シリルは実に几帳面に剣を鞘に収めてから、笑い転げた。失礼な、と思いはするが自分の行動のおかしさを薄々わかってはいるサイファである。異論を差し挟むことは控えた。
「ほんとにサイファったら……!」
 可哀想に、そう言ってアレクがウルフの頭を撫でる。ウルフは苦笑いしながらそれを避け、サイファに寄り添った。
「近づくな」
 邪険に言って押し戻す。ウルフはもう、うつむかない。それが心地良かった。
「あぁ、笑いました。すっきりしましたよ」
「それはよかった」
「そう、怒らずに。そろそろ行きましょうか」
「別に怒ってはいない」
「そうですか?」
「ねぇ、サイファ」
「なんだ」
 ウルフの問いかけに素直に答えられない。声音が険悪なのは仕方ないものと諦めてもらうよりない。
「大丈夫なの?」
「なにがだ」
「骨、折れたって」
 言って胸の辺りに手を触れる。振り払おうとしたけれど、妙に真剣でそれもはばかられた。
「なによ、アンタ骨折ったの?」
「たいしたことはない」
「普通、たいしたことよ」
「もう治っている」
 言えばウルフが本当か、と問いかけるよう覗き込む。それに黙ってサイファはうなずいた。
「あぁ……。魔力が濃い、と言ってましたね」
 納得してうなずいたシリルに視線を向け、サイファはそれを肯定する。便利な体だと思う。だが、人間との差異が際立つようで心躍るとは言いがたい。ことに今となっては。
「大丈夫なようならば、出発しましょう」
 言ってシリルが立ち上がる。サイファの言葉を信用するからこそ、深くは尋ねない。それでいい、とサイファは微笑む。
 一行は気持ちも新たに立ち上がり、そして表情を引き締める。それを確認してサイファが結界を解いた。
 押し寄せてくるのは濃密で淀んだ気配。悪しき者が無数にいる、それが肌身で実感できる。
「気を引き締めていきましょう」
 シリルが言わずもがなのことを言う。それだけ警戒心を催させる何かがあるということだった。
 一度辺りを見回す。いまのところは何者もいない。静かに階段に向かい、一行はそれを上った。
「う……」
 階段の半ば、アレクが呻いた。圧し掛かるような気配に圧倒されたのだろう。シリルがすかさず恐怖を取り除く呪文を唱える。ほっとアレクは息をつき、苦笑して見せた。
「ごめん」
 照れたよう、言いそしてまた足を進める。サイファはちらり、ウルフを見た。やはり顔色が悪い。魔法耐性に劣るアレクとウルフには厳しいのだろう。
「シリル」
 声をかけただけでそれと悟った彼はウルフにも同じよう、魔法をかける。ウルフが感謝するより先にサイファが頭を下げる。ごく、自然にしたことだった。それにアレクがかすかな笑みを浮かべる。
 溜息でもつきたい場面だった。だが、それで恐怖心のいくらかなりともが薄れるならばそれでもいい、そう思い直しサイファは何も言わずに歩を進めた。
「サイファ」
 ただそれだけ。後を続けることはしなかった。ウルフの手が自分のそれを握るのを感じる。わずかに滲んだ汗。緊張に冷たい手。そっと握り返せば少し、温かくなった、そんな気がした。
 長い階段だった。そう感じただけかもしれない。魔力に正も邪もないはずだが、あえて言えば邪悪な魔力が体にまとわりつくようだった。
「は……」
 階段を上りきったとき、そう声を上げたのは誰だったか。あるいは全員だったかもしれない。サイファでさえも緊張を強いられるような濃密さなのだから。
「出たわね」
 上った場所から周囲を見渡す。まっすぐに廊下が伸び、突き当りが左に折れている。そこまでの見通しはよかった。
「ねぇ、サイファ」
「なんだ」
「ここってシャルマークの王宮よね? それにしては狭くない?」
「そうだな。想像だが……闇に飲まれるとき大部分が持たなかったのだろう」
「どういうこと?」
「魔力に耐え切れなかったのではないか、と言っている」
「あぁ、なるほどね。ありえそうな話だわ」
 アレクが言うとおり、王宮としては小規模と言わざるを得ない。サイファはシャルマーク王が存命であったころを知ってはいるが、あいにく王宮に赴いたことはなかった。
 だから想像でしかない、と言うのだ。が、往時の王宮はそれは広大で見事なものだったと聞く。それを思い出してサイファは警戒を新たにした。
 いまこの目に見えているものがすべてではない、その可能性を捨て去ることは生命の危険を招くこと、と。とは言え、シリルなどは疾うにそのことを考えているのだろう。それを思えば頼もしかった。
 一行はゆっくりと廊下を歩いていく。ただそこに見える曲がり角に着くまでに何度剣を振るったか。苦戦と言うほどではなかった。肩で息をしているものもいない。けれど確実に体力は削られているだろう。思えば懸念は深まった。
