一歩ずつ慎重に階段を上る。一行の肩からは無駄な力が抜け、けれど適度な緊張感は保っていた。一段、また一段。見上げれば、階段は果てしなく長かった。あるいはそう見えただけかもしれない。上階は闇に消えていた。 「待って」 罠を確認するため、一番前を歩いていたアレクが仲間を止める。かがんだ。何かを取り上げる。 「……見て」 言ってアレクが拾い上げたものをサイファに見せる。それはここにあるのが似つかわしくない物だった。 「至高王の――」 サイファですら、絶句した。この目で見ることがあるとは思ってもみなかった物がここにある。 「王冠、ね」 サイファの言葉に意を強くしてアレクが笑みを浮かべる。 手の中にあるのはこの闇の中でさえ輝く王冠。細い線の連なりが繊細であるのに、全体としては強く見る者を圧する。それは正しく幼き神と言われた神人の王が頭上に戴くに相応しい王冠だった。 「見つけたね」 シリルが控えめに喜びを表せばアレクが莞爾と笑ってそれに答える。サイファの背後から覗き込んだウルフだけが不満そうな顔をしていた。 「いいな、アレク」 そう、物欲しげな目をして王冠を見つめている。そういえば至高王の剣を見つけたいと言っていたな、そうサイファは思い出しひっそりと笑った。 「ここに王冠があるということは、剣もあるだろう」 わずかに顔だけ振り向けてウルフに言えば、困ったようにウルフが苦笑する。 「どうした」 「んー。そんなに情けない顔してたかな、と思って」 「していたな」 言って笑ってしまった。まるで子供が友達のおもちゃを羨むような顔だった、と言えばきっとウルフは怒るのだろう。 「ごめんね、坊や」 口先だけで謝ってアレクは嬉々として王冠を荷物の中にしまいこむ。それを見てしまってはウルフとて文句も言いようがない。それほどアレクは歓喜の極みにあった。 「さ、進むよ」 シリルがアレクの背を押す。また一行はゆっくりと階段を上る。 不思議だった。ここに辿り着くまでの間、連戦につぐ連戦だったというのに、ここには魔物の影もない。サイファは辺りの気配をうかがう。やはり、なにもいなかった。 そして思い直す。それだけこの階段の上にいる魔物の力は大きいのだろう、と。 「あ……」 最初、声を上げたのはシリルだった。王冠を見つけてから幾許も経っていない。そしてその声に気づいたアレクがそれを拾い上げる。 「サイファ?」 「お前の思うとおりの物。至高王アザゼル・グレゴリの剣。人間にはアゼル・グリゴと言ったほうが通じるか?」 「ええ、その名ならば神殿で教えていただきました。半エルフは違う名を?」 「いや、そういうわけではない。元々はアザゼル・グレゴリと言ったのだが、年月が経つうちに変わっていったということだ」 言葉が変わるほどの年月。それをシリルはどう思っただろうか。サイファはそれを見続けてきた。そんな感傷にかまうことなくアレクが声を上げた。 「なら、これは坊やのね。おめでと」 「え……」 言ってアレクが手渡した物。当然のよう、それは至高王の剣。 サイファはアレクが拾い上げる前、それを見ていた。柄はこちらに向いていた。最後まで、あるいは仲間の神人に運ばれながらも至高王は剣を手放さなかったのだろう。 「すごい……」 ウルフが一段下がって軽く剣を振る。風切音がした。見ただけで、サイファにもわかる。千年の月日が経とうとも、至高王の剣は錆ひとつなく、刃は鋭さを失っていなかった。 「使ったらいい」 思わず感嘆して言ったサイファにウルフは黙って首を振り、そして剣帯にその剣を吊るす。二つ下がった鞘が邪魔ではないのか、とも思ったがウルフが平然としているのだから、とサイファは口を挟まなかった。 「使い慣れた剣の方が、いいからさ」 「そうか」 「うん」 言い訳と知っていて聞くのは気持ちのいいものだった。照れたよう、顔をそむけてまた元の位置に戻ったウルフを確認し、兄弟は歩を進める。 「サイファ」 「なんだ」 「聞きたいことがあるんだけど、いい?」 「かまわん」 後ろから、そっとウルフが尋ねてくる。サイファはウルフの分まで警戒しながら足を進め、問いに備える。 「どうして、ここにあったんだろう」 言われてみればもっともな問いだった。だが、サイファには見当がついていた。おそらくはシリルも。否、シリルのほうが正確に判断しているだろう。 「シリル」 「はい」 「やはり、神性の問題だと考えるが、どうだ」 「そうですね、僕もそう思います」 シリルが考えを補強したのを心強く思う。魔術師である自分より、神官である彼のほうが適当な問題だった。 