わくわくとしている風でもなかった、この若き傭兵は。興味深そうな顔はしている。無論のこと、魔法を恐れている様子もない。
 普通の人間は魔法を恐れるもの。当然のごとく魔術師も恐れられるもの。だが相手は傭兵。共に戦う仲間を怖がっていたら仕事にならない。エリンは暁の狼にも魔術師が所属していることを知っている。
「なぁ」
 剣を手に取りたそうで、だがためらうその仕種。恐怖ではない。興味だけでもない。
「なぜそんなに知りたい」
 だからかもしれない、不可解な事実を目の当たりにしたとき、魔術師はそのまま突き進む傾向にある。――そう言ったのはエリンの師だったが。エリン自身、その言葉に深くうなずく思いでいた。
「どうしてって……言われてもな」
 苦笑して髪をかき上げるその仕種。胸の奥がずきりと痛んで、他愛ないどこにでもある仕種にまだ痛む胸をエリンは思う。
「隊長の剣がなんでここにあるのかな、とか。普通の剣を鑑定屋に出してどうするよとか。色々思うところはあったり」
 小僧らしい言い分にエリンは内心でほっと息をつく。過敏になっていた己自身に思いを馳せ、心の中だけで苦笑すればまだ痛む胸。
「つまりあれか。ガキの使いに出されたってのが気に入らないわけか、お前は」
「別に気に入らなくは――!」
「図星でやがる。ガキくせぇ」
 ふん、と鼻で笑ってエリンは剣を手に取る。相手はただの若い傭兵だ。気にかけることもないと自分の心に言い聞かせる。
「これは魔法剣だ」
 つい、とライソンの眼前に切っ先を突きつければ、嫌そうな顔。当たり前だろう。魔術師が持っている剣であっても、剣は剣。そのまま突き刺せば怪我をする。ライソンはそれを指摘しようと思った瞬間、なにを言われたのか理解する。
「魔法剣!? なんだよ、それ。隊長の剣がそんな剣だなんて……」
 自分たちは知らなかった。知らされていなかったことを恨むより、素晴らしいものを隊長が持っていると知った事実に表情が明るくなる。エリンはそっと目をそらした。ライソンには長い前髪に隠れて見えないだろうと思いつつも。
「違う」
「え?」
「元々、魔法剣なんじゃない。だったらなんでうちに持ってくる必要がある。鑑定屋に鑑定済みの剣を持ち込む馬鹿がどこにいる。それを預かって、魔法剣にしたんだ、俺が」
 俺が、と言うときだけかすかに誇らしげな響きだった。その響きに気づいたエリン自身が自嘲するよう唇を歪める。だが若い傭兵は気づかなかった。
「なんだそれ! すげぇ……」
 感嘆しかなかった。この薄暗く汚い店が急に宮殿より華麗に見えてきたライソンだった。目の前の魔術師が、ものすごい技量を持っているのだと気づく。
「魔法剣にしたって……あんた、すげぇな」
「そうか?」
「魔術師なら誰でもできるってわけじゃないだろ」
「さぁ?」
「さぁってなぁ。普通できねぇよ! うちの魔術師にもできないからあんたに隊長、頼んだんだろ」
「そう言われてもな。俺の一門はできるのが当たり前だからな」
 あっさりとした言い分だった。エリンはそれが当然で当たり前の技術だ、と思っているらしい。どこにそんな普通があるものか、とライソンは笑ってしまう。
「普通はできねぇの。わかる?」
「……お前、根に持っているだろう」
「なにを?」
 ん、と首をかしげて見せる表情に無邪気さではないものをエリンは見て取る。懐かしい昔の暮らしを思い出す。あのころには身近にあった顔だった。思いを振り切り、振り切る自分にエリンは驚く。そんな風に思い出す自分に。
 思い出さないよう、心がけていたわけでもなかった。思い出したくなかったわけでもなかった。ただ、思い出さなかった。華やかで乱雑で、常に騒音の絶えなかった昔の暮らし。懐かしすぎて、思い出せなかったのだと気づいてしまう。
「――ガキだって言ったのをだ!」
 吐き出したのは、ライソンのせいではない。自分自身に問題があった。かといって、それを正直に詫びる気持ちにもなれない。知りもしない、コグサの使いの若造には。
「あぁ、ま。ね。ちょっと腹は立つけど、でも実際ガキだしな、仕方ない。そう言われないよう努力はしてんだけどさ」
 肩をすくめるその態度。エリンは前髪の間から若い傭兵を透き見する。体格のせいではない。佇まいか、心の持ちようか。ライソンがただの子供には見えなかった。
「なぁ、これ。魔法剣って言っても色々あるだろ。どんな風になってんの」
 話題をするりと戻して見せた手腕にもエリンは唇を噛みたくなってしまう。懐かしすぎて、今すぐ店から叩き出したい。
「どんな? お前の隊長だろ。コグサがどんな戦い方するのか知らないのか、お前は。まさかな。――あぁ、まだ実戦につれて行ってもらえていないとか。訓練兵か。だったら仕方ないよな」
 けれど口が勝手に言葉を紡ぐ。あるいは会話に飢えていたのかもしれない。店に一人。客はたいていそそくさと用を済ませて出ていくだけ。それこそを望んではじめた店だったというのに。
「あんた、罵倒表現が豊かだなぁ」
