手の中で弄ぶ水晶が、水晶ではないもののようアランは思う。とてつもなく貴重なもの。新しい知識の象徴だ。アランは思う。
「なんだよ?」
 用が済んだのだから早く帰れ。露骨なまでの促しにアランは苦笑する。小さく頭を下げて敬う姿勢を見せれば、はっきりと嫌な顔をされた。
「俺、夢があるんですよ」
 エリンの嫌な顔などものともせずアランは言う。こんな機会でもなければ言うこともできない。不意にそんな気がした。
「はいはい。なんですか」
 聞き流す、とあからさまに言われた。それでもいい。アランは話すことに決めてしまった。思い切りがよすぎる、と言ったのは誰だったか。出会う人すべてに言われている。
「エリン、コグサ隊長と知り合いっすよね」
「付き合いだけは長ぇよ」
「――だったら、隊長が昔いた傭兵隊、知ってますよね。青き竜。最強の傭兵隊」
「まぁな」
 気のないエリンの声にアランはそれでもうなずいていた。青き竜が最強だった時代はもう遠い。すでに竜自体、解散の憂き目にあっている。
「竜が解散したの、まだ俺がガキの頃だった。見りゃ、わかりますよね」
 若い魔術師に見えるアラン。だが魔術師としては力のないアラン。エリンはうなずく。二十代も半ば程度、正に見ての通りの年齢だと。
「俺は魔術師としてはあんまり力がない。だからかな、よけいに憧れる。知ってますよね。竜の最強魔術師。黄金の悪魔って呼ばれた、最強の魔術師」
 アランの目が憧憬に輝いていた。前髪の間から窺い見たエリンはそっと顔をそむける。聞くのではなかった、こんな話。
「俺はガキだったから、黄金の悪魔って通り名しか知らない。どこの誰だかも知らない」
「――死んでんだろ。竜が解散してから何年経ってる。魔術師なんて、そんなもんだ」
「長生きじゃないですか、俺ら。だったら」
「だとしても、だ。魔術師の死因第一位は他を圧倒して好奇心だぜ。力ある魔術師ほど、好奇心で死ぬ。そんなもんだ、世の中」
 表情の見えないエリンがどこか遠くを見ていることをアランは気づいていた。あるいは黄金の悪魔と呼ばれた魔術師と、エリンは知り合いだったのかもしれない。コグサの知己であるのだから、充分に考えられることだった。
「でも――」
 アランが言葉を続けようとしたとき、ひくりとエリンが体を動かす。何事かと思えば工房の扉に人影。
「よう、やっぱりこっち――ってアラン? お前、なにしてんの。ここで」
 ライソンだった。目をぱちくりとさせてはいるが、どことなく機嫌が悪そうでもある。こういう時のライソンにはできればかかわりたくないのだけれど、とアランは内心で思いつつ笑った。
「なにって、そりゃ客だっての。買い物に来る以外なにしに来るんだ」
「なにしにって……」
「隊長ご愛顧の店だぜー? 魔術師ってのも大変なんだぞ、ライソン。お前、わかってないだろ。屑水晶の代わりに硝子つかまされるとけっこうな大惨事だったりするんだぞ」
 魔法の触媒が戦闘中に機能しない、と気づいたときには顔面蒼白だ、などとアランは笑う。エリンは肩をすくめて口を出してしまった。
「硝子でも代用可能だぜ?」
「え……。マジっすか!?」
「よく考えろよ、若いの。硝子の主成分はなんだ。珪砂だろうが。で、水晶はなんだ。石英だろ。石英を含んだ砂をなんて言うんだ、え?」
「あ……。珪砂」
「だったらまぁ……屑水晶の代用くらいには、やってできないことはない、かな。あとは腕次第だけどよ」
「問題は俺に腕が足らないってことすよ」
「その辺は精進しろよ、若いんだからよ。で、そっちの若いのはなんの用だよ?」
「……いや、別に、なんの用って言うか……。アラン、なんの話してたんだよ。いま、話やめたよな、俺が入ってくる前」
 癇性に言ってライソンは腰を下ろす場所をさっさと見つけた。工房にどうしてこんなに人がいるのだろう。エリンは溜息をつきたくなる。今度は工房から椅子を片付けておこう、とも。
「強いて言えば俺の夢?」
「アラン」
「マジだって。お前、隊長が前にいた隊、知ってんだろ。竜の魔術師の話、してたの」
「あぁ、あれか。お前がよく言うやつ。なんだっけ」
「黄金の悪魔」
 いつも人の話を聞き流しているからそうなんだ、とアランがライソンを睨む。が、こたえた様子もなくライソンは首をかしげていた。
「いつも聞こうと思ってたんだけどさ。なんでそんな通り名なんだよ?」
「知らねぇよ、俺、ガキだったもん。エリン、知ってます?」
「……お前んとこの隊長に聞けよ。めんどくせぇな」
「まま、そう言わず」
 にんまりとして揉み手をするところなど、魔術師ではなく商売人のようだった、アランは。そんな態度にだろうか、あるいは別の理由か。エリンが小さく笑った気がした。ライソンは知らずそっと唇を噛む。
「金髪碧眼だったんだよ、そいつは」
「だから黄金?」
「だから黄金。通り名なんてそんなもんだろ」
 確かに複雑な通称などそうはない。納得するアランを今度こそエリンは追い返そうとする。が、一瞬遅かった。