「どういうこと?」 「神人の王が身につけたものだからな。それらは神性を帯びている。だから魔物が触れられなかった、と考えるのが妥当だろう」 「ふうん、そうなんだ」 「わかっているのか?」 「実はよくわかんない」 「……だろうな」 生返事にだいたいのことを察していたサイファは溜息をついて見せ、けれどそれもウルフらしいと思う。 「俺が持ってても、平気なのかな」 ふと問うた。神性がどうのと言った途端、不安になったらしい。すでに持っている物を、なぜ急に不安になるのか不思議ではある。人間特有の揺らめく感情が以前は面白かった。いまは、ただ好もしい。 「大丈夫だ」 サイファはきっぱりと断言し、理由は言わない。それでもウルフは納得するのだから。サイファの言葉だから。サイファが言うから。 「そっか。よかった」 やはりウルフはそれだけで言葉を続けなかった。背後から響く安定した足音。そこにウルフがいる。それだけで信じがたいほど頼もしい。 そう感じたサイファは自分が思ったよりずっとこの場を恐れていることを、知った。深く息を吸う。吐く。何度かしているうちに気持ちが落ち着いてきた。 「見えたわよ」 そのときアレクが振り返りもせず、言った。確かに頭上遥かだった階段がもうすぐ終わる。くっきりと切り取られたかのよう、そこだけ明るい。 人の心を和ませるどころか、逆立てる色合いの光だ。腐食した苔のような鈍い緑。どろり、魔力の波が体に絡んだ気がした。 粘つく泥のような魔力。正邪はない、と言いながらもこれは明らかに邪まな物だった。 「さて、と。ついでにシャルマークの大穴を塞いで帰りましょうか」 軽く言ったたアレクの声。かすかに震えていた。魔法の素養のないアレクまでもが今の波を感じたのだろう。背後をうかがえば、ウルフが立ちすくんでいる。 手を伸ばした。黙って握ってくる。強く握り返す。ほっとしたのだろうウルフの小さな笑い声が聞こえた。 サイファは手を戻し、掌に残るぬくもりのかすかさを味わうよう、握り込む。自分の熱で程なく消えた。心の奥底からの昂ぶりを感じる。 「行こう」 シリルのしっかりとした声に励まされ、一行は最後の数段を上りきった。 目の前に壁がそびえていた。今までの階と天井の高さは変わらない。けれど一行にとってそれはそびえる、と言うに相応しい威圧感を持ってそこにあった。 その中央、堂々たる青銅の扉がある。彫刻されているのはシャルマークの紋章か。 それと定かではないのは、歪められ、作り変えられていると思しき形跡があるせいだった。どこが、とは言えない。見つめていると気分が悪くなりそうな文様。それなのに確かにシャルマークの紋章とわかる。だからこそいっそう、不快だった。 天井まで届く大扉の前、アレクが立つ。そして仲間を振り返った。 「こんな所に罠を仕掛ける馬鹿はいない。行くか?」 華やかに、かつ男の顔で微笑むアレクに仲間は黙ってうなずいた。サイファは彼らを見る。実に良い顔をしていた。彼らならばもしかしたら、そう思ってしまう顔。 アレクはひとつうなずき、扉に軽く手をかける。それは引いてもいないのに軋みもせず、開いた。一行を、待ち構えていたように。 「シリル」 そっとシリルが滑り出る。アレクと入れ替わり、開き始めた扉の前に立つ。サイファの肩をウルフが叩いた。黙ってすり抜け、シリルの隣に立った。 いつの間にか、背中が逞しくなっていた。アレクもまた、シリルを見つめている。不安げで、けれど信頼しきった目。ちらり、視線を送ってきた。同じ顔をしている、アレクがそう言った気がした。 サイファはかすかに笑った。確かにそうだろう。アレクと同じ、愛しい者を見る目で彼を見ているに違いないのだから。 今この場で笑えたことに安堵する。根拠はない。けれど深い所から自信が沸きあがってくる。自分自身を見つめ、仲間を見つめ。サイファは確かにそう思う。 この男たちならば、きっとやり遂げてしまうに違いない。けれどサイファは祈らずにはいられない。誰ひとり欠けることなく生還できるように、と。 扉の間が少しずつ広がっていく。シリルはすでに詠唱をはじめていた。仲間たちに神の加護を願う呪文。ゆっくりと体が魔法に包まれていく。薄い光。一瞬だけ清浄なそれが辺りを照らした。 開ききった。戦士たちが飛び出す。二人も後から遅れず続く。広い部屋だった。階下の部屋のすべてをあわせたほどに広い。 装飾、と言える物は何もない。ただまっすぐと伸びる血の色をした絨毯があるのみ。 絨毯の先、玉座があった。そして人影。 |