一行は扉を抜けた。拍子抜けするほど狭い部屋だ。アレクが舌打ちする。小部屋の内装を見回したサイファにはその理由がわかった。
 煌びやかではあるが重厚な内装が施されている。不思議に階下とは違ってこの部屋の飾りつけはほとんど傷みを見せていない。魔力のせいか、サイファは一人うなずいた。
「衛兵の間かしらね」
 肩を落としていたアレクが気を取り直して呟いた。
「そうみたい」
 シリルが隣でうなずいている。わずかに顔を振り向けてシリルが視線で問うてきたのにサイファも同意した。
 王宮の構造に詳しい、と言うのが不思議な気がした。兄弟はためらうことも迷うこともなく最短距離で進んでいる。シャルマークの王宮の構造を知っている、と言うよりは、王宮の基本的な構造を心得ている、と見たほうが正しいだろう。
 だが、それにしても疑問はある。なぜ、兄弟がそれを知っているか、だった。二人の背中を見ながらサイファは首を振る。わからないことが多すぎる。そしてそれがさほど不快ではなかった。
 アレクが三つある扉を片端から調べてまわる。次々に開いていく扉をシリルとウルフが手分けして開け、中を覗き込んでいた。
「こっちは衛兵の控えの間だね」
 左の扉を開けて言うのはウルフ。彼までもなのか。サイファは表情を動かさないまま愕然とした。王宮の構造などと言うものが一般的な知識であるはずはない。思えばウルフは良家の息と思しき知識がある。あるいは兄弟も。そう思ったところでアレクが振り返った。
「やっぱり正解は真ん中ね」
 かすかに表情を曇らせたサイファを怪訝な顔で彼は見た。それに気づいてサイファは気持ちを改める。彼らの過去などどうでもよいこと、と。
「行くか」
「うん」
 誰にともなく言ったのに、答えたのはウルフ。見上げてきた目が揺れている。いぶかしく思ってサイファは辺りを見回す。
 中央の扉からまるで目に見えるかのように重たい魔力が流れてきていた。
「待て」
 一度、前方を睨みつけるようにして足を出したウルフをサイファは止める。それに気づいたシリルもまたアレクを止めていた。
「なに」
「じっとしていろ」
「ん……」
 なにもそうは言っていないのにウルフは目を閉じる。溜息をつきサイファは守護の魔法をさらにかける。何重にもウルフを包みこむ。守護、としての役には立たないだろうけれど、せめて幾許か恐怖心を和らげるために。
 魔法を施しながら兄弟を見るともなしに見ていた。流儀の差だろうか。同じような魔法をシリルがアレクにかけている。だが彼らは二人とも目を閉じている。真剣でそれがどこか微笑ましい。
 なにを意識したわけでもなかった。勝手に体が動いた。柔らかいものが唇に触れる。気づけばウルフにくちづけていた。
 はっと驚いたよう、ウルフが体をすくませる。そのときにはもう、サイファは離れて何食わぬ顔をしていた。
「サイファ……」
 うっとりと呼びかけてくる唇に指を当てる。目つきひとつで黙らせた。
「あら、サイファ。なにしたの?」
 それをアレクが目敏く見つけてはからかった。言わなくとも、わかっているはずだった。これくらいウルフが敏感だったならば苦労も少ないものを、とサイファは苦笑しアレクに向かって軽く手を振る。
「なんのことだ?」
 けれど口ではとぼけて見せた。アレクは一度吹き出し、それ以上は問い詰めない。ありがたい、とばかりにサイファは笑って見せる。
「サイファ?」
「なんだ」
「いまの、なに?」
「気にするな」
「無茶言わないで」
「どこがだ」
「気になるに決まってるじゃん」
「努力しろ」
「無理」
「……断言するな」
「だって」
 今の今までこの世の幸福は自分だけのもの、そんな顔をしていたのに、ウルフはもう泣き出しそうな顔をしている。もっと自信を持っていいと思うのだが、サイファはそう言えずにいる。溜息ひとつ。跳ねた赤毛をかき混ぜた。
「サイファ!」
「行くぞ」
「ん……」
「なんだ?」
「俺、発見した」
「なにをだ?」
 自分が、兄弟が見つけていないものがまだあっただろうか、サイファは不安になって小部屋を見渡す。特別に気にかかるものはない。改めてウルフを見れば唇を歪めていた。
「俺ってこんな焼きもち妬きだったんだ、と思って」
 ちらり、アレクを見てはウルフが言った。反射的に腕が上がる。殴りつける寸前、思いとどまった。
「こんなときになにを言うか! 馬鹿!」
 振り上げた拳で額を小突くにとどめた。おかげで余計、恥ずかしい。自分でもじゃれているようにしか思えない。
「だって俺がサイファの一番じゃなきゃ嫌なんだもん」
