師弟だと、本人たちは言う。だが本当にそうなのだろうか。疑いたくなってしまうようなその姿。コグサ隊長は言っていた、彼は世界で一番エリンを愛している男だと。それは師弟だ、という意味だったのだろうか。 「あんたは――」 聞きたくない、本当は。違うと言われたならばどうしよう。すごすごと去るのだろうか、自分は。ここにいる意味すらも、本当はない気がしている。自分がいても、なんの役にも立っていない事実をライソンは知っている。それでも尋ねてしまうのを、たぶん若さと言うのだと思うくらいには、世間を知ってもいる。それが苦かった。 「なに?」 エリンを膝枕したままの彼がこちらを向く。どこからどう見ても闇エルフの子だ。見間違えたわけではないだろうが、以前は人間の姿をしていた。幻覚か、と思う。同僚の魔術師たちも幻覚を使うことはあるから、そのくらいはライソンでも知っている。 「だから、なに? 聞きたいことがあるならそっちで聞いてよ。一々どうして僕が斟酌してあげなきゃいけないわけ?」 エリンの師匠にしては言い分が子供じみている。ライソンが苦笑した時、突如として寝室の扉が開いた。思わず飛びあがってしまったのを彼が笑った、そんな気がした。 「遅いよ。どこで道草食ってたわけ? 可愛いエリィがつらいんだよ、それをわからなかった、なんて言わせないからね」 「わかってる、わかってます! 俺が悪かったのはわかってます。えぇ、はいはい、空が青いのも雲が白いのも俺のせいですよ、はいはい」 「タイラント? 返事はいくつ?」 にっこりと彼が微笑っていた。ライソンは背筋が寒くなる。何か途轍もないものを見聞きしてしまった気分。エリンがそっと笑った。 「はい? タイラント? あんた……タイラント・カルミナムンディか!?」 入ってきた男に目を向ければ、確かに容貌には聞き覚えがある。銀髪に、左右色違いの目をした美青年。世界の歌い手はそう言う容貌だとライソンも聞いている。 「うん、そうだけど? ていうか、君。誰?」 ふにゃりと気が抜けるような喋り方だった。エリンの師が顔を顰め、エリン本人は膝枕のまま笑う。そして愕然とエリンの師を振り向くライソン。 「……あんた、氷帝か!? エリン、あんた、氷帝の弟子だったのか!?」 ラクルーサ宮廷魔導師団が誇る最強の四人。氷の最強魔導師の名を、カロリナ・フェリクスと言う。通称、氷帝。恐ろしい話ばかりを聞いていたはずが、こんな華奢な青年だったとは。 「なに、エリィ。そんなことも言ってなかったの。まぁ、気持ちもわかるけどね。同業者にはちゃんと名乗ってるんだろうね?」 「……まぁ、一応は」 「別にいいけどね。何かあったら言いなよ、身元は僕が保証するから」 「はい、師匠」 「相変わらずだよねー、君。ほんと甘い」 「タイラント、何か言った?」 にっこり笑うフェリクスに、タイラントがこれでもかとばかり首を振る。ならば最初から言わねばいいのに、とライソンは思い、そしてとんでもない有名人に囲まれているのだと気づく。 「タイラント。薬」 ライソンのそんな感慨などどこ吹く風とフェリクスはタイラントに言いつける。彼が懐から出したのは、一本の透明な瓶だった。中には澄んだ液体が入っていて、妙に美しい。 「ほら、エリィ。もう飲める? 体、起こせる? 起こせないって言ったらどうしようかな。口移し? 別に僕はいいけど、あとで焼きもち妬いて泣きわめくタイラントをなだめるのはあなたがやってよ」 病人、なのだろう、一応は。その弟子に対してその言い分はどうなのだ、とライソンは頭を抱えたくなる。ならば手を貸そうか、自分が。思った途端にタイラントに手で制されてしまった。 「平気だよ、シェイティは遊んでるだけ。大丈夫でしょ、もう?」 「うい、平気で……ではないですけど、薬くらいは飲めるかと」 平気です、と言おうとするや否や凄まじい目でフェリクスが上から弟子を覗き込む。途端に前言を翻したくなってしまったのも当然と言うもの。 それなのにフェリクスはそっと微笑んで薬をエリンの唇にあてがった。これでは体を起こすも何もない。つまりは弟子を案じていただけなのだとライソンは思う。 「リオン様の強壮薬は効くからね。ちゃんと養生するんだよ」 タイラントの言葉に恐らくはかつてエイシャ女神の総司教まで務め、そして星花宮の魔導師でもあるリオン・アル=イリオのことだろう、とライソンは想像する。一介の若き傭兵である自分が名を知っているような有名人の薬だ、その薬ならば確かに効きそうだった。 「さぁ、エリィ。説明してもらおうか」 優しく微笑んだままのフェリクス。だが楽しく朗らかな気分である、とはその場の誰もが思わなかった。彼らをよく知らないライソンでさえ。 「……何をです?」 「そこの若造のこと。どう言うつもり? 別にあなたがそう言うつもりなら、僕は何も言わない。ただ、知ってるの?」 