「あいつは誰。あんたのなんなの。あいつだって客じゃないよな。でも、追い返そうなんてしてなかったよな」 問いたくても、ライソンは問えなかった。問えば、こうしている時間までも終わってしまう。それだけは、わかる。 だから黙って宿営地に帰ってきた。足取りが重くなってしまうのは、仕方なかった。鬱々と楽しまない、などという芸当ができるはずもない。 「所詮、若造の傭兵だしな」 鼻で笑えばエリンのよう。そこまでしても、自分で何を苛々しているのかがわからない。こういう時には訓練に限る、とばかりライソンは夕方の訓練に励んだ。 翌朝も、その昼も。普段だったら気がつくことに気づかなかったのは、それだけ頭に血が上っているせい。 「ライソン、ちょっと来い」 コグサが訓練の様子を見に来ているとは全く気づかなかった。慌てて汗を拭って駆けつければ、そこで言葉をくれるわけではなくコグサは背を向ける。 「隊長――」 自分はまだ訓練を続けたい。言いかけたけれど飲み込まざるを得なかった。わずかに首だけ振り向けたコグサの目を見てしまっては。 「なぁ、ライソン」 隊長の執務室に戻り、コグサはようやく口を開く。ライソンはむつりとそこに立っていた。今では訓練の様子をただ見にきただけではないと気づいている。 「またお使いですか、隊長」 「そんなんじゃねぇよ」 「だったら――」 「おい小僧。俺はうちの兵にあんな剣の振り回し方するような躾をした覚えはねぇぞ。筋肉つけてぇだけだったら棒切れ振り回してろ。他人の迷惑だ」 ぐっと唇を噛んでライソンは立ち尽くす。言われなくてもわかっていた。訓練になどなっていないことは。訓練しているふり、没頭しているふり。否、それだけは本当。剣を振っていれば、少しは苛立ちが収まるから。 「で。なに苛ついてやがんだ、お前は」 一転、コグサが笑った。今のいままで凄まじい目つきで睨みつけていた隊長ではなく、まるで悪戯を待ちかける父のような。 「隊長……」 知らず、ライソンの唇から声が漏れる。こんなに心許ない気分になったのは、たぶん村が襲撃されたあの日以来だ。 「……エリンの店で、俺とおんなじくらいの若造に会ったんですよ」 「自分で若造って言うか?」 「俺じゃなくてあっち。細っこい、折れそうな腕してるけど、年はたぶん俺と同じくらい」 ほうほう、とコグサが興味深そうな声でうなずいていた。が、さすがにこれほど共に戦ってきている。コグサの嘘だとすぐわかった。 「隊長、知ってますよね。その調子だと」 「どんな野郎か先に言えよ。エリンの知り合い全部知ってるわけじゃねぇよ、俺だって」 「黒髪黒目でチビ」 言った途端にコグサが笑いを噛み殺し損ねて奇妙な音を立てた。ライソンは怪訝な顔をしたけれど、コグサはそれには手を振って応えなかった。 「で、それが?」 「あいつ――。エリンのなんなんです」 「それ聞いてどうするんだ、お前は」 「え……? いや、別に。その」 「エリンの彼氏だって言ったらどーすんだ。え。口説くのやめるか?」 「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、隊長! 俺、そんなつもりじゃないですから!」 コグサにからかわれてライソンは慌てる。いきなり何を言い出すのかと思う。ぎょっとして隊長を見やれば、人の悪い顔をして笑っていた。 「別に口説けばいいだろ。あいつが乗ってくるとは思えねぇけどな」 「だから隊長! 俺は――」 「だったら別にエリンに友達の一人や二人、いてもいいだろ。お前が気にするようなことじゃない」 畳みかけられてライソンは唇を噛む。それは確かにそうだ。エリンにだとて友人はいるだろう。けれどあの親しげな様子。 「お前が見た男ってのに、俺は心当たりがあるよ。ライソン」 「――誰なんです」 「素性は言わん。エリンに殺されそうだからな」 ライソンが知らないと言うことは、紹介などしていないのだろう、エリンは。言えばそうだとライソンがうなずく。若者の見せる表情にコグサは内心で微笑み、言った。 「あの男は、ある意味では世界で一番エリンを愛してる男だよ、ライソン」 その瞬間、ライソンが目を見開いた。声もなく立ち上がり、そして頭を下げて出て行ってしまう。普段のライソンからは考えられない態度だった。 「あれで何が違うってんだかな」 からりと笑い、けれどコグサは渋い顔をした。エリンに迷惑をかけることになるのかもしれない。ならば早いうちに手を打っておくにしくことはなかった。 扉の前にいる若い兵に用事を言いつければ、時をおかずに呼び出された本人が顔を見せる。 「隊長。お呼びと聞きましたが」 魔術師のアランだった。コグサはうなずき、少し待て、と手で止める。アランは無言でコグサの仕事の続きが終わるのを待っていた。 「すまんな。ちょっと使いに行ってほしいんだが、でもお前の意志で、だ」 「ん、つまり俺は俺の用事で出て行って、ついでに隊長の用事をしてくるってことですかね」 「そう言うことだ。