暁の狼の駐屯地は、ラクルーサの王都アントラル郊外にある。ライソンはいつも宿営地に戻ってくるときにはほっとする。故郷だ、と思うせいかもしれない。たとえそれがどんな短時間の外出であってもそう感じる。ライソンにとってこの宿営地は、家だった。
「戻りましたー」
 門を守る男もまた、狼の傭兵だった。無言でうなずく様に落ち着きを見る。ほんの少し羨ましいライソンだ。あれほどの落ち着きを身に着けることができるのはいつなのだろう、そんな風にも思う。
 ちらりと門の裏側を見やれば、いつもどおりの馬防冊がそこにある。いつ何時襲撃を受けたとしてもすぐさま守り抜くことができるだけの防備。それが傭兵隊の宿営地というものだ。ライソンにはたまらない安堵を呼び起こす装備。
 暁の狼は、設立以来まだ五年という若い傭兵隊だった。だが前身が「青き竜」だった。当時、大陸最強との呼び名も高かった青き竜が、暁の狼の前身だ。だからこそ、王都のほど近くに宿営地を設けられる。
 傭兵志願者は、これを見ていつも驚くものだった。ライソンも、そうだった。昔のことを思い出せば、いまでも笑みが浮かんでしまう。
 傭兵は、無頼と同義ではない。傭兵稼業をする個々人は、報酬次第でどの勢力にもつく。無頼と呼ばれても致し方ない傭兵も確かにいる。そう言うものだった。だが傭兵隊、となれば話は違う。いずれどのような形であろうとも、権力者を背後に持つ。竜から分かれた狼は、そうしてラクルーサ王と繋がりを持っている。だからこそ、王都の近くに宿営地を持つことができている。
「運が、よかったよな」
 自分がただの傭兵ではなく、隊に所属していて。隊の意志は所属する傭兵の意思。隊の意志を決めるのは隊長であっても、傭兵の武力を必要とするのは顧客だ。狼の場合、ほぼラクルーサ王だ。
 だからライソンは安堵する。ラクルーサ王の武器である狼は、ラクルーサに牙を剥くことはない。ふとライソンは振り返る。王都の方角だった。
「なにちんたらしてんだよ、さっさと出頭しろ!」
 途端に罵声。傭兵隊は言葉使いが荒いもの。当然にして騎士団とは相性がよくない。だがその罵声を放ったのはかつて騎士だったと噂されている狼の副隊長だった。
「うっす!」
 ライソンは笑顔で走り出す。副隊長が無事の帰還を喜んでくれているのを知っていた。たとえ単なる「隊長のお使い」であったとしても。一度別れれば、また確実に再会できる保証などどこにもない。傭兵隊にいれば、嫌でもそれを身をもって知る羽目になる。
「隊長。ライソン、戻りました!」
 入れ、短い声がした。ライソンは扉の前を守る若い当番兵ににやりとし、室内に入る。そこにはいつも通りコグサがいた。
 出撃していない時のコグサは、まるで学者のようだった。体格こそは紛れもなく傭兵のそれではあるのだけれど、常に傍らから本を離さずにいる。一説には、報酬の八割が本代に消えるとか。
「どうだった」
 答えなど知れていることをコグサは尋ねた。ライソンは黙って剣を差し出す。本来の持ち主の手に戻った瞬間、ライソンが感じていた圧迫感が消えた。と言っても、消えてはじめてわかる程度のものではあったのだけれど。
「どうした」
「いえ。魔法をかけられていたみたいで。というか、かけたとは言ってましたけど、剣のほうに」
「うん?」
「盗難防止だそうです」
 言えばコグサがにやりと笑う。精悍で男臭い笑みだった。自分がこの隊長と同じ三十代も半ばになる頃には、こんな男になれるだろうか。いつもライソンは思ってしまう。ライソンは、コグサに憧れて、だからこの隊に尽くしていると言っても過言ではない。
「それでお前は素直に帰ってきたのか。張り合いのねぇ坊やだな」
「いやいや、一応悪戯半分って言うか。寄り道をしようとは試みましたけどね。無駄でした。もう本気で真っ直ぐ一直線にしか帰れなくって。あれ、他に用事があったらどうするつもりだったんですかね」
「出直せ、ってことだろうな」
「あの野郎……」
 それくらい言ってくれてもいいではないか。文句を垂れたもののライソンは笑っていた。それにコグサがほっと息をつく。
「気に入ったか?」
 言われてぎょっとした。先ほどのふるまいをまさか知っているはずもないが。慌てた若造の顔色などコグサにとって読めないものでもない。
「エリンのほうはどうだった」
「どうって。ものすごい罵詈雑言の嵐ですよ、なんすか、あれは」
「罵詈、雑言だと――?」
 隊長を驚かしてやった。宿営地の酒場でそう言えば今夜の酒代くらいは充分に浮いてしまうだろう。ライソンがそう思っても無理はないほど珍しい出来事だった。
「エリンが、罵詈雑言、か」
「あの、隊長……」
「いや」
 そう言われてもさすがに不安になるライソンだった。どうやらコグサが知るエリンは罵詈雑言とは縁がない男らしい。ということはよほど怒らせたのか。そしてそうしたのは自分、ということになる。ライソンは蒼白になって隊長を見ていた。
「違うからな、ライソン」
「でも――」
「昔は、流れるような罵詈雑言を吐くやつだったんだけどな――」