濁した言葉があると気づかないわけもなかった、ライソンも。それを問うてはいけないことも。そっと慰めるようタイラントが側にいてくれている。慰められているなど気づかなければよかったのに。 「……知りませんよ」 「言うの」 「それは――」 「あのね、エリィ。ちゃんと言うなら言う、言わないなら言わない、決めた方がいい。このままずるずるしてつらいのは誰? あなたでしょ」 「……似たようなことを、コグサにも言われましたよ」 興味がないならライソンを振れ、と言ってきたコグサ。だが同時に自分のことも案じられていると気づいていた、エリンも。真っ直ぐ告げられて素直にうなずく自分ではないと知っているコグサだから、ライソンを前に立てただけ、それだけ。 「ふうん、あの子。いまは傭兵隊長だって?」 「そいつの隊長ですよ。ライソン、暁の狼の騎兵です」 ちゃんと紹介してもらえるとは思ってもみなかったライソンだった。どぎまぎとして頭を下げるのが精いっぱい。 「だったらよけいに。エリィ、どうするの。どうしてなの」 なぜここに、自分の近くに傭兵がいる。言外に問う師の言葉にエリンは涙ぐみそうになる。膝に顔を押しつければ、優しい手が髪の上。 「ねぇ、エリィ。言いたくないなら、僕が言おうか? そっちの若いのだって、知らないで済む話じゃないでしょ」 「済ませたい……」 「それで済むの? もう、済まないんじゃないの。あなたは、どうしたいの」 側にいたタイラントがすっと前に出た。ライソンが驚きに目を丸くする間もない。微笑んだまま無言でフェリクスの手を取る。 「君がこの子を心配する気持ちはわかるよ、シェイティ。俺だって心配だ。でもね、時間がいると思うんだ、違うかな」 「だって」 「俺たちだって、そうだったよね、シェイティ? 色々あって、巧く行くまで何年かかった?」 「そう言うこと、弟子の前で言わないでくれる?」 心底嫌そうな顔をするフェリクスにタイラントは怯まない。からりと笑って両手の間に彼の手を挟む。ふと、羨ましくなった、ライソンは。意味もわからずに。 「なぁ、エリナード。俺たちの手が必要だったら、君はちゃんと言うよな? もうそんな判断もできないほど、ちっちゃな子供じゃないよな、君は」 「僕から見たらまだ子供なんだけど」 「そりゃ弟子だし。それはそうなんだけど。でもエリナードは子供じゃない。だろ?」 膝に顔を埋めたままうなずくエリンにフェリクスが渋い顔をした。それから溜息。ゆっくりと彼の髪を撫で、頭を膝から降ろす。 「エリィ、言わなくても知ってるね? 僕は、僕だけは何があっても、世界中があなたの敵になっても、僕だけはあなたの味方だ。それだけ、覚えておくんだよ」 「……はい」 「まぁね、これは僕が師匠から言われたんだけどね」 「カロル師が?」 「うん、こいつと大喧嘩やらかして死にかけたときにね」 にやりと笑って横目でタイラントを見やったフェリクス。小さく笑ったエリン、慌てるタイラント。彼らの間では既知の話なのだろう。一人、ライソンだけが取り残された。 「それだけ覚えてれば、あとは自分でどうとでもできるね? 僕がどう動くか、わからないあなたじゃないものね」 「はい」 目を上げたエリンにフェリクスが微笑む。ついでライソンにその眼差しが向いた。その時にはすでに厳しい魔術師の目。 「僕はあなたが何者で、エリィとはどういう関係なのか、いまは問わない。ただし一つだけ覚えておくように。僕の可愛い弟子を泣かせたら、世界の果てまで追ってぶち殺す」 「……シェイティ、君が言うと洒落にならない」 頭を抱えるタイラントに、冗談なんか言ってないと嘯くフェリクス。迷うライソンに向いたタイラントの色違いの目。真実だと語っていた。 「じゃあね、しばらくはちゃんと寝てるんだよ。僕の可愛いエリィ」 「よしてくださいよ、子供じゃあるまいし」 「言われない程度にはきちんとした生活を送るんだね」 ふん、と鼻を鳴らして次の瞬間には二人の魔術師は消えていた。二つばかり呼吸をして、ようやく転移して行ったのだと気づく。凄まじい技術だった。 「……なんか、その、ほしいものがあったりしたら、取ってくるけど」 エリンと二人、寝室に残されてしまった。場が持たなくて言えば、エリンが黙って首を振る。このままここにいていいのだろうか。病人らしきエリンの邪魔だろうか。かといって帰ってしまったら、一人で寝込む彼はどうなるのだろう。結局ライソンは動けない。 「……あんた」 「なんだよ」 「別に。ただ、エリナードって言うんだと思って、名前」 ぎゅっと寝台の上、エリンが体をすくめた気がした。タイラントにそう呼ばれてもなんともなかったエリン。けれど今は。 「……その名前で呼ばれたくないから、名乗ってない」 呼ばれたくないのは、俺になの、それとも誰にでもなの。問いたくても問えないライソンは黙ってエリンの寝台の側、立ち尽くしていた。 |