これを――」 つい、といま書き上げたばかりの手紙に封をしたものを滑らせて寄越す。アランは黙って受け取った。 「エリンに届けてほしい」 アランはならばライソンがいるではないか、とは言わなかった。ライソンでは都合が悪いか、なにかわからないけれど隊長なりに都合があるのだろう。 「――で、屑水晶が欲しいわけですよ」 エリンの店でアランは受け取ったとき同様に無言で手紙を彼の前に滑らせ、そして別の話をしていた。 「屑水晶?」 「俺は付与魔術が使えるような力はないんで。触媒がいるんですよ、エリンさん」 「さん付けはよせ、客だろうが。気色悪い」 言いつつエリンはコグサからの手紙に目を通していた。なぜこんなことを言われなければならないのかが理解できない。というよりしたくない。 ――付き合う気がないなら、さっさとライソンを振ってくれ。本人自覚皆無ながらお前に惚れてる。 コグサの依頼なのか忠告なのか、それとも別の何かなのか。今更そんなことに巻き込まれるのはごめんだとの思い。色恋は二度と必要ない。エリンは無言で手紙を手の中で燃やして消した。 「……だから屑水晶か」 アランは傭兵隊の魔術師だ。攻撃魔法の目標物兼用、というところなのだろう。ならばよけいに屑でいい。品質の高いものを使っていては金がかかって仕方ない。 「なんか適当に、ないですかね」 「なんで俺の店にわざわざそんなもん買いに来るかね」 「まぁ、ついで? いや、王都に来たついでって意味ですよ」 にやりとする魔術師に、エリンは小さく唇だけで笑った。アランは何も問わなかった。魔術師として素性を明かせ、とは決して言わなかった。本来ならばアランはそうしてもよかったのに。だが隊長の知り合いならば隊長が把握している。それならば自分はもう充分だ。態度でそれを表した。 「とんだついでもあったもんだな」 ありがたさに、息をつく思い。魔術師にそう問われたならばエリンは名乗らざるを得ない。いずれ、ライソンの耳にも達するだろう。どことなく、それは嫌だった。昔の名は、捨てたかった。 「一応聞くがな、水球は作れるよな?」 「いくらなんでもそこまで腕は悪かねぇですよ」 「だよな。だったら来な」 ちょい、と指で店の奥の工房に招く。最近は妙に工房に人を入れる機会があるものだと思って苦笑した。 「俺も慈善事業じゃねぇからな。それなりのもんはもらうが。手持ち、どれくらいある?」 保管箱を漁りつつ言うエリンにアランは肩をすくめた。傭兵の懐事情がどうなのか、この人は知らないのだろう。思った途端に違うと思う。知っていて、問われている気すらした。 「それほど使う機会がないんで。そこそこ持ってますよ」 「だったら、これ。買えるか」 エリンが差し出したのはまったく歪みなく透き通った水晶だった。これならば高度な魔法の触媒としても充分通用する。もっとも、高度な魔法などかける機会はなく、かけたくとも腕はない。そして腕を持った人には触媒など必要ではない、という矛盾もあるのだけれど。 「すげぇ。こんな透き通った水晶、見たことないな」 「まぁ、儲け度外視で売ってやる」 「でも――」 欲しいのは目標物として投擲可能な程度の水晶だ。困惑するアランの目に、にんまりと笑ったエリンの唇が見えた。 「で、さっきの質問だ。水球は、大気から水分を取りだして水を集めて作る。な? その要領だ」 言いつつエリンは短刀で工房の床石を割っていた。意外と野蛮なことをする、とアランが笑いをこらえたとき、エリンが元に戻った。その手には小石が乗っている。 「こっちに純度の高い水晶がある。ここにただの小石がある。あとは水球の要領だ。水晶の精髄を石に少しだけ移してやりゃいいんだ。やってみな」 言われてすぐさまできる、というものではなかった。普通ならば。だがアランは傭兵隊の魔術師。臨機応変と言うことを体で学んだ魔術師。そして何よりコグサの魔術師だった。 「うわ、なんだ!」 「ほらな。屑水晶のできあがりだ」 アランの手の上から小石が消え、屑水晶に変わっていた。そして水晶そのものは変わりなく。目を瞬くアランに、自分でやったんだろ、などとエリンは笑う。 「一々屑水晶探して買って歩く手間がいらない、ついでに費用対効果も抜群だ。いずれはダメんなるけど値段分以上の屑水晶は作れるぜ。どうする?」 「当然、こっちを! すげぇな。こんなの考えたこともなかったな……」 「要領がいいか悪いかの問題だ、頭柔らかくしとけよ、若ぇんだから」 ひょいひょいとエリンの手が動いていた。と思った次の瞬間には水晶は繊細な金具をつけられ、鎖に通されていた。首に下げておくことができるように。 「器用っすね」 「鎖か? 師匠が金物細工、得意なんだよ。鎖はおまけだ。今後ともご贔屓に」 そして水晶はアランの手に渡る。半分くらいは口止め料かな、と思いつつアランは笑顔で受け取る。新しいことを学んだ、それで充分なのにとも思ったけれど。 |