「ここ……か?」 ライソンは訝しげな顔をして目の前の店を見やる。どう見ても店舗には見えない。かといって住居か、と聞かれたらこれにも首をかしげる。 一言でいえば妙な店だった。煤けたような窓の硝子、薄暗い店内が見えるようで見えない。扉ときたら脂ぎっているのかそれとも埃だらけなのか区別もつかない。とにかく汚れている、それだけは確かだ。開けるのにすら躊躇しそうなほどに。 「でも、ここだよなぁ」 道々、エリンの鑑定屋はどこにあるのかと尋ねながら来たのだ。聞いた相手が全員ぐるになってからかっているのでもなければここは正しいはず。 ライソンはそれでもまだ躊躇する。どことなく、この使いが引っ掛かっていた。ラクルーサ王都の郊外にライソンの所属する傭兵隊、「暁の狼」の駐屯地はある。 傭兵の鉄則として隊長の命令は絶対。そうでもしなければ危なくてかなわない。ライソンも納得して、傭兵隊に入っている。 だからと言って、こんなことまで絶対遵守なのだろうか。 「ただの、子供の使いだよな。これ」 店の前で溜息をついても誰も気にも留めない。そもそも人通りがない。鑑定屋は多くの場合、このような立地にある。長い溜息を一つ。意を決して汚れた扉を押し開ければ、案外汚れてもいなかった。ただ古いだけらしい。 「あのー。暁の狼から来たんですけど。誰かいませんかね」 妙な名乗りだと思うが、ライソン自身おっかなびっくりで腰が引けているのだから致し方ない。 鑑定屋。それは魔術師が営む店だった。 「……なんだ」 ぎょっとして飛び上がるところだった。前ばかりを見ていたライソンは、背後から人が現れるとは思ってもいなかった。 「な! あんた、ここの人か」 陰鬱そうな青年だった。黒髪黒目が悪いのだろうと思う。否、色合いではなくその姿が。もう少し髪をすっきりと切るなりまとめるなりすればいいだろうに、青年は眼前に前髪を長く下ろしたまま。ライソンは前が見難くないのだろうかなどと思ってしまう。 「最近の傭兵は魔術師の店に来て魔術師が顔を出すだけで怯えるのか。質が下がったものだな」 「おい!」 「言いたいことがあるならさっさと言え。商売の邪魔だ」 「あんたな! いきなりで驚いたって言ってるだけだろ。それがどうして質なんて話になるんだかな。話がでかくなりすぎだろ」 鼻で笑って魔術師らしい店主は取り合わなかった。驚くとは修行が足らん、そう言われた気がしてライソンは居心地が悪くなる。 「まぁ……。その。暁の狼から――」 「それはさっき聞こえた」 「話の接ぎ穂って知ってる?」 冷ややかな眼差しをくれても店主は怯まない。店の奥へと足を進めて何やら探しているようだった。 「まぁ……いっか。だから狼から来たんだけど。コグサ隊長の剣、終わってたらもらって来いって言われてきたんだけど」 それがライソンに命ぜられた「お使い」だった。隊長の剣を鑑定屋から預かってくること。隊長本人が来ればいいだろうに、なぜか隊長は苦笑して首を振るだけだった。 「コグサの剣? あぁ、終わってる。ちょっと待て」 そもそも、とライソンは思う。終わっている、とは何のことなのだろうと。鑑定が終わっている、と言う含みではなかった気がする。 昔から、魔族を倒せば魔法の工芸品を入手することができると言われている。もっともそんなに楽なものではなく、百回戦って一度あるかないか、それも屑工芸品に当たれば幸運、と言われていた。それほど魔法の工芸品と言うものは貴重だ。 そして悲しいかな傭兵には魔法を解する能力がない。よって、生まれたのが鑑定屋だった。当初は傭兵隊相手より冒険者が主な客だったらしいが。 だからライソンは思う。それほど貴重な工芸品だ、隊長の剣とはいえ彼の剣が魔法の工芸品である可能性は低い。つまり、その鑑定であるはずがない。 「ほら、確かめろ。隊長の剣だ、見知ってるはずだな?」 気軽に抜いた魔術師にライソンは息を飲む。暁の狼は傭兵隊だ。戦うために有利になるのならばどのような戦力でも歓迎だ。だから狼には魔術師もいる。同僚の魔術師を思うとき、この店主はあまりにも剣に慣れている、そんな風にライソンは思わざるを得ない。 「あんた……本当にここの店主か。エリンの店って聞いたんだけど、あんたが店主のエリンなのか」 「そうだ。何を今更。店主以外の人間が――ちなみにここには店員などと言う気の利いたものはいない。俺が店の人間でないなら、なんだって? 俺はどうやってコグサの剣を見つけた? そのあたりをはっきり聞かせてほしいもんだな」 覇気がないのは姿だけらしい。ライソンは唖然として目の前の店主であることが確かになったエリンを見つめる。 実はほんの少しだけ期待していたのだった。エリンと言うどことなく可愛らしい響きの名に、あるいは店主は女性かと。女性の魔術師が鑑定屋を開いているのは珍しくない。どうしても体力的な不足があるおかげで、後方にまわることが多い女性だ。まして傭兵隊の魔術師は実際に戦うのだから。女性の傭兵でも苦労するというのに魔術師ではなおのこと。