 言ってウルフは誇らしげに顎を上げる。サイファはその場にがっくりと座り込みたかった。この馬鹿のどこがいいのか、わからなくなりそうだ。
「なぁに言ってんだか。坊やがサイファの一番じゃない」
「だってアレクとのほうが仲良しじゃん」
「坊や。仲良しと大好きの違い、わかってる?」
 呆れてアレクが笑っていた。サイファを見る視線には多分に同情が含まれている。今は世界中の同情を集めても足りない気分のサイファは反論さえしなかった。
「んー。サイファはアレクと仲良しで大好きでしょ?」
「どうよ、サイファ。アタシのこと大好き?」
「問題を混乱させるな」
「混乱させてんのはアンタだぜ。坊主にお前が一番だって言ってやりゃ済む話だろうに」
「……急に男になるな。気色悪い」
「そうやって話をそらすからな、坊主が不安になるんだ。妬くってそういうことだよ?」
「……わかった」
 言っている意味はよくわかっている。これ以上ないほど、理解している。だが生まれ持った性格と言うもので、できることとできないことがあるものなのだ。
「サイファ、俺のこと好き? 一番?」
 期待に目を輝かせてウルフが問うてくる。だんだん腹が立ってきた。
「あぁ、一番だ」
「ほんと?!」
 嬉しげに言い飛びついてこようとするウルフを叩き落とし、サイファは微笑う。触れてはならない獰猛な顔で。
「一番嫌いだ!」
 言ってウルフを殴りつけた。さすがに危険な場所にいることを考えて渾身の一撃とは行かない。それでもずいぶんと痛い拳であったことだろう。
「もう、サイファってほんと可愛いよな」
「まだ言うか!」
「素直に好きって言えないくらい俺のこと好きなんでしょ? うん、ちょっと安心した」
「私も少し、安心した」
「そう?」
「殺してもいいような気がしてきたせいだな」
「またそういうこと言う。憎まれ口が可愛いよ」
 言ってウルフの手が伸びてくる。反論を考えるのに忙しいサイファは避けきれなかった。そっと髪を撫で、一房とってはくちづける。妙に大人びて、そして淫靡な仕種。かっと頬が熱くなった。
「あの、お二人さん? そろそろよろしいでしょうか。進みたいんですが」
 含み笑いをしながらシリルが見ていた。口許に手を当てているのは吹き出さない用心か。うっかりとそこに兄弟がいるのを忘れかけていたサイファは天を仰ぐ。
「気を使わせてすまないな。進もう」
 せいぜい皮肉に言ったつもりだが、どこまで効果があったものか。足を踏み出す前、アレクが振り返ってはなにも言わずに微笑んだ。
 兄弟にサイファが続く。わずかに下がったウルフが後方を守った。戦士たちは抜き身の剣を下げたままだ。鞘に収める気にもなれないくらい危険な場所であることを体で感じているのだろう。
 扉を抜けて驚いた。深紅の絨毯がまっすぐ敷き詰められている。その先に階段。まるで一行を導くように。
「当たりね」
「そうだね」
 兄弟がうなずきかわす。サイファもそれを納得していた。この階段を上がった先にあるはずだ、と。誰かがごくり、息を呑む音が耳に障る。
「サイファ」
「なんだ」
「なにが、あるの」
「シャルマーク王の謁見の間が」
「……そこに行けば、終わるんだね」
「行っただけではな」
「わかってるよ。何かがそこにいるはずだよね。今の、世界の元凶が。倒して帰れば、だから終わりだよ」
 あえて軽い口調で言っているのがわかる。魔物のあふれる世界に変えてしまった者がそこにいるはずだ。倒すと口で言うほど簡単でないのはウルフにもわかっている。だから彼は軽く言う。そういう男であるのが好もしかった。
「そうだな」
 ウルフの横顔にサイファは微笑む。見ていないと思うからこそ、素直にそんな顔ができる。
「帰ったら、一緒に旅に出よう。約束だよ」
 少しだけ目を向け、ウルフもまた微笑んだ。その顔がほころぶ。一瞬ではあったけれどウルフはサイファの笑みを見たのだった。
「そうだな。どこに行こうか」
「まずは行かなきゃならないとこがあるでしょ」
「どこだ?」
「サイファのお師匠様の墓参り」
 笑い出したくなった。この男はなにを言っているのだろう。とっくに毀たれて痕跡すら残っていないものを。
「それも悪くないな……」
 なのにサイファはそう言っていた。そして思う。師にこの男を見せたかった、と。
「行くわよ」
 それまで前方で軽口を叩きあっていた兄弟が足を止め、振り返る。厳しい顔つき。階段が、そこにあった。




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