「俺は、黄金の悪魔に憧れてました。昔ね。今は違う」
「そりゃ結構」
「俺は、そんな力ある魔術師にはどうあがいたってなれない。魔法かけんのに、触媒が必要なくらいですからね。だからエリン、知りませんか」
「なにをだよ?」
「黄金の悪魔に匹敵するような魔術師。――隊長のために、狼には俺じゃない、もっと力のある魔術師がいた方がいい」
 この、触媒がなくては魔法が使えないような魔術師が暁の狼第一の魔術師だと言うことが、アランは怖かった。いつか自分の失敗で、力がないがために隊を崩壊させるかもしれない恐怖。
「な――!」
 座ったばかりの椅子を鳴らしてライソンが立ち上がる。友人の肩を掴んでなにを言うのかとばかり揺すぶった。
「だって、そうだろ? 俺は、力がない。伝説の黄金の悪魔みたいな魔法がどうやったって使えない」
「隊長はそんなこと望んでないからだろ! お前が狼にいるのは、お前が必要だからだ。他の誰がなに言ったって、お前がどう思ってたって、隊長がそう思ってるから、お前は暁の狼の魔術師なんだ!」
「でも――」
「うるせぇぞ。坊主ども」
 エリンの低い声にびくりと竦んだ。若いとはいえ、二人の傭兵が。お互いに手を取り合って硬くなり、そして照れたよう笑いあった。ライソンの腕をぽん、とアランが叩いたのは礼だろうか。まるで合図のようだった。共に戦ってきた時間が長いからこそ、それで通じる身体の言語。エリンは見ないよう心掛けていたにもかかわらず、視界の端で捉えてしまった。
「――とはいえ、いまのは全面的にライソンが正しい」
「え。マジ。エリン?」
「お前が言ったんだろうが。地味だろうが触媒が要ろうが、コグサはそれでいいと思ってっからお前がいるんだろ。別に城壁破壊がしたいわけじゃないだろうからな、コグサは」
「はい? エリンさん?」
「黄金の悪魔ってやつはな、ライソン坊や。城壁破壊から大規模戦闘魔法までなんでもござれって破壊の権化みたいな野郎だったわけ」
「あー、なんか聞いたことありますよ、師匠だったかな、言ってたの。黄金の悪魔が通った後は草一本生えないとか」
「さすがにそこまではない……と思うが、知らんね。俺も」
 エリンの唇が歪んでいた。笑っていたのかもしれない。ライソンは顔をそむけて工房の壁を見る。隊長に呼び出されて、色々考えてみたもののまとまるはずもなく、結局訪れたエリンの店にはアランがいる。苛立ちばかりが募る、そんな気がしてならない。普通に話している自分が一番嫌だ、そんな風にも思った。
「事故る可能性の高い大規模魔法より、着実な魔法がいまのコグサには必要だ、わかるか。狼はまだ若い傭兵隊だ。事故ってなんかやらかしてからじゃ遅ぇんだよ」
「あ……」
「コグサの隊が安定する頃にゃ、お前はもう引退だ。自分の力がどうのなんて考える必要もなくなってるってことだ。安心しな、坊や」
 それまで生きていられたならば。エリンの言葉の裏側にアランはそれを聞く。生き抜けば、安心ができる。それまで戦い抜いて生き抜かねば、心配することもできなくなる。投げやりな言葉の中にそれを嗅ぎ取ったアランは黙って頭を下げた。
「ありがとうございます。帰ります」
「おうよ、こちらこそ。今後ともご贔屓に……ってさっきも言ったよな。じゃあ、さっさと帰れ。あぁ、ついでだ。コグサに伝言」
 にやりと歪んだ気がしたエリンの唇。ライソンが体を固くした。彼は隊長になにを言うのだろう。興味とともに、聞きたくない。
「コグサに言っとけ。俺は青春悩み相談室を開いた覚えはねぇってな。お子様方の悩み事は隊で解決してくれ」
「ひどいな。まぁ、ガキだろうけど、あなたから見たら。わかりました、言っときます」
 からりと笑ったアラン。どうする、と彼の目が言っていた。もし用がないなら一緒に帰って飲もうぜ。そんな目。
「……ガキ扱いすんじゃねぇよ」
 だからかもしれない。思わずアランを突き退けてしまったのは。子供扱いしたのはアランではなくエリン。それでも。
「お前なぁ」
 仕方ないやつだよな、そんな目をしてアランが黙ってエリンに頭を下げて帰っていく。よけいに、苛立つ。腕を引いてでも、連れて帰ってほしかった。これでは本当に子供だ。思っても、思っても。
「用、ないんだろうが。お前は。一緒に帰れよ」
 呆れ声のエリン。気がついたときには掴みかかっていた。細い、魔術師らしい腕。掴めば折れてしまう。剣を易々と握る腕だと、知ってはいたけれど。
「そうやってガキ扱いして――」
「ガキは嫌いなんだよ! 勝手に無茶して、勝手に特攻して、勝手に――」
 言うつもりのなかった言葉。決して言ってはいけない言葉。悪いのは誰でもない。自分自身以外に誰も悪くない。無茶でも勝手でも、悪かったのは。
「エリン?」
 驚いたような、逆に気の抜けたようなライソンの声。腕を掴まれたまま、落ちていく感覚。ライソンの体に縋ることなく、エリンの意識は消失した。




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