「俺が? まさか。俺の口の悪さなんか大したことないだろ。こんなのお前がガキだってのと大差はない」
「それでかよ!」
 からからと笑う声だけは、一人前の傭兵めいていた。エリンは肩をすくめてただの事実だったのに、と内心で思う。
「ちなみに! 俺も一応は歴戦の兵士ってやつなんだけど?」
「は? コグサの兵も質が落ちたもんだな」
「見てねぇのに言うなって!」
 それももっともだ、とエリンはうなずく。だがうなずかれてしまったライソンのほうが困ったように顎をかく。
「……ちょっと、盛ったけどさ。でも、初陣前ってわけでもねぇし」
「なにを……している?」
「隊で? ん、騎兵」
 嘘偽りのない言葉。そして誇るでもないただの事実として告げている言葉。だからエリンは納得した。コグサが騎兵を重要視していることをエリンは知っている。だからこの若者は将来有望、とコグサが見ていることに間違いはなさそうだった。
「騎兵か。だったらコグサの――」
「戦いを間近で見てるさ。あれは……すげーわ」
 首を振るライソンに、エリンは小さく唇だけで微笑んだ。微笑む自分に驚きつつも。少しだけ、驚き慣れてきた。そう考えたことにもまた少し、笑った。
「なら見当はつくだろ? その剣にかかってるのは、鋭さを増す魔法。一撃必殺、一度切った相手の体から、すぐさま抜けるように切れ味を増しているんだ」
「へぇ……」
「なんだよ」
 訝しそうなライソンの表情にエリンはつい言い返してしまった。どことなく、楽しんでいる自分を思う。楽しむ資格があるのかと思いつつ。
「よく、わかるなと思ってさ。戦うの、普通の魔術師は苦手だろ」
「お前、同僚にもそれを言うのか」
「言わねぇって。だから、普通の魔術師。こういう、あんたみたいな感じで店開いたり研究してたりしてる魔術師のことだっての」
「俺が店を開いてるだけだと思うのかよ?」
 からかうように言えば、ぱっとライソンの頬が赤らむ。年齢に忠実な若さだ、とエリンはほんの少しだけ羨ましくなった。
「ま、開いてるだけだけどな」
「あんたな!」
「からかわれたくらいで怒るんじゃねぇよ、うるせぇガキだな」
「ガキからかってなにが楽しいんだよ!」
「楽しいからからかってんだろ。相手が右も左もわかんねぇガキだろうがくたばりそこないのジジイだろうが知ったことかよ」
「あんたなぁ」
 呆れ声のライソンに返答をする余裕がエリンにはなかった。自分がいま何を言ったかと思えば。楽しいからしている、確かにそう言った。この自分が。わずかに拳を握りかけ、見られることこそを恥じて平静を装う。
「もういいからさっさとコグサんとこ、持ってけよ。俺は忙しいんだからよ」
「忙しそうに見えねぇっての」
「見えなくても忙しいんだよ、お兄さんは」
 言えばライソンがからりと笑った。次いでにんまりと唇を歪める。それにエリンは失敗を悟る。相手は傭兵隊の若造だった。
「誰がお兄さんだっての。あんたが稀代の天才魔術師だってんじゃなかったら、絶対にお兄さんなんて年じゃないだろうがよ」
「だったら年寄り敬えよ、ほら若造。ジジイの言うことはさっさと聞けよ」
「ジジイに見えないから困るんだっての。うちの魔術師にも一人いるんだよなぁ」
「若いの、人生相談なら三軒隣の八百屋でやれ。あそこの女将は教訓大好き女だ」
「げ。すげぇいや。絶対説教垂れられるわ、俺」
「安心しろよ、誰にでも垂れてるからな、あの女は」
「できるか、安心!」
 からからと笑うライソンが豪快ぶっているのでないことはエリンにも感じられた。だからこそ、怖かった。会話そのものが、怖くなってきた。気づけば三年分くらいは喋っている気がする。
「そういやさ、あんた。隊長とはどういう知り合いなわけよ」
「は?」
「隊長のこと呼び捨てだろ。俺ら、怖くてできねぇわ」
「兵が隊長呼び捨てたら問題だろうがよ。コグサの指揮権を疑うぞ、俺は」
「だよな。それはそうなんだけど……」
「……あの野郎、どういう知り合いかお前に言わないで使いに寄越したってことか」
 それでほんの少し、気が楽になった。恐怖が薄れていく。昔をほじくり返されると思えばこそ、そうされなくとも知られていると思えばこそ、嫌だった会話。エリンはそっと首を振る。そうではないと。罪の意識は己の中に刷り込まれていた。
 そしてコグサをも疑った自分を思った。彼が自分のところに寄越す使いに事情など、決して話すはずはないというのに。それすら信じられなくなっていた。
「やっぱ知り合いかよ。ダチんとこだったら隊長、自分で来りゃいいのによ」
「誰がダチだ。あんなむさくるしいダチいらねぇよ。――コグサが面見せたら、俺は切り殺す自信があるね」
「せめてそこは魔法叩き込むって言えよな、魔術師さんよ」
 冗談だとしか思わなかったライソンが笑って茶化す。エリンは答えなかった。




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