうが」
「それは、話してると面白れぇし」
 ただ、それだけだと呟くライソン。本当ならば、放っておいてやりたかった。初々しいような、本人が自覚してもいない恋の芽。摘み取るのは惨いと思う。それでも。
「エリンは、自分の魔法で彼氏を殺したんだ。傭兵の彼氏をな」
 うつむいたままのライソンにコグサは容赦をしなかった。今ここで容赦をすれば、また全員がつらい思いをするだけ。
「エリンの魔力はフィンレイを死なせてから安定しなくなっちまった。だからもう、あいつは戦場には出れねぇ。暴走か不発かどっちかしかねぇような魔術師とは組めねぇからな、こっちも」
 それを一番悔いているのは、エリン自身だろうとコグサは思う。本当は、戦場で散りたいのではないかと疑っている。
「自分が見てない戦場で、エリンはまた彼氏を死なせるのか? 助けに駆けつけることもできないで、見殺しにするしかないのか?」
「俺は、そんなんじゃ――」
「ダチだろうが同じだからな。助けられないなら、かかわりたくない。そう思ってるエリンに、これ以上付きまとうな」
 答えられないライソンを、いつまでもコグサはじっと見ていた。




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