「長かったわね」
 そんな中でも茶化すようにアレクは言う。振り返れば階段が見えた。角に着くまでにかかった時間が信じられないほどすぐ側にある。
「まったくだね」
 言ってシリルが剣から血を払った。魔物の血で汚れた剣は振るうだけで白銀の輝きを取り戻す。聖別された剣である証だった。
「サイファ、疲れた?」
 ウルフも同じように血を振り飛ばす。彼の剣もまた、すぐに輝く。自分が送り続ける魔力をまとっていることを確認し、サイファは内心で安堵する。
「大丈夫だ」
「サイファが丈夫でよかったよ」
「どういう意味だ」
「人間の魔術師だったらとっくにへばってるって」
「なるほど。確かに」
「だから、安心した」
「そうか」
 先程まで疎ましいと思っていた半エルフの血。ウルフが安心できるならばその生まれも悪くはないと思えるから不思議だった。
「さ、お次はなにかしらね」
 アレクが扉を見つめていた。左手に折れてすぐ左側に扉があった。彫刻を施した扉だけに一行は緊張する。
「少し、離れて」
 言ってアレクは扉の脇にかがみこんだ。
「目当ての場所だといいんですが」
 そう呟いたシリルに怪訝な視線を向けてしまった。
「一応、玉座の間を目指しているんですよ」
「なぜだ」
「シャルマーク王と神人の王が対峙したのがそこだと伝説に言いますから」
 どうやら兄弟は暗黙の了解で進んでいたらしい。少しも気づかなかった自分の不明を恥じるのみだった。
 ふと思い出す。旅のはじめにアレクが言っていた。自分は至高王の王冠が欲しいのだ、と。シリルは兄の目的に向かって一直線に進んでいた、と言うことか。それを理解してサイファは口許をほころばせた。
「剣は俺のだからね!」
 ウルフが機嫌よく言う。まるでもう手に入れたかのような口調にシリルが笑う。
「わかってるよ」
「でもなぁ」
「どうしたの?」
「せっかく手に入れてもさ、この剣以外使う気がしないんだよね」
「なぜだ。良い物だったら使えばいい。所詮は道具だ」
 思わず尋ねてしまった。そのサイファに向かいシリルは苦笑し、ウルフは唇を尖らせそっぽを向いた。
「ウルフはあなたが魔力を付与してくれた剣より他は使いたくない、と言っているんですよ」
「そういうことか」
「そういうことです」
 しみじみと納得したサイファにウルフが悲痛な顔をする。本当にわからなかったの、その顔は問いかけていた。
「サイファ……」
「どうしてそんな顔をする」
「だって!」
「全身、私の守りの中にいるくせに剣ひとつでごちゃごちゃ言うな」
 言った途端、ウルフが呆然とした。言われてはじめて気づいたのだろう。言ってしまってからサイファはしまったと唇を噛む。
「サイファ」
 そっと抱きついてきたウルフの背を軽く叩いた。なにしろいまアレクは扉に夢中なのだ。からかわれる心配はなかった。
「俺、サイファに包まれてるんだ」
「そうだね、そういうことになるね」
 嬉々として言うシリルの言葉にサイファは絶句する。何もお前までもがそんなことを言わなくてもよいだろうに、と思うのだが考えてみればあのアレクの弟なのだ。が、諦める気になどなれはしない。
「恥ずかしいことをぬかすな!」
「でも、ほんとでしょ?」
 嬉しそうに見上げてきた目に言葉を失う。サイファとしては本当だからこそ、言ってほしくないのだ。その辺りの機微をウルフに求めるのはいささか無理がすぎるだろうか。溜息をついて言い返そうとしたとき、アレクが振り返ってじろり、睨んだ。
「うるさいわよ、アンタたち」
「僕も?」
「アンタもよ、シリル。こんな所でいちゃつくなって、止めなさいよね」
「誰がいちゃついている!」
「アンタよ。サイファ」
「理不尽なことを言うな」
「そうね、訂正するわ。アンタと坊やが、よ!」
 勝ち誇ったように言い放ち、アレクは立ち上がって胸を張る。言い返せるものならば受けて立つ、と言いたげな表情にサイファは口をつぐむことを決心した。
「賢明です」
 ぼそり、シリルが呟くのにアレクは視線を向ける。和やか、とは言えない目つきだった。
「と、ところでアレク! 扉はどうなったのかな!」
「開いたわよ。だから行くの、わかった?」
 話をそらそうと努力するシリルに鼻で笑ってアレクは心持、顎を上げる。人を見下すような顔なのに、不思議と美しい男だった。
 その顔のまま睨みつけられた。不意に気づいて慌ててウルフを引き離す。それに兄弟は顔を見合わせ、吹き出した。




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