 ならば今は違うと言うのか。ライソンの眼差しにコグサがうなずく。意味がわからなかった。
「たぶんな、小僧。お前は気に入られたんだろうよ」
「え、でも」
「あいつが普通に話せる相手ってもんかもしれねぇな。お前はガキで小僧で、エリンの昔を知らねぇ。そのせいかもな」
 つまり詮索はまかり間違ってもするな、ということだとライソンは理解する。そしてエリンとコグサの間に、なにがしかの絆を見た思いだった。
「隊長は――」
「エリンとは古い馴染みだよ。そう言わなかったか」
「聞きました、けど」
「なぁ、ライソン。俺はお前が可愛いよ。腕もいいし気風もいい。若いのからの人望もある。だからライソン」
 よけいなことに首を突っ込んで死ぬような目を見るな。コグサが飲み込んだ言葉が理解できてしまってライソンはうつむく。
「ライソン。内密な話だ、他言無用を誓ってくれ」
「うっす」
「あの野郎、エリンはな、魔力が安定しない。危ねぇんだよ、あいつは。感情的になったら魔法を暴走させかねねぇ」
「あ……、それ、聞きました」
 もしかしたら十日分の酒代は俺のものかもしれない。ライソンは淡々とコグサを見つつ思っていた。驚くための余裕をすべて奪われた。コグサが、椅子から転げ落ちそうになっている。
「待て、ライソン! 確認だ。誰から、それを、聞いた?」
「いや、ですから、エリン本人から、です」
 あ、落ちた。ライソンは目の前から消えたコグサを見ていた。それからようやく驚く余地が戻ってきて、叫びだしたくなる。その前にコグサだった。
「隊長!」
 慌てて手を貸せば、コグサの手が震えていた。大きく見開いた目はこぼれ落ちそうなほど。いったい何があったと言うのか、ライソンはまったくわからないでいた。
「エリンが、なぁ……」
 落ち着かせるために騎士団だったら茶なのだろうか。それとも上品に葡萄酒、と行くのだろうか。ここ傭兵隊では蒸留酒をひっかける。コグサの空いた酒杯に再び注げば、あっという間にまた空になった。
「そんなに珍しいことなんですか、隊長」
「空が落ちてきたって言ってもそっちの方が珍しくねぇ程度にはよくあることだろうよ」
「たいちょー」
「あの野郎が自分の弱みをさらした? それも初対面のガキに? 信じらんねぇわ」
「いやたぶん――」
 じろりとコグサの眼差しに射抜かれた。さすがにすべてを明らかにする気は毛頭ない。というより何か本気で殺されそうな気がしているライソンだ。だが多少のことは言ってもいい、そんな気がする。逆に言わなければ痛くない腹まで探られる。ライソンは痛いところがあるのだ。できれば探られたくはない。
「俺を脅すためだったと、思いますよ。下手なことすると肉片だぞ、という意味で」
「あぁ……」
「隊長、なんで納得すんですか!?」
「あれはそう言う男なんだよ、いや、男だったんだよ。――ライソン、お前、不思議なやつだなぁ」
 コグサの知るエリンをライソンは知らない。だから彼がなにを不思議がっているのかが、ライソンにはわからない。首をかしげれば、もう行っていいと手を振られた。机の上には、戻ってきた剣がおいてあるまま。片手に酒杯。エリンの思い出と、コグサは夕方のひと時を過ごすつもりらしい。無性に、目をそらしたくなってライソンはおとなしく出て行った。
「よ、帰ってきたって聞いたからな」
 隊長の執務室から出ればそこに同僚の魔術師がいた。帰りを待ってくれている人がいる、それがライソンにはこの上なくありがたい。
「ちょっと早いけど、飲みに行こうぜ」
「おうよ」
 ぽん、と背中を叩かれた。まるで仲のよい兄弟のようだ、とライソンは思う。魔術師のアランのほうがずっと細くて背も低かったけれど。ついでに若く見えても兄と言うほど若くはないだろうとも思っていたけれど。
「どこ行ってたんだよ」
 店について座るなり、黙って酒とつまみが出てきた。ここはそう言う店だ。ライソンも文句はない。たまに食べたいものがあれば注文すれば済む。
「隊長のお使いだよ。魔術師んとこ行ってきた」
 言えばあの剣か、とアランは納得する。自分には手の届かない魔法をアランは羨みはしなかった。できることをできるだけする。努力だけは惜しまない。アランはそう言う堅実さを持っている。そこがライソンは好きだった。
「なんて名前だっけ?」
「ん? エリン」
「エリン? それだけか? 普通はそれだけ名乗るってこと、ねぇんだけどな」
 現に自分も初対面の人間には師の名をつけてモートン・アランと名乗る、彼はそう言う。それが魔術師としては最低限の礼儀だと。
「付与魔術が使えるほどのやつが、師の名を名乗れないってことはないはずなんだけどなぁ」
「その辺は詮索無用ってやつだろ。別にいいさ。隊長が指名した魔術師さんだろ」
「まぁな」
 アランもまた隊長には全幅の信頼を置いている。だからあっさりと納得する。納得できなかったのは、言った本人のライソンだった。




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