傭兵隊にいるのは結局のところ男ばかりでたまにはこんな楽しみでもないとやっていられない。――そう思っていたものを。 「おい、お前。俺は野郎に見つめられて喜ぶ趣味はない。馬鹿面さらしてないでさっさと確認してくれ」 「あんたな……」 「なにか仰せがあれば承ろう」 「……やめとくよ。あぁ、間違いなく隊長の剣だ、もらってく。ちなみに、ちょっと聞きたいんだけど、いいか」 「なんだ」 ぶっきらぼうなわりに会話に乗ってくれるらしい。あるいは将来の顧客、と思うのかもしれない。 「俺がもしもコグサ隊長の使いじゃなかったらあんた、どうするんだ? 剣を持ち逃げされるとか思わないのか?」 「なんだ……そんなことか」 ふ、とこれだけははっきりと見えているエリンの口許がつり上がる。笑ったのだとライソンにもわかる。それも飛び切り憎々しげに。 「それは一度店から出たら、コグサのところに戻るまで一直線だ。お前がどこの誰であろうとも、あるいは盗賊の類であろうとも真っ直ぐコグサのところに帰る」 「はい?」 「剣に足はないからな。まぁ、剣だけ魔法で送りつけてもいいんだが……。それはどういうわけかコグサが拒む。よって、お前は単なる足だ。それ以外に用はない、と言うことだ。わかったか?」 「俺が狼の傭兵じゃなくても、つか持ち逃げする気満々でもかまわない?」 「できないからな」 「それは――」 魔法なのだろうな、と思っているうちに魔法だ、当たり前だろうと畳みかけられた。言葉を返す気力もなくなってライソンは机の上に置かれたままの剣を見つめる。そして首をかしげた。 「これ、普段の隊長の剣にしか見えないんだけど?」 「見えたら驚く」 「はい?」 「違うものに見えたら驚く、と言っている。これはコグサの剣だからな。違うものに見えたら……」 確かにそれはまずいだろうとライソンも思う。納得しようとしたとき、再びエリンの唇がつり上がる。 「すぐさま俺の師匠の下に叩き込むな」 「叩き込むってなんなんだよ、叩き込むってよ」 「言いかたが悪かったか? 万が一にも別のものが見えていた場合、それは魔法の才があると言うことだ、わかるか傭兵」 「わかるよ、魔術師。それと俺はライソン。傭兵って呼ぶな」 本当は少し嬉しいけど。付け足した小声が聞こえてしまったのだろう、エリンが訝しそうな顔をした。もっともたぶんそうだろう、と言うだけで相変わらず顔はよく見えなかったが。 「いや……まだあんまり傭兵って言われないから、仲間からは若造扱いで」 「若造?」 「俺さ、いくつに見える?」 若き傭兵の問いにエリンは内心で首をかしげて考えている自分に気づく。そして密やかな苦笑。店先でこんな話をしていること自体が訝しむべきことだとエリンは思っていた。我ながら珍しい。胸中に浮かぶ師の面影に、少しだけ微笑む。師のおかげです、と。 「いくつ、と言われてもな……」 魔術師のエリンにとって、傭兵はいついかなる時も立派な体格を持っている、と思う。最低限、自分より体格に劣る傭兵などと言うものに現在までお目にかかったことがない。 目の前の若者もそうだった。自分と比較するまでもない、優れて立派な体格。いずれ惚れ惚れと目を見張るような体になるだろう。それを思えば確かに若い。だがあのコグサのいる隊だ。彼を若造扱いするとは思えなかった、この体で。 「実はまだ二十歳前で」 「は――?」 「ほらな、そうなるよな。たいていは二十代後半、とか言われんだ、これが」 肩をすくめたライソンに、それはそれでどうかしていると思うエリンだ。これが若造もとい小僧の体か、と思う。よくぞここまで鍛えたものだ。 「そこまで追い込んで……体を壊すぞ」 言ったときには自分でどうしたのかと思った、エリンは。だが普段のエリンを知らないライソンだった、屈託なく破顔して礼を言う。そうすると、ひどく子供らしい顔だった。 おそらく、とエリンは思う。短く刈り込んだ砂色の髪も、酷薄そうに見える薄い青の目も彼を遥かに年上に見せている要因だろうと。そんなことでも考えていないと自分の態度が不可解で唇を噛みたくなる気分を抑えきれなかった。 「ありがたいけどさ、俺が何かしたわけじゃない。いや、普通に鍛錬はするけどね」 「だったら……父母に感謝しなければならんな。丈夫な体に産んでくれたことに」 「……ん、そうかもな」 少しだけ目をそらした。それでエリンもまた目をそらす。傭兵はぬくぬくとした温かい家庭に生まれ育ったものが少ない。知っていたはずなのに、エリンは悔やむ。 「すまない、失言だ」 「どこが? 感謝はするべきだよな、うん。確かにそうだよな。でも詫びてくれるって言うなら、さっきの質問、答えてよ」 隊長の剣が普通にしか見えない、そこまで話が進んでいたはずだった。ライソンの指摘にエリンはもっともらしくうなずく。 そして思い出す。話がそれて遠回りをするのは魔術師の悪癖。それを思うことが少なくなっていた自分。なぜか。問うまでもない。人と会話する機会が少ないせいだった。 |